894話 無能の定義
ベンジャミンとの会話が一段落したので、マウリツィオを呼んでもらう。
すぐに、マウリツィオはやって来た。
ベンジャミンとは初顔合わせだろう。
マウリツィオは一礼して、ベンジャミンの隣に座った。
「ベンジャミン殿。
紹介します。
冒険者ギルドの顧問をされているマウリツィオ・ヴィガーノ殿。
ギルドの実質的トップです」
ベンジャミンは礼儀正しく一礼する。
「お初にお目にかかります。
石版の民のベンジャミン・シャムライと申します。
以後よしなに」
マウリツィオも礼儀多々しく一礼した。
「これはご丁寧に。
ご紹介にあずかりましたマウリツィオ・ヴィガーノです。
引き合わせた理由を説明しよう。
「ここでおふたりを引き合わせたのは、理由があります。
これは
ここでの退位は現世からも退位することを意味している。
生かしておいては、危険すぎる相手なのだ。
マウリツィオは苦笑して肩をゆらす。
「大それた話ですなぁ……。
相応の動機があるのでしょう。
それは判明しているのですか?」
「先日、シスター・セラフィーヌが、アルカディアの蛮行に対する非難宣言をされたでしょう?」
「されましたな。
アルカディアと名指しこそしていませんでしたが」
「動機は宣言の撤回だろう……とのことです。
あの宣言から動きが活発になったそうですから」
マウリツィオが怪訝な顔をする。
「となると陰謀を巡らせたのはアルカディアで?
いかにも短絡的で、
ただ短絡的すぎて、逆に不自然ですなぁ」
マウリツィオの疑念は正しい。
アルカディアがその気なら、聖
連中に心理的障壁などない。
異端とも言える女教皇より、使徒に選ばれた自分たちが上位と考えるだろう。
ここで選んだのは偽でもいい。
偽に選ばれたなら、本物にも選ばれる……と願望の翼で論理が飛躍する。
願望は連中にとって真実になるからな。
そして上位者は下位者にどのようなことをしてもいい。
これがアルカディアの道徳だ。
それが出来ないのはなぜか?
たどり着けそうにないか、クレシダが許可しなかったか。
他にも可能性はあるが、いずれにせよ弁明を選択したのだ。
教皇庁への攻撃は出来なかった……と考えるべきだ。
「普通ならそう考えるでしょう。
ですが……違うようです。
撤回は表向きの動機でしょう。
教会内の反教皇派と旧冒険者ギルトが結託しているようですから。
今実行すれば、犯人はアルカディアだと皆が思います。
アルカディアが
計画自体は以前から進行していたと思います。
犯人としてはこれ以上ない適役が現れました。
罪を着せるなら、アルカディアが滅ぼされる前こそ最善です」
ジャンヌは世界主義の一掃も企図している。
俺だけを敵視していたところにジャンヌが危険であると認識した。
まずは倒しやすいほうから倒そう……と考えたのだろう。
そして聖
あれだけの蛮行で、しかも弁明があれだ。
同類と思われては、世界の敵となってしまう。
まとめて邪魔者を始末出来れば万々歳。
魔物の大侵攻に対応すべく、ジャンヌの身辺警護を担当する使徒騎士団は不在なのだ。
今が絶好の機会と考えたろう。
そして最後は俺に責任をなすり付ければいい。
アルカディアを凶行に追い込んだ道義的責任があるとしてな。
なかなかよく考えたシナリオだよ。
まあ……どのような計画も実行する前から失敗はしない……ことを除外すればな。
マウリツィオが突然笑いだした。
「これは失礼。
それでも助力が必要で?」
腕っ節の強さはいまだ健在なのか。
70過ぎだぞ?
使徒じゃあるまいに……。
ひとりで対処出来ないだろう。
「いくら鉄の聖女でも人間ですよ。
戦場ではないのですから」
マウリツィオは意味深な笑みを浮かべた。
「ラヴェンナ卿と同じで、ただの老人だと思ってはいけません。
日々鍛錬は欠かしていないので、短時間ですが40代後半の動きは出来ますよ」
待てよ。
なにか聞き捨てならない言葉が混じっていたぞ。
ベンジャミンが薄情にも吹きだしそうになる。
俺が一瞥すると真面目腐った顔をしたが……。
目が笑っている。
まったく、どいつもこいつも……。
「
人間扱いされても老人とはあんまりですよ。
まあいいでしょう。
他の人たちまで害が及ぶことを、
マウリツィオは苦笑して肩をすくめた。
「これはしたり。
たしかに卑劣な行為も躊躇しないなら、
ただ……どうでしょう。
そこまで乱暴な手段はとらないと思います。
旧ギルド幹部にはその手の工作に
狙い方はスマートになるぶん、
なるほど。
マウリツィオは旧ギルドの最新情報をつかんでいないか。
それもそうだな。
「まだヴィガーノ殿には伝えていませんでしたが……。
優秀な幹部は、狂犬の元に逃げています。
今残っているのは、ポンピドゥ一族に気に入られた者ばかり。
クノー殿からの報告なので、信用度は高いでしょう」
先日パトリックから書状が届いた。
旧ギルドがキナ臭いと、報告を送ってくれたのだ。
魔力の調査より優先度は高い……と判断したらしい。
警戒されているのに、よく入手出来たなと思ったが……。
マウリツィオは渋い顔で腕組みをする。
「むむむ。
そうなると話が変わります。
たしかに下品な手に訴えることも有り得ますなぁ。
それにしても我がギルドは不甲斐ない。
旧ギルドの動向を監視するように指示していましたが……。
クノー殿ひとりに勝てないとは」
どのように入手したか、詳細は書かれていなかった。
旧ギルドには、知人もいるだろう。
ただ……その知人は警戒されて、重要情報には触れられないと思うが。
「旧ギルドから警戒されていない伝手があったようです。
いずれにせよ、相手の手口が荒っぽくなるなら……。
マウリツィオは天を仰いで嘆息する。
「本来ならば……。
ただ魔物の侵攻が激しく大部分は出払っていますな……。
それなら我らギルドが受け持つ話です。
ただ両属を容認している以上、冒険者がどちらの依頼を受けているかわかりません。
両属を認めたのは、冒険者を
ここに来て裏目にでましたな」
そう悲観した話でもないだろう。
「そうでしょうかね?」
マウリツィオの目が鋭くなった。
「むむ……なにか策がおありのようですね」
考えなしにこのようなことはしない。
筒抜けとは相手の情報だって、手に入る可能性がある。
守る側が、若干不利なだけだ。
「
そのうえで
戦力として極めて優秀です。
ただ……教皇庁は、石版の民にとって不慣れな土地。
そして相手の手口にも不慣れ。
そこで冒険者ギルドには、彼らの支援をお願いしたいのです」
ベンジャミンがうなずくと、マウリツィオは相槌をうつ。
「承知いたしました。
必ずや挽回しますぞ。
ご期待ください」
新ギルドが護衛出来ないことを、失態と考えたのか。
あとは旧ギルドの情報を入手出来なかったことだな。
失態だと思わないが……。
やる気があるなら、水を差すこともあるまい。
「期待させてもらいますよ。
ひとつ注意が必要なのは、
それもかなりの情報が」
マウリツィオは怪訝な顔をする。
「もしやギルドに、内通者が?」
それはないだろう。
改めて俺が明言したから、それを疑ったか。
ベンジャミンにも伝えるためだ。
「いえ。
冒険者からです。
旧ギルドは新ギルドを警戒して、動きを探ろうとしているでしょう。
今のところ旧ギルドが想定しているのは、新ギルドが
あとは私の親衛隊を回すか……。
ラヴェンナ騎士団の動員です。
ところが石版の民となれば、完全に予想外になる。
必死に情報を集めようとするでしょう。
ヴィガーノ殿には言わずともわかるでしょうが……。
ベンジャミン殿に、状況を理解してもらいたいだけですよ」
ベンジャミンが納得顔でうなずく。
「新ギルド職員が同胞と直接接触するのではなく……。
冒険者を伝言役とするのですね。
そこに狙いを絞って、偽情報でも流しますか?」
マウリツィオは微妙な顔だ。
当然だろう。
俺もマウリツィオの掲げる理念を、無下にする気はない。
「いえ。
それでは冒険者たちが、新しいギルドでも冒険者を信用していないと思われます。
とくにヴィガーノ殿が掲げている理念と相反するでしょう。
掲げているからこそ、旧ギルドと違って反感を買います。
ここは少数の冒険者に裏切られても信じる姿勢を見せることが肝要ですよ」
マウリツィオは真顔になって頭を下げる。
「ご配慮に感謝します。
つまり旧ギルドの連中は、大したことは出来ない……とお考えですか?
ラヴェンナ卿が危機を認識して、無為無策など考えられません。
配慮する余裕があるのでしょう?」
うーん。
この認識は危ういな。
旧ギルドの首脳部は無能だ……と楽観視されては困る。
「いいえ。
甘く見てはいけませんよ」
マウリツィオは怪訝な顔をする。
危険性を感じていないようだ。
「いつもの戒めですかな?」
俺はパトリックが送ってきた名簿を、テーブルのうえに置く。
本来なら機密情報だ。
ベンジャミンの前に置くことで信頼している姿勢を示す。
儀式的なものだが、石版の民は危険や不信に敏感だ。
配慮は欠かせないだろう。
ベンジャミンはほほ笑んで軽く頭を下げる。
通じたようだな。
マウリツィオは、俺の言葉をいつもの戒め程度に捉えているようだが……。
それは違う。
「いいえ。
たしかにクノー殿は無能と評価しています。
それは否定しません。
残った幹部の名簿予測がこれです。
ヴィガーノ殿から見てどうですか?」
マウリツィオが名簿を手にとる。
「では拝見……。
ふむふむ。
クノー殿の見解に、異存はありませんな。
決断力と判断力が、並以下の連中ばかりですよ。
上司への
私なら雇いません。
他人の仕事にタダ乗りするだけの輩ですからな。
無能と断言してよろしいかと」
その定義が問題なのだ。
無能だから、すべてに対して無能なのではない。
だが……頭から否定して、マウリツィオの面子を潰すのは不味い。
ベンジャミンとは初顔合わせだからな。
丁寧に説明する必要がある。
「私が甘く見るな……と言っているのは無能の定義が異なるからです。
ヴィガーノ殿とクノー殿は、正しい組織運用についての能力不足……と判断したのでしょう?」
マウリツィオは怪訝な顔でうなずく。
だから無能と判断したのが違うのか? そのように問うているな。
「左様です。
このような輩は、どれだけ叱っても変わらない。
どう
その認識が違うのですか?」
その認識は、ある意味で間違っていない。
根本的には間違っている。
無能と相手を蔑視したときに嵌まる落とし穴だ。
これは自分が有能であると自覚しているほど陥りやすい。
出来て当然のことが出来ない。
だから無能。
無能だからなにをやらせても無能。
それは違うのだ。
「違いません。
ただ……おおよそ人の能力で、天地の差が開くことは滅多にないでしょう。
力の総量ではね」
才能や努力はその力を強くする。
同じ力をいれても、凡人と結果が異なるのはそのためだ。
だが……結果で見ず力の量で比較するとどうだろう?
マウリツィオは怪訝な顔だ。
ベンジャミンの笑みが深くなる。
「これはまた面白い話が聞けそうです。
力の総量ですか?」
人の能力に、大きな差はない。
もし大きな差があるとすれば、それは超人だ。
たしかにある面においては、大きな差が見られる。
だが……行動すべてを合計した差では、どうなる?
ロマンやトマは、世間一般の評価は極めて無能かつ有害だ。
だが……力の総量で考えたら?
力とは行動するエネルギーだ。
ロマンの妄想や活動について、質は無視して総量だけで考えると……。
決して著しく劣ってはいないだろう。
むしろ勝ってすらいる。
トマの場当たり的対応と、保身もそうだ。
あのふたりはこの総量から自己評価している。
これだけ精力的に動いているから、自分は極めて有能であると。
ある意味で間違っていない。
「無能と断じられた人は、そもそも正しい組織運用のために、力を注いでいないのです。
組織内政治に全力を注いでいる。
当人が意図的にやっているのです。
どれだけ叱責しても、柳に風ですよ」
マウリツィオは渋い顔になる。
「泥棒に倫理を説くようなものですか……。
嘆かわしい話ですな」
乱暴な言い方をすればそうだな。
本人にとって最も効率のいい方法を選択しているから、非効率なことは軽侮する。
他人がその生き方を軽蔑して、立派とされる生き方を説いても無意味だ。
非効率なのだから。
互いに内心で軽侮し、決して交わらない。
「正しい意味での能力を発揮するより、効率がいいのでしょう。
よく言えば、機転が利く。
悪く言えば、
道義的に好まれないのは、それが主流になると社会が崩壊するからです。
だからこそ道義を軽視すれば効率はいい。
まあ……質の評価を除外します。
短期的な効率のよさで考えると、彼らは無能ですか?」
マウリツィオは腕組みをする。
「ううむ。
まさか有能の定義すらひっくり返されるとは驚きました。
ご機嫌とりに足を引っ張ること……。
責任転嫁の能力にかけてのみ見るべき才はあります。
それを有能だと認めたくはありませんが……。
普通は、そのような生き方を称賛などしない。
だが……争いのとき、道義的基準を絶対視しては危険だろう。
「いろいろと能書きを垂れましたが……。
私が警戒する理由は簡単ですよ。
旧ギルドが仕掛けてくる陰謀は、彼らの得意分野だからです。
相対する我々は内心彼らを無能と見下している。
これでよしとはならないでしょう?」
マウリツィオは苦笑して頭をかく。
「なかば屁理屈のようですが……。
ラヴェンナ卿は既成概念に囚われないお方ですからなぁ」
ベンジャミンが天を仰いで嘆息する。
「無能と断じては心のどこかで相手を見下して甘く見る。
それが思わぬ隙を生むわけですね」
危険性を認識してもらったようだな。
俺は軽く
ベンジャミンとマウリツィオは真顔になる。
「そもそも
教会内部でも『自分たちを信用しないのか』と不満が高まるのでは?
反教皇派はそれを煽るだけでよいのです。
しかも旧ギルドは、長年の付き合いから教会とのパイプが太い。
工作は容易ですよ」
マウリツィオは渋い顔になる。
すべての条件を考えると、無能者の陰謀と片付けられない。
「反論の余地はなさそうですが……。
ここまで容易に教会が協力するものでしょうか。
反教皇派は大多数ではありません」
「ここでもうひとつ……。
残酷な現実があります。
新ギルドと旧ギルドの対立は、外部から冒険者ギルド内の派閥争いとしか見なされていない。
異なる組織の争いなら、話は変わります。
しかも落ち目の組織への協力は慎重になる。
冒険者たちも派閥争いと見なしているでしょう?」
マウリツィオは大きなため息をついた。
「残念ながら……。
過去に何度も起こった派閥争いなら、付き合いのある旧ギルドの肩を持つわけですか。
冒険者たちも深刻な争いと認識していない。
どうも小生の認識が甘かったようです」
依頼人と冒険者なら情報漏洩は起こらないが……。
ギルドの派閥争いなら、同じギルド内として情報を漏らす。
過去にそのような前例もあったからな。
争いの当事者ほど客観視は難しい。
旧ギルドは派閥争いだと吹聴しているだろうが……。
内心そう思ってはいない。
あくまで面子を保つためだ。
ただの方便だが、説得力がありすぎて信じられやすい。
「教会関係者もそうですが……。
冒険者も同じです。
本当に
ただ派閥間の駆け引き程度に思うでしょう。
だからこそ冒険者は、目先の利益に釣られて旧ギルドに内通します。
だからこそ『すこしくらい自分が情報を流してもいいだろう』と考える。
ほぼ例外なく、そのすこしくらいが大量に積み重なるでしょう。
これが我々の置かれている状況です」
ベンジャミンの目が鋭くなる。
「これは……思った以上の難事ですね」
状況を理解してもらえたようだ。
困難だからこそ、相手を罠に嵌めることが出来る。
それには味方が慢心していては困るからな。
いい機会だ。
まっとうな方面では無能と断じられた連中の危険性も説明しておくか。
「すこし話は逸れますが……。
無能と評価された人たちは、組織を腐らせる面では有能だと思いませんか?
生きとし生けるものが例外なく死ぬように……。
人の集合体である組織も同じ。
時代に即した成長を止めた瞬間から、腐敗を免れ得ないと思います。
腐敗は自然の摂理……と呼べるほどに強い。
もし意図して腐敗させる力があるならば……抗うことは難事ですよ。
1の腐敗は10の成長にも勝るのですから」
腐敗は
勝ったあとでもだ。
しかも
それを除去するのは、かなりの痛みが待っているだろう。
マウリツィオは渋い顔をしている。
「人は易きに流れますからなぁ……。
ただ小生としては有能と評するには抵抗があります。
有害なら異論はありませんが……」
気持ちはわかる。
これ以上はいいだろう。
注意喚起をして慢心しなければいいのだ。
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