903話 閑話 例外なく

 クレシダ・リカイオスが退屈そうな顔で、お手玉をしている。

 お手玉といってもナイフだが……。


 そこに、ノックの音がする。

 クレシダは表情を変えない。


「いいわよ」


 アルファが入ってくる。

 ナイフを見て、ため息をついた。


「退屈ですか?」


「回すなら髑髏しゃれこうべでないと、気分がでないわ。

せめてと思ったけど、やっぱりダメねぇ」


「退屈は終わりです。

ラヴェンナ卿が動きはじめました」


 クレシダの顔が明るくなる。

 途端にナイフが、テーブルに、次々突き刺さった。

 クレシダは慌ててのけ反ってしまい、椅子ごとひっくり返る。

 ナイフはすべてテーブルに突き刺さった。

 起き上がったクレシダは膨れっ面だ。


「ちょっと! 心の準備をさせてくれないと危ないじゃない!!」


 アルファは無表情にため息をつく。


「そもそも危ないことをしないでください」


 クレシダはジト目になって首をふる。


「あ~ヤダヤダ。

正論を言えばいいと思っているでしょ。

空気の読めない男みたいなことしないでよ。

それで?」


「シケリア王国の奴隷階級が、大きく動揺しています。

マルティーグに逃げようとする者たちが尻込みしはじめました。

ひつの恐怖が、不自然に広まった形跡があります」


 クレシダはつまらなさそうな顔をする。


「その程度は想定内よ。

ほかには?」


「サロモン殿下と顧問の関係に隙間風が。

アルカディアの討伐を主張する殿下と、それを抑えるエベール。

しかも聖ひつ所持者同士が疑いはじめて、いさかいが表面化してきました」


 クレシダは腕組みをする。

 見るからに不機嫌だ。


「それも想定内よ。

まだありそうね?

なかったら許さないわよ。

私は忙しいんだから」


 先ほどは暇だと言っていた。

 だがアルファはクレシダの気まぐれに慣れている。

 まったく動じない。


「世界主義と冒険者ギルドが結託して、教皇の廃位を狙う計画はご存じでしょう。

それに対応してか、石版の民が教皇庁に移動しはじめました。

教皇の護衛が名目のようです」


 クレシダはいきなり上機嫌になった。


「へぇ……。

随分思い切ったことをするわね。

人数は?」


「およそ3000。

ウェネティアで軍事訓練を受けていた者たちで、教皇の直接指揮下に入るそうです」


 クレシダは満面の笑みになる。

 もっと知りたいとばかりに、体を揺らしている。


「無謀スレスレね。

教皇庁でも反対は多くない?」


 アルファは大きなため息をつく。

 心底辟易しているようだ。


「かなりの反対があったものの……教皇は勅書を公布してはねつけました。

『知ってのとおり、魔物が未曾有みぞうの規模で押し寄せている。

これに信徒たちは不安に包まれているだろう。

教会は自分たちを見捨てて、使徒騎士団を教皇庁の守備に回すかもしれないと。

そのようなことはしない。

使徒騎士団は、従来通り教会領の守備に当たる。

信徒たちは安心するように。

だが教皇庁の防備は手薄なままだ。

もし魔物が押し寄せたらどうなるのか。

教皇庁の外周にいる信徒まで守り切れないだろう。

故に派兵をラヴェンナ卿に要請した。

ほかに兵を動かせる人がいないためだ。

使徒騎士団以外が教皇庁を守るなど、教会の面子に関わる……と反対するものがいる。

だが信者を犠牲に教会の面子を守るくらいなら……いっそ滅ぶべきだ。

誰も教会を信用しなくなるのだから。

異論があることは承知している。

それは安全になってから、好きなだけいうがいい。

今は言葉でなく、剣が信徒を守るのだから』

これで表向きの反対は封じ込められました」


 クレシダは喜色満面の笑みでうなずく。


「事実上の挑発ね。

これで陰謀を企む連中は、引くに引けなくなったと」


「そして教皇庁で、ギルドマスター更迭の噂が流れはじめ、ここにも届きました。

ピエロは動揺して、幹部を更迭しようとしたようですが……」


 クレシダは唇の端を釣りあげる。

 ピエロは、自分を笑わせる道化でしかない。


「さすが保身にかけては即断即決ね。

でも無理でしょ?」


「はい。

なんとか巻き返そうと、空手形を乱発しています。

残念ながらピエロには、吝嗇けちとの評判が定着しています。

気前がいいのは、奪ったものをばら撒くときだけと。

追い込まれているのだと知られ、誰も相手にしていません」


 クレシダは苦笑する。

 突然テーブルに刺さったナイフを抜いて、机にしまいはじめた。

 今になって気が付いたらしい。


「それでしつこく、私に面会要請をしてきているのね。

時間の無駄だから会っていないけど。

頃合いかしら?」


「使い捨てる潮時ですか」


「そうよ。

それにしても……愛しい人アルフレードは、私からの罠をすべて回避したわね。

ある程度は期待していたけど……。

それ以上よ。

あの忍耐力は素晴らしいわ」


 クレシダは頰に両手をあてて上気した顔になる。

 アルファは辟易したように首をふった。

 苦言を呈することは諦めたらしい。


「憎たらしいほど、失策をしませんね。

しかも精神を病んだとも聞きません。

あれは本当に人間なのですか?」


「人間よ。

それにしてもここまで引きつけて、一気に動かれると面倒ね」


「実はまだあります」


 クレシダは驚いた顔になる。

 これで終わりだと思っていたらしい。


「まだあるの?」


「アルカディアの蛮行に対して、ランゴバルド王国とシケリア王国連名で、アラン王国への糾弾声明をだすようです。

実力行使も辞さずの強硬姿勢になるとか……」


 クレシダは真剣な顔で腕組みする。

 影響と未来展望を計算しているようだ。


「誰でも思いつくけど実現するとなれば……。

愛しい人アルフレードが、間に入らないと無理ね。

そう言えば、商会のほうはどう?」


「シケリア王国からの圧力が強くなっています。

壊滅は時間の問題かと」


「ゼウクシスも頑張っているけどねぇ。

打つ手が遅いわ。

愛しい人アルフレードなら、強引に潰したわよ。

まぁ……比較対象が悪すぎるか」


 ビュトス商会に連なる有力者が排除されつつあった。

 誰でもわかる危険信号だ。

 本来なら一大事である。

 だが警戒される側のほうが、すばやく動いていた。


「おかげで準備期間は、十分とれました。

いつ潰されても、問題ありません。

アルカディアについてはどうされますか?

持て余し気味でしょう?」


「そうねぇ。

面白いから、もう少し有頂天にさせましょう」


 アルファは無表情に眉をひそめる。

 アルファとしては、アルカディアを早急に滅ぼし、過去の悪夢にしたいのであった。


「よろしいのですか?」


「実験の続きよ。

それともうひとつ。

あれを強めて頂戴」


 アルファは一瞬固まった。

 予想外だったのだ。


「これもよろしいのですか?

予定が早まってしまいます」


 クレシダは苦笑して、髪をかき上げた。

 楽しげな苦笑である。


「まぁ……愛しい人アルフレードに、最悪の最悪を極められたからねぇ。

仕方がないわ。

玩具の効果が、予想より強かったもの。

話を変えるけど……あっちの掃除は済んだかしら?」


「問題なく完了しています。

ではいつ頃動かれますか?」


「もう少し先かな。

道具たちには断末魔の叫びをあげてもらわないとね。

愛しい人アルフレードが興醒めしちゃうわ」


「わかりました。

ただラヴェンナ卿が動きだしましたから……。

時期が早まるかもしれません。

あと些事さじですが……。

世界主義のモルガン・ルルーシュは、ラヴェンナ卿に寝返ったようです」


 クレシダは首をかしげた。

 頭になかった話だったからだ。


「へぇ……。

でルルーシュって誰よ?」


「バローの手助けの名目で赴任していた男です。

粛正するつもりだろうとおっしゃっていましたよね」


 クレシダは、なにかに気が付いた顔になる。

 覚えていない程度の小物だったからだ。


「ああ……。

世界主義は捨て駒からも見捨てられたのね。

粛正しなかったんだから。

それが転向した先は、愛しい人アルフレードねぇ。

よく受け入れたわね」


「それだけではなく、顧問に登用した模様です」


 クレシダは突然大笑いする。


「普通じゃありえないわね。

たしかに監視はしやすいけど、情報の秘匿と身の安全が危うくなるもの。

世界主義への当てつけと揺さぶりかしらね。

やっぱり愛しい人アルフレードは、見ていて飽きないわ」


 アルファは疲れたように、首をふる。


「たしかに……。

プレヴァンは疑心暗鬼に陥っているようです。

そのせいで、サロモン殿下を黙らせる余裕がなくなったらしいですから。

ただ……あの腹黒男アルフレードが、その程度の理由で登用したとは思えません」


 クレシダは呆れた顔で肩をすくめる。

 アルファがアルフレードを、ラヴェンナ卿と呼ばないことは珍しいのだ。


「ほんとアルファは愛しい人アルフレードが嫌いみたいね」


「当然です。

キアラを傷つけておいて謝らせたとか。

絶対に許せません」


 キアラがアルフレードに謝った話は、アルファの耳に入っていた。

 なぜ謝ったかまではわからなかったが……。

 クレシダは呆れ顔でため息をつく。


「もう敵同士よ。

なんで気にするのよ」


「敵同士ですが、私たちを傷つけていいのは私たちだけ……ではありませんか?」


「気持ちはわかるけどね。

愛しい人アルフレードなら仕方ないわ。

これが凡人だったら、アルファに消させるけど」


 アルファは無表情に首をふる。


「私にはその気持ちがわかりません」


 クレシダは、楽しそうにウインクする。


「まぁ……恋をすればわかるわよ」


 アルファは天を仰いで、大きなため息をついただけであった。


                  ◆◇◆◇◆


 ラヴェンナにある山脈。

 世界を隔てる壁でもあった。

 その一角は秋から雪が積もり、吹雪もやまない。

 雪のないときも、深い霧に包まれた人が近寄れない領域となっている。


 その領域にある巨大な洞窟がアイテールの住みだ。

 アイテールは巨体を丸めて微睡まどろんでいる。


 そこに光の球がふわふわと飛んできた。

 光は強くないが、アイテールは薄目を開ける。


 光はアイテールの前で止まり、女神ラヴェンナの姿となった。

 ラヴェンナは気安い調子で手をふる。


「こんにちは。

暇だから遊びに来たわよ」


 アイテールは小さく鼻を鳴らす。

 ドラゴンなので小さくても、突風が吹く。

 相変わらず、ラヴェンナの髪はなびかない。


『ほう……。

暇のう?

これは異なことをのたまう。

ともがらの屋敷を守るので忙しいはずでは?』


 ラヴェンナは小さく肩をすくめた。


「まぁ……。

息抜きってことで。

アイテールの様子伺よ。

別世界の冒険者が入り込んできたんでしょ?

どうせ財宝狙いだろうけど」


 アイテールの目が鋭くなった。

 ドラゴンを倒して、財宝を手にしようとする者たちが、アイテールの領域に侵入してきたのだ。

 ところが財宝はただの願望だった。

 アイテールは、財宝などの光り物に興味を示さない。

 静かな環境を好み、光り物は落ち着かないのだ。

 変わったドラゴンである。


五月蠅うるさい、ネズミが紛れ込もうとしたのう。

だがこの手のネズミは、追い払っても懲りずにやって来る。

静かにさせたぞえ』


「あ~。

幻覚で迷わせて凍死させたのね」


しかり。

が姿をさらしては面倒だからの』


 アイテールは厳しい自然環境を利用して、幻覚によって遭難させたのだ。

その結果は例外なく凍死となる。


「外の世界からきた探検家が、アイテールの噂を聞きつけたからねぇ。

こっちはパパが立ち入り禁止にしているけど、外の世界では噂になっていると思うわ」


 侵入者は、外の世界側から来ていた。

 ドラゴンの噂は、帰国したハンノが広めたようだ。


ともがらの家臣は、問題ない。

寄り付きすらしないからのう。

ただのぅ……。

炎の鉤爪は若い。

ムキになって姿を見せてしまうやもしれん』


「ああ……。

アイテールが面倒を見ている子ね。

あの子短気そうだからなぁ。

姿を見せなければ、噂のままだから、挑戦する人は減るけど……。

見られると面倒ね」


 アイテールは大きなため息をつく。

 周囲には突風が吹き荒れた。


『それだけが心配ぞ。

後れをとることは、そうそうあるまいがな。

ただひとつ懸念がある』


「なにかしら?」


ともがらの影響だが……。

何故なにゆえ、竜の財宝を探しはじめた?

これまで6組ほど始末したのだが……。

急に増えたと思わぬか?』


 ラヴェンナは眉をひそめて、腕組みをする。


「そうね。

たしかにおかしいわ。

もしかしてだけど……」


『娘御に思い当たる節があるのかえ?』


 ラヴェンナはあごに指をあてて考えるポーズをとる。


「パパの知識が元ネタだけど……。

前に山が吹き飛んで、今年は冷夏だったのよ。

おかげで不作。

けっこう人間社会は大変みたい」


ともがらの知恵なら信じることあたおう。

この世界のみならず、隣の世界にまで影響したとな?』


「世界を隔てる壁が弱まったからね。

影響を与えやすくなったかも。

しかも隣の世界が、こっちより温暖だと大変よ。

不作どころか凶作になるわ」


 アイテールの目が鋭くなる。


『食うに困った者共が、夢にすがったとな?

迷惑極まりない話ぞ』


「もしかしたらね。

だから坊やも、決して姿を見せてはダメ。

アイテールのように対処しろ……と忠告したほうがいいかも」


 アイテールは再び、ため息をつく。

 そう一筋縄ではいかないようだ。


『そうよのう。

問題は、あの童が素直に聞くか……だ。

人如きに姿を隠すのはなぜか……と不服だったからのう。

怯えたかのように見えるとな。

ひとつ娘御からも忠告してくれまいか』


 ラヴェンナは呆れ顔で、手をふった。


「アイテールでダメなら、私の言葉なんて聞かないと思うわ」


 アイテールの目が細くなる。

 どことなく楽しげだ。


『そうとも限らぬ。

童は娘御を何故なにゆえか気に入っているようだからのう。

まったく悪趣味な童ぞ。

ともがら譲りの二枚舌で、適当に言いくるめて賜れ』


 ラヴェンナは頰を膨らませて、両手を、腰にあてる。


「なんか失礼な物言いだけど……いいわ。

もしものことがあったら、寝覚めが悪いからね」


『それで娘御が尋ねてきた真意はなんぞ。

愚痴でもこぼしたくなったかえ?』


 ラヴェンナは両手をあげて、降参のポーズをとる。


「お見通しかぁ……。

ちょっとね」


『話してみよ。

娘御の愚痴となれば、では解決能あたわぬがな。

聞くことだけはあたうであろう』


 ラヴェンナが天を仰いで大きなため息をつく。


「パパがねぇ。

自分に子供が出来ないこと……薄々感づいているようなの。

ただ私になにも言ってこないからね。

私から教えるのも、おかしな話でしょ?」


『はて? 呪いは消えたと聞いたぞえ。

娘御が気に病むとは、呪いがのこっているのか?』


「ないわ。

悪霊が消滅したことで、別の世界からの力が流れ込まなくなったから……。

呪いそのものが自然消滅したのよ」


『それ以外でなにか、手落ちがあったと?』


 ラヴェンナは大きく肩を落とす。

 いつものおどけた調子はない。


「手落ちというか……。

そのときの力不足ね」


『力不足とな。

神格は高かろう。

それでも足りないと?』


「悪霊が消滅したときに、パパにも霊的な衝撃が及んだでしょ。

私の力が落ちていて、完璧に守り切れなかったのよ。

他の対応で、力を使っていたからね」


『その話は、聞いたのぅ。

たしか昏倒こんとうに及んだが……。

生命は無事であったろうに』


 ラヴェンナは渋い顔で頭をかく。

 


「そうなんだけどね。

魂にヒビが入ったままなのよ。

壊れないようにするのが精一杯。

パパの魂には呪いの鎖がめり込んでいたのよ。

悪霊と呪いが消滅したとき、鎖は消えて魂に隙間が出来る。

そこに力を注ぎ込んで正常な状態にする……はずだったの。

一応注ぎ込んだけど、力が弱くて定着しなかったわ。

だからと定着に力を回したら、衝撃から守り切れない危険があったの」


『それでは守りを優先するしかないのぅ……。

それが原因で、子供が生まれないと?』


「魂の相性もあるけど、隙間があると難しいのよ。

次の生命に、うまく魂をつなぐことが出来ないの」


『それでも生まれる可能性はあるのだろう?

そう悲観することもないだろう』


「仮に生まれても、ほぼ流産ね。

生まれてから新たな魂を安定させるには、相応の強さがいるもの。

あとになって定着しなかったと知って驚いたわ。

でもねぇ……。

あとになって、やっぱりダメでした……なんて言える?

パパは危険なメンヘラ女との戦いで忙しいのに」


 ラヴェンナもクレシダとの戦いが困難だと知っている。

 だからこそ心を乱すようなことが言えないのであった。


『隙間は埋められぬのか?

魂とて自己修復能力はあろうて』


 魂に明確な形があるわけではない。

 それでも魂に傷がつくことはある。

 その場合は時間をかけて修復される。


 魂の傷を自覚することはない。

 ただしなにかの影響は受けやすくなる。

 だからこそラヴェンナは、真剣にアルフレードを危険な魔力から守っているようだ。

 それは回復を待つためではなかった。

 回復しないから守らざるを得ない。


 アイテールはラヴェンナの真意を理解出来た。

 だが……そのような特異な例は知らないのである。


「ところがねぇ……。

パパの魂は別世界由来なのよ。

悪霊が消滅したから、修復するべき力が存在しないの。

だから修復する方法は、ふたつしかないわ」


 アイテールは大きなため息をつく。

 問題の深刻さを痛感したのだ。

 たしかに異世界から釣りあげられた魂なら、異世界の力でないと治せない。

 言われてみれば道理であった。


『父娘双方にとってむごい話よの。

そして方法はあるが、あたわずか』


「ええ。

ひとつめは私の力をわけること。

これは……いろいろあって出来ないのよ。

私の核はパパから生まれたし、異世界の力はまだ持っているわ。

ただ……これをやると、私は消滅してしまうわね。

核を失うか欠けると、神格を維持出来ないもの」


 アイテールは、ラヴェンナが自分の存在惜しさに躊躇ためらうと思っていない。

 自分のことに無頓着なアルフレードの娘なのだ。

 別の理由でやれないのだろう。

 その理由に心当たりがあった。


『娘御がいなくなると、諸々不都合がでるのう。

あの忌々しい魔力を無力化せねばならぬ。

娘御も己の感情で、ともがらを優先出来ぬわけだ。

なによりともがらが、それを望まぬであろう』


 ただ消滅しても、ラヴェンナはまた生まれる。

 完全な集合意識の産物として。

 それは今のラヴェンナでなくなって、冷厳な女神となるだろう。

 アイテールとしては残念な未来となる。

 それ以上にラヴェンナの不在は大きな影響を及ぼしてしまう。

 放送による悪影響を防いでいるからだ。


「パパがラヴェンナの領内に留まれば、折居とバランだけで守れるけどね。

でも敵地で言論戦の真っ最中。

私以外で守るのは無理よ」


『バラン?

嗚呼ああ……あの珍妙に暑苦しい神か。

ここは珍妙な神しかおらぬな。

困ったものだ』


 ラヴェンナは頰を膨らませて、アイテールに指を突きつける。


「私は正統派よ!

あの2柱が異様なだけ。

だから次生まれそうな神はマトモよ」


 アイテールの目が細くなる。


『ほう?

新たな神が誕生するとな』


 ラヴェンナは妙に重々しい表情でうなずく。


「ラヴェンナにいないのは軍神よ。

この枠が空いているからね。

ただ……軍神が生まれる程頻繁に争っていないわ。

生まれるとしても先の話ね」


 ラヴェンナは急成長して、平定までの戦いはあったものの、泥沼の戦いはなかった。

 平定後も戦いはあったが、アルフレードによって短期で解決している。

 軍神が生まれるには、時間と信仰が不足しているのだ。


『マトモであることを願おうか。

どうも一筋縄ではいかぬであろうが。

それで残りのひとつは?』


「パパが死んだときよ。

再度形成しなおせば、ヒビは消えるわ」


 死んでから魂の修復をする。

 その先に起こることはひとつであった。


『それは転生させるのかぇ?』


 ラヴェンナは悪戯っぽく笑う。


「このままだと……パパは異物のまま消滅してしまうもの。

この世界に還れるように、一度だけ特別にさせるつもりよ。

そのくらいはしてもいいでしょ?

功績が大きいからね。

パパは自分のためにやったと言い張るけど、多くの人を救ったのは、事実だもの」


『よいのかぇ?

神としての規範に反すると思うぞ』


 ラヴェンナは悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 実のところ転生は規範にない。

 ただし自分の所に引き寄せるには、相応のつながりが必要となる。

 その条件はクリアしていた。


「パパは創造主だから特別よ。

ただ今度は私がママになるから、もう手助け出来ないけどね。

まぁ……特別ってことで。

せめてもの罪滅ぼしよ」


『だがあのときは、最善を尽くしたのであろう?

ともがらは恨むことなどせぬと思うぞ』


 ラヴェンナは苦笑して首をふる。

 仮に知ったとしても、『そうか』程度しか言わないのはわかっていた。


「パパは基本的に人を責めないもの。

八つ当たりは死んでも出来ないのよ。

不幸中の幸いなのは……。

側室を増やして、後継者を生もうとしないことかな」


『たしかに血の継続には執着しないのぅ。

そもそもなにかに執着する姿が思い浮かばない』


「そうね。

『権力者の執着は、大勢に不幸をもたらす』と信じているからね。

もしかしたら……『子供は不安要素になるからいらない』と考えていそうよ」


 アイテールは大きなため息をつく。


『まるでラヴェンナを作るための、生贄だのぅ』


「そうね。

でもパパは気にしないと思うわ。

大勢の運命を左右するなら、そのくらいは当然だと思っているかも。

まぁ……これから大変よ。

なんだか危険な玩具が出回っているの。

アイテールは知らないでしょ」


 玩具とは聖ひつのとこだが、アイテールにはあずかり知らないことであった。

 元々アイテールは人間社会に関心を持たない。

 持つときは、アルフレードが直接関わるときだけだ。


『存ぜぬな』


 ラヴェンナは渋い顔で腕組みをする。


「まぁ……危険な玩具よ。

パパも知らない、危険な仕掛けがあるはずね。

ものすごく嫌な魔力が感じられるもの。

なにかをねじ曲げるようなよこしまな感じがしたわ」


 これを知らせるのは、制約に反してしまう。

 言いたくても言えないのであった。

 アイテール経由で伝言は出来るが、余程のことがない限り裏道は使わない。

 聖ひつを完全に把握していない以上、この世界の人が作ったものか判断出来ないのであった。

 神といっても、多神教の神は、決して万能ではないのである。

 自己の領域以外に、力が及ばない。


 アイテールの目が鋭くなる。


『それは聞き捨てならんな。

古き娘の差し金であろう。

一度灸を据えたが、まだ懲りぬか?』


 ラヴェンナは、厳しい顔で、首をふった。


「これは本気で警告するけど……。

もうあそこにいかないほうがいいわ」


何故なにゆえぞ。

が後れをとるとでも思うてか?』


 アイテールの声は不機嫌そうだ。

 いくら、ラヴェンナの言葉でも聞き捨てならないのである。


「アイテールの力は知っているわ。

でもね……。

強いからこそ成立する罠があるのよ。

アイテールは人ではないから、気にせず忠告出来るわ。

いくとその強い力が、パパにとって不利に働くの。

どんな罠かまでは詳しくわからないけどね。

あのメンヘラ女まで私の力は及ばないの。

生き方が違いすぎるからね」


 ラヴェンナの力はアルフレードのいる屋敷に及んでいる。

 だからこそあの町に仕掛けられている罠も察知出来た。

 アイテールが人なら忠告は出来ないが、ドラゴンは制約の外。

 神にしては柔軟に裏道をつくのであった。


『ふむ……。

つまりはが現れたから、次も現れると考えたのか。

竜の力を逆用する罠か……。

俄に首肯し難いが、娘御は偽りを申さぬからのぅ。

あの古き娘はつくづく厄介ぞ』


 ラヴェンナは大きなため息をつく。

 クレシダの厄介さを痛感している。

 アルフレード以外なら相手が出来る人はいないとも。


「まぁ……人々の歪んだ妄執が生んだ怪物ね。

下手をすれば、神になっていたほどよ。

なったとしても……無ぼうの邪神だけどね。

個性が捉えられないのよ」


『無ぼうの邪神とはのう。

神格が捉えられないとは……。

ともがらも難儀よの。

それでもともがらが負けるとは思えぬ。

有が無を倒せぬのは、力で打ち勝とうとするからぞ。

そうでなく無を無そのものとすれば、無に為す術はない。

どちらにせよ早く片付けてくれぬものか。

エテルニタと戯れたいものよ』


 ラヴェンナは苦笑する。


「愚痴を聞いてくれたお礼に、今度連れてくるわ。

そうそう……子猫を3匹産んだのよ。

だから連れてくるのは4匹ね」


 アイテールの目が大きく開いた。


『おお……。

おお……。

まことか』


 アイテールの鼻息が荒くなる。

 ラヴェンナは呆れ顔でため息をついた。

 ここには常識的な性格の持ち主がいない。

 人や神、揚げ句、ドラゴンに至るまで……例外なくだ。

 この現実に呆れたのであった。


「アイテールも十分変わっているわよ……」


 アイテールは不満げに鼻を鳴らす。


『戯言を申すな。

あの愛くるしさを理解出来ぬほうがおかしいのだ。

異論は認めぬぞ』

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