904話 優先順位
魔物の大軍は、サロモン殿下の本拠地プロバンを襲撃したらしい。
そこでも、聖
「ひとつ読み違えましたね。
聖
モルガンは苦笑してうなずく。
僧服から俗人の服に、服装を変えているが、相変わらず無個性だ。
それでいて周囲から浮いているが、当人は意に介さずホールに入り浸っている。
疑惑を持たれないための処世術だろうな。
しかも顧問なので、なにかと俺と話す機会が多い。
「私もそう考えました。
あれほど強力な武器は、自分が持たないと落ち着かないでしょう。
ただ現実問題として、他家はサン=サーンスの身分に納得しなかったのでは?
サロモン殿下の執事なりが、交渉をするかと」
「平凡ですが正しい考えでしょうね。
ここに聖
そこまで大きな違いはありませんけどね……」
隣に座っているアーデルヘイトが、片耳に手を当てている。
珍しいな。
「アーデルヘイト。
どうかしましたか?」
アーデルヘイトは驚いた顔になる。
話しかけられると思わなかったらしい。
「いえ。
ここ最近、耳鳴りがたまにするんですよ。
疲れるようなことはしていないですけど……。
あっ。
いえ! なんでもありません!!」
なにか言いかけたが、キアラに睨まれて、思いとどまったようだ。
それはいいとして……気になるな。
たまたまで片付けるのは早計だろう。
俺の思い過ごしならいいが、なにもないと思い込むことが危険だ。
「ほかに耳鳴りがしている人はいますか?」
アーデルヘイトは苦笑して首をふった。
「旦那さま。
大袈裟ですよ」
耳鳴りひとつで、大騒ぎになるのが気恥ずかしいのだろう。
気持ちはわかるが、見過ごすのはよろしくない。
「いえ。
ここはなにが起こるか予測出来ません。
ないと決め付けず考えてから安心しましょう」
モルガンが、腕組みをして考え込む。
「私の知る限り、耳鳴りや不調を訴える人はいません。
聞き込む範囲を絞っては?
違いがあるとすれば亜人かどうかですね」
人間と亜人を差別していないから、このような視点は言いにくい。
それを明言してくれるのは、有り難いことだ。
「キアラ。
早急に聞き取りをしてもらっていいですか?
親衛隊を含めた使用人全員です。
あとはヴィガーノ殿にも。
新ギルド関係で亜人の出入りがありますからね」
キアラは、うなずいて退出する。
指示を出すためだろう。
モルガンは感情の窺いしれない顔で、首をかしげる。
「亜人になにか問題でも?」
まだわからない。
ただあの放送は、ただの放送と違う。
最近失念しがちだが……。
「わかりません。
ただ……今流れている放送は、亜人に強く影響を及ぼすそうです。
わけあって、ここの屋敷などは守られていますがね」
「世俗の陰謀に平行して、魔法の危険ですか……。
従来の常識では計り知れない世界になっているようですね。
では私のほうでも、コネを当たってみましょう」
モルガンも退出していった。
世界主義の関係者が先行きを危ぶんで、モルガンに接触してくることが多くなった。
つまり俺にお目こぼし願いたいと。
保身のために二股をかけたいのだろう。
あとはモデストにも確認してもらうか。
「シャロン卿は町の様子の確認を。
些細な変化でも構いません」
モデストは無言でうなずいて退出した。
ホールに残っていたカルメンが微妙な顔で頭をかいている。
「カルメンさん。
なにか気がかりでも?」
カルメンは小さなため息をつく。
言うべきか
「フラヴィが一昨日変なことを言っていました。
『放送を見たあとは、闇に飲まれるような気がする』と。
しょっちゅう痛い発言をするから……。
それかなと思いました。
痛い発言の数々。
アルフレードさまは知りたいですか?」
フラヴィは16だからな……。
普通は大人として見られるが、普通の環境で育っていない。
幼児性を昇華して、大人になる時間が与えられなかったからな。
「結構です。
まあ……アズナヴールさんも、自分の個性を出したくなる年頃なのでしょう。
カルメンさんが気になったとすれば、いつもの痛い発言とは違うのでしょう。
突然となれば、気になりますね。
ここに移ってもらうほうがいいかもしりません」
「大袈裟な気もしますけど……」
「アズナヴールさんは人より、感受性が強い。
だからこその天才的な脚本家なのです。
脚本がおかしくなっては、元も子もありません」
カルメンは苦笑して、肩をすくめる。
反論する根拠も薄いと感じたのだろう。
「わかりました。
でもフラヴィの言葉を、冷静に突っ込まないでくださいね。
あれは絶対10年後に黒歴史になるはずです。
それと……。
必ず引き籠もるから、皆と食事を一緒にも禁句ですね」
いい脚本を書いてくれれば、それでいい。
ほかは求めないよ。
まあ……他人に、迷惑をかけなければ。
そのあたりは
「無理に人と会う必要はありませんよ。
アズナヴールさんがそうしたいと思ったら止めませんがね」
◆◇◆◇◆
モルガンが世界主義の関連組織一覧を持ってきた。
受け取って一読する。
「思ったより処理しやすいところに潜り込んでいますね。
大半が聖
もう少し内側に食い込んでいると思いましたよ」
モルガンは皮肉な笑みを浮かべた。
「モローが目を光らせていますからね。
王権の中枢に入れては、ラヴェンナ卿に目をつけられるでしょう。
しかも内側なら、自分が対処しなくてはいけません。
それを嫌ったのでしょう」
ジャン=ポールの保身癖が、ここでは吉とでたわけだ。
これで掃除は楽になる。
「なるほど……。
いずれにせよ、世界主義は片が付くでしょう」
モルガンは眉をひそめる。
「ほかに優先してつぶしたほうがいい敵はいるでしょう。
もしくは誰かに任せてしまってもいい。
クレシダの動きが不可解である以上、そちらに注意を割くべきでは?
世界主義はもはや死に体です。
ラヴェンナ卿の個人的
ホールにいた全員が凍り付く。
モルガンは涼しい顔だ。
先生が毒殺された仕返しを優先しているように見えたわけだ。
もしそれが事実なら、モルガンの忠告は正しい。
だが個人的
「個人的
人類社会の
モルガンは怪訝な顔で、首をかしげる。
「
どのような病で?」
「行き過ぎた支配欲です」
「支配欲そのものは悪とされないのですね」
「社会の根源的形態は、支配する者とされる者で構成されます。
この大原則はいまだに不変ですし、将来も変わらないでしょう。
これがある以上支配欲を悪とするのは、おかしな話です。
行き過ぎが問題なだけです」
モルガンの目が鋭くなった。
適当な理由で納得してくれないのは、いいことだ。
俺自身の考えを見直す機会でもあるからな。
「ラヴェンナ卿の定義する行き過ぎとは?」
「内心まで支配しようとすることです。
これが出来れば支配する側にとって、安心出来ますからね。
不可能でも、多くの支配者が夢見ると思いますよ」
「内心までの支配ですか。
世界主義はそれが出来ないと成り立ちませんが……。
不可能と断言されましたね」
人の社会は、内面と外面がなしでは成り立たない。
すくなくとも発展はしないだろう。
もしも人の心を覗く技術が生まれたときは、社会は牢獄になるだろうな。
破滅するか、社会が崩壊するかの2択となる。
そのようなことが不可能なのは幸いだ。
「人が不老不死を求める程度には不可能だと思いますよ。
それでも夢見る人はいるでしょう?」
「なるほど。
世界主義の内心まで統制する方法は、ある種の魅力があることは認めましょう。
だからこそ病の原因は、早く取り除きたいと。
今は世界主義の魅力が失われていますからね。
それでも急ぐ必要はないと思います。
今から世界主義を建て直すのは不可能でしょう」
世界主義を滅ぼすなら、時間をかけて問題ない。
誰かに任せてもいい。
ただ……危機的状況にある時間を長引かせるのは危険だ。
「組織の存続が問題ではありません。
思想の象徴化が怖いのです。
もし誰かが『思想だけでも、後世に残そう』と殉じて象徴化したら?
手の打ちようがありません」
モルガンは腕組みをして考え込む。
「そうなると話が変わってきます。
魅力として残るから、病気はいつでも隣にいると。
それでも実現不可能なことは、ラヴェンナ卿がサン=サーンスを論破したことで証明されたでしょう。
妄言であることはたしかだ。
だが実現性など問題ではない。
「その次が問題なのですよ。
まず非創造的知識人は、世界主義のような支配的理想と親和性が強い。
挫折したら別のなにかを探すでしょう」
「非創造的知識人……。
つまりは
世の知識人の大半はこれでしょう。
記憶力と引用が、賢さと勘違いしていますからね。
連中が得意なのは、群れることと派閥闘争です。
その程度だからこそ、世界主義としても洗脳しやすいわけですが……。
どこが脅威なのですか?
アラン王国で猛威を振るっていた連中は、いまや
トマを人間未満と評したか。
軽蔑に値することはたしかだが無力ではない。
「そのような人の主張は、極端で単純明快。
だからこそ、思慮が浅く情熱
「統治者は危険視しないと?」
「仮に王が
しかもロマン王の教訓から、統治者の暴走を抑えることは、必須となるでしょう。
それでも暴走するほどの圧倒的暗君なら、手の打ちようはありません。
これは考えるだけ無駄です」
モルガンは苦笑した。
扇動していた側だからな。
どれほど、組織が
だからこそ未来のロマンを生まないように、各国は頭を悩ませている。
「それもそうですね。
だとするとやはり、合点がいきません。
熱意
ただ馬鹿騒ぎで、空虚な主張を振りかざすだけでしょう。
自分たちを『目覚めた人』などと特別視していますが、目覚めていても、幻覚を見ている狂人にすぎないのですから」
正直だなぁ……。
否定する気はない。
それでも俺が口にするわけにはいかない。
「目覚めた人は、道徳的優位性を誇示したいからでしょう。
相手が迷惑がっても、道徳的に正しいから主張出来るのです。
それがなくては、単なる意見の相違ですからね。
それだけでは熱意が冷めてしまいますよ。
ただ……このような集団は、極めて厄介な存在を引き寄せてしまいます。
これが一番怖いですね」
モルガンが首をひねる。
理解が及ばなかったか。
「厄介な存在ですか?」
「社会にタダ乗りをして、自分の主張だけを押し通そうとする大人になれない子供ですよ」
モルガンの笑みが深くなる。
「ラヴェンナ卿にしては
たしかにそのような輩は、どの社会にも存在する垢のような存在かと。
誰からも相手にされずに、川に流されるだけですよ。
それのどこが厄介なので?」
「その存在が集まったら、どうなりますか?」
「考えたくもありませんね。
もしや?」
「そのまさかですよ。
知識人がなにか理想を唱える。
思慮が浅く情熱
タダ乗りする人たちは、その騒ぎに便乗するでしょう。
しかも放送などで、世界の情報がつながってしまった。
仲間を求めて集まってきますよ」
しかもクレシダが喜んで、手を貸すだろうな。
「肝が冷える話です。
それも現実のことならばでしょう。
そのような兆候があるのですか?
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