961話 不整合への苛立ち
アラン王国の襲撃事件は、瞬く間に広まった。
広げたい人間がいる以上当然だな。
ただクレシダの仕掛けには、必ず次がある。
さて……なんだろうな。
そうは言っても腹は減る。
夕食前にテラスで皆と談笑しながら、そんなことを考えていると……流れ続ける放送が突然変わった。
サロモン殿下のご登場か。
思ったより早いな。
もっと動きが遅いと思っていたが……。
前より顔色は悪いような気がする。
寿命が尽きるか、完全に魔物化するのか。
さて……
映像のサロモン殿下は、厳しい顔つきのまま口を開いた。
『世界中の人間たちに告ぐ。
私は魔物と人間の共存を掲げた。
そして荒廃したアラン王国を建て直すための支援を願ったのは、皆の知っているとおりだ。
だがその願いは、卑劣な暴力によって砕かれた。
我が国の町が、人間に襲われたのだ。
襲われただけではない。
町は略奪され、住民はほぼ惨殺された。
彼らに一体、なんの罪があるというのか。
だが……ここで人間たちの責任を、言葉で追及するつもりはない。
言を左右にして、罪のなすり付け合いをするか……。
責任転嫁を図るのが、目に見えているからだ』
糾弾からはじまったか。
これはアラン王国民に向けてのメッセージだろうが……。
ずいぶんと思い切ったな。
皆は食い入るように映像を見ている。
このような空気だと欠伸をかみ殺すのも大変だ。
俺にとってこの声明は、予測の一部でしかない。
映像のサロモン殿下が再び口を開く。
『私はアラン王国の民を守る義務がある。
故にその義務を果たす。
これよりランゴバルド、シケリア両国に宣戦を布告する。
この卑劣な行為の代償は、血によって
だが我々は血の飢えた獣ではない。
故に無条件で降伏する町や村があれば、助命を約束しよう。
ただしそれは最初の攻撃がはじまるまでだ。
それ以降の降伏は認めない。
降伏による生か……報復による死を諸君らは選んでおくように。
以上だ』
サロモン殿下の映像が消えた。
なるほどねぇ……。
降伏してからの処遇に触れないのは、搾取の対象とするつもりなのだろう。
サロモン殿下個人なら、そこまでしない。
だがパトリックから聞いたアラン王国内の様子からして、民の不満は限界に近いだろう。
不満を
そして支配による果実で民は狂喜乱舞するだろう。
自分たちが手を汚さず支配者になれる。
これほど魅力的な果実はない。
そうなれば正当性に陰りのある
どれも目新しい情報はないな。
俺がひとりなら、大きな欠伸でもしたところだが……。
皆が真剣な顔で俺に注目する。
思わず頭をかいてしまう。
「思ったより思い切りがよいですね。
以上。
夕食はまだですかね?」
ミルが白い目で俺を睨む。
「それだけ?」
正直な感想なのだが……。
お気に召さなかったらしい。
「いやぁ……。
前々から予測していたことが起こった。
珍しく早かっただけ。
他のコメントなんてありませんよ」
「それはそうだけど……。
ほかにないの?」
アーデルヘイトが難しい顔で首をかしげる。
「あのぅ……。
なぜサロモンは思い切ったのでしょうか?
私は最後まで旦那さまと一緒にサロモンを見ていたから、ある程度は理解しているつもりです。
まず責任を問うと思いませんか?
手順や形式を重視していた人ですから」
カルメンが感心した顔でうなずく。
「アーデルヘイトさんからはじめて鋭い指摘を聞きましたよ。
いつもはアルフレードさまとの
アーデルヘイトが膨れっ面になる。
「あそこにいたら他の話題なんてないもの。
技術支援の専門的な話をしたら、皆欠伸をかみ殺していたじゃない」
気の利いた答えはないぞ。
「まあまあ……。
たしかにアーデルヘイトの疑問はもっともですね。
ただ……理解したとしても、変化などありませんよ」
アーデルヘイトは首をふった。
じゃあいいです……とはならないか。
「でも旦那さまの分析を聞くと、ためになります。
勉強しておきたいんです」
そう言われると逃げられない。
それでも……。
皆が薄々感じていることを、あえて口にしたにすぎない。
「仕方ありませんね……。
おそらく襲撃事件は、クレシダ嬢の差し金です。
クレシダ嬢はサロモン殿下の動きに苛立ったので、尻に火を付けたのでしょう」
「サロモンの行動が遅いからですか?
それとも
クレシダのことは、ただただ面倒臭い女だとしか思えないです」
クレシダの面倒臭さは、世界を巻き込むからなぁ。
スケールがぶっ飛びすぎていて、普通は理解出来ないだろうなぁ。
ただ……人間だ。
超人に近いと思うが。
何度も、記憶と意識を継承していたら狂うと思う。
しかも狂わないだけの
それでも人間の本質は持ち続けているだろう。
なぜ苛立ったか?
結局は、人間が苛立つパターンに合致しただけだと思う。
いったん、クレシダという存在を切り離して説明する必要があるな。
「いいえ。
普通の人が他人の行動に苛立つのは、どのようなときでしょうか?」
アーデルヘイトは不思議そうに首をかしげる。
「裏切られるとか……沢山ありますよ。
そもそもクレシダは、人の常識で計れます?」
やはりクレシダという固有名詞が、理解の邪魔になっているな。
気の進まない例えだが……。
分かりやすい話をするか。
「クレシダ嬢は
ただ人より遙かに透徹した知性を持つ。
故に狂っているように見えるだけです。
クレシダ嬢の知性に及ばない私ですら、他人からは狂っていると思われるのですからね」
アーデルヘイトは不機嫌そうに頰を膨らませた。
「旦那さまはクレシダを評価しますけど……。
私は旦那さまのほうが上だと思います」
それはひいき目だ。
純粋に知性だけなら、到底及ばない。
別の要素でカバーしているだけだ。
クレシダは俺しか、対等の人間としか見ない。
そして極めて純粋かつ冷徹に、理性を信奉している。
だからこそ……人に対する視野が極めて狭いのだ。
人を研究し理解はしている。
だがそれは、あくまでパターン化された記号にすぎない。
どれだけ精巧な絵で料理を描こうとも実物ではないのだ。
まあこの話はいいか。
似たような話は散々している。
繰り返すのは嫌いだし、話が
「私の考えもそうですが……、個人の感想です。
話を戻しましょう。
アーデルヘイトの答えは間違ってはいません。
ただ……それだけでは限定的すぎます。
苛立つのは認識の不整合が発生したときですよ」
皆は、啞然としている。
すぐ理解出来ないのは当然だな。
その中で、キアラは、メモを取っていた。
相変わらずブレないな。
無表情に話を聞いていたモルガンが、腕組みをする。
俺の周りは女性だらけで、他の男たちは用事がないと寄ってこない。
遠慮してしまうのだ。
プリュタニスですら。
ただモルガンだけは平気で混ざってくる。
ミルたちの無言の抗議も、涼しい顔で無視するほどだ。
面の皮の厚さは本物だよ。
「不整合ですか。
アーデルヘイト婦人の
ただ不整合と抽象的な表現をされたのは、もっと範囲が広いのではありませんか?」
モルガンは俺の言葉に潜む意味を、即座に理解する。
それも当然か。
世界主義内でも目立たないように立ち回るには、相手を読む力が欠かせないからな。
「そう。
認識とは願望などからくる思い込み……。
または経験即からくる行動の予測です。
例えばサロモン殿下の行動が一貫して遅いなら、クレシダ嬢は苛立ちません」
アーデルヘイトが不思議そうな顔をする。
会話のボールをモルガンから奪い取りに来たな。
「遅いとせっかちな人は苛立ちませんか?」
「それは早く行動出来るという願望と食い違うからです。
出来る……と思ったことは、容易に願望になりますからね。
亀の歩みが遅いことに、腹を立てる人がいますか?
そのような人がいたら、正気を疑われるでしょう。
この場合は腹を立てているというよりは……。
赤子が泣くことで、意思表示をするようなものです。
怒りでしか自分を表現出来ない人なので、例外としてよいでしょう」
「旦那さまがよくいう『怒りたがっている人』ですか?」
比較的にも社会性はあるが、怒りによる自己表現が主な人だな。
「そうですね。
それ以外の普通の人が怒るのは?
外聞や虚栄心など様々な要因で装飾されますが、本質を見ると不整合への苛立ちです」
クリームヒルトが微妙な顔でため息をつく。
「魔族が差別されることに、腹が立つのも不整合なんでしょうか?
アルフレードさまが不整合というと、なんか自分勝手に聞こえてしまって……。
すみません」
「謝る必要はありません。
身勝手な不整合もありますけど、正当な不整合もあります。
魔族の差別で憤るのは、魔族を社会に受け入れておいて差別するからでしょう。
それでいて醜いことをしている自覚がない。
この不整合に苛立つのですよ
罪を犯す悪人より、善人の顔をして罪を犯す人のほうがより酷いと思いませんか?」
クリームヒルトが苦笑して肩をすくめる。
「そうですね……。
魔族で差別されないのは、ラヴェンナがはじめてです。
基準が明確で納得しやすいですから」
「多民族が前提の社会制度を作りましたからね。
同じ種族でも、個々人ですら性格が違うのです。
その現実を無視して、ただひとつの理論を押しつけるのはナンセンスでしょう。
子供なら許されますがね……。
権力を握った大人が無理に実現しようとすれば? 行き着く先は究極の統制社会です。
思想信条まで統制しなくては成り立たないでしょう」
モルガンが皮肉な笑みを浮かべる。
「ラヴェンナ卿が世界主義を批判されている話でもありましたな。
そもそも不可能だと。
ラヴェンナ卿が世界主義に非友好的なのは……。
出来ない計画を完璧と言いつつ、失敗のツケは他人に転嫁する。
この不整合に苛立ったからですか?」
「それもあると思いますよ。
なんでも統制なんてするのもされるのもゴメンです。
考えてみてください。
すべてを統制するのです。
夫婦喧嘩まで統制の対象ですよ?
仕方なく喧嘩を認めたとしても……。
使ってよい言葉や態度まで法で縛ろうとするでしょうね」
モルガンは無個性に笑いだした。
「夫婦喧嘩のやり方まで法になるのですか?
馬鹿馬鹿しい話ですね。
決めている者たちは大真面目なのでしょうが。
せめて演劇の世界に留まってほしいものです。
人は社会に生きるが故に、社会を乱すかのような不整合を嫌うと。
公正さを好むのと似たようなものですかね」
「人は様々な要因で怒りますが、ある程度共通するのは不整合を嫌うことです。
公正さを損なう行為と言い換えてもよいでしょうね。
逆にある人の行動に整合性を感じると、好意になり得ます。
クリームヒルトがラヴェンナを好きなのは、ラヴェンナの社会に整合性を感じたから。
整合性は人を安心させますからね。
どれだけ残忍な野盗であっても、頭領の行動に整合性があるかぎり、手下に慕われるでしょう。
それがなければ? 恐怖で押さえつけるしかありません」
モルガンは満足気にうなずいた。
「やはりラヴェンナ卿の話は面白い。
それでクレシダが苛立った……と推測した根拠はなんでしょうか?」
クレシダは行動を決めると極めて迅速に動く。
スローなダンスより激しい踊りを好む。
サロモン殿下の踊りは、スローなだけでなく余計な動きが多すぎると感じたろう。
「もしサロモン殿下の行動が穏健で一貫しているなら、クレシダ嬢はもっと早く行動するように仕向けましたよ」
モルガンは納得顔でうなずいた。
アーデルヘイトが身を乗りだす。
「旦那さま。
クレシダは、サロモンが動くと思っていたのに動かないから怒ったのですか?」
不整合だけでは分かりにくいかな……。
どう説明したものか。
アーデルヘイトは大臣だし、この場にいるのは人を使う側ばかりだ。
オフェリーはやや違うが……。
この例でいこう。
「そうですね。
もうすこし具体的な例にしますか。
人を苛立たせる行動ですが……。
駄目な行動を止めても聞く耳を持たず……行動すべきなのに持論に固執して動かない。
想像しただけで、腹が立つと思いませんか?」
アーデルヘイトは目を丸くした。
「もしかして旦那さま……。
私の行動を監視していませんか?
別に構いませんけど」
どうやら人使いで悩んでいたのか。
しかも部下に対する苛立ちのようだ。
「まさか。
私が最初に思いついた理由ですよ」
アーデルヘイトはバツの悪そうな顔で苦笑する。
「そうだったんですね。
最近部下に、内心苛立つことが多くて……。
部下に腹を立てるのはよくないと思っているんですけど」
ミルがやけに力強くうなずいた。
「アーデルヘイトの気持ちは分かるわ。
私もそんなときがあったから。
身勝手な思い込みで腹を立てたのかなぁ……」
クリームヒルトまでうなずいている。
「私もです。
たまに腹が立つことはありますけど……。
アルフレードさまを見習って我慢しています」
ラヴェンナでは人を使う側に、相応の資質が求められる。
それゆえ気苦労が絶えないわけだ。
腹の立つこと自体が悪いと思われては困るな。
自然な反応なのだ。
問題はそれをただ発散するかどうか。
「人だから仕方ありません。
人は最初にこれだ……と直感した選択に固執しがちなのです。
その状態になると、どれだけ考えても……都合のよい情報をかき集めて、思い込みを補強しますから。
こうなると……失敗するまでは人の話を聞こうとしません。
次に行動するときは、人の話を聞きます。
でも失敗したことによる
結果……右往左往するだけで口だけしか動かない。
でも他人は内心が分からずに『人の話を聞かず無謀な行動で失敗した癖に、今度は聞いたのに右往左往するのか』と腹が立つ。
よくある話ですよ」
ミルが呆れた顔でため息をつく。
「それだけ聞くと……全然駄目じゃない」
「獣であったころの名残じゃないですか?
狩りのときに迷わないようにね。
社会よりはずっと単純なので、経験則から導き出される直感が有効です。
ただ……狩猟の時代には有用でしたが、複雑となった人の社会では、誤った方向に働くケースが増えてきただけでしょう」
「どうしたらいいのかな……。
ただ我慢し続けるのも変よね」
それは解決にならないだろう。
先送りかつ成長もしない。
考えるヒントをだすか。
「ただ我慢するのはよくありません。
我慢する側が耐えきれなくなりますから。
解決方法のひとつは……急がせすぎないことですね。
仕事量と期限を見直してみるといいでしょう」
「
「急ごうとすればするほど、自分にとって楽な方法……。
つまりは直感や経験に従わざるを得ませんから」
ミルにキアラ、アーデルヘイトとクリームヒルトは真剣な顔で俺を見ている。
悩みの種だったのかぁ……。
ミルがすこし上目遣いになる。
「ほかにないかな?」
俺はミルのお願いに弱い。
他の方法かぁ……。
「あとは指示する内容と期待する結果を文書化するくらいですね。
面倒ですが……。
頭の中を整理するので、
もし文章を読んで複雑なら、指示自体を見直すべきですね」
ミルはキアラたちとうなずきあった。
考える切っ掛けにはなったかな。
ミルは嬉しそうにほほ笑んだ。
「有り難う。
ここからは自分たちで考えてみるわ。
話を思いっきり横道に
サロモン殿下の行動に戻るけど……。
きっと『他国の人間に町が襲撃された』と思い込んだのよね」
「どうでしょうかね」
ミルは驚いた顔で口に手を当てる。
皆も驚いている。
うーん。
サロモン殿下への評価が過度に低いなぁ……。
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