896話 意趣返し

 ベンジャミンが驚いた顔をする。


「禁じ手ですか?」


 ベンジャミンの視線に、マウリツィオは首をふる。


「小生も存じあげませんな。

どのような卑劣な手段を講じるのですか?

それがわかっているなら対策出来るやもしれません」


 これの対策は、極めて難しい。

 しかも対策を誤ると、致命傷になり得る。

 ただし使う側も、只では済まない。

 この後遺症を払拭ふっしょくするには、10年以上かかるだろう。

 諸刃の剣だ。


「簡単です。

護衛に関係した仕事以外でも、故意に失敗すればいいのです。

そこに同僚の存在を匂わせたら?

職員は悪質な足引っ張りを旧ギルドで散々見てきたでしょう。

ここまで酷いものではありませんがね。

訴えてもコネが弱ければもみ消される。

新ギルドだからない……と信じ切れるでしょうか?

依頼主から失望され、ギルド内部に疑心暗鬼の種をまく。

ただ……これが発覚すると、いくら旧ギルドでも致命傷になります。

以前のサボタージュで、瀕死ひんしになりましたからね。

乗り切れる余裕はないでしょう」


 ただ……俺を倒せば別の展望が開ける。

 改名し新しい組織として出発すればいい。

 当然、一部幹部は生け贄にされるが……。

 ライバルは不在となるのだ。

 時間が解決するだろう。

 表向きは……だが。


 マウリツィオは表情を歪める。

 掲げる理念を、根底から覆す禁じ手だからだ。


「痛いところを指摘されますね。

冒険者が自ら失敗する前提はありません。

旧ギルドはそこまで追い込まれたと……。

承知しました。

小生のほうでも、目を光らせるとしましょう」


 旧ギルドは実行者に口の堅い冒険者を選ぶだろう。

 だが……新しいパーティーを組むのが困難になる。

 報酬を払いたくないから、故意に失敗させる疑念が湧きあがるのだ。

 この精神を摩耗させる日常に耐えられるだろうか。

 まずいない。

 誰かに白状しかねないだろう。

 そうなれば人の口に戸は立てられない。

 だが将来の話だ。


 これは目を光らせたとしても、どうにかなる話ではない。

 俺が説明したのは別の目的があるからだ。

 ベンジャミンは納得顔でうなずいた。


「これを私に聞かせたとは……。

教皇庁でも同胞に、情報収集をさせよとのことですか」


 石版の民の用心深さは世界一だ。

 各地に多くの石版の民が、身分を隠して潜り込んでいる。

 必要なときに動かすため……潜在的な間諜かんちょうだ。

 それを活用してもらいたい。


 教皇庁にいるとは聞いていないが、いないとも聞いていない。

 だが……用心深さを考えれば、一定数は潜り込んでいるはずだ。

 辺境にだけ潜り込ませているなど有り得ない。


 ベンジャミンが驚かなかったのは、俺ならそう読むと考えていたからだろう。


「そうしてくれると助かります。

私への報告は後回しでいいので、新ギルドへの連携を最優先で」


 正攻法で叩き潰す武器をマウリツィオに渡すためだ。

 あれだけ歴史があって巨大な組織を倒すのは、正攻法でいく必要があるからな。

 誰しもが理解しなくては、新ギルドが勝者たり得ない。


「承知しました。

同胞も幾人かは、教皇庁で商売をしております。

今までは発覚すると危険なので、ただ生活しているだけでしたが……。

活用するとしましょう。

もしや同胞を教皇庁に送り込む話は……これを期待してのことですか?」


 ベンジャミンの怪訝な表情に、俺は笑って肩をすくめる。


「ええ。

見慣れない石版の民が、教皇庁に大勢押しかけるのです。

そうなれば余所者を警戒して、顔なじみにはいつもより口が軽くなるでしょう。

なにかと活動しやすいと思います」


 ベンジャミンは天を仰いで嘆息する。


「やはり……。

ラヴェンナ卿の味方について正解でした。

敵に回したら、勝ち目がありません」


 マウリツィオは、力強くうなずく。


「同感です。

それにしても依頼を受けておいて、自ら失敗とは……。

今後も対策すべきでしょうな」


 それは悪手だ。

 ひとつだけ、覚悟を強いることになるが……。

 対策はひとつだ。


「いえ。

今は新ギルドを定着させる過渡期です。

故意に失敗する前提は不要でしょう。

皆を納得させるほどの先例が積み重なってからですね。

重ならないに越したことはありませんが。

皆は内容に大差なければ、歴史ある旧ギルドを選びます。

それこそ旧ギルドの思うつぼですよ」


 マウリツィオは照れた顔で、頭をかいた。

 俺に『それを防止せよ』と言われなくて安堵あんどしたのだろう。

 芸のない対応だが、芸がないからこそ、信用につながる。


「小生としたことがいておりました。

依頼を受けたなら、誠心誠意達成を目指すのが本筋でしょう。

まったくもってけしからん」


 マウリツィオの憤慨はもっともだな。

 ただ相手は違うのだ。


「それが真っ当な考え方です。

だからこそ……ポンピドゥ一族は、巧みに利用出来たのでしょう。

小賢こざかしい人は、人の善意や良識をしゃぶり尽くして、自己利益の実現と保身を図ります。

だからと安易に排除しては、善意や良識が死んでしまう。

それを知り尽くして隠れ蓑にするわけです。

実に効率的ですよ」


 マウリツィオは腕組みをして、眉をひそめる。


「良識があるからこそ、社会が円滑に回るのですがね……。

たしかに旧ギルドの規律は、基本性善説で成り立っています。

だからこそポンピドゥめらが跋扈するわけです。

困ったことに……。

連中の間ですら競争があって、よりさかしくなっていく。

取り締まるには、原則固守を掲げないといけませんでした」


 ポンピドゥ一族が中心をしめた段階で、衰退は確定している。

 マウリツィオが原則の鬼になった一因かもしれないな。

 組織が末期状態になれば、清廉潔白な人が自然と権威になる。

 健全であれば、清廉潔白なだけだと有名にはならないからな。

 末期であればこそ、まともに名声を博す手段が清廉潔白しかなくなる。


 さらに問題なのは……清廉潔白で実力を兼ね備える例は稀だ。

 マウリツィオはゴーレムと呼ばれたが、実力を兼ね備えた希有な存在だろう。


 並の清廉潔白な人材は、原則ばかりが先行して実現力に乏しい。

 しかも周囲との摩擦が増えるばかりだ。

 結果、貪婪どんらんな連中に失脚させられる。

 こうなっては手の施しようがないだろう。

 


「あの手の人たちは、目先の利益が最重要ですからね。

今更地道な生き方など出来ません。

相手を利用することが前提です。

騙されるほうが悪いと言いつつ……自分が騙されると我慢出来ない。

困った価値観の持ち主ですね」


 マウリツィオが苦笑しつつ、ため息をつく。


「たしかに……。

連中は表向き下手にでるようで、かなりプライドが高い。

組織に巣くう寄生虫の分際でなんだ……と憤慨したものです」


「認められたい願望が強いと思いますよ。

だからこそ効率にこだわる。

彼らにとっては、他人を利用し、都合が悪い相手の足を引っ張ること。

地位権力に固執するのは、が世間一般には認められないことを知っているが故です。

だから客観的な指標となる地位権力が欲しい。

それだけ欲求が強いからこそ……。

騙されては、人より強い欲求が損なわれる。

だからこそ我慢出来ないのでしょう。

欲張りほど、自分がすこしでも損をすると怒り狂うでしょう?」


 マウリツィオは力なく笑う。


「まるで別の生き物のようですなぁ……」


「いえ。

同じ人間ですよ。

嗜欲喜怒しよくきどは賢愚皆同じ。

賢者はよく、これを節して、度を過ぎしめず。

愚者はこれを、ほしいままにして、多く所を失うに至る。

この違いが……別の生き物だ……と錯覚させるだけです」


 ベンジャミンは妙に感心した顔で、ひげをしごく。


「祖先の知恵に似たような言葉があります。

『酒と女は、聡明そうめいな者の思慮を奪い、娼婦に溺れる者は、ますます向こう見ずな人間となる。

腐敗とうじ虫が、彼を嗣業しぎょうとし、彼はより大きな恥のうちに身をさらす』

節制を知らない者は愚かと見なす。

これは民族を問わない真理かもしれません」


 嗣業しぎょうか……。

 教会用語だが出所は、石版の民か。

 たしか、神から受け継いだ賜物だったな。

 腐敗とうじ虫への賜り物とは、皮肉が効いている。


 そもそも尊敬される人は、民族を問わないだろう。

 多くの共通項がある。

 そうでないと俺は、とっくに失敗していたさ。


「それだけ人は変わらないのでしょう。

話を戻します。

旧ギルドは総力をあげてきますよ」


 マウリツィオが額に手をあてる。


「その能力を、なぜ真っ当に使わないのか……。

ラヴェンナ卿のお話では、彼奴あいつらは窮鼠きゅうそと化しているようですな。

後先を考えることがないのは、極めて厄介ですぞ」


 たしかに窮鼠きゅうそだな。

 すでに暴発している。

 これを倒すだけなら簡単だが、どれだけ此方こちらの出血を減らすか。

 思案のしどころだな。


「まあ……建設的な能力ではありません。

彼らも必死なのです。

警戒して、しかるべきでしょう。

ポンピドゥ一族は、内々で権力を保持し続け、しかも失わずに生き延び続けた。

それには敵を団結させないことがなにより肝心です。

つまり内部攪乱はお手の物だと思いますよ」


 マウリツィオが厳しい表情でアゴに手をあてる。


「その方面では、極めて優秀であると……。

たしかに小生が登用した者たちは、その手の汚い駆け引きには疎かった者ばかりです。

誠実に仕事をすれば報われると考えている。

だからこそ旧ギルド在籍時は、貧乏くじを引かされてばかりだったのですが……。

これは由々しき問題ですぞ」


 心配しなくても大丈夫だから……では乱暴すぎるな。

 すべてを話す必要はないが、最低限俺の見通しは伝えておこう。


「彼らの心理状態を考えましょうか。

窮鼠きゅうそ状態でも勝算ありと考える。

最初は石版の民を予期しておらず、新ギルドで対処すると考えるでしょう。

ところが石版の民の登場に、大きく動揺するでしょう。

石版の民を、調略するのは困難ですからね」


 ベンジャミンは苦笑する。


「不可能でしょう。

ラヴェンナ卿程度に、我々のことを理解しない限りは」


 未来はわからないが、現時点では不可能だろうな。


「でも新ギルドが支援するとなれば……勝算ありと、希望に飛びつくでしょう。

一度失われかけた希望は、大変まばゆいでしょうね。

まばゆすぎて、傷があっても気が付きませんよ」


「ラヴェンナ卿の手腕を疑うわけではありませんが……。

遠い教皇庁に手を伸ばして、彼らを踊らせるのですか?

ラヴェンナ卿が手練れと目するポンピドゥ一族を、相手にですぞ。

連中のしぶとさは、スライムの非ではありません。

ラヴェンナ卿が教皇庁に赴かれるなら、壊滅は容易でしょうが……」


 手練れだからこそ通じる手がある。

 賢いと自認するものは、自分の影に怯えるものだからな。

 それと……この方法でないと、旧ギルドに巣くう腫瘍が飛び散ってしまう。

 連中は逃げ足が速いのだ。

 逃げても間に合わないほどに引き付ける必要がある。


「危険がゼロではありません。

ですが危険を冒すだけの価値はあります。

そもそも罠とは、相手に勝機を与えないと罠たり得ません。

新ギルドは少数の冒険者が内通しても、例外として冒険者を信じる態度は崩さない。

さて……終わったあと、どうなりますかね。

呼び名に新旧をつけなくて、よくなりますよ」


 マウリツィオは嘆息して首をふる。


「たしかに勝てば、大勢は決します。

ただどのようにやるか……。

想像出来ません」


 今詳細を明かすつもりはない。

 わずかでも気配を漏らせば、クレシダが俺の失点だとして、邪魔をしてくる。

 採点役がいるから、すべてを共有したくても出来ない。


「そこは見ていてください。

あまり好きな表現ではありませんが……。

悪いようにはしません。

その場にいないからこそ使える手がありましてね。

時間をすこし稼ぎたいので、石版の民に協力をお願いしたいのです」


 ベンジャミンは楽しげに一礼する。


「なんなりと」


「『旧ギルドはギルドマスターを更迭するらしい』と教皇庁で噂を流してください」


 ベンジャミンは眉をひそめた。


「異存はありませんが……。

悟られては逃げられる。

だからなにもしないのでは?」


「それは聖下せいかに対する計画ですね。

これは今回の話とは無関係です」


「ふむ……。

これで旧ギルドの足が止まるのですか?」


「ほぼ確実に」


 マウリツィオが怪訝な顔で腕組みをする。


「はて……。

内々で決まっていることが噂になっただけでしょう?」


「まず彼らは自分の影に怯えます。

いつものように安全地帯から攻撃しているわけではありませんからね。

普段安全な場所にいて、いきなり危険な場所に放りだされると人はどうなるか……」


 マウリツィオは不思議そうな顔をしている。

 俺の真意がまだわからないようだ。

 しかもマウリツィオは豪胆だ。

 豪胆な人間が臆病な人間を理解することは難しい。


「不安に駆られるでしょうなぁ……」


「その不安が問題です。

戦場にたとえましょう。

稽古では無敗の自信満々な男がいました。

『戦争などなにするものぞ。

敵を数多討ち取って武名を高めん』

などと意気揚々だったのですが……。

実際の戦場は想定していたものと違いました。

血の匂いが立ちこめ、死体が転がっている。

予想だにしない死が隣にいる……と自覚します。

さて……どのような不安に駆られますか?」


「頭が真っ白になって立ち尽くす……でしょうか」


「そこで我に返ったあとの不安です。

『すべての矢は自分に向けられ、すべての剣も自分に向けられる』

このような恐怖に支配されます」


 ベンジャミンはニヤリと笑う。

 どうやら理解してくれたようだ。


「なるほど……。

なにげない噂でも発覚したのではないか、と恐れるわけですか。

すべての陰謀は自分に向けられると思うなら、風がなびいても驚くでしょう。

噂の出所を必死に調べる。

その間は動くに動けないわけですか」


「ご名答。

恐らく関係者がうっかり漏らしたと判断するでしょう。

そして情報漏洩が起こらないよう、必死にテコ入れをします。

これで十分時間が稼げますよ」


 マウリツィオは大きなため息をつく。


「これは恐れ入りました。

よくそのような心理までご存じですね……」


「自慢出来る話ではありません。

私が人一倍臆病だからですよ」


「とてもそうは思えませんよ」


 俺は笑って手をふった。


「その場から逃げても、さらに悲惨な未来が待っているからですよ。

ならば……すこしでもマシなほうに逃げるでしょう?」


 マウリツィオが呆れ顔で首をふる。


「それは臆病とは言いません……と言いたいところですが……。

ラヴェンナ卿の視野は我々凡人と違いますからなぁ」


 ベンジャミンはなにか悟ったような顔で、マウリツィオに笑いかける。


「蛮勇を誇る猛獣は魔王たり得ませんよ。

もしラヴェンナ卿の力量を目の当たりにすれば、同胞も一目置くでしょう。

噂には知っていますが、直接見たとなれば衝撃は大きいかと。

そうすれば、私もなにかとやりやすくなります。

ここはラヴェンナ卿を信じて、我らはなすべきことをしようではありませんか。

罠にかかったように見せて、対応に最善を尽くすことになるでしょう。

先回りして罠をつぶしては逃げられてしまいますからね」


 マウリツィオは渋い顔で頭をかいた。

 内心あまり乗り気ではないようだ。

 無理もないな。

 マウリツィオはこのような駆け引きが、苦手なタイプだ。

 俺以上に、ギャンブルは苦手なのだろう。


「それしかないようですね。

普通このようなお話は受け入れられないのですが……。

ラヴェンナ卿の手腕であれば信じざるを得ません。

ですが……生きた心地がしませんぞ。

聖下せいかの安全と、ギルドの未来がかかっているのですからね」


 ベンジャミンは大袈裟に驚いた顔をする。

 生きた心地がしないと言っていたな。


「それは奇遇です。

失敗したときを考えると……、私も生きた心地がしませんよ。

ただラヴェンナ卿は、不世出の勝負師です。

それでいて賭けはお嫌いなようですが」


 嫌いだよ。

 俺は臆病者だからな。


「嫌いですよ。

ただ……必要なら逃げません。

先ほども言いましたが……。

逃げたあとが怖いですからね。

いち私人ならとっとと逃げていますよ」


 ベンジャミンは意味ありげな笑みを浮かべてうなずいた。


「だからこそ多少は安心して、ラヴェンナ卿に賭けることが出来ます。

勝負に溺れることがありませんから。

しかも危険な賭けに乗せられた仲間が出来たのです。

多少なりとも慰めになりますよ。

ただ……」


 なんだろう。

 凄く嫌な予感がする。


「なにか心配がありますか?」


 ベンジャミンは初めて見るような悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「いえ。

もしラヴェンナ卿の出場する自走トロッコレースであれば、決してラヴェンナ卿に賭けません。

壁に激突しますからね」


 昔の話だ! 忘れろよ!

 マウリツィオとベンジャミンが大笑いする。

 賭けに引きずり込まれた意趣返しらしい……。

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