962話 厄介な才能

 ミルが首をかしげる。

 俺の言葉が予想外だったか。


「えっ……違うの?」


 旧来の社会では、十分有能な人だよ。

 つまり旧来の常識の範囲内では、正しい判断を下す。


「両国がアラン王国を襲撃するメリットはありませんよ。

いずれ併吞へいどんするなら、恨みが残っては困ります。

ただ……いきなり併吞へいどんすると恨まれる。

理想は裏切り者を探して、そいつに治安維持をさせます。

後ろめたさか忠誠心を示すためか張り切りすぎるでしょう。

かなりの不平分子が処刑される。

そこで憎悪の集まった裏切り者を処断すれば?

民衆は拍手喝采です。

余程の失策を犯さなければ数年は安泰でしょう」


 カルメンが皮肉な笑みを浮かべた。


「古典的手法ですけど、古典だからこそ有効ですね」


 古典的とは人間の性向に適した方法なのだ。

 文明によって多少装飾されようとも、人間の本質は変わらない。

 『文明が発展すると本質が変わる』という錯覚は、人間の本質である傲慢ごうまんさが露呈しただけだ。


「そう。

不平分子は掃除されて、積極的な反抗は起きにくいでしょう。

これがベストの選択。

両国ともにアラン王国を併吞へいどんするときはこのプランでいくはずです。

ところが……先に襲撃しては、裏切り者など現れようがない。

アラン王国民が結束しますからね。

この考えは古い価値観でも通用します」


 ミルは目を丸くしている。


「じゃあ……気が付いているのに宣戦布告をしたの?」


 サロモン殿下の選択肢は最初から奪われている。

 ひとつしかないのだ。


「クレシダ嬢の罪を公表して攻撃したとしましょう。

サロモン殿下は勝てるのですか?」


 ミルは疲れた顔でため息をつく。

 理解したようだ。


 そもそも半魔騒動で助けられたときに、クレシダとサロモン殿下の格付けは終わっている。

 魔物化するのも、クレシダの力を借りているのだ。

 しかも魔物化することで、動物的直感は鋭くなっているはずだ。

 直感で勝ち目のないことが分かるだろう。

 責任放棄して無謀な攻撃を仕掛ける人ではない。

 責任感の糸に絡めとられたまま、最後までもがくだろう。


「あ……無理ね」


 もしサロモン殿下の権力基盤が盤石なら問題ない。

 だが……いまは極めて脆弱ぜいじゃくだ。

 足枷となるのはアラン王国民。


「ですが民は、不安の精神的解決を願う。

サロモン殿下としては戦いを仕掛けるしかないのです。

そうしなくては、国内の離反が相次ぎますからね」


「守ってくれないなら……そう考えても不思議はないものね」


「しかも宣戦布告をしなかった場合……両国は口実を設けて、これ以上の支援をしません。

『安全が確保されないから、支援が出来ない』とでも言えばいい。

私がそれを理由に、援軍のルートを決めたこともありますから。

サロモン殿下はしっかり覚えているでしょう。

私とやり合いましたからね。

もうサロモン殿下に残された手段は、他所から奪うしかないのです」


 オフェリーが遠慮がちに挙手をした。

 ひとりだけ無言なのは嫌なようだ。


「あのぅ……。

あの宣戦布告は、クレシダに唆された内容でしょうか?」


 それはない。

 クレシダにしては温すぎる。

 なにより俺なら入れる一言がなかった。


「いえ。

サロモン殿下が自分で考えたと思います」


「そうなんですか?

私はてっきりクレシダが宣言内容まで指示したと思いました」


 皆はサロモン殿下がクレシダの操り人形と考えている。

 それは間違った印象だ。


 実際は放牧に近いと思う。

 クレシダ自体細かな口出しを面倒臭がるタイプだ。

 自分でなんでもしようとしない。

 手駒を集めて駆使するのだ。


 クレシダは自己の能力に自信を持っている。

 だからこそ人を自由に使いこなせる……と自負しているだろう。


「まず自国民を攻撃したので、話を聞きたくないことがひとつ。

すくなくとも他国の攻撃をするかぎり、クレシダ嬢が自国民を襲うことはないですから」


 オフェリーは不満げだ。


「釈然としませんね。

私たちはなにも悪くないのに……。

宣戦布告されるなんて可笑しいですよ」


 俺たちの立場から見るとそうだ。

 だがサロモン殿下の立場は違う。

 御落胤ごらくいんの存在も大きい。

 サロモン殿下なら、後継者を認めさせる準備は怠らないだろう。


「サロモン殿下が見ているのは自国民ですよ。

だからもうひとつの理由が存在する。

後継者のためには、国民の支持を集める必要がありますからね。

これが一番大きいのです」


 オフェリーは不思議そうに首をかしげる。


「私も一応アラン王国出身ですけど……。

皆そこまで戦争したがるのでしょうか?」


 オフェリーは人を傷つけることは好まない。

 この中で最も攻撃性が低いからな。

 低すぎる……とも言える。

 だから理解出来ないのだろう。


「条件が揃えば人は極めて好戦的になります。

これはアラン王国にかぎりません。

アラン王国民は追い詰められているので、心理的解決に飛びつく。

旧冒険者ギルドが、サボタージュを決定したとき『暗雲が晴れて、晴天が見える』と、気炎をあげたのと同じです」


 オフェリーが大きなため息をつく。

 理解することを諦めたらしい。


「戦争をして解決した……と思い込むわけですか」


「なにより自分たちの血を流さずに済むこと。

しかも戦争したところで現在の生活は変わらない……と思い込むでしょう。

直接戦わない者ほど好戦的になって、武力を弄びます」


「酷い話です。

これって対処出来るのでしょうか?」


 前々から想定してきたからな。

 問題は手遅れになってから、全権を委ねられたときだ。

 そうならないように注意する必要がある。


「まあ一応は。

勝つためには指揮系統を一本化する必要があります。

そこにたどり着くまで……どれだけの血が必要なのか分かりません」


 オフェリーは首をふった。


「アルさまに早く全権を委任しないと駄目そうですね。

でもアルさまは偉い人たちから妬まれていますから……。

先行きは暗そうです」

 

 クリームヒルトが身を乗りだした。

 これからの戦争で疑問があるようだ。


「アルフレードさま。

宣戦布告をしましたけど、サロモンは敵国を滅ぼす気なのでしょうか?」


 サロモン殿下はそこまで考えられない。

 普通の戦争と同列に考えている節がある。


 クレシダなら『それがサロモンの限界』と、鼻で笑うだろうが……。

 魔物を使って戦争を仕掛けたなら、和平など有り得ないだろう。

 放送が停止して精神の干渉がなくなれば、魔物への恐怖が爆発するからだ。

 そこではじめてサロモン殿下は、両国を滅ぼすしかないと悟る。

 クレシダの望み通り、社会を崩壊させる勢いで、流血が止まらないことになりそうだ。


「そこまでは考えていないでしょう。

敵は人間全体としませんでしたからね。

教会も攻撃しないし、どこか落とし所を探っている感じです。

両国を降伏させるか……。

適度なところで講和して、多額の賠償をさせる。

狙いはランゴバルド王国です。

最も余裕がありますからね」


 メモを取っていたキアラが顔をあげた。

 ディミトゥラ王女と文通しているから、ある程度シケリア王国の内情には詳しい。


「シケリア王国はまだ回復しきっていませんわ。

シケリア王国は戦えるのでしょうか?」


 1年程度で回復するわけはない。

 だが備えはしているだろう。

 問題はどれだけの継戦能力があるか。


「まあ……なんとかするしかないですね。

最悪ラヴェンナに支援を求めてくる可能性はあります。

ただ……アラン王国を見ているので、物乞いのようなことはしないでしょう」


「おそらく長期の借金のような形で、穀物の支援を求めてくるかもしれませんわね。

ディミトゥラ王女も匂わせていましたから」


 そのあたりが妥当な条件だろうな。

 ただ小麦を望まれても無理だ。


「しかしラヴェンナに、無尽蔵の小麦はありません。

まあ……ライ麦などで妥協してもらうしかないでしょう」


 そう言いつつも準備は完了している。

 ラヴェンナの食糧生産量が増大したとき、物価対策も兼ねて対策をしたからな。

 物価が下がらない程度に食糧を買い上げた。

 買い上げた食糧は、保存が利く状態にして保管している。


 小麦の市場価格が暴騰しそうになったら出番だ。

 そのためのウェネティア小麦市なのだから。

 ただの市場では効果が薄い。

 小麦を集約させることで、対策をしやすくしてある。

 しかも運営はラヴェンナが担当しているので、妨害は不可能だ。


 他の市場なら賄賂などで容易に妨害可能となる。

 ウェネティア小麦市は、手間暇かけて利便性を担保したから、最大市場となっている。

 他の市場はウェネティア小麦市の相場に従うほかない。


 投機目的の人間は大損をするだろうが、知ったことではない。

 破産して首を括る者がでようとも……だ。

 少数の欲を守って、大勢の民を飢えさせるよりずっとマシだろう。

 これである程度の安定を確保出来る。

  

 ただ……将来的に通貨の切り替えが必要になるなぁ……。

 金貨による経済は、物価の下落に弱いのだ。

 平和と生産力の増大で物があふれると?

 物価は下がり続け、経済が破綻する。


 対処は貨幣を鋳造して、貨幣の価値を下げる。

 これが最も楽なのだけど……。

 金貨は簡単に増やせない。

 なによりラヴェンナ金貨の信用が揺らぐと世界の経済が大混乱する。

 発行は慎重にならざるを得ない。


 だからこそ、金を基準にした通貨から脱却しないといけないが……極めて難事だよ。

 まあ……これはかなり先の話だ。

 その下準備として、ラヴェンナ特別通貨を発行した。

 あくまで金との交換を保証した貨幣だが……。

 将来的に額面は信用によって決まるのが望ましい。


 まあ……未来の話だ。

 俺が死ぬ前あたりかもしれない。

 戦争で物価は上昇するだろうからな。


 キアラが小さなため息をつく。

 あまり明るい未来図ではないからな。


「それよりサロモンが、どのような軍事行動をするか……ですわ。

サロモンに軍事的才能があるとは思えませんけど」


 全員がうなずくものの……俺は同意出来ない。


 軍事能力が低いとは言い切れないのだ。

 しかもある制約から解き放たれる以上、軍才が開花しても可笑しくない。


「軍事的才能は厄介な才能ですよ。

普段からは想像出来ませんが、いざ指揮を執ると天才的手腕を発揮するなど有り得ますから」


 キアラは怪訝そうな顔で首をかしげる。


「それはそうですけどね。

ロマンですら指揮したのですから、サロモンも王族のたしなみで、布陣は知っていると思います。

ただ……机上の空論で終わりません?」


 ひとつ注意喚起しておくか。

 楽観視しすぎて、あとで慌てられても困る。


「かもしれません。

ですが……魔物の軍隊は机上の空論を成立させるのです。

油断は禁物ですよ。

なにせ兵站を意識せずに済む。

士気低下による軍の崩壊もありません。

陽動も容易く、おとりも使い捨てに出来る。

机上の空論で克服出来ないのは、天候と相手の行動を読むこと。

それも自分が主導権を握れば、そこまで考慮しなくてもいい。

私は決して、サロモン殿下の軍才を甘く見ていませんよ」


 あの賢者だって魔物を率いていたら?

 天才的指揮官だったかもしれない。

 

 楽観視など出来ないのだ。


 皆はやや気まずいようだ。

 モルガンが腕組みをしながら皮肉な笑みを浮かべる。


「そういえばアクイタニアから、偽使徒の指揮を聞いたことがあります。

ロマンが指揮したことになっていますが、実際は偽使徒が遠隔で指揮したとか。

天から布陣を見下ろす形で『まるでチェスのようだった』と聞きました。

ただ……そのチェス自体は下手でしたね」


 カールラから聞いたのか。

 さもありなんだな。

 他人を見下すと、相手を極端に記号化してしまうからな。

 思わず苦笑してしまう。

 かくいう俺もチェスは下手くそだ。

 余計なことを考えすぎて負けてしまう。


「下手でも勝たせていたでしょう?」


 モルガンが無個性に笑いだす。


「皆は接待で勝たせていた。

偽使徒は幼稚でしたが、そこまで馬鹿ではありません。

当然察したようです。

だからと負けることには耐えられなかったようで……。

個人的な場ではやらなくなりました。

それでもパーティーの余興として皆に乞われ、渋々やっていたようですがね。

ただひとりロマンだけは、本気で挑んでくる。

ところが……ロマンはルールを知っているだけの馬鹿なので、偽使徒程度なら余裕で勝てます。

偽使徒から気に入られていて、余興の場ではご指名がかかるほどでしたね」


 ミルたちは呆れた顔でため息をつく。

 言葉もない……と言ったところか。

 ただひとりオフェリーが微妙な顔で首をかしげている。


「チェスで思い出しましたけど……。

偽使徒あの人が言っていました。

『嫁以外の人間は全部NPCだ』と。

NPCがなにを差すか分かりませんでしたが……。

駒のようなものだったのでしょうか。

偽使徒あの人は『他人だよ』と取り繕っていましたけど」


 駒ほど記号化していないだろう。

 人格を認めていないだけで。


「演劇の役者だと思っていたのでは?

役柄以外の動きはしませんから」


 オフェリーは渋い顔で首をふった。

 

偽使徒あの人のことは忘れるようにします。

いい思い出がありません」


 モルガンが慇懃無礼に一礼した。


「失礼。

ここでは偽使徒の話はタブーのようですな。

ただチェスほど単純化されなくとも、魔物の軍隊であればゲームの達人なら名指揮官たり得ます。

たしかサロモンはチェスの名手とも聞きました。

つまり論理的思考は得意なのです。

油断大敵でしょう。

ラヴェンナ卿が油断していれば、諫言のし甲斐がありました。

諫言は不要ですね」


 嘘つけ。

 自伝の内容に出来なくて残念なくせに。

 すこしくらい嫌味を言ってやるか。

 モルガンなら自伝の存在が俺たちに知られていることは察しているはずだ。


「ルルーシュ殿だって、油断を戒める程度の諫言など……自伝に書けない楽しくはないでしょう?」


 モルガンは再び一礼する。


「ラヴェンナ卿の心遣いには恐縮します。

自伝の内容諫言の程度まで気にかけていただけるとは。

持つべきものは、寛大で臣下に配慮出来る主君ですな。

いやはや……私は幸せ者です」


 やはり察していたか。

 俺が不必要な監視を辞めさせたあたりで気が付いたのだろう。

 

 ミルがわざとらしいせき払いをする。

 俺がモルガンのほうを向いていたから、こっちを向けと催促したようだ。


「私たちも油断しないようにするわ。

他所の人たちもそれに気が付けばよいのだけど。

もし油断した結果……一気に押し込まれたら大変よ」


「最悪のケースも想定すべきですね。

ただ……サロモン殿下だけが主体で動いているから、まだ救いがあります」


 なにより旧来の常識での軍事行動にとどまる。

 それなら俺以外でも対処出来るからだ。


「クレシダが介入してくると面倒なのね」


 あの宣戦布告には、世界の急所を突く内容が入っていなかった。

 クレシダなら必ず気が付くだろう。


「面倒どころではありません。

サロモン殿下は旧来の常識から抜けだせないために、気が付いていない。

これがクレシダ嬢なら社会の急所をついてきます。

やられるとかなり厳しい……。

まあサロモン殿下だけなら気が付かないでしょう」


 ミルが怪訝な顔になって首をかしげる。


「それはなに?」


 俺は世界の急所と活用方法を説明した。

 皆、暗い顔で黙り込んでしまった。


 まあ……そうだよな。

 どうしていいか分からないだろう。


 ただ……クレシダが、俺を引きずりだすために仕掛けてくる可能性がある。

 前座との戦いに介入するのは不作法だろうが……。

 承知の上で仕掛けてくるかもしれない。


 それをやれば総指揮が執れるのは、俺しかいなくなるのだ。

 クレシダにとって、ラヴェンナに引き籠もった俺を引きずりだすのが最優先だからな。

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