902話 知るべきこと
故意に見過ごして攻撃させるか……。
まずは聞いて見ることだな。
「攻撃させたメリットは?」
モルガンは表情を改めた。
いい加減な理由では俺からの評価が落ちる。
俺の好まない進言だけに、明確なメリットを提示する必要を感じているだろう。
「仮に襲撃があれば、人類連合は崩壊します。
クレシダとて、こうなれば維持する大義名分を失い、押しとどめることは不可能かと。
そもそもラヴェンナ卿は人類連合に、期待などしていない。
仮に残留するにしても、大きな譲歩を強いることが出来ます。
離脱しても誰が反対出来ますか?
そもそも魔物への対処ですら、まともに機能していないのです。
せいぜい夢と欲望のたまり場と称していいかと。
捨てても支障ないでしょう」
さすが世界主義出身だ。
このあたりの計算は、自然に出来るのだろう。
なにかを犠牲にして、成果を得る。
慣れ親しんだ思考法だからな。
「離脱ならいくらでも可能ですし、主導権を握るのも簡単です。
メリットとしては非常に弱いと言わざるを得ませんね」
モルガンは涼しい顔をしている。
この程度の浅い提案などしないだろう。
本番はここからだ。
「それ以上のメリットもあります。
『聖
アルカディア自らその事実を示したのですから。
なにか必要になれば、人類連合ではない、新たな枠組みが作れます。
そうすれば、特殊なラヴェンナとしての悪印象は薄れるかと。
より大きな悪が現れたのですから。
しかも新しい組織なら、種籾法などの急進的な法を無効化出来ます。
多くの貴族たちは賛同するでしょう」
新しい枠組みを作れと来たか……。
異常事態を作り出せば可能。
ただ種籾法を出世の道具として賛成している勢力が存在する。
新しい枠組みとなれば、種籾法の継続を求めるだろう。
「そう簡単に、破棄など出来ないと思いますよ。
賛成派もいますし、貧民救済として暴動の抑止にはなっていますから」
モルガンは小さく肩をすくめる。
「破棄に反対する者たちを黙らせるのは簡単です。
積極的に賛成したのはサロモン殿下でしょう。
すべての失敗を、殿下に押しつければよろしい。
『魔物の侵攻は、聖
そこで『その首魁たるサロモン殿下が賛成した案を継続するのか?』と一蹴すればよいのです。
言い掛かりだとしても、アルカディアの支離滅裂な弁明のあとでは、反論に耳を傾ける者はいない。
アルカディアは狂っている……とラヴェンナ卿は放送で示したでしょう。
すくなくとも民衆はそう受け取りました。
本来ならアルカディアとそれ以外は別の存在です。
でも聖
サロモン殿下の煮え切らない態度が、それを助長するでしょう」
モルガンは俺の反応を伺うような様子だ。
「続けてください」
「なにより皆は不安から犯人を求めている。
『危険な聖
途中で言い掛かりだと気付いたときは時既に遅し。
共犯になっており、聖
「種籾法は、サロモン殿下が『世界を支配するための人気取り政策にすぎなかった』とするわけですね。
聖
メディアが好む穴だらけの理屈ですが……。
信じたがる人には、筋の通った話に思える。
たしかに成功する可能性は高いでしょうね」
口でそう言ったものの、この策は失敗するだろう。
成功は短い夢に終わり、悲惨な現実が待つことになる。
そもそもとして……。
すべてが終わったあとで、ラヴェンナがでっち上げの主犯として、袋叩きにされる可能性だってある。
だが……途中で話を遮って反対するのはよくない。
まずはモルガンの提案をすべて聞いてからだ。
モルガンは満足気にうなずいた。
「新たな枠組みは、国力を比較してランゴバルド王国が主導する形にすればよろしい。
ラヴェンナ卿は一歩引いて、ニコデモ陛下にその舵取りを譲る。
陛下の権威は大きくなり、政権はより安定するでしょう。
これはランゴバルド王家に対して、大きな貸しとなる。
ある程度ですが……
それでもなにかいう連中はいるでしょうが……。
『疑う者たちはラヴェンナ卿以上の貢献をしたのか?』と一喝すれば、連中を黙らせることが出来るでしょう。
外交的に大きな果実と言って差し障りないかと」
故意に襲撃を見過ごせ、と進言するだけの根拠はあるな。
だが一見メリットの大きいこの策は、クレシダにとって絶好の機会となる。
くだらない三文芝居を見せられた……と憤慨するだろう。
この時点で、クレシダに最悪の手段をとられては、如何ともし難い状況になるだろう。
それを現時点でモルガンに説明する気はない。
内心信用してよいと思っているが……。
俺がモルガンを完全に信用する態度を見せては、いろいろと不味い事態になる。
まず皆が不満に思うだろう。
俺からの信頼が、皆の誇りになっているからな。
ラヴェンナ市民権と同様だ。
いきなり与えては、モルガンへの反感が余計増してしまう。
間近でモルガンを見れば納得出来るかもしれない。
だが大多数は話で聞くだけなのだ。
理屈で納得するには、人は感情の生き物で社会的すぎる。
突然異端者を抜擢しては、負の感情が湧き起こり、社会秩序が乱されたと感じるだろう。
だから周囲にある程度の根拠を示すことが必要だ。
これは秩序を乱した抜擢ではないと……。
才知に相応しい権限を……これは正しい。
正しいことなら即時実行していいのか?
生死の瀬戸際なら飲み込むだろう。
だが……余裕のあるときは?
実際の余裕は関係ない。
自分がそう思うか……それがすべてだ。
無理な抜擢をした逸材は、ひとつのミスで引きずり下ろされるだろう。
逸材ひとりで、すべてをなし得ない。
部下にまでそっぽを向かれては?
周囲の悪感情を悟ると、協力は及び腰になる。
そうすればミスや失敗は確定だ。
結局誰の得にもならない。
引きずり下ろした側は満足するだろうが、感情的な利益だけだ。
現実はただただ不毛なだけ。
思わずモルガンの処遇を考えてしまった。
モルガンは俺が進言を検討していると思ったようだが……。
その誤解を訂正する必要はないな。
「やはり……襲撃を誘発させるわけにはいきませんね」
モルガンが眉をひそめる。
「これだけのメリットを上回るデメリットがあるのですか?」
「まずルルーシュ殿の忠告に従ったとします。
そうなると最大の受益者は私です。
つまり私が故意に見逃したと、噂を広められるでしょう。
そうなってはラヴェンナの統治上、大きなマイナスとなります。
市民ひとりを守るために総力を尽くすのが、ラヴェンナの理念ですからね」
モルガンは怪訝な顔をする。
「『言い掛かりだ』と一蹴出来るのではありませんか?
理念はわかりますが、脇に置いて成果を求めるときもあるかと。
ラヴェンナの地位は不安定なのですから。
地位の向上を優先するべきでは?
故意に惚けたか?
難しいことくらい知っているはずだ。
「私が凡人との評判が定着していれば可能です。
魔王呼ばわりされた揚げ句、今度は救世主ですよ。
私なら予測して当然だと思われるでしょう。
過去に策で相手を、自滅に追い込んでいたのですからね。
説得力は強いでしょう」
モルガンは小さく嘆息する。
やや芝居がかっているな。
「ラヴェンナの理念に傷がつくのは許容出来ない。
そう
「好き嫌いの問題ではないのです。
他人がどう思っても然程重要ではありません。
ただラヴェンナ市民からの信頼を失うのは最悪手です。
多種族が共存するには、理念は必要不可欠。
信仰や共通の慣習を使えないのですからね」
モルガンは意味深な笑みを浮かべる。
「なるほど……。
これだけは守らないといけないわけですか。
それによって滅びの危険を招くとしたら……どうなさいますか?」
極論だが、俺の意志を確認しているわけだ。
まだ納得しきっていないな。
「簡単ですよ。
理念を捨てて、ただラヴェンナという名前だけを守るくらいなら……いっそ滅ぶべきです。
社会制度にも寿命が存在しますからね。
それは理念が現実と
ならば現実に即した新しい理念で社会を作ればいい。
そうではありませんか?」
モルガンの目が点になる。
すぐ小さく首をふった。
このような返事を予期していなかったようだ。
「いままでラヴェンナ卿は常識外なまでに人命を重視されてきました。
それとは矛盾しませんか?」
言い方が悪かったようだ。
滅ぶ意味を誤解させてしまったな。
「滅ぶのは政体であって人々ではありません。
政体は服ですからね。
体に合わなくなったなら合う服を着ればいい。
それだけですよ」
「なるほど……。
では理念を守ることに固執される理由は如何に?
統治機構なくしては、人々の生活は守れません。
理念とは
必要なときだけ掲げればよろしいかと。
多数の幸福のため、少数の犠牲を甘受するのが統治の要諦かと愚考します」
それは従来の政体なら正しい。
だが土台から築き上げたラヴェンナでは、理念がなにより重要になる。
その認識は外部にいたモルガンにはわからないだろう。
理念が必要と言っても建前程度の認識のようだからな。
「少数の犠牲を安易に決めるのは、ただの甘えです。
たしかに効率的ですが……。
大概の犠牲は効率に隠れた悪でしょう。
そしてなによりルルーシュ殿は、ひとつ失念していることがあります」
モルガンは怪訝な顔になる。
自分の考えで抜けている部分があるとは思わなかったのだろう。
「失念……ですか?
是非ご教示いただきたく」
「従来の制度で居場所のなかった人たちの集まりがラヴェンナです。
言うなれば甘受された犠牲の集合体。
このような論理には敏感だと思いませんか?
彼らを
建前では済まないのですよ。
だからこそ多少回り道でも、効率化に潜む悪を避けることが肝要。
その前提が共有されてこそ、避けようがない犠牲を私の責任で決断出来ます」
モルガンは表情を消して考え込む。
納得顔でうなずいて一礼した。
「そのようにお考えなら、私の判断を超える話です。
不可能と思われた事業を成し遂げたラヴェンナ卿は違いますね。
以後このような進言は控えるとしましょう」
それはそれで困るな。
「いえ。
その配慮は不要です。
ルルーシュ殿の忠告に従うときもありますからね。
異なる視点は大事にすべきでしょう」
モルガンは
「それは有り難い話ですが……。
異なる視点を本気で尊重する権力者は、ラヴェンナ卿がはじめてです。
多くの権力者は 公正に見える程度しか必要としません。
ただのパフォーマンスとしての必要性です。
真意をご教示いただけませんか?」
「バランス感覚が大切と言ったことは覚えていますか?」
「それがすべてと
「バランスをとるなら異なる視点が必要になります。
似通った意見ばかりでは、時間と共に一方に偏りますよ。
自覚のないままにね」
モルガンは納得した顔でうなずく。
今後どうすべきかを考えるために、俺の見解を知りたかったようだな。
「なるほど。
その話につながりますか。
ラヴェンナ卿のお話は単独で存在しないから油断なりませんよ。
異なる視点を比較して、中庸をとるのが肝要と」
モルガンほどの見識でも、その罠に陥るか……。
どっちつかずほど不毛なものはない。
比較検討した結果でなく、とにかくどっちつかずを目指してしまう。
「バランス感覚と聞けば、とにかく中心を保つのがよいと思いがちですが……。
違います。
偏ることが正解のときもあるでしょう。
なんでも中心とは思考停止に他なりません。
いたずらに中心を保てば、双方にとって不満が残るでしょう。
これは妥協の産物で、不毛に他なりません。
さらにこれが絶対的な正義……とされては最悪です。
どれだけ素晴らしい案でも偏ったと思われたら?
バランスをとると称して……強制的に不毛な案へと変えてしまうのですからね。
善意と良識が招く最悪の結末ですよ」
モルガンの目が鋭くなる。
「バランスとは盲目的に中央に立つわけではないと。
私が下手に丸くなっては、かえってお役に立てないというわけですか」
「そうですね。
長所を伸ばして短所を消すなんて実際は不可能です。
それより長所を伸ばして、短所のマイナスを甘受するべきでしょう。
ただ……長所ばかりに注力しすぎると、短所が無視出来なくなる。
そこだけは留意すべきですね」
「私にも関係するのでしょう。
どのように心すべきですか?」
「そう難しい話ではありません。
人格に問題があって、才能がある人を重用したとします。
伸ばすために権限を強化するでしょう。
そうなると多くの人はその人格に耐えなくてはいけなくなる。
才能ある人はよくても、それ以外の不満が爆発してはマイナスが無視出来ない。
ここまでは用いる側の注意点です。
用いられる側も、長所を伸ばすため出世させろと過度に要求すべきではない。
マイナスがどこまで広がるか、それを計るべきでしょう」
モルガンは苦笑して一礼した。
「理解しました。
ただ顧問としては、進言が却下されたから……と終わりにするわけにはいきません。
ここからが腕の見せ所です」
「別の案がありますか?」
「ラヴェンナ卿の意向に従って、襲撃を阻止する方策です。
目に見えて、警備を厳しくしつつ……。
『殿下の家臣が暴発して、ラヴェンナ卿の家臣を狙っているらしい』
との噂を流す。
如何でしょうか。
サン=サーンスは私が寝返ったことを、もう知っているはずです。
自分の考えていることを先取りされたと思えば、私の存在が頭から離れないでしょう。
今頃怒りと疑心暗鬼の虜となっています。
他にも裏切り者がいるのでは……と動けなくなるかと」
即座に俺の意向に従った進言をして来たか。
用いられない可能性を認識しつつ、あえて進言したようだ。
俺の考えを知るためもあるだろうな。
「わかりました。
それでいきましょう。
しかし……。
サン=サーンス殿は聖
随分頼もしい助っ人ですね」
モルガンが苦笑する。
「ラヴェンナ卿は聖
助っ人たり得ないとお考えですか?
ホムンクルスを潤沢に使用出来る限り、役に立つと思いますが」
それすら保証の限りではない。
「果たしてそうでしょうか?
封印していたのです。
もしかしたら緊急時の切り札だったかもしれません。
いずれにせよ、情報が足りませんね。
なにより魔物の侵攻で、強制的に聖
その結果を見定めてからですね」
モルガンは腕組みをして考え込む。
「たしかにホムンクルスの素材を、しきりに要求されましたね。
取得してからも……。
いえ。
取得してから要求がより強くなりました。
ホムンクルスの予備だけではないでしょう。
聖
それはご存じで?」
「それは既に予測済みです。
だから素材の流通を滞らせました。
これだけで動揺するほど、聖
それでも動くには、知るべきことが三つ残っています」
魔物の侵攻で、ふたつほど知ることが出来るのは幸いだ。
「三つですか?」
まずひとつめは、魔物の侵攻で明らかになる。
問題があれば、情報を
「ひとつは聖
あまりに連続で稼働すると、なにか弊害が起こるのかもしれません」
モルガンは怪訝な顔をする。
俺がなにを言っているか理解しかねたようだ。
「なぜそのようにお考えで?」
この世界の原理だ。
使徒でさえこの法則から逃れられない。
ただ聖
それでも大きな影響はあるだろう。
「この世界の魔法は、体内魔力と体外魔力が反応して成立します。
聖
つまりは……使徒の罰のような現象が起こるのではないか?
規模は小さくとも、なんらかの異変が起こっても不思議ではない。
そう思いませんか?
もしくは聖
見定める価値はあります」
モルガンの目が点になる。
そして天を仰ぎ、嘆息する。
「そこまで考えたことはありませんね。
そのような弊害が起これば、無理に討伐せずとも自滅します。
下手に討伐隊を送り込もうなら、巻き込まれると……。
他には?」
「ふたつめは……魔物がなにものかに指示されて、聖
聖
これは道中の被害状況が判明するまでは、仮説にもなりませんが……」
「そうなると、再び魔物が襲ってくる可能性もあるわけですか」
「魔物がまた沸けばですね」
モルガンは珍しく、前のめりになる。
興味を引いたらしい。
「これはこれで由々しき問題ですね。
魔物が沸き続ける限り、聖
三つめは?」
マンリオから聖
聖
箱そのものが危険なのだ。
「聖
『人が直接触れようと手を伸ばしたところ、消し炭になった』との噂がありますよね?」
モルガンは微妙な表情でうなずく。
「嘘か誠かは不明ですが。
ラヴェンナ卿は真実だと?」
「盗っ人避けに嘘を流した、とも考えられますが……どうでしょうね。
悪魔の地の特性があるでしょう。
ホムンクルスでのみ操作可能な現実を考えると、まるっきり嘘と言えない気がします。
そのような危険な聖
短期的には問題なくても、長期的にはどうか……」
モルガンが目を丸くする。
「まさか……聖
「可能性はあります。
これらの謎を解明しないと、恐ろしくて動けないのですよ」
「では様子見に徹しますか?」
迂闊に手をだすと危険だ。
最悪六つの地域が呪われてしまう。
俺にはどうしようもないが。
「それでいいと思います。
恐らくモロー殿が、聖
うまくいけば、聖
モルガンが意味深な笑みを浮かべる。
「あの男は、3度の食事より陰謀が好きですからね。
さぞかし張り切っているでしょう。
あの男は非常にプライドが高いので、ラヴェンナ卿を見返さないと、夜も眠れないと思います」
モデストが珍しくため息をつく。
「まったく……。
身の程知らずにも程がある」
陰謀特化型でその実力はたしかだ。
まあ……調子にのって自滅する癖はあるが。
完璧な人などこの世にいない。
もしそうなら、完全な円だ。
個性も人格も感じられないだろう。
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