1003話 ツケ

 朝早くシスター・セラフィーヌから、至急の面会要請が届く。

 幸福と痴愚の女神についてだろう。

 当然のことなので、午後に受けると返答した。


 教会が対応を急ぐのは当然だろう。

 あの放送は露骨な教会攻撃で座視出来ない。

 町や村の司祭にも、見解を伝える必要があるからだ。


 面会では、俺に対して助力……というか教会支持の声明が欲しいと言われる。


 どれだけジャンヌが、頭脳明晰めいせきで俊敏に動けたとしても教会は巨大組織だ。

 動きの鈍いものに合わせる必要があるからな。

 まず俺の公式声明によって、権力者たちに睨みを利かせる。

 これで時間を稼いで、教会内の再掌握を急ぐつもりなのだろう。


 明日にでも声明文を届けさせると返答した。


 公式声明は、なにより明確さが求められる。


 役人言葉で、責任の所在が不明瞭な文書など必要ない。

 そのような言葉遊びは政争にしか役にたたないからな。


 自身が責任を持つ言葉でないと説得力がない。

 それを誤魔化そうと難しい言い回しなどで化粧をし続ける。

 よくある曖昧で不明瞭な言葉が陥る罠だ。

 言語明瞭意味不明瞭の典型だな。


 シスター・セラフィーヌは、返答の早さに驚いたようだ。

 驚きつつも深い感謝の意を示してくれた。


 そこまで感謝されると居心地が悪い。

 善意で助力したのではなく、そのうち返してもらうツケのような認識だからだ。

 ジャンヌはきっと『このツケは高くつくはずだ』と言って苦笑するのではないか。


 面会は早々に終わったので、まず声明文から片付けるか。

 内容をキアラに伝えて文書として仕上げてもらう。


『自称女神の放送は、長くてなにを言いたいのかよく分からない。

所々真実に見えても、全体を通せば矛盾している点が多々ある。

そのような言葉を発する怪しげな存在と、教会の何方どちらを信じるのか明白だろう。

今まで教会が、民の支えとなってきたのは事実なのだ。

言い分が食い違うなら、教会を信じるほうがいい。

私は教会を支持するし、攻撃にさらされたときは助力する』


 ざっくりした内容をメモしたキアラは笑っていた。

 キアラのお眼鏡に適ったようだ。


 あとはそれっぽく仕上げてくれればいい。

 立場を明確にすることが大事だからな。


 教会の件はこれでいいだろう。


 次は、モルガンの友人モーリス・シクスー総督からの手紙か。


 滅茶苦茶分厚い手紙でキアラがキレていた。

 無理もない。

 内容は、自画自賛と宣伝に終始しているのだ。


 当然キアラはモルガンを詰問した。

 気持ちは分かる。

 取り次ぎ役として内容を精査する必要があるからな。

 読み飛ばすことは許されない。

 モルガンは『これこそシクスーの手紙です』と、涼しい顔で受け流す。

 頼むからキアラの怒りを煽らないでくれ……。


 キアラから返答をどうすべきか尋ねられる。


 いちいち内容に触れても仕方がない。

 そもそも評価は、ジャンヌがするものだ。

 手紙を受け取った旨の返事に留めた。


 ところが……帰ってきた返事は熱烈な催促だ。

 モルガンを一瞥すると珍しく苦笑する。


「スルーして結構ですよ。

下手に構うと、調子に乗って量が増えますからね」


 これで悪化したら、モルガンのせいにしよう。


 そう笑っていたが……数日後に、モルガンがやって来る。


「ラヴェンナ卿。

少々厄介なことが」


「さらに激しい催促でも来ましたか?」


「いえ。

ランゴバルド王国の内通者から警告がシクスー経由で届きました。

マンリオの身に危険が迫っているようです。

内通者はマンリオを殺すとラヴェンナ卿の報復が怖い。

だからと計画を止める力はないようです。

マンリオを引き上げさせてほしいと」


 マンリオに危険が迫ったか……。

 それにしても……マンリオの殺害か? リスクが大きすぎるぞ。

 いち情報屋を消した見返りは割に合わないだろう。

 敵の判断を狂わせるなにかがあったのか……。

 現時点で判断は保留しよう。


「随分乱暴な話ですね……。

分かりました。

マンリオ殿には引き上げてもらいましょう。

キアラ。

シャロン卿に急いで連絡を」


 キアラが慌ただしく部屋からでていった。

 これは想定していなかったな。

 マンリオの活動はそこまで効果的だったのか?


 モルガンがわずかに肩を丸めた。


「ラヴェンナ卿。

もし殺されていたら間に合わなかったら如何しますか?」


 部屋の空気が凍り付く。

 モルガンは声を潜めていたのだが……無意味だったようだ。

 誰もが触れたくない話題を平気で持ちだせるのがモルガンの強みだな。


「報復は必要でしょうね。

ただ分かりやすい手かがりは残してくれないでしょう。

面倒な話ですよ」


 モルガンは渋い顔で首をふった。


「そうおっしゃると思いました。

血による報復をすべきではない、と思います」


 報復一色の空気にならないように釘を刺してきたな。

 有り難い話だ。


「理由は?」


「まずひとつがニコデモ陛下のお膝元であること。

陛下を飛び越えて決定すると政治的な隙となるでしょう。

多くの連中は讒言の機会を窺っています。

奴らに発言の機会を与える必要はないでしょう」


 たしかにひとつの理由だな。


「なるほど。

まず陛下に、私の意向をお伝えします。

陛下も、私が座視するとは思わないでしょうからね。

交渉する必要もありますが……現時点で考えても時間の無駄です。

他には?」


「次にシャロン卿の面目です。

ラヴェンナ卿が報復にでられると丸つぶれでしょう。

まずはシャロン卿に任せるべきかと」


 これも正しい話だな。

 ただ連中の背後にいるのはイザイア・ファルネーゼだろう。

 イザイアは表向き恭順を貫いている。

 それを強引に始末するとなれば、王権への挑戦となってしまう。

 モデストの手に余るだろうな。


「シャロン卿が主体になる件については同意しますよ。

ただ、シャロン卿の手に余る事態であれば、私の出番ですね。

なにせ相手はファルネーゼ卿です。

シャロン卿の脅しが通じるとは思えませんから。

まだありますか?」


「最後にマンリオはラヴェンナ市民ではありません。

市民以外でも殺されたら報復となればキリがないでしょう。

ファルネーゼ卿に貸し……とすべきではありませんか?」


 なるほどねぇ。

 無制限に、報復の範囲が広まると……今後は困難が待ち受けている。

 常に報復しなければいけないからだ。

 もし自業自得で死んだのであれば、無理な報復はしない。

 だが、マンリオの過失割合が少なければ話が変わってくる。

 モルガンは、無条件の報復に賛成出来ないのだろう。


「たしかに、マンリオ殿はラヴェンナ市民ではありませんが私から仕事を受けましたからね。

殺され方によるでしょうが……。

選択肢を消しませんよ」


「やむを得ませんな。

ただ……敵は、露骨な証拠を残さないでしょう」


 モルガンのいうとおりだ。

 まったく証拠を残さないか、別の容疑者を用意するだろうな。


「もし敵が馬鹿なら、なにも考えなくていいでしょうね。

まだ現時点ではなんとも言えませんが」


杞憂きゆうに終わればいいですがね。

状況次第では、シクスーも関わらせる必要があるかもしれません。

シクスーの元弟子が計画を知っていたのですから」


 元弟子が、保身のために内通したようだからな。

 モーリスの面子にも関わるか。


「そこはルルーシュ殿に任せますよ。

これ以上、シクスー総督とのやりとりが増えるとキアラが怒り狂いかねません。

しかし……ルルーシュ殿は、あれほど濃い人と友人でいられますね」


 モルガンは人間らしい苦笑を浮かべて頭をかく。


「私も不思議なのですがね……どうも憎めないのですよ。

強いて言えば、それが友人関係を続けている理由です」


                  ◆◇◆◇◆


 一週間後、すっかり寒さが身に染みるようになった。

 外にでないから、今頃になってようやく寒さを実感する。


 オフェリーが『運動しましょう』と、無言の圧をかけてくるが……。

 有り難いことにライサが反対してくれた。

 屋敷が狭いので、庭で運動なんかしては容易に狙われるというものだ。

 かくして、運動は建設中の正式な元帥府が完成してから、と約束する羽目になった。

 そのころには忘れてくれるといいなぁ……無理だと思うけど。


 暢気なことを考えていると、モデストがやって来た。

 モデストは顔パスで俺に会える。

 だが……モデストはリディアの護衛役だ。

 軽々に持ち場を離れない。


 これは……覚悟だけしておくか。


「シャロン卿。

なにか緊急の知らせがありそうですね」


 モデストは深々と頭を下げる。

 カルメンが仰天するほどだ。

 モデストは基本頭を下げない。

 儀礼上必要なときを除いては。


 これは最悪の知らせだな。


「マンリオが殺されました。

面目次第もございません」


 どっと疲労を感じる。

 それ以外の言葉など思い浮かばない。


「シャロン卿の部下が必要な護衛はしていましたね。

これほどまでに明確な殺意があるとは……私も想定していませんでした。

責任は私にあるので、シャロン卿の謝罪は不要です。

それで状況は分かりますか?」


「オルペウスからが届きました。

それより先にこれを」


 モデストは封書をテーブルの上に置く。

 封は切られており、モデストが事前に確認したのだろう。


「これはなんですか?」


「マンリオを私の屋敷に住まわせていましてね。

好きに使ってよいと伝えたら、部屋は散らかり放題で酷いものでした。

まるでゴミ捨て場です。

下手人の手かがりがないか……と部屋を探したところ、マンリオの遺書とおぼしきものが見つかりました。

万が一を考えていたのかもしれません。

本当にあの男は妙なところで律義でした。

これで世の中が少しばかり退屈になりますね」


 モデストにしては珍しい感想だ。

 思うところがあるのだろう。


 封筒から紙を取りだす。

 思いのほか達筆だ。

 元執事だから当然か。


「まず遺書から確認しましょう。

ふむ……名前の一覧ですか。

両親と娘の一覧と個人名だけの2種類。

これだけだと分かりませんね。

それでこれは私への依頼と?」


 最後にこれが、俺への依頼と書かれていた。


 俺への報酬は自分に支払われるはずの褒美をあててほしい。

 足りなければツケておいてくれ……だそうな。


 あの世で取り立てろと?

 まあ……あの世があるなら行き先は同じ地獄だな。

 地獄で再会出来るから、ツケを払うつもりか。

 マンリオならではのブラックジョークだろう。


 モデストはわずかに肩をすくめる。


「そのようです。

タダで頼むのは失礼と思ったのか……。

情だけで動いてくれそうにない……と考えたのかは分かりませんがね」


 俺とマンリオは金だけの関係だ。

 だからこそ最後も情に訴えるより、このほうが効果的と考えたのだろう。


「最後の望みが私への依頼ですか。

断るのも野暮ですね。

受けましょう。

ただ……なにをしてほしいのやら」


 モデストは懐から次の書状を取りだして、机の上に置いた。


「今朝届いたオルペウスの中間報告です。

これならラヴェンナ卿のお時間を拝借するに足る……と判断しました。

御覧になってください。

遺書に関する報告です」


 オルペウスは、名前の一覧とトランクウィッロ家との関係で調べたようだが……。

 凄まじい早さだな。

 トランクウィッロ家への内偵を進めていたのかもしれないな。

 それならこの早さも納得だ。


「これは一覧の内訳ですね」


 両親と娘の一覧は、娘がトランクウィッロ家に奉公したとされるものだ。

 見事に全員行方不明。

 娘の行方と両親が存命しているかは調査中か。


 個人名の一覧は、刑死した人物の一覧。

 ただし判決の妥当性は極めて怪しいと記されていた。

 不当判決か……通したければ、教会関係者の買収が必要となる。

 オルペウスが教会に問い合わせても『当時判決に加わった者は極秘』と開示を拒否されたようだ。

 拒否した教会にも言い分はあるだろう。

 判決に関わると逆恨みの可能性が十分有り得るのだ。

 しかも領主より司祭のほうが狙いやすい。


 読み終えた俺が顔をあげると、モデストが別の書状をテーブルの上に置いた。


「マンリオがトランクウィッロ家に仕えていたころの話になるでしょうね。

もし一覧の人々が被害者なら、マンリオは悪事に加担したことになります。

彼らへの罪滅ぼしかもしれません。

マンリオはたしかに人間の屑ですが、屑なりの筋は通す男でしたからね」


「マンリオ殿が私になにを望むか……ですね。

一見すると不正の告発のように見えますが」


「古すぎる話なので告発しても無意味ですし、なにより致命傷になりません。

トランクウィッロ家当主の清廉なイメージは壊せるでしょうが……。

その程度のことをラヴェンナ卿に依頼するとは思えません。

世評を気にしないどころか軽蔑すらしている男でしたからね。

復讐ふくしゅうを依頼してきたと考えるべきかと。

最後は、マンリオが死に至った経緯の報告書です。

これは私の顔に泥を塗られたことになりますね。

どうすべきかは、ラヴェンナ卿とお話して決めるつもりですが。

まずは御覧ください」


 自分の立場も考えてくれと俺に示唆しているわけだ。

 当然だな。

 さて……マンリオはどうやって殺されたのか。


「マンリオ殿は用心深いはずなので、余程念入りに殺そうとしなければ失敗するでしょうね」


 マンリオは友人たちと下町の安酒場で飲んでいたところ、歌姫のファンらしき集団と揉めたらしい。

 ファンたちは、周囲から『精神に異常を来している』と思われていたようだ。

 気味悪がられて、避けられていると。

 ただ明白な狂人ではないので隔離されていない。

 この境界線上の狂人は厄介だ。

 つまりどのような理由で揉めたか分からない。


 そのタイミングで火事が発生する。

 結果酒場は全焼し、焼死体多数。


 死者のなかにマンリオがいた。

 ただしその死体にのみ刺し傷が認められたようだ。

 そこから離れた場所にナイフを持っていたらしい焼死体があるも、刃物と刺し傷の形状が一致せず。

 直接手を下した人物は裏口から逃げた模様。


 見事な報告書だ。

 これは確実に狙ってきたな。

 そこまでするとは、余程の恨みがあったと考えるべきだろう。


 報告書を読み上げてため息をつく。

 疲労感がさらに増したような錯覚に陥る。


 モデストの目が鋭くなった。


「私は下手人と関連した連中に代価を払わせるつもりです。

トランクウィッロ家大物も私の獲物……と言いたいところですが、ラヴェンナ卿のではお譲りしますよ」


 対応ねぇ。

 手打ちにするような対応は認めないと言っているな。


 ではどうするか……手持ちの武器を考えよう。

 不当判決とトランクウィッロ家の関連が怪しいな。

 そうだ! を考えた。

 マンリオも納得してくれるだろう。

 思わず笑みが漏れる。


「私は、過去に不当判決に関わった可能性のある聖職者の名簿を手に入れましょう。

教会には恩をツケてありますからね。

無理を通せるでしょう。

それ次第ですが……を思いつきましたよ。

シャロン卿もきっと満足してくれると思います」


「ほう。

それは教えていただけないのですか?

仮に罪を明らかにしたところで……。

ニコデモ陛下は、内乱前の罪は問わないと公言されています。

致命傷にはなり得ませんからね」


 な。

 思わず笑いだしてしまった。

 これはさぞ楽しいことになるだろう。


「それは将来のお楽しみですよ。

ひとつ言えるのは、容赦するつもりは微塵もない……くらいです」


 モデストは俺の様子に軽く一礼した。


「分かりました。

トランクウィッロ家大物はラヴェンナ卿にお譲りしましょう。

残念なことに刃はファルネーゼ卿に届かないでしょうが」


 残念なことに同意見だ。


 ただマンリオの依頼はトランクウィッロ家にたいする復讐ふくしゅうだろう。

 それを果たすとしよう。


 それより、モデストに頼みたいことがあった。


「きっとトランクウィッロ家は速攻で切り捨てられますよ。

放送存続派もろともね。

あとは関係したと思われる歌姫の狂信者たちにも手を打つ必要があります」


 歌姫のファンらしき存在と揉めたことも気になる。

 狂信的ファンとなれば、それなりに裕福なはずだ。

 庶民ではそこまで熱中出来ない。

 する生活の余裕がないからだ。


 そのような連中が、マンリオの出入りする安酒場に集まったことも怪しい。

 マンリオの暗殺がなければ、ただの偶然で片付くだろう。

 

 出入りするはずのない場所にいた連中。

 そして揉め事。

 マンリオが軽々に喧嘩を吹っかけるはずがない。

 マンリオの友人が故意に仕掛けた可能性すらある。

 そこに、都合のよい火事だ。


 モデストが声をたてずに笑う。

 カルメンがギョッとした顔になる。

 いつもと同じ笑いと思ったが……どうやら違うらしい。


「そちらの若造共は私にお任せいただいても?」


「お任せしますよ。

私の手助けが必要なら言ってください」


 ジャン=ポールが抵抗したとき、モデストが抵抗を排除するのは難しい。

 そこで俺が助力すれば無理筋を通せるだろう。

 陛下への根回しを含めて。


「今のところは大丈夫です。

では張り切って獲物から代金を取り立てるとしましょう」


 ひとつだけ注意しておこう。

 黙っていると全員やりそうだ。


「ひとりだけは除外しておいてください。

密告してきたのですからね。

そのほうが内部分裂も強まるでしょう」


 モデストは小さく肩をすくめる。


「残念ですが……そうしましょう。

殺さないように注意しますよ」


 やる気のようだ。

 誰ひとり逃がさないつもりだな。

 それだけモデストの怒りは激しいようだ。


「ああ。

でも生かしておいてください。

大事な使い道がありますから。

代わりに警察大臣を脅す程度ならよいですよ」


 マンリオ暗殺は、入念の計画を元に実行されている。

 すくなくとも運任せではない。

 これだけの計画となれば相応の準備をしているだろう。

 もしマンリオの友人を買収したなら? 動きがあるはずだ。


 ジャン=ポールが見過ごすのか?

 この手の買収を察知するのはジャン=ポールの得意分野だ。


 関与せずに故意に見過ごした可能性すらある。

 言い訳は出来るからな。


 モデストですら大臣の言い訳を前にしては無力だ。

 ジャン=ポールは大臣だから、強引なことは出来ない。

 これも俺が許可したと言えば事情が変わる。

 警察大臣まで締め上げたなら、モデストの顔もたつだろう。


 モデストの目が鋭くなる。


「モローめが関わっていると?」


「関与するほど馬鹿ではないと思います。

下町の安酒場に放火するなら準備が必要でしょう。

全焼したなら尚更です。

酒場は火事に注意しているはずですからね。

なにかつかんでいる可能性もありますよ」


 ただの放火で酒場が全焼するなど有り得ない。

 なにか燃焼を加速させる薬品でも使った可能性すらある。

 少量でも十分だとすれば、それなりに高価で足もつきやすい。


 大量は考えられないからな。

 そんなものまいていたら誰かに気付かれるはずだ。

 裏で小用を足す程度なら誰も見咎めないが……。


 あとは事前の下見や諸々の準備がある。

 あの用心深いマンリオを出し抜くのだ。

 適当にやって出来るはずがない。


 モデストはうなずいてから、大きなため息をつく。

 モデストのため息は初めてだな。


「それもそうですね。

それにしても……」


「なにか後悔でも?」


 モデストは自嘲の笑みを浮かべる。


「ラヴェンナ卿の依頼が楽しいので、退屈な依頼気に入らない仕事をサボっていました。

おかげで、私の影に怯える連中が減ってしまったかと。

痛しかゆしですよ。

リディア嬢の護衛がありますから私は此処ここを離れられない。

離れているから、私の糸が届かない……と安心しているお気楽な蝶々が増えたのでしょう」


 蜘蛛の糸を張りなおすってことか。

 モデストなりにマンリオを気に入っていたようだ。

 マンリオは嫌がるだろうが。

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