951話 伝統芸

 ニコデモ陛下から書状が届く。

 予期していた内容だけに、驚きはない。

 閣議でキアラに読み上げてもらうが、皆の反応は芳しくなかった。


 まあ……結局ラヴェンナも、支援をすることになるからな。

 しかも収入が大きいので、自然と支援額も大きくなる。

 陛下の食えないところで、スカラ家より下回るようにと言い添えられていた。

 スカラ家の面子を慮ったようだ。

 ただし実際の額は計算通りにせよと。


 まあ……茶番だな。


 だが俺にとっても、悪い話ではない。

 名目上の経済規模はスカラ家より下となれば、あとでいくらでも利用出来るのだから。


 皆を見ていたが、隣に座っているミルが俺の腕をつつく。


「アル。

お金をだすのはいいけど……何処からだすの?

予算から削るのは大変よ」


 予算と聞いて、皆が俺に視線を合わせようとしない。

 そうだろうな。

 苦労して決めた予算を、突然ひっくり返されては、部下たちが混乱する。


「予備費からだしましょう」


 天変地異などの災害に備えて、予備費を毎年積み立てている。

 支援額で予備費は空にならないし、妥当なところだろう。


 皆から安堵あんどのため息が漏れる。

 基本的に軍事は削られないので、余裕の表情たっぷりの軍事大臣チャールズ・ロッシが、皮肉な笑みを浮かべる。


「なるほど……。

予備費は天変地異など災害に備えるための予算でしたな。

たしかにこの要請は災害なので、目的とも合致します。

まあ……人災なのは、困ったものですがね」


 開発大臣のルードヴィゴ・デル・ドンノが、嬉しそうにうなずく。


「正直……非常に助かります。

目の前にある橋を修理する金が、見ず知らずの人たちの支援に使われるのは、不満が高まりますからね。

ただでさえ要望が多いので、順番待ちが発生しています。

しかもアラン王国の窮状は自業自得なので……」


 避難の勧めに従わずに、その場に留まったからこその危機だ。

 避難して他国で保護されるのは、肩身が狭い。

 アラン王国時代やアルカディア時代に、他国を下に見ていたプライドも邪魔したのだろう。

 そのような経緯を皆が知っている。

 だからこその不満だな。

 そしてこのような支援には、問題がある。


「せめてスカラ家か、経済圏に属する家の支援なら、まだ飲み下せたでしょうね。

支援された側も、顔が見えない相手からの支援なんて感謝しようがありませんから。

使い道も雑になりがちです。

まあ……何度も支援しては、陛下の身が危うくなるでしょう。

恐らく今回かぎりですよ」


 チャールズは皮肉な笑みを浮かべる。


「果たして一度で支援とやらが済みますかな?」


「済んだら驚天動地です。

仮に支援しても、大部分が中抜きされて消えますよ。

いわは使徒教徒の伝統芸ですから」


 チャールズは苦笑して、肩をすくめる。


「そこまでご存じで、敢えて反対しないとは……。

アラン王国への手切れ金と言ったところですか」


 なにかを考えていたモルガンが、真顔になる。


「失礼。

ラヴェンナ卿が伝統芸とおっしゃるとは、論理的な分析が済んでいる……とお見受けしました。

実例なら路傍の石ほどに転がっておりますが……。

この悪習を打破しようとしたものは、数知れず。

もしや……なにか秘策をお持ちですか?」


「社会の慣習を変えるレベルの衝撃がないと治癒しませんよ。

ただラヴェンナは、そのてつを踏まないようにしただけです」


 モルガンは珍しく、身を乗り出す。

 個人的に、興味があったのか。


「つまり完治は不可能と。

仔細をお伺いしたく」


 そこまで、大袈裟な話ではない。

 民族には慣習や性向が存在する。

 どれだけ、理論上合理的であっても合わなければ、害になる。


「そもそも使徒教徒は、明確なルール決めと責任分担を嫌います。

窮屈で仕方ないし、それより融通無碍むげにやったほうが機能するからですよ。

しかも派閥をつくりやすい性向があります。

これはやることが決まっていて成果が見えるのなら、極めて合理的ですからね。

なにより決まった方式があっても、結果良ければすべてよし……なのです。

これは個々人が鍛錬して、名人芸に昇華しやすいとも言えます。

だから使徒教徒には事務処理ですら名人がいるでしょう?」


 実際この人に任せれば大丈夫、と頼られる名人は使徒教徒に多い。

 ただし……その名人芸は、特定の条件下のみで有効なものだ。

 それでも効果は凄まじく、多少の不利などものともしない。

 だからこそ名人芸信仰のようなものがあって、名人を増やすことに全力を注ぐ。

 名人であれば不可能はない……とでも信じているかのようだ。


 シケリア王国の騎馬技術などが好例だな。

 その名人は決して万能ではない。

 騎馬の使えない場面では、途端に無力化する。

 しかも馬の種類が変われば、効果は激減。

 仮に馬の病気が流行れば、今までの努力は水泡に帰す。

 加えて名人は代えが効かない。

 徒弟のように師匠に張り付いて芸を盗むしかないのだ。

 名人の育成には、時間が掛かる。


 だが使徒教徒は……名人なら牛に乗れば、並の騎手が乗る馬を越える……と信じるものは多い。

 正確には異論を挟めば袋叩きに遭う。

 冷静に判断出来るものは無駄だと悟り口をつぐむ。


 大衆だって馬鹿じゃない。

 嘘だと知っており、内心は白けているだろう。

 ただ率直な意見を披露して、周囲から迫害されたくないだけだ。


 だからこそことになる。

 

 まさに世界が固定されているときにのみ、無類の効率性を誇る性向だ。

 その効率性が徒となり、環境が変化して通用しなくなったとき……どれだけ犠牲を払おうとも従来の方法のみで頑張る。

 耐えきれなくなったときに、『やれるだけのことはやった』と言って力尽きるだろう。

 やれるだけのことに、方法論からの見直しは入っていない。

 だからこそ一度苦境に陥ると立ち直ることは極めて難しいのだ。

 素早く立ち直るとしたら、そこに模倣すべき成功例を見つけたときにかぎる。


 モルガンは少し考えてからうなずいた。


「たしかに個々の能力だと、他所はラヴェンナ市民よりずっと優れている者が目立ちますね。

それでいて組織的な動きになると、ラヴェンナが勝る。

ラヴェンナが短期的には負けることがあっても、時間が経てば逆転し……その差は開くばかり。

しかも窮地に立つと、他所は精神論で乗り切ろうとします。

ラヴェンナは、方法論を模索する。

そのほうが理に適っています。

ラヴェンナ卿は他所の弊害を熟知した上で、統治機構を考えられたわけですか。

なんとも地味で理解されにくい……これは紛れもない偉業ですよ」


「重要な問題は目立たなくて、地味なものですよ。

また話がれましたね。

まず大前提として、このような性向があることは理解出来ましたか?」


 物音がしたので、隣を見るとキアラがメモを取っている。

 油断も隙もありゃしない。


 俺が苦笑すると、モルガンは慇懃無礼に一礼する。


「昔に先生から学んだときを思いだしてしまいました。

ラヴェンナ卿への批判で『教師然としていて、上から目線だ』とありましたが、思わず納得してしまいますよ。

それで……中抜き天国という持病と、どう結びつくのですか?」


「組織はその組織内のみならず、個人が自己流を昇華させる土壌がある。

つまりルールなど形だけつくるけど、誰も意識しない。

だからと無法地帯ではありません。

その逆に内部統制は強力そのもの。

同調圧力は極めて強く、組織の面子をけがしたときの罰は大変厳しい」


 モルガンは怪訝な顔で、眉をひそめる。


「それでは中抜きの話と矛盾しませんか?

中抜きそのものが、組織の面子を潰すことになると思いますが。

どう考えても、理念を機能させることにはマイナスです」


 モルガンはラヴェンナに順応出来ただけあって、使徒教徒であっても、外周に位置する性格の持ち主だ。

 本質的正しさを重視する。


「いいえ。

組織の面子を潰すとは、外部からの監視や干渉を招くことです。

外部からの干渉は、機能低下に直結しますからね。

やり方を聞かれたり、記録を確認されても困るでしょう?

法や規則の如き正しさなど面従腹背する対象でしかありませんよ。

規則違反で処罰されるのは、組織内で嫌われたときか、求心力維持のための見せしめでしかありません。

むしろ法や規則を無視して、組織のために動けば?

組織への忠誠心を評価される。

一事が万事です。

しかも組織としての総意なので、誰が何処でどう黙認したか分からない。

むしろ分からないことこそ……組織文化として誇りに思う始末です。

新人もその慣習を叩き込まれる。

組織文化に順応出来ない人は淘汰とうたされるでしょう」


 機能することが重要なので、外部からチェックされるとは……機能性を疑われることだ。

 そのときの反発は非常に強い。

 下手をすれば疑った相手を殺しかねないほどだ。

 

 もし違法行為として干渉されたとしても、なんら変わらない。

 どれだけ不正を行っていたとしても、法に対する意識は、組織内の論理に劣る。

 法とは建前に過ぎず、目に余る者を処罰するための道具でしかない。

 規範として守るべきものではなく、他者を攻撃する道具でしかないのだ。

 ただ表向きは建前を否定出来ない。

 だからこそ『言っていることは分かるが、それだと組織は回らない』となる。

 建前を武器に干渉してきたら、自分たちへの悪意ある攻撃と受け止めるだろう。


 時代が変化して、組織が構成員の人生を保証出来なくなれば、この意識も変わってくるが……。

 それでもこの性向を意識しないかぎり、反射的に反発するだろうな。

 それだけ文化的慣習は強い。


 モルガンは無個性に苦笑する。

 自分の思い込みに気が付いたようだ。


「なるほど。

農作業や商売のような成果が目に見えるものなら、そこまで不合理なことにはならない。

収穫や利益は、機能性を測る指針ですからね。

ただし支援のような成果が分かりにくいものなら、どれだけ不合理なことでも気にしないわけですか」


 どう考えても農耕民族的な性向だよな。

 農作業には向く。

 基本的に同じ土地で同じことを繰り返せば良いのだ。

 天候などの不確定要素はあるものの……。

 分かったからとやることを変えられない。

 

 商売はさらに流動性が激しい。

 組織的不合理を吸収出来ない商会は潰れていくだろうな。


 もっとも不向きなのは、柔軟性と想像力を求められる仕事だ。

 危機の際に異端児が実権を握る幸運があれば、大きな成果をだせるが……。

 用が済んだら排除される。

 機能性を重視するが、それ以上に組織の存続が最優先となる。

 どのような手段を用いても、存続するためなら躊躇しない。


 組織が滅ぶ心配さえなければ、異端児に実権を握らせはしないのだ。

 存続の危機が去れば、どのような手段を用いても従来の機能性を取り戻そうとするだろう。


「そうです。

たとえ不合理や不正があろうとも、組織内が機能してさえいればいい。

機能するためには同質性が欠かせません。

だからこそ異論を持つ人は排除されるでしょう?

これは不正の指摘に関しても同様です。

内部告発など禁忌中の禁忌ですよ」


「たしかに余計な口出しは嫌われますね。

実情を知らないと言われますが……。

独自の個人芸に依存しているなら、口を挟まれては迷惑ですね」


 使徒教徒に方式論は合わない。

 受け入れるのは率先垂範だ。

 理論より情緒優先。


 勿論……理論がすべてではない。

 それでも理論を、建前にし過ぎる嫌いがある。

 それが大きな弊害を生むのだが……。


 奇跡的に理論を本音にしたら、その理論を永久不滅のものとして固守してしまう。

 理論で対応しきれなくなれば、例外的理論をくっつけてその場凌ぎを繰り返す。

 それが理論と相反してもだ。

 曖昧な表現によって、矛盾を解釈論とすり替える。

 屋敷だったら、迷路のようで奇妙な構造になるだろうな。

 この複雑怪奇さ故に、同質性がなにより重視される。


「どうしても不正が起こりやすいのです。

しかも派閥を形成しやすい性向も加わり、同じ組織でも部署が違えば不干渉が常識。

そして自己完結していない組織であれば、外部との関係が生まれる。

一方的に外部から中抜きされるわけではない。

困難なときは融通を利かせてくれるでしょう。

その外部ですら、別の集団と関係がある。

これでは中抜きが発生しないなど稀ですよ。

なにより契約に基づく厳格な関係を嫌います。

不自然で窮屈だと嫌うでしょう?」


杓子しゃくし定規は血が通っていないと嫌いますね。

血が通っているとは融通が利くこと。

ナアナアの関係こそ居心地が良いのでしょう。

コネや付き合いがすべてとなりますが」


 それが機能するためには便利だからな。

 すべてはそこに帰結する。


 この帰結にはもうひとつ……欠かせない性向が関係する。

 誰でも成果をだせるものに価値を見いださないし、やる気も起きない。

 自分でなくては駄目となれば、俄然やる気をだす……諸刃の剣だが。


「言葉もそうですが、自分に選択権があるように見えないと嫌なのです。

たとえ断れないとしても、建前上は選択を委ねないと反発されます。

これは状況が悪くなっても変わりません。

むしろ変化を求められたときに、この選択権を行使して変化を拒むでしょう。

繰り返しになりますが……頑張りはしますよ。

今までと同じ方法で。

変えられるときは、耐えきれない犠牲を頑張りによって支払った後です。

そのときは無気力感にさいなまれて、責任転嫁しか出来ません。

むしろ率先して変化に従うかもしれません」


 見た目は変わっても、内実はなにも変わっていない。

 無条件に固執するものが変わっただけなのだから。

 それが現実だろう。


 モルガンは無個性に笑いだした。


「方針の変更すら出来ないと。

手遅れになってから健康に注意する病人のようですね。

これは……思った以上に危うい」


 体制の変更は、外部からの強制力がないと無理だ。

 この曖昧さや脆弱ぜいじゃく性を、クレシダは殊の外嫌ったのだろう。


「そこまで大きな話ではありませんが……。

今回のような支援は組織の論理が機能することだけを考えます。

知っている人の支援と違い、知らない人の支援ですからね」


「組織の論理で機能とは?」


「簡単です。

入ってきたお金を使い切ること。

あとは効果を、大袈裟に宣伝する。

支援によって誰かが救われるかどうかなど、気にしません。

いえ……この言い方は違いますね。

救われては困るのです。

組織の存在意義を失いますからね。

知人への支援とは、質が異なります」


 モルガンが、皮肉な笑みを浮かべる。

 俺の考えを理解したようだ。


「なるほど。

これは組織の論理ですね。

責任の所在や権限が、曖昧だからこそなし得る技と。

明確化して窮屈になる性格を直さないかぎり、完治は無理のようですね。

つくづく小さな組織にしか向かない性格だと思います」


「そうですね。

仮に外の世界と交流しても、中小組織の機能性は、何処にも負けないと思いますよ。

使徒教徒の組織は、すべて葡萄の粒と房でしかありませんからね」


「なるほど。

粒は最高でも、房が腐っていると」


「いえ。

干し葡萄の粒どころか……腐った粒まで混在しているのですよ。

粒毎に自分たちは機能していればいいのですから。

やることが明確になっていないと、各々が勝手に動きだします。

それを担保するのが見習うべき成功例となるでしょう。

まあ……その成功例も、自己流にアレンジしてしまいますけどね」


                  ◆◇◆◇◆


 続けざまに宰相ティベリオから、書状が届く。

 わざわざ別便となれば、内密の話だろう。


 予想通り、アラン王国はないものとして、シケリア王国と領土を折半する。

 前提としてシケリア王国が、支援に協力すること。

 そうしなくては、ランゴバルド王国内が収まらないからだ。


 必要になったときは、俺に説得を頼みたいようだ。

 加えて現状変更になるので、教会の説得も頼みたいと。


 現状変更はジャンヌが認めている。

 さすがに明言までしないが、石版の民を指揮している以上は、密約が存在するはずだ。

 これを反故にすることはないだろう。


 反故してもなんらメリットがない。

 アラン王国が形でも存在していれば話は別だが……。

 サロモン殿下が魔物化した段階で、教会はアラン王国を認めるわけにはいかないのだ。


 いくら融通無碍むげな使徒教徒であっても、決して譲れない点はある。

 山は山で川は川。

 山が何処にあろうと、川がどう流れを変えようと、現状に適応する。

 箱庭的に環境を固定して、その中で最高能率を発揮するのが、自然な生き方だ。


 その箱庭的前提を覆すものであれば、決して認めない。

 余りに強力な現実と強制力があれば新たな箱庭とするが、そこまでの力がなければ決して認めないだろう。


 教会の教義は、魔物が神の教えに反するものと明記しているのだ。

 決して譲れないラインを、サロモン殿下は飛び越えてしまった。


 もしサロモン殿下が、ジャンヌに妥協を迫りたければ、圧倒的な力を示すしかない。

 そこまでの覚悟はあるのだろうか。

 多くの人は川の中州で安心したくて立ち止まる。

 サロモン殿下も多くの人に含まれるだろう。

 もし川が目に見えていれば、誰でも渡りきるまで立ち止まらないが……。

 目に見えない川は、希望的観測と安心したい自分との戦いになる。


 書状でサロモン殿下に触れないとなれば、対決を辞さない姿勢の表れか。

 そうなると問題はシケリア王国か。

 メリットはあるが、はいそうですか……とはいかないだろう。


 公的な連絡は危険だな。

 書状を持ってきたキアラに頼もう。


「キアラ。

ディミトゥラ王女に示唆出来ますか?」


 キアラは待っていましたとばかりに胸を張る。


「ええ。

さすがにシルヴァーナは、使えませんものね」


 当然だな。

 そもそも話を持ちかける相手が違う。


「シケリア王国としても、私より宰相と話したほうが安心するでしょう。

ただ……その後については教会も交えないと、話がこじれそうですね」


「いつ頃話をするかが問題ですわね。

遅すぎると教会軽視と受け取られますし……。

早すぎると逆に、状況が混乱しかねませんわ」


 だからと余った土地を回されても困るだろう。

 

 今の教会は、自力で勢力を維持する必要がある。

 つまりは土地が必要だ。

 教会が自立するには、土地が足りない。

 巡礼すら今後廃れるから、収益も見込めないのだ。


 ただ巡礼街道を経済の動脈にすればいいのだが……。

 それを維持するには安定が必要になる。


 今の世界は、教会が安定に不可欠なのだ。

 期待するからには、相応の収入が必要になる。


「そこは教会の意見も交えて……となるでしょう。

だからとあからさまに引き入れては、教会内で議論が巻き起こります。

正式に引き込むのは、話がある程度進んだ時点……。

そうですね。

両国が草案を固めはじめたあたりでしょうか。

ただ事前に示唆だけはしておくべきでしょう」


「では……ルグラン特別司祭を呼びましょうか?」


「それでは勘ぐられる隙をつくるだけです。

私が町の視察のついでに立ち寄った……。

そんな感じで調整してください」


「ええ。

では特別司祭には、そのように伝えますわ」


 キアラは曖昧な顔でうなずく。

 反対というより、別の関心事があるようだ。


「なにか他に問題でも?」


 キアラは、別の書状を差しだしてきた。


「問題ではありませんが……。

パトリックさんが調査を終えて戻ってくるようですわ。

狂犬は同行していないみたいです。

もしかして仲違いでもしたのでしょうか?

そうなると後々厄介ですわ。

消すのも困難ですし……」


 物騒だな。

 片っ端から相手を消していたら、キリがない。

 無力化する方法なら、いくらでもあるのだ。

 ラヴェンナの存在を脅かさないかぎり、無益な殺生は控えるべきだろう。

 そもそもパトリックと喧嘩別れしたとは思えない。

 書状とキアラの報告から、ある程度はチボー・スーラの人物像は読み取れた。


 キアラから書状を受け取り、一読する。

 パトリックからの報告が記されている。


「やはりラヴェンナに来ます……とはいかなかったようですね。

恐らくスーラ殿が遠慮したのでしょう。

そのあたりの話も、クノー殿が戻ってきたら聞けるでしょう」


 キアラが集めてくれた情報から考えて、チボーはかなりの人間不信だ。

 そう簡単に来るとは言わないだろう。

 なにか切っ掛けがないかぎりは。


 恐らく『なんの功績もないのに転がり込むわけにはいかない』とでも言ったのだろう。

 人間不信でも、借りをつくることが嫌いなタイプだ。

 ただ相手の善意に寄りかかるのは、不安で仕方がない。

 自分で納得出来る理由がなければ、自分をたもてないのだ。

 偉そうに分析しているが、俺にも通じたものがあるからな。

 

 そもそもパトリックは、押しの強いタイプではない。

 もしチボーと出会ったのがヤンなら説得して連れてきたと思うが……。


「そうですわね。

正直なところ……連れてこられても困りますわ。

今問題を抱え込むのは得策ではありませんもの」


 まあ……少々問題は起こるが、魔物討伐では役に立つ。

 勝手に動かれるよりは、制御下に置いておきたかった。

 ただ……その希望が潰えたわけではない。


「問題になったらなったで、別の展望が開けます。

まあ……喧嘩別れしたようではないので、クノー殿とは関係を維持しているのでしょう」


「正直なところ……。

ラヴェンナ市民も、狂犬を受け入れるのは難しいと思いますわ。

それこそ大きな功績でもあれば、話は別ですけど……。

今まで社会から疎外されてきた人を受け入れてきましたけど、誰も問題を起こしていませんでしたもの。

お兄さまが認めたなら、誰も異論は唱えませんが……。

ロンデックスが受け入れられたようにはいきませんわ」


 まあ受け入れても、ヤン以外は積極的に話しかけないだろう。

 ヤンは、傷ついていたり不安に駆られた人を見抜く嗅覚に優れている。


 そして黙って寄りそう。

 なにか恩を売るわけでもないし、弱みにつけ込むことはしない。

 このあたりの性格も、傭兵たちからの人望が、極めて高い要因だろう。

 しかも給料の支払いはキッチリするからな。


「そうですね。

ただ……魔物を討伐する腕はたしかです。

後々役に立つでしょう。

それこそ別の勢力に利用されては、十全の活用は難しい」


 キアラはいぶかしげに、眉をひそめる。


「お兄さまならそれが出来ると?

疑うわけではありませんが、環境を整えるだけで、上手くいくタイプには見えません。

お兄さまが使いこなせるのは、話の通じる人だけですわ。

狂犬はその名の通り、見境がないでしょう?」


 見境がなかったのは、ひとりの間だけだろう。

 そうでなければ、パトリックに同行などしない。

 ひとりで復讐ふくしゅうに突き進んでいたはずだ。


「ええ。

それでも何とか出来る目算は立っています。

まあ……不確かな話をしても始まりません。

まずはクノー殿の帰りを待とうではありませんか」

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