995話 閑話 社会常識に対しての挑戦

 クレシダが直接関与する放送は、今のところ体制側が隠したい問題を暴くものばかりだった。

 それも徐々に飽きられつつある。

 『だからどうした』で終わる程度のものだ。


 代わり映えのない放送だ……と皆は思っていたが、その日は違った。

 映像に映し出されたのは、扇情的で露出の多い女性。

 極めて性的で魅力あふれる……といったところだ。

 美しく長い金髪が色気を際だたせる。

 ただし顔は、黒いベールに覆われていた。

 男たちは放送に釘付けになる。


『皆さん初めまして……というのは妙ですね。

私は人がもっとも帰依する女神にして、人々の助産師。

当然教会が教える神ではありません。

名前がないと不便ですね。

幸福と痴愚を司る女神とでもお呼びください』

 

 声は大変美しい。

 誰しもが、ベールの下は絶世の美女だろうと想像するほどに。


 女は気怠けだるげに髪をかき上げる。


『皆さんは、私に帰依したつもりはない……とおっしゃるでしょう。

ましてや生誕に助力されたなど有り得ないと。

とんでもない。

私がいなければ皆さんは生まれていない……と断言出来るほどです。

そもそもなぜ私が、こうして姿を現したのか……疑問に思うでしょう。

ここ最近皆さんは不安に駆られて、とても幸福とは言い難い状況に置かれています。

しかめっ面で明日をもしれない現状を嘆く人は多い。

それではいけません。

そこで、世を救うべく現れた使徒よろしく、皆さんが忘れている幸福を呼び覚ますために降臨した次第であります。

きっと、私の話を聞き終えた後、皆さんは幸福を再発見するでしょう。

ただし……陰気で生きているとは言い難い頭のよい御方たちは除きます。

そのような人たちを私は救えません。

でも、そのような御方は極少数。

好んで自分の墓守をする陰気な人たちを帰依させるなど……。

私は野暮じゃありません。

では我が信徒たちの皆々さま。

少々お時間を拝借します。

先ほど申し上げましたとおり私は、幸福と痴愚を司る女神。

人々は前者を尊び、後者を忌避します。

私に言わせればとんでもない。

これはコインの裏と表。

どちらが欠けても成立しないのです。

よろしいですか?

世にいう賢者とやらが幸福だと思いますか?

口にするのは不吉なことばかり。

それはそうです。

賢者とは、不幸を売る商人なのですから。

重箱の隅をつついて、不吉な未来を警告する。

それを皆々さまは、『あの人は賢人だ』などと有り難がるでしょう。

でも皆さんは、賢者になりたいと思いますか?

そこまでいかずとも友人や自分の親族。

ましてや、恋人になどしたいと思わないでしょう?

それが本当の価値なのです。

本当に価値あるものは、自分がなりたいか……近くにいてほしいものに他なりません。

なにせ賢者の警告とは、人は生まれたら死ぬ程度の話でしかないのですから。

もっと簡単に言いましょう。

サイコロを振り続ければいつか1がでる。

これが賢者の予言です。

ただ陰気な顔で重々しく言われるから、なんとなく有り難がる。

その程度のものです』


 女神と自称する女は、鈴の鳴るような声で笑いだす。

 その声は透き通っており、大変美しい。

 男たちはベールの下を想像して魅入っている。

 この女の言葉に、剣吞なものを感じて身構えた者は極わずかであった。


『では本当に、価値のあるものはなにか?

人々は幸福を求めます。

当然でしょう。

では幸福はどうすれば手に入るのか?

それは痴愚によってなし得るのです。

人は愚かと言われれば侮辱に感じるでしょう。

とんでもない! 愚かさこそ価値あるものなのです。

皆さま方が感じる幸福の花は、痴愚という花壇にしか咲かないのですから。

痴愚のない幸福の花は、造花に過ぎず幸福の香りもない。

ただただ無味乾燥なもので記憶する価値すらないのです。

では例を挙げましょう。

腐った塩漬け肉を美味と思う者がいたとします。

他人から見れば、愚かどころか狂っていると思うでしょう。

でも本人が美味だと思うなら? 人々が羨む極上の料理に勝る。

はてまたは恋人が不細工だとしても……愛する側が美しいと思えば?

それは絶世の美男美女に勝るのです。

当人の幸せにとって他人評価など、如何いかほどのものがありましょうか。

それなら造花でも幸せではないのか?

違います。

自然の花は小細工をせずとも花に他ならない。

造花は無理に花だと思い込むのです。

幸せとは頭で理解するものではありません。

説明される幸せに有り難みがあるのですか?

では造花の如き幸せとはなにか。

これは痴愚ではなく、賢さなる毒に侵された幸せです。

花に似た形を持つただの紙でしかない。

たしかに万人が見ても、花の形をしているでしょう。

でも花ではありません。

なんとも悲しい話ではありませんか」


 女は芝居がかった仕草で天を仰ぐ。

 一瞬だけ顎の形が見えるが、顔は分からない。

 それでも男たちはその顎に釘付けであった。

 極めて整った形をしていたので、想像を刺激されたのだ。


『では痴愚による幸せの具体例をひとつ。

あの評判の歌姫。

彼女に入れ込む男たちは、関心のない者にとって愚かでしかない。

自分を見てくれないのに……なぜそこまで入れ込むのだと。

それは違います。

男たちは、入れ込むことで幸せになるのです。

そこで、理性や賢さなどの毒が混じっては幸せも色褪せる。

ただ純粋無垢な愚かさを捧げることで、男たちにとっての価値が高まるのです。

たとえ歌姫が隠れて美男と懇ろになろうが耳を塞ぐでしょう。

幸せの邪魔になる現実など不要なのです。

彼らは、世間一般には愚かと言われるでしょうが……それは私に深く帰依しているからこそ。

愚かに見えれば見えるほど幸福なのですから。

賭け事にのめり込む者もそう。

家族を路頭に迷わせても、あの興奮に包まれている間は幸せなのです。

後悔は一時。

快楽は辞められない。

愚かで賢い皆さんならご存じでしょう?』


 聴衆の多くは笑いだす。

 だが、知識人層の多くは眉をひそめる。

 極めて危険な話をしていることに気が付いたからだ。

 白昼堂々社会常識に対して挑戦してきているのは明白であった。


『周囲から賢いと思われている人がいたら気の毒です。

それほどの幸福を感じていないのですから。

極上の幸福という酒がありながら、世間体を気にして水で薄めるようなもの。

それだけ世間体を気にした人生の最後にはなにが待っているのですか?

ただ灰色の人生の終わりでしかない。

多くの人が立派だった……と弔辞を述べても死人には関係ありません。

死人に口なしですが、耳もありませんからね。

それでも死体に鞭を打たれるよりはマシでしょうが。

一生掛かって貯めた金でありふれた評判を買うなど……損でしかありません。

よろしいですか?

人は生まれながらに、幸福と快楽を求める動物なのです。

灰色の人生を送るとは……。

羽ばたけるのに、鶏のように飛べない鳥になるようなものでしょう。

鷹が鶏の真似事をしている。

なんとも滑稽ではありませんか』


 庶民は、社会常識に対する挑戦とは受け取らなかった。

 恐らく、絶世の美女であろう人が、皆の口に出来ないことを言っていると思ったに過ぎない。


『さて、そこまでの幸福は要らない。

お前に帰依などしていないという御方もいるでしょう。

残念ながらそうはいきません。

私は快楽……自惚れ……無思慮……忘却……追従……怠惰を司るのです。

このすべてと無縁である人間を私は知りません。

それでも、強情に自分は私に帰依していないという人がいるでしょう。

その愚かさも、私が愛するもの。

私の力が人々を生み落としているのですから』


 この言葉に教養人は眉をひそめ、聖職者は色めき立つ。

 悪徳とされているものを堂々と公言しているのだ。

 仮に神なら邪神に他ならなかった。


『なぜ人が生まれるかご存じでしょう?

恥ずかしげもなく愛だと口にする人がいるかもしれませんが……それは正しくありません。

これでも女神なので、下品なことは口にしませんがね。

女の聖なる泉に男が命の種子を注ぎ込むからです。

ではなぜ私の力が? と疑問に思う人々もいるでしょう。

まあお聞きなさい。

もし知恵がある男は、結婚生活における諸々の不便さを考えるでしょう。

冷静に考えて……誰が結婚生活という首輪に首を突っ込むのですか?

いやいやその気はない……と嘯く殿方も、結婚につながるような子種を仕込むでしょう。

避妊など確実ではないのですからね。

仮に、女から逃げおおせたとして懲りずにまた、同じことを繰りかえす。

これは私の神性たる快楽と無思慮、忘却の成せる技なのです』


 庶民は冗談と捉え笑いだす。

 結婚生活にウンザリしている男性は、曖昧な笑みを浮かべる。

 真面目な夫婦と聖職者は怒り心頭であった。


『女も同じです。

危険を伴う出産の苦しみ。

子育ての大変さを思えば、誰が好き好んで結婚したいと思うのですか?

これも、快楽と無思慮の成せる技。

そして、男女問わず懲りずにまた結婚をするのは、忘却の成せる技なのです。

仮に子供が欲しいとなっても、それは赤子の愚かさを愛するが故。

赤子がおしなべて聡明そうめいなら、誰が子供を愛するでしょうか?

世の人々もお考えください。

私の力がなければ結婚生活はどうなりますか。

追従や忘却がなく淡々と事実だけを積み上げたら?

離婚は海の如く広がり、血の雨すら降るでしょう』


 この言葉に憤慨する幸せな人は極わずかであった。

 独身たちは内心で強くうなずき、既婚者たちは困惑する。

 心の中で拍手喝采する者はいただろうが。

 清く正しい結婚をと説教する聖職者の中には、怒りのあまり倒れ込む者が現れる。


 ひとつだけ明白なのは、今までの暴露放送より、民衆の興味を引いたことだ。


『これひとつで私が如何に人々に力を及ぼしているか、お分かりになったでしょう?

え? 結婚などしない。

友情があればいいと。

それもひとえに私の力です。

友人の欠点に目をつむり盲目になる。

これが愚かさでなくてなんだというのですか。

人の世は、愚かさがなくては成り立たないのです。

国の頂点に位置する国王にしてもそう。

愚かであることが、もっとも重要な資質なのです。

偉く感じるのはただ国王であるからに過ぎません。

己が賢いと思う国王が、とれだけの害悪を撒き散らしたか、あのロマンを思い起こせば容易に想像がつくでしょう。

愚かであるほうが国は治まるのです。

そんなことはない。

国王は立派とおっしゃいますか?

どれだけ立派な服を着ても猿公えてこう猿公えてこうに過ぎないのです。

むしろ猿公えてこうであるほうが国は治まるでしょう。

試しに、国王を立派な服を着た猿公えてこうにしてご覧なさい。

なにも変わりませんよ。

むしろ余計なことをしないだけマシでしょう。

それがたとえ教皇であってもです』


 この言葉で怒れる集団に貴族たちが加わった。

 ただし庶民は内心拍手喝采である。


『例外的に聡明そうめいで立派な国王はいるでしょう。

それは奇跡に過ぎません。

賢さという害悪が悪い方向にでなかっただけのこと。

よろしいですか?

人は、欠点を持たずに生まれてくることは出来ません。

賢さは、その欠点を増長させるのです。

だからこそ愚かであることこそ肝要。

それは、国王や貴族……聖職者であっても変わりません。

人は愚かさから生まれたのですから当然です。

愚かさから目を背けたとしても、本質は変わらないでしょう。

だから愚かであることを恥じる必要などないのです。

私に帰依しているのだと胸を張っていれば、余計な悩みを抱え込む必要はありません。

本当に賢い阿呆の生き方とは、多くの人々と同じ生き方をし、人の過ちには目をつむるか同じ過ちを犯すものです。

そうすれば悔やむときもひとりで悔やまずに済みますし、己の過失を執拗しつように責められることもない。

むしろ同じ過ちを共有することで、仲間意識が強くなるかもしれません。

なにせ欠点を持つのが人なので、何処どこかで必ず失敗をしでかします。

それなら失敗は目立たない方がよい。

偉い人たちが実践している生き方ですからね』


 庶民で怒る者は稀であった。

 普段抑圧されているだけに、貴族や聖職者をボコボコにするこの自称女神に内心で声援を送るものが多いのだ。


『国王から奴隷に至るまですべて私に帰依しています。

服を脱げば皆が猿公えてこう

見分けなどつきません。

帰依していないのは不幸な者たちばかり。

お分かりいただけたでしょうか?

私がなくては、人々の付き合いは、無味乾燥で事務的極まりないものになるでしょう。

そこには、会話の喜びもなく……生きていると言えるのか疑問です。

飯を食って糞をするゴーレムでしかないでしょう?

あら……失礼。

下品な言葉になりましたね。

私は聡明そうめいとは程遠い痴愚の女神なのでご容赦をば』


 庶民たちは一様にうなずく。

 言われてみればそうだと得心してしまったのだ。

 庶民たちは……頭がよいとされる連中は胡散臭い……と疑いの目で見ているから尚更である。


『おや。

まだ、私に帰依しているとお認めにならない方々もいらっしゃるようで。

その愚かさもまた私の恩寵です。

私は、それを愛おしいとすら思うでしょう。

とくに聖職者の方々は、顔を真っ赤にして私を罵るであろうことは目に見えています。

ですがお忘れですか?

聖職者の方々は、信徒を子羊と称することを。

獣のように愚かであることを推奨しているのですよ。

信じる者こそ幸あれと。

教会ですら、知らず知らずのうちに、私の教えを口にしているのです。

ただ、愚かに信じていれば幸せになれる。

教会の方々こそ私にとって、もっとも信心深い信徒と言えましょうか。

国王にしても民は、子羊のように従順で愚かであれと願うのです。

でも自分たちだけは……賢い位置を占めて子羊を笑いものにしようなどとは……虫の良すぎる話でありませんか。

実は彼らも私の手から逃れられないのです。

自分だけは違うというに他ならない、といいましょうか。

他人を、愚かだと思い込んで悦にひたる者は、他人から愚かと思われていることに気が付かない。

これも私の慈悲であります。

もし現実を知ってしまったらとても不幸になりますからね』


 怒りのあまり卒倒する聖職者が更に増えたことはいうまでもない。

 貴族たちで笑い転げる者は極少数であった。


『聖職者の方々が反論するでしょう。

でもそっとしておきます。

それが彼らにとっての幸福なのですから。

さて……ここで、私のいう幸福とはなにか。

それをご説明しなくては片手落ちですね。

私の説く幸福とはありのままであることです。

残念なことに賢い者はありのままでいることが出来ません。

義理の娘の掃除に手落ちがないか、血眼になってほこりを探す姑のように、あらゆることが気になって仕方ない。

ですので……真に知恵ある皆さんのような大馬鹿者は己にへつらい目をつむって、自分はありのままだ、と思い込む。

それのいったいなにが悪いのでしょうか?

他人が自分を褒めてくれないなら自分で自分を褒めればいい。

愚かな幸せ者は、賢い不幸者よりずっと価値があるでしょう』


 この女の真意を誰しもが計りかねた。

 ただの娯楽にしては危険極まりないのだ。

 国王や教会権威を正面から小馬鹿にしたことだけは皆が理解出来た。


 一部の者は、極めて重大事と捉える。

 これ以上放送をさせ続けては大変なことになると。


『ここで、私が神を騙る狂人だ……と罵る方もいらっしゃるでしょう。

私が狂気を纏っていることは否定しません。

ですが、狂気には2種類あることをお忘れなく。

ひとつは、人並み外れた残忍さや貪欲さ。

もうひとつ……それこそ、私から発するものは、幸せな錯覚や苦しさを忘れる類いの狂気です。

私が幸福の女神である所以ですね。

私の狂気を受け入れれば雑草は極上の珍味に。

醜男や醜女は、見目麗しい男女となるわけです。

苦しい労働は快楽に。

現実が変えられないなら己の目を変えよ。

それが、もっとも確実な幸せでありましょう』


 これを娯楽と捉えた庶民は楽しいだろう。

 ただし権力者など持てる者たちにとっては? 笑い事ではなかった。


『このように人々が幸せに生きていくためには、私がなくては成り立たないのです。

そして、今皆さまが不幸と感じるのは私から離れているからに他なりません。

幸福はいつも隣にいるのです。

私のことを知らないのは無理もありません。

出しゃばって己を信仰せよなどと、何処どこかののように了見の狭いことをいうつもりはありません。

祈りも不要。

私は満足なのです。

なにせ、世の中にいる阿呆の数だけ、私の像があるようなものなのですから。

さて……ずいぶん長くしゃべってしまいましたが、そろそろ終わりにしましょう。

そうそう……私の言葉を一々覚えていなくて結構です。

物覚えのよい酒飲みは嫌われますよ。

さて……このもっとも蔑まれ、もっとも力のある女神から、信徒の皆さま方に一言。

何事も考えないことが人にとって最大の快楽である。

ではごきげんよう』


 女の姿が消えると各地で拍手が巻き起こる。

 すぐ衛兵などに追い散らされてしまったが。

 ひとつ明白なのは、庶民が持つ貴族や聖職者に対する畏敬の念にヒビが入ったことであった。

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