965話 甘さの皮
両国からの使節がやって来た。
かなり急ピッチだが、それだけ差し迫った問題と考えているのだろう。
絶対指揮権をもらえたのはいいのだが……。
称号が問題だよ。
大元帥なんて小っ恥ずかしい。
たしかに、国王が任命できる最高の官位は元帥までだ。
元帥が任命されたのは使徒降臨前。
つまり1000年以上前のことだ。
だが元帥ですら……俺の求めた絶対指揮権にそぐわない。
国単位での最高指揮権になる。
法的な問題で頭を悩ませた結果……。
大元帥なる新設の官職ならば先例と相反しないと結論づけたらしい。
笑ったのは、元帥杖が二つに割れていることだ。
二つ組み合わせて完成する元帥杖。
つまり……両国の任命あっての大元帥と。
平民から見れば、不可解で児戯にも等しい喜劇だろう。
だが、国王や貴族にとっては一大問題であった。
大元帥就任のセレモニーはない。
そのような式典に日数を費やす気などなかったからだ。
俺は就任と同時に人類連合に解散命令をだした。
ついでに教会から人類連合が使っていた場所の使用許可はもらっている。
放送も俺の管轄とするように打診されたが……そのままにした。
じきに停止するのが分かっているのだ。
そのときに責任を問われては面倒だからな。
『放送の自由は守られた』と絶叫する連中を見て笑ってしまったが……。
ただ、ランゴバルド王国側の放送にはひとつだけ指示をだした。
『サロモン殿下が宣戦布告する契機となった襲撃の検証』だ。
責任者のイルデフォンソ・セッテンブリーニには、事実のみの検証でよいと念押ししておいた。
前もってやるべきことはこれで終わり。
かくして皆に、一時の別れを告げて船に乗り込む。
プリュタニスが折居像に祈っていたのは相変わらずだ。
それを気にするどころではない。
なにせ兵員2万の大移動。
大船団を見ると改めて……背負った責任の重さに胃が痛くなる。
そのままウェネティア経由で目的地に向かう。
第5拠点跡地は、人類連合会議場と暫定的な名前で運用されていたが……。
誰も地名には
だからと……このままでは、教会領としての印象が薄れてしまう。
俺の大元帥就任を機会に教皇ジャンヌが地名を変更した。
1000年以上前の地名を掘り起こしたようだ。
カマルグというらしい。
カマルグに到着すると、大勢の要人が出迎えてくれた。
どうやら先行して到着していた人は多いようだ。
俺はかなり急いだのだが……2万人以上の移動はどうしても時間が掛かる。
しかし……バルダッサーレ兄さんがいるとは驚いた。
スカラ家も思い切ったなぁ……。
バルダッサーレ兄さんは、公の場で気安い様子を見せない。
厳粛で、俺に対して従う姿勢を見せる。
このあたりは流石だな。
バルダッサーレ兄さんが率先して従う姿勢を見せる。
そうなっては誰も、不服従の態度を取れなくなってしまった。
俺の悪口は言えても、スカラ家の悪口は言えないからな。
それはいいのだが……。
問題はフォブス・ペルサキス一行だ。
予想通りシルヴァーナを連れてきている。
しかも、表向きは俺に礼を尽くすが……やたら大元帥と連呼しやがる。
そのたびにシルヴァーナがニヤニヤ笑っていた。
この女……俺が大元帥と呼ばれるのを嫌うと見抜いていやがる。
旦那に吹き込んだな……。
ゼウクシス・カヴラスも必死に笑いを堪えている始末だ。
覚えていろよ。
俺は、根に持つタイプなんだ。
仕返しより先に、全員と意識あわせをする必要があるものの……。
その前にやるべきことがある。
人類連合の解散命令をだしたとき、関係者は帰国させていた。
ただひとりを除いて。
ボアネルジェス・ペトラキスだ。
まず、ボアネルジェスとの面会を優先した。
元帥府は、暫定で俺が使っていた屋敷となる。
人数に比べて小さ過ぎるが、新たに建設する余裕はない。
この場所は一時的なものだからな。
当面の兵站基地となる予定地に関しては、教皇ジャンヌからの内諾はもらっている。
事が終われば教会に返すのだ。
そのときには、周辺の干拓事業まで終わっている。
ジャンヌにとって断る理由などない。
俺が屋敷について早々ボアネルジェスが訪ねてきた。
応接室に、俺とモルガンが向かう。
キアラは、事務的な差配に忙しく同席を断念。
カルメンたちは、屋敷の安全チェックに余念がない。
応接室ではボアネルジェスが、神妙な面持ちで起立していた。
前と比べて随分
モルガンの紹介と、軽く挨拶を済ませて着席する。
着席するやいなやボアネルジェスは、書類の束を差しだしてくる。
「これは?」
「人類連合で着手中の作業です。
あと残った予算や各地にいる関係者など……。
引き継ぎの資料です。
私に待つよう指示されたのはこのためかと。
途中で仕事を放り投げては民に迷惑が掛かりますので、私にとっても幸いでした」
人類連合が実質機能停止していた中ひとり実務面で組織を支えていた男だ。
クレシダが行方不明になってから進歩派がほとんど逃げ散った。
当然だろう。
出世のため進歩派に与した連中ばかりなのだ。
その中でも、ひとり踏みとどまって職務を放棄しなかった。
新法は現実に即さないが崩壊を防いでいたのは、この男の働きあってのことだ。
引き継ぎの資料を残すと確信したからこそ……ひとりだけ残したのだ。
あれだけの人数がいて見るべき人材はひとりか……。
それでもゼロよりはマシだ。
「これはこれで有り難い話ですが、私が待たせたのは別の話です」
「他にありましたか?」
「ペトラキス殿に兵站部門を統括してほしいのです」
どれほど苦境にあっても投げださない。
俺が、この男を捨てるには惜しいと考えた最大の要因だ。
利に
だが、投げださない者は得難い。
損得以外の基準があるからだ。
ボアネルジェスの目が丸くなった。
「私に……ですか?
処罰を覚悟していたのですが……」
本気で予想していなかったらしい。
「ペトラキス殿がシケリア王国に帰ってもよくて飼い殺し。
普通なら解雇でしょう。
悪ければ処罰ですかね。
クレシダ嬢に引き立てられて、進歩派と守旧派の対立を引き起こした……と思われていますから。
まあ……シケリア王国が捨てるくらいなら私が拾いましょう」
ボアネルジェスは予想外にもあっさりうなずいた。
だが……どこか遠い目をしている。
「承知いたしました。
クレシダさまは、このことを予期されていたのですか……」
「クレシダ嬢がなにか?」
「自分がいなくなったらラヴェンナ卿を頼れと。
ただ……恥を忍んで頼ることも出来ず、職務に精励することしか出来ませんでしたが」
なるほど。
内心では、ある程度踏ん切りをつけていたのか。
だが自分から使ってくれとは言いだせなかったと。
クレシダは、俺が拾うと見抜いていたのだろう。
変なところで律義だな。
クレシダから声を掛けた相手には、相応の義理を果たす。
俺がいるから安心してぶん投げたわけだ。
嫌な信頼だが、今回に限っては有り難い。
俺にとってプラスに働くのは、面倒をぶん投げた謝礼のようなものだろう。
「予期していたかはクレシダ嬢のみぞ知るですよ。
それより分かることの話をしましょう。
あとで、全体のプランが記された資料を送らせます。
補佐する人員の選定は一任しますよ」
ボアネルジェスは
「ラヴェンナ卿は『私に人を見る目がない』と評価されていたのでは?」
あのときは……だ。
一時の評価が永続する相手なら、利用する価値などない。
「以前のような唯才主義でいけると思いますか?」
ボアネルジェスは、深く重いため息をついた。
「恥を
私の目が曇っていたのは厳然たる事実でしょう。
才能だけでは私が御しきれず、あのような
それでも……彼らのせいではありません。
ただ、私の力が及ばなかったからだ……と痛感しております」
大変結構だ。
ここで他人を罵るようなら使えない。
やはり、真に誇り高い男なのだろう。
ただのプライドが高いだけなら、自分を守るためにここで責任転嫁する。
「人の真価は、失敗したあと露わになります。
己の虚ろな自尊心を守るために責任転嫁するか……。
それも出来ず、ただ逃げだすものもいます。
失敗と向き合える人は希少でしてね……。
失敗を糧とするには、相応の資質が必要なのですよ。
ペトラキス殿は、それに加えて実務能力があり、申し分ないでしょう」
ボアネルジェスは、微妙な顔で首をふった。
「その評価は有り難いのですが……。
今はお返しします。
仕事を全うしてから改めて」
鼻をへし折られた経験が、よい方向に働いたな。
極めて不器用な男だ。
だからこそ、人と衝突するが、それを理解すれば仕える人材だ。
ラヴェンナにいないタイプの天才。
ここではそれが得難いのだ。
「その意気やよしです。
ただ意気だけでは足りない。
今回の仕事は、世界にまたがる範囲でしてね。
ペトラキス殿がいくら有能でも、独力での差配は
「国など関係のない兵站ですか……。
さて……ここからが本番だ。
この関門を突破できるのか。
「そこで必要になるのは、意志を同じくする有能な人材です。
疎遠になった者や反対派にも、今回の役目に合致する者がいるのでは?」
ボアネルジェスは、
本人としては認め難いことだろう。
「この上でさらに恥を
「兵站に問題がでると、その
個人の恥辱より、民を思う大義のほうが重いのではありませんか?
ペトラキス殿の民を思う心が本物であれば……。
頭を下げてでも人を集めるべきでしょうね」
大義なんて言葉は好きじゃないが、ここはボアネルジェスの説得だ。
好きそうな言葉を使うしかない。
「……私は、人望がないと友からも忠告されています。
その私が頭を下げたとして協力が得られるかどうか……」
やはり心情的な抵抗が激しいだろう。
だが……
今を逃せば、永遠に再起する機会は失われる。
「個人的感情で拒否するのであれば、私の命令としてください。
あとはどれだけ、理屈の上で納得させられるか……ですね」
ボアネルジェスは渋面を作る。
「私より愚かな者たちに頭を下げて回れと?」
本音がでたな。
反省しても、人の性根は変わらない。
変わらないが、向き合うことは出来るだろう。
「そうです。
少なくともペトラキス殿は一度失敗している。
その人間が他者に協力を乞うなら、従来の
自分の実力から当然の振る舞いだと思っていてもです。
ペトラキス殿の掲げてきた大義を取るか……。
それとも、個人のプライドを取るか。
選択は委ねますよ」
ボアネルジェスは、大きなため息をついて一礼した。
「承知しました。
では資料を検討してから熟慮したいと思います」
「そうそう。
この任務が、上手くいけばシケリア王国に返り咲けるでしょう。
そうすれば現実に即した改革も可能だと思いますよ。
少なくとも従来のような
多くの人は気に入らない相手の言葉を絶対聞きませんよ」
ボアネルジェスが、複雑な表情で退出する。
あとは本人次第だな。
黙って話を聞いていたモルガンは、怪訝な顔になる。
「よろしいのですか?
クレシダの息が掛かっていたのでしょう。
しかも、政敵でもあった進歩派のトップだったのですぞ。
裏切る可能性を捨てられないでしょう。
それに補給面であれば、ラヴェンナの人材は豊富です。
兵站を任せるとは出世コースなのですから。
リスクを取る必要などないのでは?」
最初はそれを考えた。
だがそれはベストな選択肢ではないのだ。
「もしラヴェンナ内の活動ならそうですね。
問題は、ラヴェンナ式が通るのは一部のみ。
ここでは通らないのですよ。
無理強いすれば……かえって兵站に悪影響がでます。
ならば、使徒教徒の基準で能吏と呼べるペトラキス殿を起用すべし。
そう思いませんか?」
ラヴェンナ式は、明確な権限と責任の分担が基本となる。
ナアナアの融通
必ず摩擦を起こすだろう。
ラヴェンナの合理性が、ここでは非合理になってしまうのだ。
「なるほど。
恒久的な組織であればラヴェンナ式がベストでしょう。
戦時という機能性を最重要視する世界では、能吏のペトラキスに一任するのがよいと。
能力はよろしいですが問題は忠誠心です」
「ペトラキス殿は、裏切ることなど出来ませんよ」
「なぜ、そのように断言されますか?」
「ひとり踏みとどまって投げださなかったのです。
目先の利益で裏切るようなタイプには出来ません。
極めて不器用な人ですからね。
そもそも、プライドが高く実力のある人は、登用側が理不尽な振る舞いをしない限り裏切りません。
なにより、ペトラキス殿の才能はリスクに見合いますからね。
悪くても、並以上の仕事はこなすでしょう。
よければ兵站の心配が無用になります」
モルガンは無個性に苦笑する。
「仕方ありません。
実際の役職につけば監視も可能ですからね。
それにしても……才能を鼻に掛けた男に頭を下げて回れなど……。
ラヴェンナ卿もなかなか酷なことをされますな。
踏み絵の一種ですか?」
踏み絵ではない。
あの様子では、もうひと押し必要と感じたからだ。
「人は失敗と向き合うことは出来ても……。
傷を負いながら立ち上がれる人は稀なのです。
だから背中を押した……いえ蹴飛ばしたというべきですね。
それに、目の前に餌もチラつかせたのです。
やってくれるでしょう」
モルガンは、微妙な顔でため息をつく。
「ラヴェンナ卿は人間離れして冷徹ですが時折非常に甘くなりますな。
そのような甘さは法治に必要ないと思います
いつか足を掬われますぞ」
「人は甘さに
そう簡単に割りきれる話ではありません。
人生を直視すれば苦味ばかりですからね。
ときには苦味を誤魔化すことも必要でしょう?」
「失礼ながら……。
妙に老人臭い人生訓ですな。
私の人生経験ではまだそこまで至れていません」
うるせぇよ。
「私が皆に考えることを求めますが、常にそれを求めてはいません。
人は、常に全力疾走で生きることなど出来ませんからね。
全力疾走しているつもりでも……存外足踏みしていることが多い。
人生の多くは、立ち止まるかゆっくり歩くものですよ。
ただ走るときを逃すと永遠に前へと進めない。
ルルーシュ殿だって走る機を逃さなかったからこそ……。
今ここにいるわけですよね?」
「ふむ……。
ペトラキスにとって、最悪の状況である今こそ走りだせと」
「ええ。
ペトラキス殿がどれだけ疲れていようとも……今走らなければ終わりです。
走ってくれればラヴェンナにとって、多大な利益となる。
彼を利用するだけですよ。
甘さの皮を被せないと疲れた人は走りだせませんからね」
モルガンは慇懃無礼に一礼した。
俺の意図は伝わったらしい。
「甘いと申し上げたことは撤回しましょう。
ところで……ペトラキスが失敗したら如何されますか?」
分が悪いと見れば、あっさり撤回するあたりは食わせ者だな。
「私がなんとかしますよ」
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