1002話 閑話 人間の屑

 マンリオ・デル・ドンノは、自他共に認める人間の屑である。

 社会に馴染なじめず覗きが趣味になる。

 オマケに手癖が悪い。

 立派な社会不適合者である。


 ところが腐れ縁からラヴェンナ卿アルフレードに雇われてしまう。

 お陰で、情報伝達のイロハを叩き込まれた。

 失敗点を指摘して容赦なく報酬を削るので順応せざるを得ないのだ。

 課題をクリアすると、高い報酬が得られる。

 「誠意は言葉よりお金」を人生訓としているマンリオには……アルフレードが世界一誠意ある雇い主なのだ。

 金のために仕事をこなしていたら、いつの間にか周囲から頼られる情報屋となっている。


 マンリオ本人は一時的に浮かれたものの、いささ憂鬱ゆううつな気分になっていた。

 皆から蔑まれているほうが落ち着くのである。

 頼られるなど真っ平御免。


 しがらみは面倒なのだが……ズルズルとアルフレードから仕事をもらい続けていた。

 ひとつは、知り合いが半魔化する現場にでくわし、柄にもない義憤に駆られたから。

 もうひとつは、マンリオが仕事をすっぽかす口実が通じないからだ。

 マンリオが逃げるときは、自分を納得させる口実が必要となる。

 人間扱いされず、ぞんざいな扱いを受けること。

 金払いの悪いなど……。

 盗人にも五分の理を認めるよろしく、マンリオが納得出来る理があればいい。

 その場合すぐに仕事をすっぽかす。

 それを非難されてもマンリオは涼しい顔だ。


 『此方こちらを人間扱いしないなら、人間としての契約は無効だろ?』


 それで、嫌なことを避けつつマンリオ本人はそこそこ怠惰に暮らせていた。

 マンリオにとっては結構幸せなのである。


 ところがアルフレードは、マンリオの口実が通じない相手なのだ。


 仕事の要求は厳しい。

 だが人間扱いされないのではなく、仕事の不備を冷酷に指摘するだけ。

 それでいて金払いは極めていい。


 マンリオが、もうひとつ人生訓にしている言葉がある。


 『屑には、屑の道理がある』


 この言葉に縛られて、昔のように怠惰な暮らしが出来なくなってしまった。

 だからと断るに断りきれない。

 マンリオなりの筋は通すのであった。


 今度の仕事は、よりにもよって昔仕えていたトランクウィッロ家と関わる仕事だ。

 だから、危険は避けるようにと念押しまでされている。


 これがマンリオにとって嫌な配慮であった。

 トランクウィッロ家とは関わりたくない。

 仕えていたことはマンリオにとって人生の痛恨事なのだ。


 マンリオは元来生真面目な性格だった。

 ところが、オルランド・トランクウィッロに仕えてから忍耐が限界を迎えしてしまう。

 雑な扱いで切れたわけではない。

 オルランドは、後継ぎになる前からマンリオに対して、腰が低く応対も丁寧だった。


 マンリオは、この低姿勢は仮面に過ぎず、鎖で縛られないとずり落ちると感じる。

 その鎖がなくなるとは思っていなかった。


 ところがオルランドは、後継ぎの急死によりトランクウィッロ家を継ぐことになる。

 オルランドの仮面を頭に縛り付けていた鎖が切れたのだ。


 マンリオは、代替わりを理由に逃げだすつもりだった。

 代替わりで執事交代は、よくある話なので問題視されない。


 しかも、マンリオは優秀だったので引く手あまたなのだ。

 スカラ家執事マリオから、大貴族の執事職を紹介してもよいとすら言われるほどに。


 ところが逃げることに失敗する。

 死の床にある当主から後事を託されてしまったのだ。

 自分を抜擢してくれた恩もあり断れなかった。

 かくして、憂鬱ゆううつな気分でオルランドに仕えることになる。


 オルランドは、マンリオが執事を続けてくれることに手をとって感謝までした。

 それどころか報酬も大幅に引き上げる。


 その対応がマンリオを不安にさせる。

 鎖は落ちたはずなのに仮面は顔に張り付いていたからだ。

 落ちたとき果たしてどれだけ、醜い素顔がさらされるのか……想像したくもなかった。


 それからも、マンリオの報酬は増え続ける。

 ただしそれは、仕事を認められての好待遇ではない。


 オルランドの所業に加担させられた揚げ句後始末までさせられたのだ。

 一種の口止め料に過ぎない。


 そもそも、悪事に加担する羽目になったことは、マンリオにとって不本意だった。

 マンリオは罠に嵌められたのだ。


 代替わり直後で、マンリオにとってやることは山積みだった。

 それどころか、不要な書類にまで目を通す羽目になった。


 必然的に集中力は落ちる。

 流れ作業でサインした書類のひとつに問題があった。

 普段なら見逃さない。

 病み上がりで体調が万全ではなかったこともある。

 もっとも忙しい時間を狙って、大量の書類の決裁を求められた。

 しかも、その書類はどうでもよいことばかり。

 書式などの形式的なチェックしか出来なかったのだ。


 サインさせられた書類は、とある犯罪の証拠隠滅を指示したものだった。

 注意して読まないと気が付かないようボカされていたが。


 後日マンリオはオルランドに呼びだされ、書類について詰問される。

 そこで、マンリオは罠に嵌められたと悟ったのだ。

 ついに、オルランドの仮面はずり落ちた。


 『この件は不問にするから今後は自分を手伝うように』


 病み上がりで、心身共に疲弊して、正常な判断を下せなかったのか……。

 マンリオは渋々引き受ける羽目になる。


 かくしてマンリオは、オルランドの悪行の後始末をさせられるようになった。

 なかでも最悪なのは、オルランドが町娘を騙して愛人にしたことだ。

 マンリオは、親への口止めなどをする羽目になった。

 嘘で幸せに暮らしていると言ったが……実態は違う。


 女性は乱痴気らんちきパーティーの道具でしかない。

 それどころか……飽きたら金持ちや権力者に与えてしまうのだ。


 これがオルランドの錬金術である。

 好きに扱ってよい女性を売ることで、利益の恩恵を受けてきた。

 悪事を見逃してもらうことも含めてだ。


 娘の両親は、二度と娘に会うことは出来なかった。

 娘から手紙を託されるが、内容の改竄までする羽目になる。

 これがマンリオにとって1番辛かった。


 必死の思いで助けを求める手紙を目にしたとき、マンリオの精神がポッキリ折れる。

 その手紙は改竄を免れて、両親の手元に届く。

 両親は訴えるも、オルランドから女性をもらった権力者によってもみ消される。


 その直後にマンリオは出奔した。


 出奔してから、世間一般の立派とされる行為に背を向けている。

 オルランドともみ消した権力者は、世間一般の評価は立派な人なのだ。


 そのような価値観にマンリオは唾を吐き続ける。

 自分でも驚く程、人間の屑は楽しい。

 執事だった自分は、タチの悪い演技だったと思えるほどに。


 月並みの表現をすれば『自分を見つけた』となる。


 マンリオが自分をと自嘲するのは元々、オルランドの悪事に加担させられていたから。

 そのようなオルランドを何も知らない世間は、立派な人と評する。

 マンリオにとって、立派な人と呼ばれるのは耐えがたい苦痛だった。


 オルランドの存在は一種の忘れたい過去である。


 アルフレードからの指示について最初は頭を抱えてしまう。

 直接関与しなくていいと言われてもトランクウィッロ家に関わるのだ。


 アルフレードなら自分が断っても、気分を害することはないと確信があった。

 もし気分を害するなら即座に断っていただろう。

 結局便利な道具扱いなのだから。


 マンリオの判断を、対等な人間として尊重する。

 これが曲者なのだ。

 マンリオにとってアルフレードは、天敵のような存在でもあった。

 万能だった逃げる口実がすべて通用しない。


 内心どう考えていようが一切気にせず結果だけを求める。

 人間の屑だろうと、しかるべき仕事をすれば、それに見合うだけの金を支払う。

 仕事を受けるときは、自分の判断でやることになる。

 そこに強制は存在しない。


 成功すれば自分の功績。

 失敗すれば自分の失敗。

 シンプル過ぎて、マンリオの嫌う立派な価値観ではないのだ。


 対等な人間に扱われてもマンリオはアルフレードに好意を持っていない。

 あくまで仕事の関係と割り切っている。

 それは怖いからだ。


 報告が上出来なときに見せるアルフレードの笑顔をみると不思議と嬉しくなる。

 嬉しさの要因は、報酬の多さもあるが、それ以外の達成感が大きい。


 我に返ったとき、マンリオの背筋が寒くなった。

 『この笑顔のために喜んで死ぬヤツはいる』と直感したのだ。

 

 闇はすべてを包み込む母のようなもの、と何処どこかで聞いた話がある。

 マンリオにとってアルフレードは、底知れない深淵しんえんそのものなのだ。


 人扱いされる暖かさを感じたいが……踏み込んだら逃げだせない。

 そうなれば最後……自分の判断で喜々として死地に赴くだろう。

 そんなの御免なのだ。

 なにより……自分が生きていることこそ……オルランドに対する嫌がらせにつながる。

 だから死ぬわけにはいかないのであった。


 マンリオはこの深淵しんえんと関わって、己をたもてるほど強くないと自覚している。

 アルフレードと深く関わっていながら自己をたもてっている連中は、マンリオに言わせれば精神的な強者なのだ。


 では断るかと言えばそうもいかない。

 自分の心に住むる天邪鬼が眠ったままなのだ。

 マンリオは、反骨心を刺激されないかぎり基本従順だった。

 

 マンリオは受けるしかないと諦める。


 だが考えてみれば……。

 昔の雇い主であるオルランド・トランクウィッロに嫌がらせが出来るのだ。

 悪い話ではないと思いなおした。


 かくして、古いコネを利用して、それとなく悪評を流す。

 トランクウィッロ家に対してではない。

 その周辺にいる貴族たちに狙いを定めたのだ。


 それも荒唐無稽なものではなく、オルランドがやった過去の悪行をボカしたものだ。

 後始末をされられただけに手口は精通している。

 世間の興味を引くように、適度に話を盛った。


 マンリオのばら撒いた噂は、燎原りょうげんの火の如く広まる。

 トランクウィッロ家でなく周囲を狙い撃った作戦は、予想以上の効果をあげたのだ。


 トランクウィッロ家の取り巻き貴族たちは胡散臭い目でみていた。

 つまり周囲は裏で悪さをしている……と期待している。


 期待しているところに餌を投げ込むのだから効果は絶大であった。

 誰もしてこなかったのは、そうまでして睨まれたときのメリットがないからだ。


 これほどの効果があるとは、マンリオにすればいささか計算違いであった。

 ファルネーゼ卿の足止めのはずだったが、オルランドと友人たちは内ゲバを始める始末だ。

 友人たちは、オルランドが罪を自分たちになすり付ける気だと考える。

 上出来過ぎる……とマンリオにしても気味が悪かった。

 本能的に危機を察知して手を引こうと考える。

 しかも、オルランドはイザイア・ファルネーゼに呼びだされる始末だ。


 これで、アルフレードからの報酬を期待出来るだろう。


 マンリオは、行きつけの安酒場で悪友たちと祝杯をあげる。

 オルランドを嫌っている悪友は多い。

 だから協力してもらった。

 嫌がらせで金がもらえるのは悪友たちにとっても有り難い話である。


 安酒場なら、人の出入りが多いので安全という面もあった。

 窃盗などはよく起こるが暗殺はない。

 

 喧嘩となれば用心棒が速攻で叩きだす。

 店の外で殺しがあろうとも無関係。


 この用心棒は、極めて粗雑で乱暴だが仕事は速い。

 マンリオとも顔なじみであった。


 それでも習慣から、壁を背にした席を陣取る。


 暗殺は、人目につかない場所で行われることが多い。

 マンリオは、モデスト・シャロンの手先とみられていたので、実行犯が割れそうな殺しは行われないのだ。

 モデストは、ランゴバルド王国でもっとも裏社会に通じていると噂されている。

 モデスト曰く、『小さな事実を妄想が転がしていくうちに巨大になったようだ』と否定しているが。

 マンリオにとっては事実がどうあれ、モデストの庇護下とはやりやすいのだ。

 難点をあげれば、裏の人間にも丁重に扱われるので落ち着かない。

 人間の屑と蔑んでくれたほうが精神衛生上は有り難いのだ。


 席についたマンリオは、これまた何時もの癖で客をざっと一瞥する。


 明らかに身分の高いヤツらがいた。

 わざと粗末な服を着ているがすぐ分かる。

 普段貧乏なのに、なにかの席で見栄を張って、いい服を着るのと同様に浮いているのだ。

 彼らは、背中を丸めてヒソヒソ話をしている。


 どうせ密談だろうとは思った。

 ただ目つきが怪しい。

 悪友たちと話し合いながらも、連中の声に聞き耳を立てる。

 しゃべりながら聞き耳を立てるのは、マンリオが苦労して習得した技だった。


 断片的に聞き取れるのは歌姫と言われたアンジェリーヌ・ラ=フォルジュの話題のようだ。

 放送が停止して歌が披露出来なくなった。

 それを悲しむファンのために地方を巡業する……そのような話だ。

 歌姫の狂信者は最近肩身が狭い。

 だから、このような安酒場で、人目を避けつつ情報交換しているのだろう。

 逆に目立つとも知らずに。


 これだからボンボンは……とマンリオは内心嘲笑する。

 ただのファンが集まっているだけ。


 マンリオは安堵あんどして安酒をあおる。

 自称人間の屑とその悪友の酒だ。

 ひたすら下品な話題に終始する。

 

 そこで、悪友のひとりが、歌姫の話題に触れた。

 なぜか、歌姫に対する悪口を大声で言いはじめたのだ。

 マンリオは慌てて制止するものの……ファンの集団が立ちあがる。

 此方こちらを向いた目が血走っており、明らかに殺気に満ちていた。

 どう考えてもマトモじゃない。

 狂人だ。


 それよりマンリオの頭に疑問がよぎる。

 思えば、悪口を言いだした悪友は妙にテンションが高かった。

 『久しぶりの酒だ』と叫んでいたので……はしゃいでいるだけと思い、気にとめなかったのだ。

 そのときは、どことなく酒の匂いがしていたことを思いだす。

 ただこの悪友は、わりと虚言癖があるので誰も気にしなかった。


 マンリオは猛烈に嫌な予感に襲われる。

 隙をついて逃げようとするが……。

 いきなり煙がたちこめてきた。


『火事だ!』


 誰かが叫んだことで悲鳴と怒声が湧き上がり、皆が出口に殺到する。

 マンリオは、一縷の望みを持つ。

 殺気だったファンの気がれることを。


 それは夢に終わった。

 歌姫のファンのうち数名は逃げだそうとしたが、目に狂気をはらんだ数名は、此方こちらに向かってくる。

 手にナイフを握って。


 ほかの悪友は早々に逃げだしていた。

 裏口から逃げたようだ。


 薄情とは思わない。

 人間の屑の友人もまた屑なのだ。


 妙にマンリオは落ち着いていた。

 頭は冴えており、すべての線がつながる。

 これは、自分を殺すためにオルランドが仕組んだ罠だということに。


 悪友は買収されていたのだろう。

 ただ……『喧嘩に巻き込まれる』とでも吹き込まれた、と考えるのが妥当だ。

 悪友たちは、金になるからマンリオに付き合っていたが、立場が強くなるマンリオに嫉妬しているヤツもいたのだろう。

 思わずマンリオは笑いだしてしまった。

 

「屑になっても悪友を信じるとは、屑にも慣れない半端者か」


 なぜかファンが激昂する。

 なにか叫んでいるが、半端物という単語にだけ反応したらしい。


 激昂したファンがなにかわめいている。


 『アンジェさんから放送を奪ったのはお前か!』

 

 『アンジェさんに嫉妬して足を引っ張るしかない無能者め!!』


 『アンジェさんは俺の彼女なんだ! 彼女を守るのが彼氏の義務だ!!』


 マンリオは内心呆れ返る。

 きっと歌姫はお前の存在など知らないはずだよ。

 よく酒に酔っても、気持ちの悪いセリフが吐けるものだと笑いたくなった。

 自分ならどれだけ酔っても、熱にうなされようが、そのような世迷い言は口にでてこない。

 即座にファン同士でモメだす。


『アンジェさんは俺の嫁だ!』


 狂っていて気持ち悪いが、この場ではその狂気こそ救いだ。

 たしか狂信的なファンは病気を患っている……と聞いたことがある。

 たしかに病気だ。

 精神のだが。


 精神の病に罹る者は滅多にいない。

 だが……ここまで重篤な病人を量産するとは、あの放送は恐ろしいのだ……と理解した。

 どおりでアルフレードが気にするはずだ


 マンリオは笑いだしそうになるが、なんとか笑いを堪える。


 マンリオは好機と判断して逃げようと考えた。

 店内は煙が充満しており、一寸先もみえない。

 これなら逃げられる。


 身をかがめて入り口を避けて裏口に向かう。

 入り口には人が殺到して、多くの人が倒れこんでいる。

 とても通れそうにない。

 勘に頼りつつ裏口を目指してっていくと、突然頭を殴打される。


 意識が薄れそうになるところを堪えていた。

 すかさず胸に、首筋に鋭い熱さを感じる。

 ナイフが刺さっていた。


 見上げると、あの悪友がいた。

 濁った目でマンリオを見下ろす。


「お前が悪いんだ。

俺たちを裏切ってひとりだけ偉くなりやがってよぉ……。

内心で見下していたんだろ!!」


 嗚呼ああ……変わらぬ悪友と思っていたのは自分だけだったのか。

 偉くなるなんてなんの価値もないのに……。

 それも持たざる者には分からないのか。

 彼らが自分に近寄ってきたのは……元々偉かったのに転落した惨めな屑を嘲笑うためだった……と悟る。


 この裏切り者の悪友を恨む気はない。

 自分が元お偉いさんだったから、屑の考えを理解しきれなかった自分が悪いのだ。

 マンリオが薄れゆく意識で悪友をみると、悪友は短い悲鳴をあげて逃げだす。

 トドメを刺さずに逃げるのは、立派な屑なのだ。

 逃げ去るのを見届けたマンリオは、その場に崩れ落ちる。

 上手く逃げ切れよ……としか考えなかった。


 そこまで裏切った悪友を思ったのは理由がある。

 痛みはあれど、心の何処どこかで安堵あんどしたからだだ。

 屑らしい末路をやっと迎えられたと。


 オルランドの悪事に加担してただ逃げだした。

 騙された娘の両親にとってはマンリオも同罪なのだ。

 ついに報いが来たかと思った。


 遅かったじゃないか。

 違うな……報いだからこそ……引き延ばしたのか。

 欲を言えば、娘を奪われた両親の手に掛かりたかった。


 でも報復が怖くて逃げたのだ。

 怖くて逃げた自分の末路にこそ相応しい。

 納得したマンリオは力尽きる。

 薄れゆく意識のなかで最後に、アルフレードの姿が浮かぶ。

 力を振り絞って、自嘲の笑みを浮かべる。


 口から血を吐きながら言葉を絞りだす。


「旦那……ガキのために……約束……」


 最後には憎たらしいあのガキでなくて、アルフレードの姿が浮かぶとは……。

 屑に相応しい末路だ。

 これで肩の荷が下りる。


 オルランド……先に地獄で待っているぞ。

 アルフレードなら約束を守る。

 絶対に報復してくれるはずだ。

 たとえ人間の屑との約束であっても。

 対等な人間同士の約束として果たしてくれるだろう。


 見届けられないのは残念だが……屑である自分に相応しい。

 屑らしくすべてが中途半端なのだから。

 マンリオの意識は自嘲しながら闇に消える。


                  ◆◇◆◇◆


 下町の安酒屋で起きた火事は当初、過失による事故と判断された。

 誰も、下町の火事の原因を調べようとしない。


 ただし、モデストの部下であるオルペウスが調査を開始した。

 不在のモデストに代わり、マンリオの監視役を任させていたからだ。

 マンリオが戻ってこないことで関連を疑う。

 しかもマンリオがよく利用する酒場だ。


 モデストが、片腕のように信頼するオルペウスの能力はたしかだった。

 あっという間に事件を調べる。


 これは過失ではなく放火。

 焼死体のひとつがマンリオで、刺し傷があることまで突き止める。

 当然、モデストに報告をした。

 現時点で分かっていることすべてを。


 答えは分かっているが……オルペウスは先走らない。

 オルペウス自身はマンリオを気に入っていたので報復を望んでいた。

 元奴隷として、人間の屑を自称するも……何処どこか真っ当なマンリオを気に入っていたからだ。


 それでも、モデストの意向が最優先となる。

 ただしアルフレードが、モデストの言葉通りの人間なら……必ず報復していると信じていた。

 なので情報を集めることは独断で進めている。


 ただ、オルペウスの気かがりなのはアルフレードの態度だ。

 必ず報復してくれる。

 ただ……どれだけ苛烈なものになるのか? 想像がつかなかった。

 苛烈なものであるほどオルペウスは、喜々として従うだろう。

 それこそ命令以上のことを。

 やり過ぎた命令だったときはどうしようか? それも従うだけである。


 たしかにマンリオは人間の屑だ。

 それでも憎めなかった。

 あまりに人間臭くて、人生を後悔し続けるマンリオに、オルペウスは親近感を持っていたのだ。

 元奴隷の感想では、マンリオは死なせるには惜しい男だった。

 幸せになる資格があるとは思えない。

 だが……あまりに人間過ぎて……死んでも当然のヤツとは思えなかった。

 死ぬべきヤツならもっと沢山いるだろうと。


 このように自称人間の屑であるマンリオはそれなりに愛されていた。

 ある意味無邪気で、不当な評価を望まない姿勢が大きい。


 亡くなった本人に知る由もないが。

 仮に本人が知ったら、嫌な顔をしただろう。


 マンリオがそこまで軽蔑されたがるのは、自分が加担した悪行への裁きを望むからだ。

 自死する勇気もなく……告発して悪事を白日の下にさらす覚悟もない。

 ただ世の不条理に悶々もんもんとして、目先の快楽に流される。

 その程度の人物なら、屑らしく死ぬほうが相応しい……と考えていたからでもあった。


 それを理解しているのは、世界でただひとりアルフレードだけなのは皮肉だが。

 マンリオはそれを理解したからこそ……アルフレードに身を委ねることを恐れたのであった。

 死の間際にすがったことは、委ねたことになるのか? それは誰にも分からない。


 他人事であれば、比較的冷静な判断が下せるだろう。

 だが……それがなんだろうか?

 ただ冷静な判断を下した人間が満足するだけの価値でしかないだろう。


 マンリオは歴史に名を残して、後世の研究対象になる人物とはならない。

 乱世を生きた人間の屑など、ほかに掃いて捨てるほどいるのだから。


 ただマンリオの生きた証は、死を悲しみ憤慨する少数の人間がいたことだった。

 完璧に希望通りではない中途半端な終わりを迎えた、ありふれた人間として……数人の記憶には残るだろう。

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