944話 声なき声望
屋敷に戻って、プリュタニスから報告を受ける。
本当は暫く代役を任せるつもりだったが……。
ミルと相談して止めることにした。
プリュタニスは本番でないと、本気をださないタイプだ。
しかも俺がいるのに、代理を任せているとなれば……。
プリュタニスを信用していない……と思われる。
それでは問題だ。
不在時の状況を、プリュタニスに聞いたが『シルヴァーナさんがいなくなって静かになりました』程度だ。
かくして平時に戻る。
まずはモルガンを俺の名代としてスカラ家に派遣した。
あとはロレッタ・リーヴァ・アドルナートとの面会が予定されている。
ロレッタは多忙のはずなのだが……。
暫く前に到着したらしい。
ヴェスパシアーノから話を聞いておく為だろう。
次の日、俺とキアラはロレッタと面会する。
面会室で待っていたロレッタは依然とかわらず元気な様子だ。
「アドルナート夫人、お久しぶりです」
ロレッタは起立して一礼する。
「ラヴェンナ卿、お久しぶりです。
ご多忙に関わらず、お時間をいただけたことに感謝致します」
一通り世間話をしたあとで、ロレッタが表情を改める。
いよいよ本題か。
「
ですがそれは、手切れの合図でないとも。
ただ当家の家臣は、皆浮き足立っております。
なにか当家に手落ちがあったのでは……と。
ラヴェンナ卿の真意をお聞かせいただけないでしょうか?」
ヴェスパシアーノ返還に対して、アドルナート家臣団の反応が大きかったようだ。
ロレッタが完全に、主導権を握っていると思ったが……。
家臣団とバランスを取りながら、手綱を握っているのが実情らしい。
そうなると……ロレッタの意向も、ある程度聞き入れないとダメだな。
成果ゼロでは、家臣団に対しての影響力が低下するだろう。
だから代案をだせというのは、おかしな話だ。
なにか話を進める取っ掛かりが欲しいな。
一度事務的な対応をするか……。
それで引き下がるのであれば、形式的な懸念なのだろう。
「書状に書いたとおりです。
他意はありませんよ」
ロレッタの目が、やや鋭くなった。
当然この程度の回答では満足しないだろう。
「それで当家が納得したとしても……他家はどう思うでしょうか?」
なるほど……。
アドルナート家は、内乱においてラヴェンナに協力することで、勢力を拡大させた。
それだけではなくラヴェンナとの関係性を、外交交渉のカードに使っているようだ。
元々大きな勢力ではなかったからな。
他家への影響低下を懸念して、家臣団が騒いだのか……。
もしくは家臣団が騒いだことを
「その気になれば見捨てられるのが人質ですよ。
人質とは形式的な関係を、目に見える形にしただけでしょう。
そもそもヴェスパシアーノ君を、将来ラヴェンナとの外交窓口にする為に、私に預けたのでは?
このままラヴェンナに留め置くと、将来の価値が損なわれる。
アドルナート家に戻ったとしても孤立してしまい、窓口たり得ないでしょう。
ラヴェンナとしても孤立した窓口が相手では、大事な話を出来ません。
それでは、ヴェスパシアーノ君にとって……よき未来にはならないでしょう」
ロレッタは意外そうに、眉をひそめる。
俺の考えと違う思惑があったのか?
話がかみ合っていないからなぁ。
「息子のことを考えてくださったこと……感謝の言葉もありません。
ですが息子には、ラヴェンナに骨を埋める覚悟でいるよう申し渡しておりました。
架け橋を期待しているのは事実ですが、ラヴェンナにあって交渉の一役を担うことです。
アドルナートに戻ってきての架け橋ではありません」
そう来たか。
ヴェスパシアーノがラヴェンナで公的な役割を担うことはない。
他家の人間だからな。
だがアドルナート領民が、ラヴェンナで問題に直面すれば……当然頼られるだろう。
もしくはヴェスパシアーノが、
公然のスパイとまでは言わないが……少々厄介な話だ。
「なるほど。
アドルナート家の意を受けての活動を期待していたわけですか」
「それは将来のことなので分かりません。
ただ……ラヴェンナの価値観は他と大きく違うが故に、よく知る必要があります。
それには骨を埋めるほどの覚悟が必要だと考えました」
実子をラヴェンナに永住させようとするのは珍しい。
もしや……アドルナート家の後継者問題を、未然に防ぐ為の措置でもあるのか。
アドルナート家の内情まで探っていないから謎だが……。
ひとつキアラに調べてもらう必要があるな。
ただ……その為には、取っ掛かりが必要になる。
「いまヴェスパシアーノ君を帰されても困るわけですね」
「困る……とまでは申しませんが、あの子はここで楽しく暮らしているようです。
それならば、そのままラヴェンナに留まるのが最善かと。
よろしければご再考いただけないでしょうか」
そこまで言われたら戻せない。
だが……モルガンは人質を取らないようにと、諫言をしてきた。
なにか違う形で、ヴェスパシアーノを、
むしろこれを奇貨として、
「そこまで言われては、無理に返すのはよろしくないでしょう。
分かりました。
ただひとつ。
学校卒業後が問題です。
ラヴェンナでの公務に就くわけにもいかないでしょう。
そして今後人質に類するものは受け入れないつもりです。
独立の疑心を、王家に持たれては厄介ですからね。
ただ無役の人間を留め置くのは、人質に他なりません。
アドルナート家から公的な役割を与えていただければ、
どうでしょうか?」
ロレッタの目が鋭くなる。
俺の提案の裏を読もうとしているな。
「公的な役割ですか……」
キアラが、小さく
どうやら俺の意図を読み取ってくれたらしい。
さすが頼りになるな。
「お兄さま。
ヴェスパシアーノ君をアドルナート家の大使とすればよろしいのでは?
シケリア王国からの大使を受け入れた先例があります。
それならラヴェンナに駐在しても、問題ありませんわ。
ヴェスパシアーノ君からの要望があっても、公的なルールに則って対応出来ますもの」
満点の回答だ。
大使は相互的であって、
そうすればアドルナート家の内情を探ることも可能だ。
しかもそこを耳目の活動拠点に出来る。
「なるほど。
アドルナート夫人は如何ですか?」
ロレッタは穏やかな顔をしているが、俺の真意を探ろうと、頭はフル回転しているだろう。
「大使ですか?
仔細をお伺いしたく」
「アドルナート領民がラヴェンナに来たときの保護……。
あとはアドルナート家がラヴェンナと交渉する際の担当者ですよ。
内々の交渉も担うでしょう」
つまりはロレッタが望む役割を、公的に認める。
公的に認めるからこそ、
「それでしたら、当家としても願ったりです。
他になにかありますか?」
「大使の屋敷は、ラヴェンナの法でなく……。
アドルナート家の法が支配します。
屋敷を出れば、ラヴェンナの法に従ってもらいますけどね」
ロレッタは意外そうに、目を細める。
予想外の提案だろう。
だがこれは、俺の要望を通す為の代償だ。
「つまり屋敷内で、当家の人間が問題を起こしても、ラヴェンナの法に従わずともよいと?」
「そうなります」
「それならば家中の説得も容易になります。
それに便乗する形で、ひとつお願いを聞いていただけますか?」
ここで、さらに便乗か?
なにを言ってくるつもりなのか……。
「ご期待に添えるかは分かりませんが……。
伺いましょう」
「アドルナート家にも、ラヴェンナの大使を派遣していただきたいのです」
俺が口にする前に、ロレッタから言いだすとはな。
あくまで、立場上は対等であることを示したいのか。
俺から言われて認める形にしたくないのかもしれない。
家中のバランスを取っているなら、弱腰は致命的だ。
「大使を駐在させる意味は理解した上での希望なのですね?
屋敷内はラヴェンナ法が優先されますよ」
耳目の活動拠点にもなり得る。
それでも受け入れるとなれば、なにか思惑がありそうだ。
ロレッタは迷う漏らずに強くうなずく。
「勿論です。
如何でしょうか?」
これは、外交に関わる話だからな。
責任者の意見を聞くべきだろう。
「キアラ。
どう思いますか?」
キアラは満足気にうなずく。
きっとアドルナート家の内情を探る為にどうすべきか考えていたのだろう。
「結構なことだと思いますわ。
ラヴェンナとアドルナート領は、距離がありますし……。
ラヴェンナ市民が頼る場として丁度いいかと思います」
いま大使かそれに類する者が駐在しているのは、スカラ領のウェネティアと王都だけだ。
もう一カ所くらいあってもいいだろう。
「駐在させたとして、他家が訪ねてくる事例も考えられます。
それでもよろしいですか?」
ロレッタはほほ笑んで一礼する。
それも踏まえた上での提案か。
他家がラヴェンナに接触しようとしても、ロレッタには筒抜けになる。
情報面で他家に対し優位に立つことが出来るわけだ。
もし他家が大使を望んだとしても、俺が積極的に応じる可能性は低いと踏んでの判断だな。
なかなかに
「それも当然のこととして受け入れます」
ラヴェンナ大使が駐在すれば、ラヴェンナはアドルナート家を特別視している……と映るだろう。
しかもラヴェンナから人や金も流入する。
現時点でもアドルナート家はそれなりに発展しているが……。
さらにテコ入れを図るつもりか。
この時点で、ラヴェンナにすべて掛けるとは、余程の勝負師だな。
もう少し帰趨が明確になるのでは、見に徹すると思ったが……。
「ただそれとは別にラヴェンナ卿が懸念されている問題については、前向きに考えさせていただきます。
ただ……どのような名目で受け入れていただけるのですか?」
ん? ロレッタはなにか、勘違いをしているな。
ヴェスパシアーノの返還に、他意はないのだが……。
俺がアドルナート家の家臣団に、疑念を持っていると思われたのか。
ヴェスパシアーノを返すかわりに、重臣の子弟を人質として求めたと考えたのかもしれない。
だから家臣団の子弟を、人質として、
名目上は自由な身分で。
だが……アドルナート家が帰国を認めない限り、帰ることは出来ないだろう。
ある意味で人質だが……。
明確な理由付けをしておけば、将来の布石となる。
「留学生ですね。
勿論自由帰国は認めますよ」
これは、王家からの留学生を受け入れたこともある。
先例踏襲となれば、他家も無茶な言い掛かりを吹っかけることは出来ない。
「なるほど……。
承知致しました。
では数名見繕って留学させていただきます」
ロレッタはどうも、俺を過大評価しているようだ。
虚像の効果とでもいうべきか。
否定したところでよい結果は生まない。
ここはロレッタの顔も立てておくべきだろう。
重臣を人質にだすことで、家中の統制を強めたい思惑もあるはずだ。
「分かりました。
留学年数や一時帰省などに関しては、後ほどキアラと詳細を詰めてください」
留学なのでキアラの管轄となる。
キアラは真面目な顔でうなずく。
「分かりましたわ」
ロレッタは懐から書状を取りだして、俺の前に置いた。
なにかを頼んだ記憶はないが……。
「では後ほど、キアラさまと相談させていただきます。
私の希望を入れていただいたお礼ではありませんが……。
実家はアッリェッタ家と昔からの付き合いがあります。
家族などの情報がご入り用かと。
どうぞお納めください」
なるほど。
ランゴバルド王国の複雑怪奇な縁戚関係の賜だ。
これは、望外の情報だ。
「これは助かります。
後ほど確認させていただきますよ」
ロレッタは満足気にほほ笑んだ。
不気味なほど、
なにか、意図があるはずだ。
「それと魔物について……ある噂を耳にしております。
聖
被害も少ないながら発生していると聞きました」
やはりか。
聞いてもいないことを言ってきたとなれば……。
魔物がらみでなにか、俺に期待することがあるようだ。
「アラン王国を支援すべきという意見はありませんか?」
ロレッタは
「御座います。
ですが……安全な場所にいる人たちの声ですが……。
我々のような危機と隣り合わせの者たちの考えは違います。
支援したからと魔物の脅威が去るとは思えません」
安全な場所にいれば、安易な解決に飛びつくようだ。
それを危惧しているのか。
「なるほど。
私も危険と隣り合わせにいる人と同じ意見です。
その場合は、サロモン殿下と対決することにはなるでしょうね」
「魔物に脅威に直面している領主たちは、魔物による被害がなくなってはじめて支援の議論が始まる……と考えています。
ただ王都の、やんごとなき御方たちはどうか……。
考えたくないばかりに、問題を見ないことにしかねない。
結局安易な解決を目指したツケは、我々が払わされます。
悲しいことですが、我々に王都の意見を覆す力はありません。
だからこそ安易な解決に走らないラヴェンナ卿を、頼りにしています。
すくなくとも自分は無関係として、奇麗事に走らないでしょう」
読めてきたぞ……。
俺に友好的なのは、この問題への対処を期待してのことか。
内戦時同様、勝ち馬に乗る前に、ラヴェンナに助力すれば、今後の発言力強化につながる。
しかも内心で、俺を頼りにしている領主たちが多いことを知っているから尚更か。
「それは意外ですね。
貴族階級で聞こえる私の噂は、
ロレッタは口元に、手を当てて苦笑する。
「それは実力がない者たちの声が大きいからです。
先だってのアラン王国救援についても、ラヴェンナを非難する声が多かったのは確かです。
ですが……現実を知る領主たちは、内心で
ラヴェンナに対する声なき声望は高いのです」
声なき声望か……。
モルガンが知ったら諫言してきそうだ。
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