996話 閑話 シクスーの書簡集

■第7使徒 10年 7月11日


 ルテティア総督シクスーより大元帥顧問ルルーシュへ。


 君も、先日の放送で、胡散臭い女の放送を見ただろう。

 幸福と痴愚の女神とは何者だ。

 私は憤慨した。


 君は違うだろう。

 恐らく、いつものように冷笑したはずだ。


 残念ながら、私に笑う余裕すらなかった。

 ルテティアの民は笑うことすら出来ない。

 それほど疲弊しきっている。


 総督として赴任した私を出迎えたのは忌まわしい高利貸のみ。

 しかも万人にとって貴重とされる包み賄賂を持参してだ。

 当然突き返したとも。


 それでは……と高利貸共は、別の贈り物を差しだしてきた。

 私の生命への警告がね。

 なんとも有り難い話ではないか。


 教会の騎士団は、曖昧な態度で『私の身は守る』と請け負ってくれた。

 ところが、私が自重する見過ごすことを前提としてだ。


 そこで私は大元帥が私に賛同してくれていることを明かした。

 必要とあらば助力してくれるとも。

 そのときの連中の顔ときたら見物だったよ。


 君もその場にいれば良かったのに。

 そうすれば今後、目の痛みを感じることはないはずだ。


 私にしては勇気を振り絞ったと君はいうだろう。

 当然だ。

 ここで日和ひよっては、軽蔑している連中と同じになる。

 私は心をラヴェンナ卿のトロッコにして突き進んだ。

 つまりはあらゆる危険を無視しての突撃だよ


 そこからは傑作だ。

 騎士団は色めき立ち、積極的な協力を申し出てくれた。

 高利貸共は青ざめて退散する始末だ。


 ここまで、大元帥の威名がとどろいているとは想像だにしなかったよ。

 

 これで万事解決に向かう、と言いたいところだが……そうはいかない。

 正直に白状するが『私は無邪気に大変な人に助力を頼んだ』と少しだけ後悔したよ。


 大元帥が多くの権力者から警戒されている理由を理解してしまったのだ。

 

 君は聞くだろう。

 一体何が警戒される理由なのだ……と。


 それは生きる気力を失っている民の目に、希望の光が点ったからだ。


 既存の権威より、大元帥の影だけで民は希望を持つ。

 つまり民は『大元帥こそ統治者である』と頼りにしているのだ。

 頼りにならない男の言葉など、現金な民にとってなんの価値もない。

 民は実利において正直なのだから。


 私にとっても由々しき問題だと思わないかね?

 問題を解決しても私……いや教会のお陰とは思われない。

 民からの信頼を私は取り戻す必要があるのだよ。


 これは高利貸よりよほどの難敵だ。

 その前に高利貸を片付ける必要がある。


 だが心配無用だ。

 法外な貸し付けをしている証拠は押さえている。

 それを白日の下にさらすことからはじめようと思う。



■第7使徒 10年 8月5日


 ルテティア総督シクスーより大元帥顧問ルルーシュへ。


 法外な貸し付けについて高利貸守銭奴共は、内々に済ませようとした。

 穏便に済ませてほしいと。


 だが私は、公開の場において明らかにすることにした。

 民からの信頼を取り戻すため、内々に済ませてはいけないからだ。

 私は不快なだけだが、民の不信と絶望感は深い。

 密室での手打ちは疑心の母でしかないのだ。


 高利貸守銭奴共は、代理人を立てて弁明に勤めたが……既に勝負は決まっていた。

 君も知っての通り、私が立ちはだかるのだ。

 大人と子供の勝負でしかない。


 証人たちに圧力を掛けることなど想定済みだ。

 大元帥の助力をほのめかしたら、騎士団の連中は必死に働いてくれたよ。

 此方こちらの証人保護が素早く、連中は捨て台詞を吐くことしか出来なかった。

 高利貸守銭奴共に実力行使をする勇気はなかったようだ。


 騎士団より、私の背後にいる大元帥を恐れたのだろうが。


 噂で聞いたのだが……。

 大元帥は自分の命令に従わない商人の船を沈めたとか。

 船に船をぶつける豪快な方法でだ。

 私は耳を疑ったよ。

 しかも眉ひとつ動かさずに、乗員共々沈んでいく船を見ていたらしい。


 事実なら恐ろしい人だ。

 私はそう思わないことだけは言い添えておく。

 あくまで噂だよ。


 ただその噂を信じる者は多い。

 船に船をぶつける人なら、地面にいる高利貸守銭奴など鼻歌交じりで、鳥葬にしかねない……とも噂されている。


 皆は最初、私のために大元帥は動かない、と高を括っていたようだ。

 ところが『大元帥の顧問たる我らがルルーシュは私の友人である』と知って怖じ気づいたらしい。

 私は大元帥の影に守られたわけだ。

 悲しいことだが、それは現実として受け止めよう。

 高利貸守銭奴共の悪行をとめたことこそ、なによりの慰めなのだ。


 比較的楽しかったのはここまで。

 過剰な取り立てはとめることが出来た。

 それは止血をしたに過ぎない。


 まだまだ民は経済的に困窮しているのだ。

 放置すれば借金地獄に陥るだろう。


 しかも耕作権を、借金のカタとして取られてしまった。

 これ自体は正当なもので取り返すことが出来ない。


 そればかりではない。

 聞いてくれたまえ。

 子供たちを無給で働かせた高利貸守銭奴共は、賃金を払うどころか……ただ親に送り返したのだ。

 残念なことに……いつから働かされているのか証拠がない。

 それまでの賃金を遡及そきゅうして払わせることが出来ないのだ。


 概算で支払わせることも考えた。

 しかしだ、そこまでしたら連中はルテティアから逃げだす。

 明確に私を脅してきたのだ。

 追い出したい誘惑は強かったが……。

 そうなれば、民は借りたくても借りることが出来なくなる。

 却って民を苦しめることになってしまうのだ。


 あの高利貸守銭奴共には腸が煮えくり返る。

 だが……私が失敗しては誰が民を救えるだろうか。

 断腸の思いで請求を断念したのだ。


 それだけではない。

 高利貸守銭奴共は、また民が金を借りると考えている。

 収入が乏しいから当然だ。


 そのときはを借す条件にするだろう。

 背に腹は代えられず、民は泣く泣く私の解任を教皇庁に訴える。

 私がいなくなれば、高利貸守銭奴共がやりたい放題になるだけだ。


 そこで君に頼みがある。

 君にしか頼めないのだ。

 大元帥は干拓事業で、兵糧の確保に努めている。

 そこで、困窮した人々を雇ってほしいのだ。


 ただ援助するだけで人は救われない。

 自立たとき初めて正しい自尊心が持てる。

 だが大元帥にとって出費が嵩むので、いい顔はしないと思う。

 ここは、君の力で是非とも実現してほしいのだ。

 君ならいうだろう。

 これは本来教会がやるべきことだと。


 君は正しい。

 このような頼みは、教会にとって恥となる。

 だが……それより重要なことを、私は忘れていない。

 教会が恥を恐れていたからこそ、今日のような事態に陥ったことに。

 なにより……民は明日の正しさより、今日の麦を欲している。

 総督の権限で麦を与えるには時間が掛かるのだ。

 教会に余裕などないのだから。

 

 つまり恥を忍んで、君との友情を頼りにすがっているのが今の私だ。

 どうか私を見捨てないでほしい。

 


 ここで筆を置こうと思ったが……。

 考えを変えることにした。

 一度恥をかいたなら、まとめて恥をかいてしまおうと思う。

 干拓事業に雇うだけではなく、技術も伝授してほしいのだ。

 極端に減った農地を増やすためには、このような技術はかかせない。


 大元帥にとってなんらメリットはない。

 何故なら、私の働きとして宣伝するからだ。

 そうでもしなくては、教会が民からの信頼を取り戻すことは出来ないだろう。


 タダでは頼まない。

 ここは私の恥を代金として受けてもらえないだろうか。


 赴任にあたって私は『民から銅貨1枚たりとも奪わない』と決意した。


 そうなれば、有力者の屋敷を間借りすることは出来ない。

 有力者は私を盛大に歓待してくれるだろう。

 それは見返りを求めてのことだ。

 

 つまり民から搾取することの黙認だ。

 だからだろう。

 私に屋敷の提供を申し出てくれた有力者は多かった。

 私の徳を慕ってのことなら嬉しいが、私は無名だ。

 つまり利用する意図があるのは明白だろう。

 仮にその有力者が高利貸とつながっていたら?


 民を救うことなど出来ない。

 そもそも民は私を信用などしないだろう。


 仕方なく空き家を見つけてそこを総督府とすることにした。

 空き家とは名ばかりの廃虚だ。

 立派な決意に相応しい、豪勢な住みだと思わないかね?

 君が見たら乾いた笑いが、止めどなくあふれるだろう。


 なんといっても屋根は穴だらけ。

 ああ……非常に快適だよ。

 晴天のときは横になりながら、星を見ることが出来るのだから。


 雨は君の諫言のように、容赦なく降り注ぐのだ。

 だからベッドは穴のない位置に避難している。

 お陰で部屋の間取りは珍妙奇天烈きてれつだよ。


 夜は虫が陳情にやって来る。

 せめて玄関から入ってきてほしいものだ。


 しかも……何を訴えたいのか分からない。

 私に届くのは、言葉でなくかゆみだけ。

 民の腹を膨らませる前に、虫の腹を膨らませているのが今の私だ。


 扉はまるで浮気女のまたに思える。

 夫が閉めようとしても勝手に開くのだから。

 誰でも歓迎ってやつだ。


 食事のワインなど夢また夢。


 風呂など任期が終わるまでお預けだ。

 近くの川で、庶民に交じって体を洗う羽目になっている。

 

 お陰でと民から揶揄される始末だよ。

 それどころか、『ただのパフォーマンスだ』とまで皮肉られる。

 誰がパフォーマンスで中年男の裸を披露するのだと言いたい。

 托鉢たくはつ僧のほうがいい暮らしをしていると思うね。


 君ならきっと笑うだろう。

 これが私の近況だ。


 どうかこの笑い話を報酬として尽力していただけないだろうか?


■第7使徒 10年 9月15日


 文無し総督シクスーより大元帥顧問ルルーシュへ。


 正直に白状するが、君の手紙を開くまで、不安な気持ちで一杯だった。

 手紙を開いてまず叫んでしまったほどに。


 大元帥には、私が心底感謝していることを伝えておいてほしい。

 新しい働き口があると伝えたときの民の歓声も。

 当然私が尽力したお陰と伝えたことも白状しておく。

 

 まだ楽観視出来ないが……。

 教会は民の信頼を取り戻しつつあるようだ。

 徐々に、我があばら屋の総督府に人々が訪れるようになったのだ。


 民は揉め事の裁定を、このシクスーに頼るようになった。

 穏当で公平無私である私の裁きを民が信頼しているからだ。


 喜ばしいのはそれだけではない。

 私が訪れると民は歓声で迎えてくれる。

 それには虫に刺されたかゆみを忘れるほど深い満足を覚えたよ。

 私を頼って訪ねてくる民より、私を刺す虫のほうが多いのは悲しいがね。


 それより正直に君に不満を伝えたい。

 私の働きについて大元帥がどう称賛したか。

 君が教えてくれないことだ。


 君は私への称賛が当然と思い、気にとめていないようだが……。

 当然であっても知ることで力が湧くのだ。


 君は、私が称賛されることに嫉妬するような俗物ではない。

 だから包み隠さずに教えてくれたまえ。


 私も正直に話そう。

 ここは何も楽しみがないのだ。

 はやく教皇庁に戻り、ワインに舌鼓をうち、学識豊かな友人たちと議論に花を咲かせたい。

 だが総督の任務を受けた以上、やり遂げる決意だ。

 途中で逃げだした男の哲学など、娼館の女性紹介より説得力がない。

 絶世の美女と思わせるような紹介文句なのに、いざ呼んでみればなのだから。


 おっと……私が娼館通いをしているわけではない。

 ただ民の生活を知るために話を聞いただけだ。


 そもそも肉欲に溺れては、明白な弱みとなる。

 結果として私のは助平総督のと揶揄されてしまう。

 性欲だけはお盛んですね……といった具合に。


 そもそも私は肉欲に重きを置いていない。

 君ならご存じだろうが、私は君との友情……加えて哲学や書物を恋人にしている。


 それほどまでに高潔であろうとするのが私だ。

 民を救う決意は岩より硬い。

 それでも時折決意が揺らぐ。


 なにせ食事の楽しみはない。

 己を養う書物すらないのだ。

 

 民からの信頼は当然喜びだ。

 だが私の功績が公に認められない限り、私はただので終わってしまう。

 私の後任が、私ほどの高潔で有能で果断である保証などない。

 むしろ、私より劣るのは明白だ。


 そうなっては教会権威の回復も一時的となる。

 すべては風と共に去り、高利貸守銭奴共が大手を振って歩く末世と化すだろう。

 功績が正当に評価される世界を目指すのは、君と私の数多い共通項のひとつなのだから。


 だから私を助けると思って、大元帥からの評価を聞かせてほしい。

 

 今私の慰めは、善政について執筆している。

 君も歓迎してくれるだろう。

 


■第7使徒 10年 10月30日

 

 文無し総督シクスーより大元帥顧問ルルーシュへ。


 大元帥の私に対する称賛は、総督府を我が物顔で闊歩かっぽする隙間風を忘れさせるほど温かいものだ。

 だが喜んでばかりもいられない。


 あのがめつい高利貸守銭奴共はまだ諦めていないようだ。

 私への有形無形の脅迫が相次いでいる。


 そこで、私は僧衣の下に鎖帷子かたびらを着込んで、それをチラチラと見せびらかすことにした。

 民に危機が去ったわけではないとアピールするためだ。


 君は私の心配をしてくれるだろう。

 だが心配無用だ。

 もう騎士団は積極的に私を守ってくれる。


 大元帥に護衛を依頼されては、騎士団の恥と考えたのだろう。

 それより聞いてくれたまえ。


 騎士たちは、弱き者を守ると私は信じていた。

 ところが、その弱き者は裕福な女性や子供に限られるようだ。


 教皇聖下せいかが騎士団を新設したのは、そのような意図でないのだが……。

 ただただ嘆かわしい限りだ。

 この意識が変わらない限り、信頼の回復は覚束ないだろう。


 私が説いても騎士たちは、聞く耳を持たない。

 いっそラヴェンナのような警察組織を作るべきかとすら考える。

 だが総督の一存で、そのようなことは出来ない。

 今は騎士団に協力を求め続けるしかないのだ。


 それでも私は希望を捨てていない。


 なぜかって?

 我が友よ! よくぞ聞いてくれた!

 民たちがこぞって、私を守るために立ち上がってくれたのだ。

 ただ『文無し総督を守れ』と言われたのは納得出来ないがね。


 これが希望の光であることは分かるだろう。

 民が私を守るとなれば、騎士団にとっては屈辱に他ならないのだから。


 少しずつだが物事は良い方向に進んでいる。

 それどころか、あばら屋の修理を民が申し出てくれた。

 やって来たことが報われたと、年甲斐もなく涙ぐんでしまうほどだ。

 金の掛からない材料を使っての修理なので、外から見れば不格好だが……。

 私にとっては、黄金の宮殿にも勝る。

 なにより就寝中に虫の陳情で起こされることがなくなった。

 

 この喜びを君と分かち合いたくなったのが今の私だ。


 それに浮かれたわけではないのだが……。


 この前のことを覚えているかね?

 私が善政について世に問うつもりだ……と書いたとき、君は反対した。

 多くの統治者に無能の烙印らくいんを押すことになりかねない。

 極めて危険な行為だと。


 私は忠告に従うと決意した。

 だが……やはり書き記そうと思う。


 私の名声が、不滅のものとなるだけではない。

 多くの民が救われる道標となるはずだ。


 折を見て書き上げようと思うが、まず君に捧げようと思う。

 それと大元帥に一読いただいて、なにか言葉を頂きたい。

 大元帥を嫌う者ですら、その統治力は認めているのだ。


 統治の達人が認めたとなれば、私の統治が情においてのみならず……理においても正しいと証明される。

 もしかしたら貴族の子弟たちが列をなして、私に教えを請いに来るかもしれない。

 君なら『貴族の子弟は、そこまで殊勝ではない』と笑うだろう。


 たしかに、多くの者は目先の快楽しか考えない。

 だが善政を望む者は必ずいるはずだ。

 私はそれを信じたい。


 それにしても……幸福と痴愚の女神とやらがまた出て来るとはな。

 哲学や理性を否定するなど腹立たしいにも程がある。

 しかもだ! 聞いてくれたまえ!

 民に活力が戻りつつあるので、あの放送で拍手喝采が起こったのだ。

 痛しかゆしとはこのことだろう。


 思わず落ち込んでしまったよ。

 民は『文無し総督は別です』と慰めてくれるが……。

 私が貧乏に見えるから仲間意識があるのでは? と最近疑い始めている。


 私の泣き言は些細なことだ。

 それより君はどう思うかね?

 この放送を許していては、大変なことになると思う。

 嫌な予感……とでもいうべきか。


 大元帥が、どのようなお考えか知らせてくれないだろうか。

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