1005話 偽聖審判
俺に呼ばれて要求と目的を聞いたシスター・セラフィーヌは、目を丸くした。
いつもの、冷静沈着な様子はどこへやら。
俺の要求が余りにぶっ飛んでいたのだろう。
まあ……普通考えないわな。
「
なぜ
私も、
形だけ存在する法ですよ」
俺が部外秘とされる教区の名簿提出を求めた。
トランクウィッロ家の不正に関与した聖職者がいる教区はひとつだけ。
『なんのために』と聞かれたので、過去に不当判決が横行した結果、犯罪行為が
犯罪の内容も説明する。
判決をねじ曲げて被害者が加害者とされた揚げ句……処刑された疑いも含めた。
この時点でシスター・セラフィーヌに驚きの顔はない。
不正については知っているようだ。
断罪しないのは、なにか政治的理由があるのだろう。
トランクウィッロ家単独では不可能で、教区の司祭が協力しなければ不可能なことも付け加えた。
証拠を固めている最中だが可能性は極めて高いこと。
そこで教会にも協力を求めたわけだ。
『仮に犯罪が事実だとしたらどうするのか?』と聞かれた。
俺の回答が
身分剝奪どころか事件が悪質なら、破門の可能性すら有り得る。
当然破門は共謀者に及ぶ。
過去1000年の歴史において成立したのはたった3件。
それもすべて、使徒の力で成し遂げている。
だが教会法に
ご丁寧に誰でもよいと記されているくらいだ。
建前上の文言だろうが……建前だからこそ、正面切って否定など出来ないだろう。
なぜ、このようなレアな知識を持っているかと言えば……。
そりゃ先生に聞いたからだ。
ただ先生が、『誰でもよいについてはハッキリしない』と言っていた。
ざっと流し読みした程度だし、使徒がやるものだから気にしなかったと。
オフェリーですら存在を知らないだろう。
叔父のアレクサンドル特別司祭なら知っているが……。
俺に入れ知恵することはしない。
影響範囲が共謀者にまで及んでしまうからな。
「弾劾については、私の家庭教師から聞きました。
まさかここで要請することになるとは思いませんでしたけどね」
「心臓が飛び出るほど驚きました……。
大元帥は他所の犯罪行為を咎める人とは思えません。
敢えて我々に要請したとなれば……相応の思惑がおありでしょう」
当然意図してやったことだ。
まずマンリオの依頼を果たすことは、イザイア・ファルネーゼの力を削ぐことにつながる。
次に将来への布石だ。
教会と国の棲み分けについて……現時点では、曖昧な結論で誤魔化している。
俺が寝た子を叩き起こしたから、ナアナアで済ませることは出来ない。
早めに決めるに越したことはないだろう。
この手の権利の棲み分けを決めるときは、だいたい血の雨が降るからな。
現時点だと直接利権がぶつかり合わない。
血の雨が降ることはないはずだ。
弾劾の扱いについては今後調整が行われるだろう。
聖職者への処分は教会で。
関与した俗人については、王家に委ねるあたりになるだろう。
だが今は先例が勝つ。
今回の弾劾は大義名分が十分なので、ニコデモ陛下も結果に干渉してこないだろう。
それを説明する必要はない。
話したら有り難迷惑だ……と言われるのが落ちだ。
「私に思うところがありますから」
「ひとつ確認させてください。
もし
物騒なシスターだな。
暗殺するなら黙って教えたというのだから。
「
この問題は、正式な手順に則って裁かれることが大事……と思っていますから」
それこそマンリオの意向だと思うからだ。
セラフィーヌの目が鋭くなる。
「16年前のツスクルム教区の聖職者名簿に限った話ではありませんが……。
教会の人事記録は部外秘です。
それはそうだ。
部外秘を破らせて失敗すれば、シスター・セラフィーヌの首が飛びかねない。
俺の評判も地に落ちる。
俺を嫌っている連中でなく、さして嫌っていない人たちにも嫌われるだろう。
経済圏が危うくなる危険すら有り得る。
もし罪が曖昧なら決断しないほどの巨大なリスクだ。
「当然、立証に失敗すれば、相応のペナルティーはあるでしょうね。
そのリスクを取る価値があるのですよ。
シスター・セラフィーヌが小さく息を吐く。
「過去の先例はすべて破門でしたね。
今回の疑惑が事実なら、先例と同等かより悪質です」
まず聖職者が
もしそこまで罪が重くなければ、一時的な破門で済む。
今回は完全に共謀関係で、極めて悪質な事例だ。
先例で同様の事例は破門となっていた。
つまり今回も破門確実だろう。
結果として、貴族の地位を保持しても社会的に抹殺される。
しかも社会的抹殺に留まらない。
ニコデモ陛下は、臣下に対しての保護が出来ないだろう。
暇を与える形で主従関係を切り捨てるしかない
聖職者と共謀しての悪事となれば、
そうなれば、トランクウィッロ家当主を殺してもお咎めなし。
運がよければ、自死の機会が与えられるだろう。
これが、俺の考えたいいことだ
マンリオも満足するだろう。
シスター・セラフィーヌは軽く頭をふった。
「
あの自称女神の戯言で教会が神経過敏になっています。
内々の裁判など望むべくもありません。
仮の話ですが……内々に済ませようとすると……誰かが漏らすのではありませんか?」
公開でやらないと俺が暴露すると言っているのだろう。
そりゃ当然だ。
無言の脅しだし。
「教会が、このような疑惑を内々で済ませようと企むのであれば……。
あの自称女神の言葉が正しいと公表するようなものですね。
折角支持した私の面子も丸つぶれです。
情報を伏せきれるのか……甚だ疑問ですね」
面子なんてどうでもいいが……。
脅し文句としては無難だろう。
独創的な脅し文句は通じない可能性がある。
手垢のついたほうがいいだろう。
セラフィーヌは表情を消して一礼する。
念のために聞いた程度だろう。
「これは無意味な質問でした。
お忘れいただければと思います」
「ご安心ください。
私に覚えている理由などありませんからね」
俺のしつこい脅しにセラフィーヌが微苦笑する。
「これは選択肢がなさそうですね。
ただ数点確認をさせてください。
ツスクルム教区の16年前ですよね?」
重ねて確認するとは珍しい。
俺の知らない問題が潜んでいるのか?
「ええ。
なにか問題でも?」
「該当者を既にご存じなのでは?
あくまで確認するために名簿を求められたのでは……と思いました」
さすがにそれは無理だ。
司祭の名前程度は分かるが、その司祭は病気がちで輔祭に任せていたらしい。
輔祭の名前まで覚えている人はいなかった。
名簿が、どうしても必要になる。
「いえ。
まったく知りません。
知っていたら聞き方を変えていますよ。
名簿を取り寄せるまでもなくご存じなのですか?」
セラフィーヌは疑わしげに俺を見ている。
信じていないようだ。
やがて軽く頭をふった。
「大元帥の言葉を信じましょう。
正直にお答えしますと知っています。
理由はお分かりになりますよね?」
黙らせるために、お前の過去を知っているぞと。
いい脅しだな。
「なるほど。
調べているという噂だけでも、大人しくなる人はいるでしょうね。
それで、私が事前に知っていると思ったのですか?」
「当時のツスクルム教区の司祭が病気だった。
なので説教以外の実務はすべて輔祭たちに丸投げ……当然ご存じでしょう?」
俺がうなずくとシスター・セラフィーヌは、小さなため息をつく。
「裁判関係は輔祭のひとりが勤めていました。
そのひとりがグスターヴォ・ヴィスコンティ元枢機卿です」
ここでその名前が出てきたか。
異端審問をやってみたり、犯罪の
なんとも忙しい男だ。
「これは……奇縁としか言い様がありませんね。
元枢機卿には昔から、黒い疑惑があったのですか?」
「はい。
ツスクルム教区の噂はありました。
それでも、トランクウィッロ家からの寄進額は多く、誰しもが見て見ぬふりをしたのです。
金目当てだけではありませんが……。
意味はお分かりですか?」
「使徒降臨が近いので生贄……と言ったところでしょう。
一種の接待ですね。
使徒にやらせれば誰からも恨まれない。
だから噂程度で、それ以上の動きはなかったと」
使徒に気持ちよくなってもらうために、公開の場である必要がある。
先生曰く『告訴をしたがる使徒がいたのでこうなったらしい』と。
シスター・セラフィーヌが天を仰いで嘆息する。
「お恥ずかしながら……そのとおりです。
ただ……元枢機卿も黙って生贄にされるつもりはなく、上層部に取り入っていました。
ツスクルム教区の司祭が亡くなったとき、別の教区の司祭として栄転しましたから。
かくして
上手く逃げおおせたはず……でした」
存在自体を忘れていたが……視界に入ったなら? 見逃してやる義理はない。
「元枢機卿にすれば青天の霹靂でしょうね。
まあ……心の平穏に配慮する義務などありません。
過去のツケを支払ってもらうとしましょうか」
シスター・セラフィーヌは
俺の意志が変わらないので腹を括ったか。
「元枢機卿を気の毒には思いませんが、同じ立場にはなりたくありませんね。
まさか使徒以外の人間が、
仕方ありませんね。
大元帥にひとつ確認したいことがあります」
シスター・セラフィーヌの表情が真顔になった。
具体的な話の確認か。
渡りに船だ。
認識
有り難くご教示いただこう。
「なんでしょうか?」
「弾劾裁判には
そして、
ここまではご存じですか?」
「知っていますよ」
「
アテはあるのですか?」
当然の疑問だな。
誰でもとは聖職者なら誰でもだな。
聖職者縛りは想定していたから問題ない。
「それならなんとかします」
シスター・セラフィーヌが片方の眉をつり上げる。
「まさか……ルグラン特別司祭を引っ張りだすおつもりですか?」
説得力や知識権威において申し分ないだろう。
元教皇の訴追となれば結果は見えているからな。
「さあ……それはなんとも」
シスター・セラフィーヌは大きなため息をつく。
今日はため息の大安売りだな。
それほど、この話は衝撃が大きかったのだろう。
「もしそうお考えでしたらお勧めしません。
そこでルグラン特別司祭は、
これは、教会法で定められている
つまり、
そうなれば
違う
裁きに情は不要……中立性の原則か……モルガンの懸念していたとおりだ。
モルガンは
それでも、アレクサンドルだと不適格になる可能性があると指摘してくれた。
仕方がないな。
アレクサンドルに頼むのはやめよう。
正義は石に刻まれ……一事不再理とか……考えるほどに教会法は先進的だな。
ある意味でラヴェンナ法より成熟している。
教会に通じたモルガンが、法曹の仕事に就きたがるわけだ。
「なるほど……。
ご忠告感謝します。
まあ……他にもアテはありますから」
シスター・セラフィーヌが驚いた顔をする。
「まさか……シクスー総督に頼むのですか?
確かに可能ですが……。
総督をしながら
モルガンの推薦だったんだよな。
一応本人に確認したら大乗り気だ。
正義を為す大仕事で教会史に名を残せるのは、この上ない名誉だと。
ただ、総督としての仕事をこなしながらになるので……協力してほしいとは言われた。
つまりモルガンを手伝いで送り込んでくれと。
モルガンは、嫌な顔をしたが、自分がモーリスを推薦した手前断れない。
かくして内々に話は
ただ問題はモーリスの手腕なんだよな。
モルガンのお墨付きを信じるしかない。
「そのあたりは協力しますよ」
シスター・セラフィーヌは大きなため息をつく。
「どうやら本気のようですね。
後ほど正式な名簿をお送りします。
手続きは私が窓口となるでしょう。
そこで正式な方法をお伝えします」
腹を括った以上成功に掛けてくれたわけだ。
さすが肝が据わっているな。
「それは助かります」
「もうひとつだけ……よろしいですか?」
まだあるのか?
折角協力してくれるのだ。
答えられることは答えるとしよう。
「なんでしょうか」
「なぜ……そこまで過去の不正を暴こうとされるのですか?
そもそも、弾劾対象が元枢機卿と知らなかったとなれば理由があるのでしょう。
私が知る限り大元帥は、慎重なお方で感情に流されません。
特定の不正を暴く理由……お聞かせください」
当然か。
他にも、この手の不正はあるだろう。
わざわざ狙い撃ちした理由か。
イザイアの牽制目的なんだが……。
これだけ腹を括らせたのだ。
本音を語ってもいいだろう。
「亡くなった人からの頼みです。
この事実は最近聞いたものでしてね。
教会にとっては過去でも、私にとっては新しい話なのです。
しかも報酬は前払いでしたよ。
これが最も大きな理由です」
シスター・セラフィーヌは目を細めた。
なにかを感じたらしい。
「失礼ながら大元帥は変わったお方ですね。
たとえ死者の頼みであっても……。
普通は、
手段として有効だから選んだ。
それだけのことなんだけどな。
「頼みが
「もしや教会にご厚意を寄せてくださったのは……前々からこれを考えていたからですか?
縁も
ですが……大元帥の要請は断れません。
積み重なったご厚意は重すぎますから」
思わず笑いだしてしまった。
「まさか。
教会の存在がこの世に必要だと思っただけですよ」
「普通なら信じないでしょうけど……。
大元帥と接しているので、率直なお話と分かります。
お返しと言ってはなんですが……
「是非お願いします」
「大元帥が得意とされる論理での説得は効果が薄いと思います。
教会は、情実が支配する組織ですから。
教会裁判官の判決と真逆のことは、
それだけはご理解ください」
なるほど……。
俺の基準で見定めてはダメだと。
モーリスにその点を指摘する……必要はないだろう。
「分かりました。
心しておきますよ。
ああ……そうだ。
ひとつ確認したいことがありました?」
セラフィーヌの目が鋭くなった。
危険を感じたのだろうか。
たいしたことではない。
「裁判の内容を発行することは禁じられていますか?」
シスター・セラフィーヌの目が丸くなった。
「いいえ……。
そのような大それたことを考える人はいませんでしたから。
どうやら……このご質問は、忘れたほうがよさそうですね」
前もって確認したら拒否されるから黙ってやれと。
「感謝しますよ」
明確に禁じられていないならやっていいだろう。
まあ……マンリオへのサービスだ。
これで、被害者の遺族も知ることが出来るはずだからな。
娘だけでなく両親の名前まで書いてあったのだ。
マンリオなりに引け目を感じていたのだろう。
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