871話 閑話 ハッピーセット
ゼウクシス・ガヴラスは国内問題の対応で、しばらく王都を離れていた。
元々は、カイローネイアが活動拠点だ。
だが権力構造が変わり、フォブス・ペルサキスが軍事のトップに立つと状況は変わる。
カイローネイアでは不便なので、王都ドゥラ・エウロポスに引っ越していた。
しばらく離れていた結果は、決裁の山積みである。
不機嫌な顔ひとつせず、黙々とゼウクシスは、書類にサインしていく。
ゼウクシスが仕事中にもかかわらずフォブス・ペルサキスが、酒瓶を片手にゼウクシスの執務室を訪れた。
それを合図に、ゼウクシスの部下たちはそそくさと退室する。
人払いはいつものことだからだ。
ゼウクシスは酒瓶を一瞥して、ため息をつく。
「ペルサキスさま。
会議の内容はどうでしたか?」
狂犬の独立宣言を受けて、対応を協議するため緊急会議が開かれた。
出席者は、国王を含めた首脳陣全員。
ゼウクシスが戻ってきたとき、フォブスは出席中で不在だったのだ。
フォブスが戻ってきたら、改めて伺うと言伝はしたのだが……。
終わり次第、やって来たらしい。
その理由は明白だ。
意見交換したい気持ちもあるだろうが……。
結果が思わしくないのは、酒瓶を見れば一目瞭然である。
つまりは愚痴りたい。
それが最優先なのだろう。
フォブスはソファに腰を下ろして酒をあおった。
「ああ。
今のところ注視しつつ、変事に対応する……だ。
長い割に中身はない」
ゼウクシスは眉をひそめる。
不機嫌の元が長さでないことは明白だ。
だが聞き出すには順序が必要になる。
いきなり聞いても、愚痴の洪水に押し流されるのは、過去の経験から学んでいた。
「歯切れが悪いですね」
フォブスは渋い顔で頭をかいた。
「オッサンの下で働いていたときは、歯切れの悪さに苛立ったなぁ。
自分がその立場になると、しがらみが多すぎて歯切れが悪くなるよ。
下手な軽口すら、迂闊に出来ない」
ゼウクシスは白い目でフォブスを睨んだ。
「その慎重さを、女性関係にも求めたいところです」
フォブスは真面目腐って首をふる。
「それはそれ。
これはこれだ」
「同じですよ。
それより……。
クレシダさまは思ったより慎重な態度でしたね」
クレシダの対応は、こちらにも伝わっていた。
アラン王国のことなので、当事者だけで話し合え。
これは、
フォブスは苦笑して、酒をあおった。
「独立宣言を認めようものなら、切り捨てる大義名分になったのだが……。
うまいこと逃げられたよ」
事前に準備を進めていたが、見事空振りに終わった。
そもそもクレシダがそんなミスをしでかす……とは思っていない。
空振りが不機嫌の元でないことは、ゼウクシスにもわかっていた。
その前に対処していた問題の報告を済ませたほうがいい……と判断する。
「否定もしないので、危険な兆候ではありますね。
話は変わりますが……。
以前にラヴェンナ卿から頂いた忠告を覚えていますか?」
「奴隷に注意しろか……。
監視を強めたが、要注意対象は突如姿を消したな。
それがどうかしたか?」
反乱に関与しそうな奴隷を監視していたが、ある日突然姿を消してしまった。
主人にも心当たりがなかったようだ。
ゼウクシスは反乱の前兆か……と緊張したが、なにもないまま時間だけがすぎる。
やや気持ち悪く思いながらも、別の問題への対処が忙しく、後回しになっていた。
だが独立宣言後に、とある情報がもたらされる。
「独立宣言をしたマルティーグに逃げ込んだかもしれません」
フォブスは眉をひそめる。
「距離があるだろう。
そもそも奴隷の身分で、勝手に移動なんて不可能だ。
そんな証拠なんてないだろう?」
ゼウクシスが自ら確認のため奔走したのは、
「証拠はありません。
ただ……。
あの独立宣言で、狂犬の代わりに演説をしていた男がいるでしょう
正体不明ですが、実は探しているエレボス・レヴィディスでは……との疑いがあります」
フォブスは怪訝そうに首をひねる。
「だれだそいつは?」
「ロクサーン・ディアマンディス嬢の事件を覚えていますか?
重要関係者です。
いくら探しても見つからなかったでしょう」
フォブスは真顔になって、肩をすくめた。
あの事件はすっかり風化しており失念していたのだ。
過去の事件に関わっている暇がないとも言える。
「ああ……。
ディアマンディス家の屋敷が、火事になった件か。
たしかロクサーン嬢の恋人ではと、噂があった男だな」
そもそもこの件はアルフレードからの書状が出発点だ。
なぜ自分たちの知らないことを知っているのか恐怖したが……。
情報は情報である。
ゼウクシスは、地道に捜査を続けていた。
その結果、ある程度の情報が集まる。
それもクレシダの関与が疑われるほどに。
だが決定的な証拠はなく、手がだせずにいた。
旧ドゥーカス領への影響が大きすぎるからだ。
捜査を続けていたからこそ、今回ようやく情報が手に入った。
クレシダに関わる情報なので、誤認があっては大問題だ。
情報機関を設立したものの任せられる人材がいない。
ゼウクシスは、仕方なくトップを兼任していた。
まだ万全の信頼がおける部下は育っていない。
ゼウクシスが、自ら出馬したのはそのためであった。
「そのレヴィディスでは……とのことでした。
それなら見つからないのは当然です」
「たしかディアマンディス家に、恨みがある男だったか……。
奴隷階級とのつながりが強かった家の出身だったな。
たしかにあの独立宣言で、奴隷に言及していた。
不自然だと思ったが……。
それなら合点がいく」
「そのレヴィディスは、クレシダ嬢の屋敷に出入りしていた……との情報もありました。
クレシダさまには、シラを切られましたが……」
フォブスは考え込んだが、小さく頭をふる。
「奴隷に注意か……。
もしかして魔王は、狂犬の元にレヴィディスが身を寄せることも予期していたのか?」
「さすがにそこまではないでしょう。
ただクレシダ嬢が背後にいるなら、手を回してマルティーグに逃がすことなど、造作もない。
消えた奴隷は、レヴィディスに近いでしょうから。
そこまでいくと、独立は発作的な行動と思えません」
フォブスは大きなため息をついた。
「独立宣言もクレシダが、糸を引いているか……。
魔王の示唆はタチが悪い。
内乱後に奴隷が減って、値段が高騰しているのは知っているだろう?」
「ええ。
お陰で悪徳商人がのさばっています。
取り締まっても、需要があるので皆非協力的ですよ」
フォブスは忌々しそうに舌打ちする。
不機嫌の元はこれらしい。
「それだけじゃない。
人類連合の協定など破棄して、アラン王国を併合しろという話まで上がってきている。
そうすれば奴隷の確保が出来るだろう。
奴隷商人は潤って、奴隷の買い手も値下がって満足だ。
奴隷にされたヤツ以外はハッピーセットさ。
そのハッピーセットを欲しがるヤツが増えている。
それも……かなりな」
ゼウクシスは大きなため息をつく。
以前からそのような声は聞こえていた。
だが国王を含めた会議で持ち上がるほどにまで、大きくなるとは予想外である。
「我が国は奴隷なしには、生活が成り立ちませんからね……。
アラン王国を併合すれば、奴隷不足の解消に役立つ。
リカイオス卿が負けたことで傷ついている国のプライドも癒やせるわけですか。
たしかにハッピーセットですね。
妄想している間は……ですが」
フォブスは皮肉な笑みを浮かべて、酒をあおる。
「ランゴバルド王国にもアラン王国を折半しないか……と水面下で持ちかけているようだ。
まったく……。
自分で戦わないヤツほど好戦的だよ」
ゼウクシスは真面目腐った顔で
「人は自分が関わらないことにはいい加減ですからね。
後始末をする私とは無関係な……ペルサキスさまの節操がないのも同じでしょう」
フォブスは酒を飲んでいたが、
「い……いや。
それよりだ! それだけでも厄介なのに、今回の独立宣言だ。
旧ドゥーカス領でも不穏な空気が流れているぞ。
あそこが独立なんてしようものなら大惨事だ。
魔物への対処が最優先なのに、人同士で争うなんて正気の沙汰じゃない」
ゼウクシスは苦笑するにとどめた。
しつこく言っても、ムダだと悟っているからだ。
「だからこそクレシダさまが賛同すれば……。
排除する大義名分になり得るわけですね」
「再び内乱になってみろ。
まず奴隷商人が喜ぶだろう。
次に安価で奴隷を補充出来そうなヤツも喜ぶ。
だがその喜びは幻想だ。
厄介なことこのうえない。
仮にそうなったらどうだ?
現実の光景はどうなるか……だ」
ゼウクシスは腕組みをして、ため息をつく。
「ランゴバルド王国だけが突出しますね。
今でさえ内乱によるダメージが、一番小さいのです。
勢力拡大の野心を持たない……とは断言出来ません。
ラヴェンナ卿は反対するでしょうがね。
それだけが頼みの綱です」
フォブスは皮肉な笑みを浮かべて、肩をすくめる。
「あの魔王が国王じゃないからな。
まったく世も末だ。
人の良識ではなく魔王の打算に期待するのだからな」
「この世で一番恐ろしいのは人だと。
カビの生えた格言ですが痛感させられますよ」
「しかもなぁ……。
あちらも問題があって、アラン王国の折半に乗り気な連中は多いらしい。
内乱で領地を失った連中ばかりだ。
しかもそのような連中は、ニコデモ王の周辺に多い。
ただ宰相ディ・ロッリは、強硬に反対している。
『長年保たれた均衡を、自ら壊す必要はない。
土地を得るかもしれないが、それ以上の問題を抱え込む』だそうだ」
「宰相は賄賂を平気で受け取るような、清廉な人ではないと聞きます。
賄賂は役得のようなものだと、平然と言い放っているとか……。
清廉で好戦的な貴族より……。
腐敗した現実的な宰相のほうがマシですね」
「魔王も言っていたな。
『吝嗇は争いごとを避けるが、気前のいいヤツは避けないだろう。
争いを決断したいなら、吝嗇に相談したほうがいい。
そうすれば、本当に必要な争いか判断出来る』
一般的に好ましいとされる性向が、この世にとって有益とは限らないようだ」
フォブスも苦手意識を持ちながら、キアラの本を読んでいた。
理由は、知らないほうが怖い……である。
ゼウクシスは思わず苦笑してしまった。
「ラヴェンナ卿は人柄で判断しませんからね
それにしても……。
我が国が独断で、
フォブスは渋い顔で酒をあおった。
「さすがに魔王や宰相でも抑えきれないだろう。
それとも我が国の拡大を抑止するために、ことを構えるか。
どちらに転ぶと思う?」
ゼウクシスは渋い顔で腕組みをする。
ランゴバルド王国の動向までは予測しきれない。
「もしラヴェンナ卿の影響力が強ければ抑止出来るでしょう。
制御出来なければ拡大方針に、舵を切ると思います。
我が国としてはどのような意向で?」
フォブスは深いため息をついた。
「現状維持だ。
だが……。
奴隷不足が足を引っ張る。
足りないからと……生き方を変えるのは難しいだろう」
奴隷を求めて、戦争に踏み切るのは愚行の極みだ。
だからと戦争を止めた場合、奴隷をどうするのか。
それが問われるわけだ。
ゼウクシスは天を仰いで嘆息した。
「最悪のケースとしては、拡大に舵を切ってランゴバルド王国と対立。
そこに旧ドゥーカス領が独立宣言ですね。
奴隷商人としてはどちらでもいい。
争いが起これば、奴隷を補充出来ますからね。
だからと奴隷商人への締め付けを強化しても、需要があるから地下に潜ってしまう。
この問題を解決するなら、奴隷に頼らない生活が必要です。
我が国も生活様式を変える時機なのかもしれません」
「否定しないが、現実は難しい。
いつだって必要に迫られない限り、人は生き方を変えられないだろう。
それにしても……腹が立つ」
フォブスはそう吐き捨ててから酒をあおった。
ゼウクシスは怪訝そうに、眉をひそめる。
「どうされましたか?」
「領土拡張派は私を、当てにしているのさ。
自分たちでやろうとしない。
腹が立つだろう?」
ゼウクシスは、思わず笑いだしてしまった。
たしかにこれでは不機嫌になる。
だが……このような話が出ることは想定出来た。
人々の間で広まっている噂話だ。
「リカイオス卿が負けたのは、ペルサキスさまに全権を委ねなかったからだ……。
そのような言説は、いまだに根強いです。
今なら最初から軍事の大権を握っている。
だから負けない。
たしかに個々の戦闘でなら私も負けるとは思っていません。
だからこその強気なのでしょうが……」
フォブスは疲れた顔で、首をふる。
勝手な言い草に辟易したのだろう。
「ゼウクシスはどう思う?」
「ラヴェンナ卿を甘く見すぎです。
仮に敵対となったら……。
ペルサキスさまを無力化する戦略になりますよ。
世界を
フォブスは真顔でうなずいた。
戦争に自信はあるが、局地戦でいくら勝ちを積み上げても、勝利には届かない。
そのことを理解しているからこそ、ラヴェンナを敵に回す気はないのだった。
生死を賭けた勝負は大好きだが……。
負けるとわかっている勝負に興味はないのだ。
「同感だよ。
しかも旧ドゥーカス領が独立宣言なんてしたら、どうする気だ。
ただでさえ食糧をラヴェンナから輸入しているのだぞ?
我々は干上がるしかない。
そう考えると、独立運動をつぶしたほうがマシだろう。
王女殿下はそのように示唆されたよ」
「ではなんとしても、拡大政策には反対しなければなりませんね」
フォブスはうなずいてから、意味ありげな笑みを浮かべる。
「その通りだ。
それにしても……。
ゼウクシスはすっかり、魔王に甘くなったな。
この前会ったときに、懐柔でもされたか?」
「懐柔などされていませんよ。
ただペルサキスさまの下半身問題を解決したら、腑抜けになる。
無節操なのはペルサキスさまだから仕方ない……。
そう諭されただけです。
まったく返す言葉もありませんでしたからね。
私の悩みに道を示してくれたのです。
問題ばかり起こす人と道を示してくれた人。
どちらの肩を持ちますか?」
フォブスは絶句したが、ゼウクシスは涼しい顔で仕事を再開したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます