963話 勝算のない戦い

 サロモン殿下の宣戦布告のあと、使用人がやって来た。

 夕食の準備が出来たらしい。

 全員立ち上がって、食堂に向かおうとした。


 突如ガラスを引っ搔くような不快な音が鳴り響く。

 皆が音のするほうを見た。

 放送に再度の割り込みだ。


 映ったのは、仮面をつけたメイド。

 上半身しか映っていないが……あの体つきは見たことがある。


 ミルが両耳を手で押さえながら、小さく息をのむ。


「もしかして……ヴァーナの結婚式のときに来たメイド?」


「でしょうね」


 耳障りな音がやんだ。

 ミルは安堵あんどした様子で手を下ろす。

 突然声が響き渡る。


『サロモン殿下の布告に追加することがあります。

殿下の標的は、あくまで人間。

故にアラン王国は亜人たちを平等な仲間として歓迎します。

アラン王国は魔物と共存しており、亜人だからと差別されることはない。

亜人たちは考えるべきです。

先だって受けた理不尽な差別を、表面上忘れること。

醜い笑顔で罵ってきた人間と笑顔で握手しなければいけない現実を』


 クレシダなら当然ここを狙ってくるよなぁ……。

 社会の急所そのものだ。

 しかも先だっての騒動を、人間たちはなかったことにしている。


 仮面のメイドが剣を突きつけた。


『それ以外の亜人は人間の奴隷と見なし、容赦はしません。

言われなき差別を受けても、愛想笑いを浮かべて人間に従う。

これでは人としての尊厳を放棄したも同様。

ならば、尊厳すら持ち得ない苦痛に満ちた生から解放して差しあげます。

どれだけ人間が甘言をろうして、亜人も仲間だ……と言っても方便に過ぎません。

亜人の集落が襲われても、人間は決して助けにこない。

これは誰しもが知る事実なのです。

尊厳ある自由に生きるか、名ばかりの平等にしがみつき、奴隷として死ぬか。

一度だけ選択の自由を与えましょう』


 間違いない。

 この声はあのときのメイドだ。

 映像が消えるといつもの放送に戻った。


 クレシダめ……サロモン殿下の梯子を外したな。


 キアラは、厳しい顔になる。


「お兄さまの言っていた社会の急所を、即座に突いてきましたわね」


 使徒教徒は水に流したと思っているだろうが……。

 現実には違う。

 つい最近の出来事なのだ。

 亜人たちは、やむを得ず恨みを飲み下したにすぎない。

 機会があれば、すぐに吐きだすだろう。


 ただ……アラン王国に逃げ込むことにはつながらない。

 支援を受けているような国に、誰が好きこのんでいくだろうか。

 だから人との関わりを断つ程度が限度だろう。


 クレシダの狙いは人間たちの猜疑心をかき立てることにある。

 人間が血迷って亜人を攻撃すると大変だ。

 人間対その他の構図になりかねない。


 もしくはラヴェンナへの移住を求めるか。

 だが……受け入れることは出来ない。

 行政が対応しきれずにパンクしてしまう。

 難民の生活を保障するとなれば、莫大ばくだいな金が必要になる。

 放置すれば、生活に困窮して窃盗などの犯罪に及ぶだろう。

 それが嫌なら支援しろとなる。

 支援などしようものなら大増税しかない。

 そうなれば、治安の悪化を招く。

 ラヴェンナ市民だって、いきなりやってきた隣人のために大増税など納得出来ないだろう。


 しかも難民は、従来のラヴェンナ市民と同等の待遇を望む。


 難民が少なければラヴェンナ式に従うだろう。

 当然ラヴェンナの法に従うことは義務だ。


 では難民の人数が多ければ? 横紙破りが可能になってしまう。

 なにせラヴェンナ内の不平分子と結びつくからだ。

 その不平分子も数で勝る難民に飲み込まれるだろうが……。


 難民は自分たちの慣習を持ち込んで手放さない。

 ラヴェンナの中に、半ば独立した集団が生まれる。

 義務を果たすラヴェンナ市民と同等の権利だけは主張し、ラヴェンナに協力しない。

 お客さまでいることを望む。

 差別から逃げてきた被害者として振る舞うからだ。


 中にはマトモなヤツもいる。

 だが厚顔無恥な連中の数が多い。

 衣食住が足りていれば礼節をたもてるだろうが、難民とは衣食住に困っているのだ。

 自己中心的にならざるを得ない。


 だからマトモなヤツがいなくても厚顔無恥なヤツは必ず存在する。

 それが難民の集団なのだ。

 すこしでも快適な生活を求め、要求し続けるだろう。


 奇麗事にすがって、全員が厚顔無恥でない……と信じ込むのは危険だ。

 1度中に入れると追いだすのはほぼ不可能。

 しかも彼らの害は人数分にとどまらない。

 被害は倍々ゲームのように拡大する。


 今までのように族長がしっかり統率しているとは思えないのだ。

 そして一部を受け入れたら、すべてを受け入れろとなる。

 

 どう考えてもマイナスでしかないものを受け入れるなど、俺には出来ない。

 ラヴェンナ市民の生活を守るのが、俺の義務だ。

 それが出来ないのに、今の地位にいると想像しただけで寒気がする。

 なにより俺自身がそれを認めない。


 道徳? 良心? 糞食らえだ。

 元からそのようなものは、俺の中に存在しない。

 統治上必要だから尊重しているフリをしているだけだ。

 

 先を考えて、大きなため息が漏れる。

 亜人たちのラヴェンナ移住は、現時点では俺の妄想にすぎない……といいな。

 今は、目の前の問題を考えるべきだろう。


「クレシダ嬢にとって無粋な介入だからこそ、一度に済ませたのでしょう。

これでは魔物との対決に、全力を注げない。

亜人たちの動向も警戒する必要があります」


 クリームヒルトが大きなため息をついた。


「そうなるとアルフレードさまに任せるしかないですよね」


「そうなりますね。

ただ……私だから万事解決……とはいかないのですよ」


 アーデルヘイトが額に手を当てる。


「現時点で人間を信じるのは難しいですよね……。

ラヴェンナなら大丈夫ですけど。

旦那さまが任されても、いざ信じるとなれば難しいと思います。

でも積極的な敵意を向けられることはない……といいなぁ」


 モルガンが、腕組みをしたままうなずいた。


「救世主願望に水を差すために、他国の亜人たちには、不干渉を貫きましたからね。

それなのに……人間たちからは亜人を大人しくさせるはず……と期待されるでしょう。

亜人たちからは平等に扱うことを期待される。

結果的に人間と亜人の双方から恨まれることも有り得ます。

なにより不穏な亜人たちを、ラヴェンナで引き取れ……とまで言われかねないかと。

しかも資金はラヴェンナ持ちで。

しかし亜人たちを受け入れては、ラヴェンナが崩壊するでしょう。

これは難事ですぞ」


 そうなるよなぁ……。


 思わず、苦笑が漏れる。

 

「まあ……悪い未来なら幾らでも思いつきます。

今はやるべきことをしましょう」


 モルガンは感心したとも呆れたともとれる様子でうなずく。


「動じていないのは流石です。

それでなにを?」


「まずは夕食ですね」


 カルメンが天を仰いで嘆息する。


「頼もしいのやら暢気なのやら……。

判断に困るわ」


 オフェリーが頰を膨らませる。


「遠くの問題は届くまで時間の猶予があります。

でも空腹は時間の猶予がありません!」


 夕食はオフェリーの好物らしい。

 そうでなくても、夕食を延期する理由にはならない。


「深刻な顔をしながら食事抜きで討論する必要はありませんから」


 モルガンが、唇の端を歪める。


「ラヴェンナでなければ『夕食を優先するなどけしからん』と非難されたでしょうな。

他所の人間たちは不謹慎という言葉が大好物ですから」


 心理的解決を優先すれば、そうなる。

 雰囲気がなにより大事だからな。


「そうですね。

人は不安やストレスの解消をするとき、世間体を気にします。

ところが不謹慎という棍棒で相手を殴るときなら、世間体を気にしなくてもいい。

正しいことを熱心に指摘している……と信じ込むことが出来ますから。

でもそれは化粧に過ぎません。

元の動機が醜いほど、建前の化粧はどぎつくなりがちです。

普通の人は、どぎつい化粧の匂いに顔を背けますが……。

悪臭の発生源に自覚はないでしょう。

このような臭い人たちには、難しい顔をして悩んでいる姿勢を見せる。

ついでに景気のいい積極策を絶叫すれば完璧ですかね?

踊る狂えば悪臭を忘れられますから」


 モルガンは皮肉な笑みを浮かべる。


「それなら納得するでしょう。

ラヴェンナ卿がやるとは思えませんが」


「当たり前です。

もし重大な問題に対するときは、いつも以上の冷静さを求められますからね。

なにより私には、そうする義務があります。

まあ……深刻ぶって問題が解決するなら、私もそうしますけどね。

それでよければ楽ですから。

なにより頭を使わなくていいし、頑張っている気になれます」


 モルガンが声を上げて笑いだす。


「働かなくても動いていればヨシですから。

最小の労力で最大の成果より、最大の徒労で最小の成果を尊びます。

憂う者は高潔とされ、考えて行動する者は利己的とされる。

あれは不思議ですなぁ……。

機能主義でも極めて非効率的です」


「おそらく組織論がないからですよ」


「ほう? 組織論ですか」


「組織を成り立たせるには、権限の明確化などもありますが……。

評価制度の確立が欠かせません。

目的を達成するための組織なので、それに見合った人事評価……とでも言いますか。

それがないからこそ、世話人か失敗しない者……おべっか使いなど……。

とにかく頑張っているように見える者か、気に入った者を評価するしかない。

存在することが目的の疑似家族的組織ですからね。

それならすべての評価は情実で決まる。

私の臆測ですがね」


 突然、オフェリーが挙手する。


「アルさま! お話より有言実行しましょう!」


 ああ……そうだった。


「そうですね。

では食堂に向かいましょうか」


                   ◆◇◆◇◆


 数日後『放送がラヴェンナ市民に及ぼした影響は皆無』との報告を受けた。

 今のところは……だな。


 報告をしに来たキアラの様子が、すこしおかしい。

 俺の視線に気が付いたキアラは、小さくせき払いをする。


「お兄さま……。

先日ロンデックスの屋敷に、妙な男がやって来たそうですわ。

身なりからして、昔の仲間だと思われますの」


 耳目が最も監視するのはラヴェンナだからな。

 報告してきたとなれば、それなりに怪しい人物なのだろう。


「それで?」


「その男は、ロンデックスに殴られて追いだされたようですの。

ロンデックスの怒鳴り声がしたのと、男の顔に凄い痣が出来ていたようなので。

男はすぐにラヴェンナから逃げたようですけど……。

ロンデックスは、お兄さまになにか報告しましたか?」


 その男は謀反や俺の暗殺を持ちかけたのだろう。

 もしくは……しつこい引き抜きか?

 ヤンの行動基準は、男前であることだからな。

 怒るとなればそのくらいだ。


「聞いていませんね」


 キアラはなにか言いたそうにしたが、小さなため息をついた。


「分かりましたわ」

 

 ヤンの性格上、どれだけ腹を立てても、古い友人を売ることは出来ないだろう。

 この件はそれで十分だ。

 キアラは、俺が不問に処すと予想していたらしい。

 そう思っていると、ヤンが訪ねてきた。

 いつもと、様子が違うな。

 ややぎこちない様子で、飲みに誘われる。

 まだ昼間なのだがなぁ……。

 まあ……いいか。


 酒場でヤンはいつものように騒ぐ。

 それでもすこし無理をしている気がする。

 時折俺を見ては、すぐに別の話を始める。

 隠し事が下手だな。


 だが……俺から詮索することはない。

 ヤンの生き方を尊重しているからだ。

 そのまま夕方になってお開きとなった。

 別れ際に、ヤンがなにか言いたそうにしている。


 このまま黙って終わるのもよくないな。


「ロンデックス殿」


 ヤンがボリボリと頭をかく。


「な……なんだい?」


「今日のお誘いは、ラペルトリさんに勧められましたか?」


 ヤンの目が丸くなる。

 すぐ俺から視線を逸らした。


「お……おう。

ラヴェンナさまはなんでもお見通しだなぁ。

そのぅ……あのぅ……」


 ゾエはヤンが疑われることを心配して、俺に報告しろと言ったのだろう。

 ヤンとしては旧友を売ることは出来ないが、意地を通せば、ゾエにも迷惑が掛かる。

 悩んだ末、俺のところに来た。

 でも口にすることは出来なかったのだろう。


「なにも言わなくてもいいですよ。

それだけで十分です」


 ヤンは急に真顔になる。


「すまねぇ……。

ラヴェンナさまには世話になりっぱなしだ。

この恩は必ず返させてもらう。

俺っちは絶対に裏切らねぇ。

それだけは信じてくれ」


「ロンデックス殿が裏切るなど考えたこともありませんよ」


 それに裏切られるなら俺はそこまでの男だというだけだ。

 目利きの失敗の責任は俺にある。


 俺は帰路についたが、ヤンは俺の姿が見えなくなるまで、何度も頭を下げていた。

 相変わらず不器用だな。

 この問題は半分解決した。


 残り半分……モルガンの説教が待っている。

 こればかりは仕方ない。

 勝算のない戦いは気が重い……。

 

 屋敷についたので、そのまま執務室に戻る。

 部屋に入った途端、ミルはしかめっ面になる。

 ミルは匂いにも敏感だからなぁ……。

 

 俺が着席するとミルが苦笑する。


「それで……どうだったの?」


「別になにも」


 ミルは悪戯っぽくウインクする。

 こうなることは予想していたのだろう。


「そう。

ただ……今度からは、夜にしてよ。

昼間から酒を飲むことが流行ったら大変だもの。

婦人会で文句を言われるのは私なんだからね」


 ミルが詮索しなくて助かるよ。


「気をつけます」


 ミルは笑顔になる。


「よろしい」


 胸を撫で下ろす間もなくキアラがやって来た。

 屋敷に戻った報告を受けたのだろう。


「お兄さま。

ロンデックスから報告は?」


「いえ……なにも」


 キアラはジト目でため息をつく。


「そうですの。

まあ……お兄さまらしいですわ」


 俺が苦笑していると、モルガンがやって来た。

 さぁて……ここから難題だ。


「ラヴェンナ卿。

お待ちを」


「どうしましたか?」


 モルガンの目が鋭くなる。


「今の話で済ませては、よろしくありません。

もしロンデックスに密使が接触していたなら、臣下の義務として報告する義務があります。

もし独断で情報を隠匿しては、あとに倣う者が現れましょう。

そうすれば誰も密使に注意を払わなくなります。

ただでさえラヴェンナ卿を邪魔だと思う輩は多いでしょう。

それではラヴェンナ卿の安全すら危うくなります」


 非の打ち所のない正論だな。

 

 勝負にすらならない。

 無理を通したのは俺なのだから。


「それでどうしろと?」


「ロンデックスを召喚して問い正すのが筋でしょう。

もしくは陰謀の隠匿として処罰すべきです」


 あまり使いたくはないが……正面突破するか。


「ルルーシュ殿の言葉は正論ですが……。

ロンデックス殿には正論を曲げる価値があります。

召喚や処罰など無用。

これは私の決定です」


 ミルとキアラは、複雑な様子で顔を見合わせた。

 俺の行動は仕方ないと思いつつ、モルガンの言葉に賛成なのだろう。

 モルガンは厳しい顔になる。


「たしかにロンデックスは、異才の持ち主です。

市民からも好かれている。

だからと特別扱いをするにも、限度があります。

ラヴェンナ卿は使徒教徒を、融通無碍むげおっしゃいますが……。

そう批評しているラヴェンナ卿が融通無碍むげでは、ただの批評家です。

批評家の如き態度を、ラヴェンナ卿は戒めておられるはず。

子供でも分かる話ですが……。

ラヴェンナ卿の安全は、ラヴェンナにとって最重要事項でしょう。

罪を犯さずに済む環境をつくるのがラヴェンナ卿ではありませんか。

これでは罪を犯しやすい環境にするようなものです。

言行不一致も甚だしい……と言わざるを得ません」


 いかんな……。

 正面突破を無視された。


「それは理解していますよ」


 モルガンは無表情に首をふる。


「いいえ。

理解していません。

余りに軽率すぎます」


 執務室は水を打ったかのように静まりかえる。

 早く片付けないと、ミルたちの仕事が滞ってしまうな。


「その件について、現在は過渡期であるとしたはずです。

安全は留意しますが、保身ばかりに固執しては囚われているのと同義。

それは判断を誤ることになります」


「それは承知しております。

こと暗殺や謀反の勧誘であれば、話は別でしょう

仮に密使が親族であるなら、情状酌量の余地があります。

それはラヴェンナ法にも記されている。

ただし……ロンデックスの場合、訪ねてきたのは親族でないでしょう。

法的観点から見ても、擁護の余地はありません」


 いやぁ……劣勢だ。

 俺がモルガンの立場なら同じことをいうだけに、反論が難しい。


「普通であればルルーシュ殿の言うとおりです。

ただしロンデックス殿には、破格の功績がある。

だからこその特例ですよ。

私にはその権限がありますし……。

融通無碍むげではありません。

ケース・バイ・ケースです」


 我ながら苦しい抗弁だ……。

 モルガンは呆れた顔で首をふる。


「言葉の意味について議論するつもりはありません。

必要なのはただ事実のみでしょう。

たしかに特例の決定は、ラヴェンナ卿の権限であることは存じております。

それは伝家の宝刀で、ご自身が『みだりに濫用してよいものではない』とおっしゃったではありませんか。

それほどまでにロンデックスの功績は破格であると?」


 2度目の正面突破は無視されなかった。


「すくなくともラヴェンナ兵1000人以上の命を救っています。

そしてロンデックス殿は、役職などの褒美を受け取っていません。

まだ私はロンデックス殿に報いていないのです」


「シケリア王国の戦いですか。

たしかにペルサキス卿を無力化したことはたしかです。

あの戦争の天才を無力化するのは大変危険でしょう。

ですがそれは兵士も同じです。

ただひとりロンデックスの功績ばかり評価するのは如何なものかと」


 軍事関係では、モルガンの見識も陰るか。

 ラヴェンナ兵とヤンの置かれた条件は、まったく異なる。


「いえ。

危険度は大きく異なります。

敵地でのゲリラ活動。

補給すら心許ない。

ペルサキス卿の無力化に失敗しては、ラヴェンナ兵士の命が1000人以上失われたでしょう。

それだけではなく、ペルサキス卿の突撃すら撤退に追い込みました。

ラヴェンナでは少ない犠牲で目標を達成するかが大切ですよ。

だからと犠牲を恐れて目標が達成出来なければ論外ですが」


「それは認めるとしましょう。

役職を受け取らないにしても、報奨金を与えたのでは?」


 たしかにボーナスをだしたが……。


「受け取りませんでした。

自分の取り分は、部下に回してくれとね」


 ヤンは照れながら自分への報酬を辞退した。


『俺っちの仲間は、山に籠もり延々と戦い続けて……略奪を我慢したんだ。

なら報酬に色をつけないと……男がすたるってもんよ』


 これを聞いたヤンの部下たちは大喜びだったらしい。

 これならヤン部隊の結束が固いのも当然だな。

 モルガンは渋い顔で首をふる。


「ロンデックスの希望を入れたのであれば、褒美を与えたも同義です。

なぜそこまでロンデックスに肩入れするのですか?

ラヴェンナ卿は情実で動くことが出来ないと思いましたが……。

私の買いかぶりでしょうかね?」


「これからの戦いに欠かせないからです。

ロンデックス殿はやる気と成果が直結するタイプですからね」


「失礼ながら……いささか不公平に感じます。

個人的な好悪で、特例を与えるのはよろしくありません」


 その自覚はある。

 どうにも憎めないのだ。

 ただ……それだけで厚遇などしない。


「もうひとつ……大事な問題があります」


 モルガンは教師然とした様子で、厳粛な表情を崩さない。


「それは?」


「今後も敵は、ラヴェンナを動揺させようと画策するでしょう。

ロンデックス殿の性格は皆が知っています。

だからこそ……。

信じる姿勢を見せることに意味があります。

もし規則通りの対応をしたら、皆が落胆するでしょう。

ある意味でラヴェンナ市民の期待に応える必要もあったわけです。

ロンデックス殿のような活躍をすれば、特別待遇が得られる。

市民にとっての目標になっていますからね」


 モルガンは天を仰いで嘆息する。


「次から次へと、もっともらしい言い訳を捻りだす。

私が教師なら辞書の角で頭を殴る程の悪童ぶりですぞ。

まったく困った人だ……。

たしかにロンデックスを処断しては、影響が大きい。

それでも召還して聞きだせばよろしだけです。

その程度なら市民としても当然と思うでしょう」


 言い訳なのは事実だな。

 なんとも心苦しいところだが……。


「それでは面白くないでしょう。

やられっぱなしはしゃくですから。

ロンデックス殿が沈黙を保ったことに味を占めて、不埒者が再度接触を試みる……。

もしくはラペルトリさんを誘拐するなどして脅迫とかね」


「敢えて罠を仕掛けると?」


 ヤンの重要性を見抜いて調略を仕掛けてきたのだ。

 一度で終わり……とはならないだろう。

 実家のロンデックス家になにかするかもしれないが……。

 ヤンは迷うことなく俺への忠義を貫くだろう。


「今回は尻尾をつかむことが出来ませんでした。

次に色気をだせば、雇い主までたどり着けます」


 モルガンは慇懃無礼に一礼した。


「そこまでお考えとあらば……私からなにも言うことはありません。

ただ……ロンデックスの件で、情報の隠蔽いんぺいを許した。

これは後々危険として発芽しかねません。

これだけはお忘れなく。

ラヴェンナ卿が兵士1000以上の命とおっしゃいましたが……。

ラヴェンナ卿ひとり倒れれば、ラヴェンナの全市民が苦境に立たされるのです。

下手をすれば1万人以上の命すら失われる。

その点をご理解いただけていないようだ」


「それは分かっていますよ。

私だって好きこのんで、危険に近寄ることはしていませんからね」


「言葉だけで分かったと言っても、行動が伴わなければ、無知よりタチが悪い。

無知なら知ったときに改善する希望はあるのですから。

ラヴェンナ卿はご自身の安全に関して、最悪の愚者です。

有能な統治者であればこそ、少数の命を犠牲にしても生き延びなくてはいけません。

どれだけ非難されようともです。

今後サロモンとの対決の際には、前のサロモンだけではなく……後ろから刺される危険が高まったのは事実。

今まで通りの暢気さは、如何なものかと」


 流石に反論しようがない。

 突然、ミルがせき払いした。


「アルも反省したし……もういいでしょ?

それでアル。

ロンデックスさんへの接触ってクレシダじゃないの?」


 ミルが助け船をだしてくれた。

 モルガンは渋々一礼して自席に戻る。

 助かったよ。


「おそらく違うでしょう。

クレシダ嬢がロンデックス殿を認識しているか怪しいですし……。

なにより程度の低い嫌がらせをしてくるとは思えません。

しかも時間のズレがありますからね」


「誰がロンデックスさんを狙ったのかしらね。

そこまで有名じゃないでしょ?」


 ヤンを狙って、調略を仕掛けるとなれば、ある程度限られる。


「ランゴバルド王国の反ラヴェンナ派でしょうね。

ラヴェンナ移住を断ったロンデックス殿の元部下は、陛下直属の勅令隊に編入されています。

それを辞めた人など幾らでも知ることは出来るでしょう。

シケリア王国も優秀な将軍だと知っていますが、個人を特定するまで至っていないでしょうから」


 勅令隊はニコデモ陛下が設立した常備軍だ。

 人員を増やして、それなりの戦力にはなったが、脱退者がゼロとは考えられない。

 脱退者を取り込むのは容易だろう。

 最初は、勅令隊の内情を知るためだとしても……。

 ヤンの話をすることだって、十分有り得る。


「そうなるとファルネーゼ卿かしら?

他に嫌がらせをしてくる人はいないでしょ」


 最も可能性が高いのはイザイア・ファルネーゼだろうな。

 だとしても詳細な目的まで分からない。

 俺の力を、すこしでも削ぐためだろうか。


「可能性はあるでしょうね。

ただ直接関与しているかは謎です。

そのあたりは、さらなる情報を待ちましょうか」

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