872話 悪趣味なレース

 アレクサンドルが辞去したあと、高度なマジックアイテムの生成方法が記されている書物を読んでみた。

 思わず笑ってしまう。

 不思議そうなキアラに、本を渡す。

 キアラの眉間は、ページをめくる毎に険しくなった。


「……あの教皇、とんだ食わせ物ですわ」


 食えない人であることは、間違いない。


「どうしてそう思いますか?」


 キアラは頰を膨らませる。


「高度なアイテムを作るには、契約の山にある仕掛けを使うのが前提ですよね。

もう山はありませんもの。

この情報は無価値だと思いますわ」


 一見無価値だ。

 俺は納得したから笑っただけ。

 そもそも現時点で実現可能な方法を、此方こちらに教えるようでは……。

 交渉相手として心配になる。


「だからこそ持ちだせたのですよ。

それと価値はあります。

条件を整えれば再現出来る。

正解のひとつは明白なのです。

この価値は計りしれませんよ」


 どのような効果があって、高度なアイテムが作れるかまでは記されているのだ。

 これを目指せばいい。

 出来なくても、研究の取っ掛かりになる。

 だが教会に、研究は出来ない。

 だからこそ普通ならば無価値になったわけだ。

 そこで価値を理解する俺に、交渉材料として使ってきた。

 

 キアラは上機嫌な俺を見て、ため息をつく。


「先の長い話ですわね」


「自分の世代で、なんでも解決出来るものではありませんよ。

実現の功績は、子孫に譲ってもいいと思いませんか?」


                   ◆◇◆◇◆


 ホールで談笑していると、キアラが書状を持ってきた。


「お兄さま。

マンリオからまた手紙ですわ」


 なにか続報だろうか。


「どのような内容で……って。

どうして隣に座るのですか?」


 キアラは書状を渡さずに、俺の隣に座ったのだ。

 キアラは天使のようなほほ笑みを浮かべる。


「昔と違って、中身のないことは書いてきませんわ。

それなら一緒に見たほうが、時間の節約になりますもの。

……なんでアーデルヘイトまで、隣に座りますの?」


 慌ててアーデルヘイトが、キアラとは反対側に座ったのだ。

 アーデルヘイトはなぜか胸を張る。


「当然の権利です。

あとは旦那さまを、キアラさまに独占させたら……。

ミルヴァさまが怖いですから」


 キアラは舌打ちして、書状を開く。

 3人で見るのは読みにくいのだが……。

 読み進めると、キアラがため息をついた。


「前言撤回しますわ。

なんですか? この失われた聖ひつって……」


 書状には教皇庁で広がりはじめた噂について書かれていた。

 失われた聖ひつについてだ。


 聖ひつは、遙か昔に神より与えられたもので、現在行方がしれない。

 その力は、魔物の群れを一撃でほふり……。

 どのような強固な城壁も崩壊させる。

 これを手にした者は、世界の王となれるだろう。


 今まで見つからなかったのは、悪魔の地に封印されているからではないか……。

 悪魔の地は、聖ひつの力によって死の大地と化し、人を寄せ付けない。

 普通の人は近寄るだけで死に至るが、近寄る方法が密かに伝えられている。


 これは初耳だ。


 これを無視することは難しい。

 平時では、人の興味を引く。

 今のような乱世では、希望の幻想になり得る。


「そう決め付けるのは早計でしょう。

それにしても……。

失われた聖ひつねぇ」


 キアラが呆れ顔で首をふる。


「今更このような話が出てきたなんて……。

与太よた話か、妄想の類いではありませんこと?」


 普通ならキアラの認識が正しいだろう。


 だがかなり引っかかる。

 このような妄想を引き起こすトリガーがどこにもないのだ。


 妄想は人がする以上、無限ではない。

 人は自分が想像出来ることしか妄想出来ないからな。

 海を知らない人は、海の妄想は出来ないだろう。

 出来て大きな湖までだ。


 なぜ聖ひつなのか。

 どう考えてもキナ臭い。


「教皇聖下せいかに一応確認してください。

初耳だと答えるでしょうけど」


 キアラは呆れながらもうなずく。

 俺の思考方法は、すべてを最初から排除しない、と理解している。

 考慮外とするには、相応の理由が必要だからな。


「いくらなんでも得体のしれない箱に、希望があるなんて……。

誰の妄想でしょうか?」


 誰の妄想か……ではない。

 誰の思惑か。

 問題となるのはそこだ。

 これは、自然発生する内容じゃない。

 クレシダのとっておきではないのか?


「自然発生したもの……と考えるには不自然ですね。

誰かの思惑が働いていると考えるべきでしょう」


 キアラの目が鋭くなった。


「クレシダですの?

一体なんのために……」


 人間の理性を揺さぶっているのだ。

 このような希望に満ちた妄想は、まさに格好の武器だろう。


「彼女ならやりかねないですね。

まず時機が適切です。

教皇庁で禁書の破棄をしたでしょう?

世界主義はまだ、教会内にコネを持っているはずです。

だからそれに乗じて広めた。

可能性はあるでしょう」


「つまりとんでもない噂を混ぜる余地があるわけですね。

失われた聖ひつのような。

突飛すぎるからこそ逆に、信憑性が高くなると。

陰謀を信じたがる人には響く内容ですわね。

隠してきた秘密がついに漏れた……と」


「そう。

困ったことに、教会に聖ひつの情報はない。

否定しか出来ません。

だからこそ……。

信じたがる人にとっては、自説の補強に利用出来るわけです。

『ムキになって否定するのは、なにか隠している証拠だ』とか……。

『否定するなら明白な証拠をだせ』とね。

だからと教会の情報をすべて見せてもダメです。

『なにか隠しているからだ』とでもいうでしょう。

自然鎮火するのを待つしかありませんが、それも難しいでしょうね。

そもそもの話ですが……。

禁書の精査は、聖ひつの噂に対処した副産物かもしれません」


 キアラがいぶかしげに眉をひそめる。


「妄想をわめき散らかされる前に、先に精査して『なかった』とするためですの?

外野がどのような妄想をしても止められないけど、内部では意思統一が出来るわけですわね」


「ええ。

もしかしたら……。

本当に隠したい情報が、他にあったのかもしれませんがね」


 黙って話を聞いていたカルメンが、髪をかき上げる。


「自作自演ですか?

危険な内容を誰かが漏洩しそうになった。

だから誤魔化すため、わざと派手な妄想を垂れ流す……」


「可能性のひとつですよ。

権力闘争ではよくあるでしょう?

これの原型ですが……。

改革派の大臣が、役人にとって邪魔になるとかね」


「組織にとって不都合な大臣の首を取るときに、役人がよく使う手ですね。

組織のタブーをわざとリークして、大臣ひとりに責任を被せる。

大臣のライバルがいれば、役人とつながって、不祥事の追及を行う。

首を取ったあとは、そのライバルが不祥事の後始末役として後任になる。

不祥事の追及をしていたから適任だと思ったけど、実は役人とグルだった……。

そして不祥事追求は有耶無耶うやむやになる。

今回は守旧派が、教皇の足を引っ張るため……と考えられますね。

教皇が先手を打ったのですか?」


 この手を使うには、条件が必要だ。

 組織が盤石であること。

 今の教会では自殺行為だろうな。


「普通ならそれが、最も有力な考えです。

ただ……現状それはないでしょう。

希望にすがりたい人は多いのです。

そのようなときに信じやすい妄想を垂れ流すと、多くの人が本気で信じてしまうでしょう。

大きな騒動が起こりかねません。

きっと箱と関連文献探しが、ブームになりますよ」


 話を聞いていたプリュタニスが、皮肉な笑みを浮かべる。


「箱と本探しだけで済めばいいですけどね。

間抜けな騒動に発展するのではありませんか?

血が飛び散る物騒な探しもの競争になる……と思いますよ」


「その通りです。

それだけではありません。

他に隠された秘宝はないのかと、皆が詮索しはじめますよ。

こうやってはもう収拾がつきません。

もし誤魔化したいなら、もっと無害で馬鹿らしく……。

妄想力を刺激する内容にするでしょう。

これではやぶ蛇もいいところです」


 カルメンが苦笑しつつ肩をすくめる。


「やっぱりそうですよね。

そうなると教会が動いて、クレシダがつけ込んだのか……。

クレシダが噂を流して、教会が対応したのか……わかりませんね」


「真相は教皇聖下せいかのみぞ知る……でしょうか。

ただ発端は、些末なことですよ。

どちらにしても……。

これを機会に、教皇聖下せいかは、私との取引を考えたでしょう。

禁書を内密に譲渡することで、一種の共犯関係になります。

此方こちらに飛び火しては敵わないので、此方こちらは教会の見解を支持するしかありません。

そうなればランゴバルド王国側のメディアも、味方につく。

新ギルド採用も、その一環かもしれません」


 キアラは真顔でため息をつく。


「だとしたら……。

かなりのやり手ですわね。

聖職者じゃなくて勝負師みたいですわ。

鉄の聖女じゃなくて、賭博の聖女じゃありませんこと?」


 否定はしない。

 博徒として生まれたら、きっと名を馳せたろうな。


「でしょう。

敵に回したくない人です。

負けると思いませんが、勝っても、相当の犠牲を払うことになりますからね。

教皇聖下せいかも同じ考えだと思います。

そして……。

クレシダ嬢ですら教皇聖下せいかを、高く評価していると思いますよ。

すくなくとも人間として見ているでしょう」


 キアラは驚いた顔で口に手を当てる。


「あら……。

なぜそう思ったのです?」


「評価しない相手は、駒としてしか使いません。

相手の反応などお構いなし。

誰も駒の気持ちなんて考えないでしょう?

仮にクレシダ嬢が、これを仕掛けたのなら……。

指し手として認めた動きをします。

今回の噂は、教皇聖下せいかの対応を見て、どうするか考えるような手ですよ」


 カルメンが苦笑して肩をすくめた。


「面倒臭い評価行為ですね」


「クレシダ嬢は極めて純粋な快楽主義者ですよ。

それも独特の価値基準を持っています。

だからこそ世界を舞台にした恋文を送りつけてくるのですよ。

それでも、教皇聖下せいかを同格としては見ていないでしょう。

対応は見ますが……。

クレシダ嬢のやることに変わりありませんから。

私を相手にするときのような、大きな変更はしない……と思いますよ」


 キアラが不思議そうに、首をかしげた。


「クレシダの方針に変わりりませんの?」


「教会としては否定するしかありません。

事実ないのですからね。

ですが……ないことの証明は不可能です。

よって噂が一人歩きする土壌としては十分。

だからやることに変わりはない。

どう返してくるかを、楽しみにするだけ。

多少手を加えると思いますがね」


「ところでお兄さまは、聖ひつの存在については、どうお考えですの?」


「便利な道具としての聖ひつは、存在しないでしょう。

禁書の中にそのような記載があれば、とっくに探していますよ。

ロマン王が教皇を兼務したときに、点数稼ぎとばかりにご注進する人はいたでしょうから。

すくなくとも禁書の精査をしたのです。

仮にそのような可能性があれば、なんらかの動きはあるでしょう」


「これが事実ならとんでもない力ですわ。

俗人が手に入れると危険だから伏せていた可能性はありませんの?」


 それも、ひとつの考え方だ。

 その場合は、ある程度の権限があれば閲覧出来る禁書に入れない。

 一部の上層部しか知ることの出来ない極秘扱いになるだろう。


「その考えもありますが……。

その場合は、決して外部に漏らしません。

あるとすれば、教皇しか閲覧出来ない書物でしょう。

その程度の凡ミスをする人には思えません」


 キアラは納得した顔でうなずく。


「これはどのような目的があるとお考えですの?

ただ踊らせるだけですか?」


「そのようなことはしませんよ。

実際に箱はあると思います。

ただし救いをもたらしません。

死と破滅を振りまくものでしょう。

だから古代人関係ではないかと思いますね」


 プリュタニスは怪訝そうに、眉をひそめる。


「つまりは……。

窮地のサロモン殿下への餌ですか?」


「それだけではありませんよ。

クレシダ嬢にとってこのレースは、参加者が多いほどいいのです。

アラン王国だけではありません。

旧ギルドや独立宣言をしたマルティーグ。

あとは異端認定された原理主義派。

一応アルカディア難民も含めておきましょう。

ライバルがいるほど、より、前のめりになりますからね。

これだけ走者がいるから、レースを開催する気になったのかもしれませんね」


 黙って、話を聞いていたモデストが、腕組みをする。


「もしかして……。

石版の民も動くとお考えですか?」


 そもそも彼らの伝承に記載があれば、止めても走りだすだろう。

 なければどうかな……。


「否定は出来ません。

此方こちらとしては噂の確認をします。

そして罠の香りが強い……と注意しておきましょう」


 モデストは声を立てずに笑った。

 クレシダ発案であろう悪趣味なレースが、心の琴線に触れたらしい。


「どんなに危険だとしても、人は希望にすがると。

クレシダ嬢にとっては極上の娯楽でしょうね」


「ギャンブルで首が回らなくなると、一発逆転を夢見て、より大きな賭に出るでしょう。

それと同じですよ。

見物人は必死さと一喜一憂を見て楽しむわけです。

淡々とやるギャンブルの娯楽的価値は低いでしょう?すくなくとも大衆受けしません。

クレシダ嬢にとっては……。

熱狂する大衆を見物するのも娯楽のうちでしょうから」


 キアラは厳しい顔で眉をひそめた。

 なにか懸念がありそうだな。


「もし聖ひつが、利益をもたらす本物だったら、どうしますの?

お兄さまを動かそうと、クレシダならやるかもしれませんわ」


 その可能性もある。

 だがそこは割り切った。


「そのときは諦めましょう。

そのような危険な代物が実在したとして、ノーリスクで使えるとは限らないのです。

むしろもの凄い代償を求めてくることもあり得ます。

なんにせよ、マンリオ殿が届けてくれる噂の続報を待ちましょうか」


「静観はいいとして、どうするつもりですの?」


「まだなんとも。

私の推測では、手にしたら確実な破滅が待っているでしょうね。

どのような破滅までかはわかりません。

此方こちらの力は温存しておくのが最善ですよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る