964話 支配の鎖
ラヴェンナの芸術顧問イポリート・ウードンと会っている。
定期的に要望や近況を聞くのが常であった。
そのイポリートが微妙な顔をしている。
要望であればもっと堂々としているし……。
問題でも起こったか?
俺の視線に気が付くと、イポリートが肩をすくめる。
「フラヴィの新作を確認したのよ。
自信作だって……あの子にしては珍しくね。
題名は『支配の鎖』
出来自体はとてもよいわ」
フラヴィ・ローズモンド・アズナヴール。
極端なコミュ障だが、天才的の脚本家だ。
ラヴェンナに来て、未だ新作をだしていなかったな。
別に
「師範が微妙な顔をしているとなれば、技術的に申し分ないけど、なにかが足りないわけですか?」
イポリートは困惑顔で苦笑する。
「いいえ。
まあ……主人公のモデルはラヴェンナ卿よ。
すべてを支配する男が、自分のルールに支配されて最も不自由なことを風刺した喜劇作品ね。
いきなりスポンサーの風刺もどうかと思ったのよ」
予想外の展開だ。
よりにもよって俺が題材かよ……。
「私なんかをモデルにして面白いわけがないでしょう」
イポリートは悪戯っぽくウインクした。
「面白かったわよ。
ラヴェンナ市民なら大受け間違いなし。
ただ……ラヴェンナでの初作品としては……どうなの?
推薦した手前……気になってしまったわ」
なるほど。
まあ……俺を題材にするなとは指示していないからな。
好きにやっていいと伝えた結果だ。
甘んじて受け入れるしかないだろうな。
「面白いなら結構です。
私は見にいきませんが」
「さすがに自分を風刺されている作品は、黙認までが限度よねぇ」
いや……黙認ではなく公認だぞ。
そもそもフラヴィの作品を認めるかどうかを判断するのは観客だけだ。
「いえ。
私への風刺作品を、私が見にいったら、他の観客が落ち着かないでしょう?」
イポリートは俺の顔を、マジマジと見てからため息をつく。
「ホント……寛大さも、ここまでくると大馬鹿よ。
気持ちは分かるけどね。
自分の決めたルールを、厳格に守らないと落ち着かないわよね」
どうやらお見通しのようだ。
俺は他人の評価を気にしないかわりに、自分で決めたルールを厳格に守る。
そうでなければ、無原則になってしまう。
「そうですね。
そもそもアズナヴールさんには、作品の指定をしていません。
なにを書こうが構いませんよ。
そのかわり……観客からの評価にも手を加えません」
「手を加えたら怒るわよ。
フラヴィはアタクシと同じで、自分の作品に誇りを持っているもの」
「そうでない人は、ラヴェンナに来てもらう必要はありませんからね。
師範の目利きは信用していますよ」
イポリートが笑って
「あら……嬉しいこと言ってくれるじゃない。
ちょっと胸がときめいちゃったわ。
アタクシも負けていられないわね。
筋肉踊り隊との情熱溢れる踊りをより美しくしてみせるわ」
それはやめてくれ……。
◆◇◆◇◆
サロモン殿下が先制攻撃にでた。
まずは近場を強襲する。
注意を引きつけてから、別の領地を攻撃。
かなりの損害がでたらしい。
しかも狙いをシケリア王国に絞っている。
弱っている側を狙うのはセオリーだ。
やはり相応の軍才はあるな。
報告があったからではない。
サロモン殿下が放送で発表したのだ。
アラン王国の損害は軽微にして、シケリア王国側の被害は2000人以上。
町が二つほど壊滅。
どこまで正確かは分からない。
さて……両王国がどうでるか。
前にアミルカレ兄さんから『俺にサロモン討伐の指揮権を委ねると言ってきたら、どうする?』との手紙が来たのだ。
陛下が探りをいれたかったのだろう。
返事がてら
俺の条件はシケリア王国とのすり合わせが必要だからだ。
条件自体は明白。
サロモン討伐が完了するまでの絶対指揮権を要求した。
絶対という言葉は嫌いだが……この際仕方ない。
ランゴバルド・シケリア両国から公的に認められることが必須だ。
この絶対指揮権は世界全土に及ぶ。
期間限定の独裁権と表現すべきだな。
陛下であっても俺の決断に、異論は挟めない。
当然、領主たちは俺の指示に従う。
異論は認められない。
反抗かサボタージュをすれば取りつぶすことも可能。
教皇も俺の意向に協力することが必須となる。
かわりに戦費調達のための臨時徴税は行わない。
ただし兵站の維持には世界が協力すること。
そして戦後処理も俺に一任する。
一家臣に与えるには、強大すぎる権限を要求した。
世界の支配者そのものだ。
だがクレシダと戦うにはこれしかない。
これが飲めないなら拒否する……と返事をしたのだ。
今までなにかと陛下たちの面子を立てていたのが、ここで効いてくる。
普段から横柄だといつもの延長としか思われない。
俺が巨大な権限を要求するのは、それだけ事態が深刻だと悟らせることでもある。
返事をしてからなんの音沙汰もないが……揉めているのだろう。
亜人の問題がでてから、益々俺以外の選択肢がなくなっているからな。
恐らくシケリア王国は飲むだろう。
教皇も受け入れる。
問題はランゴバルド王国の貴族たちだ。
自分たちは安全なのに……と踏ん切りがつかないのだ。
もし受諾したらラヴェンナは、相応の戦力をだす用意がある。
4個軍団の合計2万ほど。
ラヴェンナ総兵力のほぼ半分。
人口の100分の1が常備軍として維持出来る限界だが……。
今はうまいこと誤魔化している。
100年以上はこの規模を超えることはない見通しだ。
なにせクレシダの出現や別世界からの訪問など……当初の計画とは異なる問題がでてきたからな。
半分を残したのは意味がある。
別世界からの侵略も考えられるからだ。
もしくはラヴェンナを狙った海賊行為も考えられるので、どうしても半分は残す必要がある。
これを都度交代しながら運用する予定だ。
別世界からの攻撃は警戒しすぎかもしれないが……。
ハンノがニコデモ陛下と面会したものの、サロモンの放送を見てとんぼ返りしたのだ。
好機と考える可能性がある。
陛下の勅令隊や、王都近辺の兵力には手をつけない。
そもそも……あまりに数が多いと、兵站を支えきれなくなる。
それは悪手だ。
戦術の指揮はチャールズたちに任せて、俺は全体の戦略と兵站を担当する。
俺の直属としてヤン部隊。
急遽武力が必要になる可能性もあるからだ。
ヤンは俺の隣で助言をしてもらいたいのもある。
人間同士の戦いではないのだ。
魔物相手にどうすべきかは、元冒険者のヤンの見識を期待したい。
あとは顧問としてパトリック。
アラン王国を自分の目で見てきたのだ。
なにものにも変えがたい情報を持っている。
マウリッツオの冒険者ギルドは、今のところ考えていない。
民衆の生活を守ってもらう必要があるからだ。
はてさて……どうなることか。
俺の条件は、ほぼ通ると思っている。
ただ一点だけ、物言いがつくだろう。
妥協出来る範囲だ。
それに俺が譲歩する形は必要だからな。
大目に要求を吹っかけたのだ。
そう思っていると、陛下から書状が来た。
キアラは緊張気味な様子だ。
書状は……と。
条件を飲む。
ただし戦後処理については、ランゴバルド・シケリア王国の利益を尊重すること。
加えて円滑な意思疎通のための相談役を派遣するので、よく話し合うことを期待する。
絶対指揮権の期間は、ランゴバルド・シケリア両国で決定するが、俺の意見は尊重するとのことだ。
隣のミルに書状を手渡す。
一読したミルは、俺の顔を伺っている。
返事は決まっているさ。
「キアラ。
陛下にこの条件なら受けると回答してください。
閣議でも報告しないといけませんね」
「分かりましたわ」
ミルが複雑な顔で苦笑する。
「留守は安心して。
アルには心配掛けないから」
「ミルになら安心して任せられますよ。
苦労を掛けますが……。
くれぐれもひとりで抱え込まないように」
「分かったわ。
今度は大丈夫よ」
◆◇◆◇◆
閣議でニコデモ陛下からの条件を示して受諾する旨を話した。
皆は納得顔だ。
ただ俺の不在中に襲撃が有り得ると伝えた。
当然ながら全員が緊張する。
可能性だが……備えは必要だ。
楽観視したあげく襲撃では洒落にならない。
そしてラヴェンナ軍の総指揮は、軍事大臣チャールズ・ロッシに任せる。
軍団の数などは事前にすり合わせており、幕僚の人選など軍に関してのすべてはチャールズに一任した。
事後報告も相談も不要。
条件と異なったときだけ報告してくれと伝えた。
チャールズに対しての説明は不要だが、皆には俺の随行員を伝える必要がある。
ヤンとパトリックを同行させることだ。
ここまでは、誰も異論を唱えない。
問題はここからだ……。
「私の補佐役として、プリュタニスに来てもらいます。
能力の面からと、他所に顔を知られていますから。
あとは世界主義の残党も、気になります。
ルルーシュ殿にも来てもらいましょう」
ミルがモルガンの諫言を食らっては、数日で参ってしまう。
さすがに置いていけない。
キアラが笑顔になる。
問題がやって来たよ……。
「当然私もいきますわよ。
取り次ぎは必要でしょう?」
は? なにを言っているのだ。
次は戦場だ。
前線でないにしてもな。
論外だろう。
「ダメです。
今度は戦場ですからね。
そこに妹であれ女連れとなっては、示しがつきません」
キアラがフンスと胸を張る。
「心配無用ですわ。
シケリア王国の相談役は、女性ですもの」
おい……そこまでバラしていいのか?
キアラと私的に文通している高位の女性なんて……ひとりしかいないだろう。
もしや結託してねじ込むために根回ししたのか?
「だからと言って……私が、女性連れでいい理由にはなりません」
「え? カルメンも身辺警護のため支度していますわよ?
それにロッシさんも認めてくれましたもの」
おい……転生組の同窓会じゃないんだぞ。
しかもチャールズに根回しまでするんじゃない!
チャールズが苦笑して肩をすくめる。
「ご主君は後方から、全体を統括です。
比較的安全でしょう。
前線で女連れはどうかと思いますがね。
ただ……ペルサキス卿なら、シルヴァーナを連れてきませんか?」
「だからと言ってですねぇ……」
キアラが意味深な笑みを浮かべて、俺に書状を差しだす。
「ああ……そうそう。
お兄さまに書状が届いておりましたわ。
済みません。
色々忙しくて失念しておりましたわ」
噓つけ。
絶対にわざとだ……。
書状を読んで、ため息が漏れる。
ミルに書状を渡す。
ミルは書状を一読して笑いだした。
「ランゴバルド王国側の相談役はリディア嬢?
次期王妃としての
これってアルの居場所は、厳重に守れってことでしょ?」
「遊びじゃないのですが……」
モルガンが、薄笑いを浮かべる。
「うまく嵌められましたな。
どうやら両国は、ラヴェンナ卿に権力を与えるかわり、権威を下げに来たようです。
ラヴェンナ卿は女性でも能力があれば登用されている。
その趣旨に賛同した……と言われては断れません。
ここは乗っておくしかないでしょう」
戦いなのに女性を連れ込む公私混同か。
俺が連れていくから、両国が女性を派遣したと言いそうだ。
相談役を任せられる人材は、手元から外せないってことだろうが……。
サロモン殿下に勝利したとき、俺の権威が高まりすぎることを避けたいのだろう。
「仕方ありません。
ただ……パーティーはしませんからね。
あくまで戦いなのをお忘れなく」
キアラは満足気にうなずいた。
「お兄さまがパーティー嫌いなのは知っていますわ」
突然、ミルが俺の腕をつかむ。
「ちょっと待って。
キアラだけは危険よ!」
キアラはジト目でミルを睨む。
「お姉さま……まだそのようなことを言っていますの?」
「当たり前じゃない。
獣の前に極上の肉を放置する馬鹿がどこにいるのよ!
本来なら私がいきたいけど……戦いの補佐は出来ないわね」
オフェリーが挙手する。
「私がいきます。
治療なら任せてください!」
話を聞いていたのか?
治療が必要なのは最前線だぞ。
「前線にだすわけにはいかないでしょう」
「でも傷病者は後方に送るって、アルさまが言っていましたよね。
教会からも治癒術士を派遣してもらうでしょう?
私なら彼らと話がしやすいです」
こんなときだけは、抜け目がない……。
たしかオフェリーに聞かれて、話をした記憶がある。
ミルは納得顔でうなずいた。
「そうね……。
それ以外の治療の技術指導もいるかしら?」
アーデルヘイトが胸を張った。
「任せてください」
もう……どうにでもなぁれ……だ。
思わず頭を抱えてしまった。
「もう好きにしてください……」
キアラが意味深な笑みを浮かべる。
「お兄さま。
夜の身辺警護に、ライサさんが立候補していますの。
前は途中で帰ったので、今後こそ最後までやり遂げたいと。
いいですよね?」
どれだけ増えるんだよ……。
モルガンが皮肉な笑みを浮かべる。
「こうなっては人間以外もいたほうが、政治的にはよいでしょう。
私は賛成です」
人間ばかりで固めるのは得策ではないな……。
もう現実逃避したくなってきた。
ん? 待てよ……。
「はいはい。
それでエテルニタ母子は、どうするつもりですか?」
キアラが小さなため息をついた。
「さすがに連れていけませんわ。
使用人に世話を頼むつもりですの。
猫成分は別で補給しますわ」
ペットまで連れてきたら大問題だからな。
ディミトゥラ王女は連れてくると……。
王女では仕方ないか。
「分かりました。
近日中に正式な任命がされると思いますので、そうすれば出発します」
「場所は人類連合の会議場ですの?」
地理的にもっとよい場所はあるが、最初から建設しては間に合わない。
そこは合間に、物資の集積基地として建設しよう。
状況が許せば移動したい。
「あそこがどこの前線からも近いですからね。
教会領を借りることになります。
それと開発大臣。
大規模な土木工事をするので、技術指導者を派遣してください」
暢気な顔で話を聞いていた開発大臣ルードヴィゴ・デル・ドンノは、驚いた顔になる。
「は……はい。
大規模とは?」
「あのあたりには湿地帯が多いですからね。
農地に変えてしまいましょう。
来年とはいきませんが、兵糧負担は軽くなります。
なにより教会の経済基盤を安定させる必要がありますから」
「承知致しました。
河川のショートカットを、大規模にやるのですね」
なにもしなくても作物が取れていたから、アラン王国の農地開発は手つかずだ。
だからこそ開発の余地がある。
「ええ。
ロマン王によって従来の農地はつぶされましたが……。
逆に農地でなかった場所なら、農地活用が出来るとなりますからね。
干拓の段階になれば、農林大臣に技術者の派遣を頼みます」
農林大臣のウンベルト・オレンゴが一礼する。
「承知致しました。
人員を見繕っておきます。
この方法が知られると、各地の農地は増えるでしょう。
大勢の人々が救われますね」
他所の人たちを救うのが目的ではない。
間接的に、ラヴェンナの利益となるからだ。
「まあ……飢えなければ、相手から奪う発想は減りますからね。
将来の布石ですよ」
チャールズが、皮肉な笑みを浮かべてアゴに手を当てる。
「大勢を救いますか……。
古来英雄は大勢を救うと聞きました。
ご主君は英雄と呼ばれたがらないでしょうがね。
それより……救ってからです。
警戒心や妬みから非難されるでしょう。
救われた者たちは、救われた生活を守りたいから、非難に口をつぐむ。
かくして英雄の最後は不遇……と聞きます。
果たして……多くの者を救った英雄は、一体誰が救ってくれるのですかな?
ミルが真剣な顔で俺の手を握る。
「私が救うわ。
いつでも私は味方よ」
皆が一斉に自分もだと言ってくれた。
チャールズとしては、俺への支持を改めて確認させたかったのだろう。
『この戦役が終わったあとに、お前たちは黙っているなよ?』と、釘を刺す意味を込めて。
有り難い話だが……。
自分を本当に救えるのは、自分しかいないのだ。
どれだけ周りが優しい言葉を掛けてくれても、自分で納得出来なければ意味がない。
ただ自分ひとりの考えでは納得出来ないから、他人の言葉を欲する。
故に自分を肯定する言葉ばかりを取捨選択してしまう。
だが自分を肯定する言葉ばかり集めても、幻想にすぎない。
必ず綻びが露わになる。
快適な部屋のはずなのに、隙間風が吹いてくるからだ。
隙間風に怒り狂って、より強い言葉で否定する相手を攻撃して黙らせようとする。
一時隙間風を忘れられるのは、怒り狂って体が熱くなるときだけ。
怒り狂うことで隙間はより増していく。
それを否定しようとさらに怒り狂う。
最後は力尽きで茫然自失となるか、ひたすら責任転嫁で自分を守るしかない。
すこしでも理性が残っている者にはより深い絶望が待っているだけだ。
快適な部屋など幻想にすぎないと思っている。
風が吹いて当然なのだ。
それではどうするか?
俺の結論はひとつ。
俺を救えるのは俺だけ。
だから心配無用だ。
やれることをやる限り、すべては一切が完と考えている。
だから裏切られたと怒る必要もない。
期待して絶望することもないからだ。
怒るとするなら……やれることをやらなかった自分にだけ。
これは社会性の否定だな。
統治者にあるまじき隠者の発想に他ならない。
絶対口に出来ないな。
隠者による統治など喜劇でしかないのだから。
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