870話 よくわからない書物
人類連合から、緊急会議の招集がかかる。
欠席するわけにはいかない。
議題は明白で、独立宣言に対する対応だった。
サロモン殿下は狂犬への非難をした上で、協力を呼びかける。
ジャンヌは世俗のことには口を挟まないと、回答を拒否。
これには大義名分がある。
アラン王国との協定があったらしい。
世俗の権力闘争には、一切口を挟むなと。
昔は教会の力が強かったので、自衛としては正しかった。
だが今回、その自衛策が裏目にでたわけだ。
過去の協定を持ち出されては、サロモン殿下に追求する手はなかった。
次に意見を求められたクレシダは『まず話し合えばいいのでは』と、予想通りの回答。
発言しない俺に、クレシダがどう考えるか問いかけてきた。
ここは俺の立場だけ述べればいいだろう。
「アラン王国の王権を維持する話は、人類連合発足時の協約にありません。
アラン王国内のことですから、我々に口をだす権利と義務がないのは明白です。
クレシダ嬢の意見に賛同しますよ」
クレシダは意外そうな顔をする。
「あら。
はじめて私の意見に賛同されましたわね」
わざとらしい嫌味だこと。
「反対のための反対ではありませんから。
協約には3国が、足を引っ張らないこととありますが……。
3国が体制を維持出来るように助力する……とはありません。
もし入っていたら、私は反対していましたよ。
いくらでも内政干渉し放題になりますからね」
サロモン殿下が腰を浮かせる。
「ではアラン王国を見捨てる、と
そうともいう。
そもそも助ける義理はないのだ。
「一切の手出しをしないだけです。
そして独立宣言への対応は協約にないので、別途協議が必要になりますね」
「なぜ協議する必要があるのですか。
3国体制の維持に反するのではありませんか?」
他国の足を引っ張らないだけだ。
自壊する国の援助をすると謳っていない。
そのような協定では、アラン王国ばかりが得をする。
「3国が4国以上になるかもしれない。
それだけのことですよ。
そもそも彼らを滅ぼしては、魔物の攻勢にどう対応するのですか?
独立宣言が不服であれば、独力で対応すべきです。
人類連合は魔物への対応のために結成されたことをお忘れ無く」
サロモン殿下の顔が蒼白になった。
俺が狂犬から非難されたから、独立を認めない……とでも思っていたのか。
たしかに腹は立つ。
だが……外交でそのような感情を持ち込むのは無益だ。
「では彼らの独立を認めるのですか?」
冷静さを失っているな。
やはり動乱の世に対応出来る才能はない。
不幸なことに、臣下にもいないからな。
「それは現時点でなんとも。
ニコデモ陛下のご意向を伺っているところです。
私が判断出来る問題ではありませんから」
クレシダが意味ありげにほほ笑む。
この機会を逃さずに仕掛けてくる気だな。
「今回の件は、いい機会だと思います。
人類連合に強制執行力を持たせては如何でしょうか?」
これは罠だ。
無理に回避すると、余計痛手を負う。
ここはあえて乗っておくか。
「人員と支える物資を、どうするのか。
その提案がなくては、議論にすらなりません。
良し悪しでいうなら、私は反対です。
人類連合の執行力が、最低限の公平性を
それすら疑問ですから」
クレシダは満足気に、目を細めた。
俺が下手な反対をしなかったことに満足したのだろう。
「あら悲観的ですこと。
でも議論自体を避けることはされないでしょう?」
そもそも……そのような権限を持っていない。
「私は議題決定権を持っていませんからね」
クレシダは楽しそうにほほ笑んだ。
「では後日改めて討議しましょう」
サロモン殿下を巻き込んで動きだす気なのだろう。
それは、サロモン殿下が失敗することも計算した上でだ。
さて……俺はどう受けたものか。
◆◇◆◇◆
オニーシムからの報告書が届いた。
面白いことについてだ。
マジックアイテムの核となるのは水晶なのだが、魔力を込めるとき水晶内に、微細な通路がつくられるらしい。
これは目に見えないほどの細かさだ。
魔族がこの技術に
ただ小さな水晶に複雑な機能を詰め込むと、魔力が流れないはずの場所や経路に漏れ出すらしい。
工房内で漏れ魔力と名付けたようだ。
それ自体は動作に支障を及ぼさないが……。
注ぎ込まれる魔力の半分は、漏れ魔力になっているらしい。
つまり非効率になるわけだ。
この漏れ魔力は、不必要な負荷を水晶に掛けてしまうため、故障の原因となる。
これ以上複雑な機能を、従来の水晶に刻むのは限界が来ているらしい。
そもそも……。
刻みつける内容が複雑だと失敗する率が上がる。
一度失敗した水晶は、二度と使い物にならない。
コスト面に跳ね返ってくるだろう。
今後要求が複雑化する場合は、水晶に代わる素材を探す必要がある。
必要だと思うなら、それを探す許可がほしいと。
そしてもうひとつ。
キアラから頼まれた言葉を記録する仕組みだ。
魔法は永続性がないので、そのような用途に向かない。
エルフが森に言葉を流せるのは、植物は生きており、循環し続けているからだそうな。
いいアイデアがあればほしいと。
水晶の代替品調査については、許可をだそう。
すぐには実現しなくても、いずれは必要になるからだ。
記録に関しては難しいなぁ……。
思いつくのは、なにかに記録してそれを再生する程度だ。
まずは蝋あたりでやってみては? との回答にとどめた。
記録の問題で難しいのは時系列だ。
ただ書き続けると、最後の情報しか残らないからな。
円筒の蝋に溝を引いて、針を使って書き込めないか。
魔力で刻まれる情報が微細ならいけると思うのだが……。
筒の回転は、ゼンマイでもいいだろう。
素人の適当な思いつきだがな。
でも……。
いい気分転換にはなった。
このような妄想は、楽しいものだ。
◆◇◆◇◆
慌ただしい日々が続く。
予定通りにアレクサンドルがやって来た。
実際に会うのははじめてだ。
キアラと一緒に応接室に向かう。
応接室で待っていたアレクサンドルは、温和そうな顔をしている。
だが……
無理もない。
死にかけていたのだから。
一応は気にかけるべきだろう。
「ルグラン特別司祭。
お体は大丈夫ですか?」
アレクサンドルは自嘲の笑みを浮かべた。
「おかげさまで……と言いたいところですが……。
悪運強く、生き恥を
これで死ぬか……と思い、どこかで
生き残ったと自覚したときは、途方もない疲労感が襲ってきました。
これも神の思し召しなのでしょう」
死にかけたときに、心のどこかで
俺も経験したが……。
皆が必死に俺をこの世につなぎ止めてくれた。
おかげで降板出来なかったわけだ。
「その気持ちはわかります。
あまり大きな声では言えませんがね」
キアラはなにか言いたそうにしているが……。
我慢したようだ。
あとでお説教されるかもしれん。
アレクサンドルは穏やかにほほ笑む。
「ラヴェンナ卿は、私と違ってまだお若いでしょう。
それでも生に対してすら淡泊ですね。
どのようなお方かと思いましたが……。
噂とはあてにならないものです」
どのような噂か聞いても不毛なだけだ。
「噂とは人の願望に、一滴の真実を垂らしたものですよ。
私の噂など、些細なことです」
アレクサンドルは目を細めてから、頭を下げる。
「なるほど。
改めてオフェリーと教会に対する配慮に、心からのお礼を」
年長者に頭を下げられると落ち着かないな。
「私に許された範囲で、オフェリーに喜んでもらいたかっただけです。
動機はさておき……。
助けになったのであれば幸いです」
「なるほど。
助けていただいたことは、紛れもない事実です。
感謝してしかるべきでしょう。
今回ご挨拶に伺わせていただきましたのは、直接謝意を示したかっただけではありません。
お渡ししたいものがあるからです」
アレクサンドルは何冊かの書物を、テーブルの上に置いた。
「これはなんでしょうか?」
「新教皇は就任されてから、いくつか改革を行われました。
その際に、禁書として収蔵していた書物の破棄。
そのなかで有用と思われるものをお持ちしました。
お受け取り頂けないでしょうか?」
破棄なのに持ち出していいのか?
ジャンヌの差し金だろうが……。
なにを見返りに求めているのやら。
中身は実に興味深い。
魔物が発生しやすい地域の記録だ。
それだけではない。
悪魔の石なるものがあって、その近くによると……生きとし生けるものが死に絶える。
その近辺では魔物が多発するらしい。
詳しくはあとでゆっくり読んでみよう。
「このようなものを持ちだして……。
大丈夫なのですか?」
「これは私の独断であります。
今後の魔物討伐に役立つかもしれません」
なるほど。
問題が起これば、自分が責任を負うと。
ただ……ひとつ確認しなくてはいけない。
「それなら人類連合に、教会として提出すべきでは?」
アレクサンドルは小さく首をふる。
「そう単純な話ではありません。
教会としては禁じた書物を元に対応を考えては……。
禁書としての正当性が失われるでしょう。
有害だからこその禁書で役立ってはいけないのです。
それでもだすべきなのはわかっていますが……。
残念ながら今の教会に、その余裕はないと思っています」
単に収蔵する意義がなくなった。
だから使わない。
そのような形にしたいわけだ。
ただ有用性は理解している。
持ちだす口実として破棄を使ったわけだ。
それを俺がどこからか手に入れた情報として使ってくれ。
そんな筋書きか。
「なるほど。
私の名前でだしてほしいと」
理屈はわかるが……。
虫のいい話だ。
なにかあれば、俺の責任問題に飛び火するぞ。
それはいいのだが……。
ただ教会の保身に利用される筋合いはない。
アレクサンドルは新たに一冊の本を懐から取り出して、テーブルの上に置いた。
「たしかに都合のいい話であります。
そこは曲げてお受けしていただきたい。
そういえば……。
よくわからない書物もありましたので、こちらもお渡しします」
軽く目を通す。
なるほど……。
これが誠意か。
キアラにも見せた。
キアラの目が丸くなる。
教会が独占している高位のマジックアイテム製造法だ。
価値は計り知れない。
これだと教会が、一方的に損をする。
つまりなにか見返りを求めての取引と考えるべきだろう。
個別の条件では取引にならない。
だからこそ抱き合わせの取引にしたわけだ。
「たしかによくわかりませんね。
ですが折角なので受け取っておきましょう。
ところで返礼は、なにがいいでしょうか?」
アレクサンドルは満足気に、目を細める。
「そうですね……。
巡礼街道を返還されましたが、一部耕作に向かない湿地帯もあります。
ラヴェンナでは、湿地帯を耕作地に変えることを実現されたとか?
耕作に不向きな土地を、
教皇
オフェリー経由で伝えた話だな。
手紙に書いていいかと聞かれたので、なにか交渉材料に使えると思って許可した。
手紙をだした当初は無反応だったが……。
覚えていたようだ。
「ではラヴェンナが、技術指導をしましょう。
多分その湿地帯は、同じような手法で耕作地に出来ると思いますよ」
リカイオス卿から奪ったときに、土地の調査は済んでいる。
同じ手法が通じるだろうと、報告も受けていた。
アレクサンドルは真顔でうなずく。
安心出来る収穫物は、喉から手がでるほどほしいだろう。
「詳細はわからないのですが、一体どのような魔法を使われたのですか?」
難しい話ではない。
自然の力を利用しただけだ。
「泥炭層の湿地帯は、耕作には向きません。
その土地は、水はけが悪いですからね。
しかも川が蛇行しています。
これが頻繁に氾濫して水が溜まる。
これでは耕作には向きません。
解決方法は単純明快。
川を直線にするだけですよ」
アレクサンドルの目が鋭くなる。
「川を直線に……ですか?」
すぐには理解出来ないか。
魔族領の湿地帯が開拓出来ると思い、指示をしたのだ。
当時は転生前の記憶が残っていたからな。
生まれ育った土地の開拓方法を覚えていた。
それを有効活用させてもらっただけだ。
1年後には、成果がではじめる。
今やラヴェンナで、最大の穀倉地帯だ。
「直線になれば、川の流れが速くなります。
流れが速くなるとは、川底がどんどん下がることになるでしょう。
川底が削られるわけですからね。
その結果として、水位が下がるでしょう。
水位が下がるとどうなるか? 湿地帯の水は川に流れ込みます」
アレクサンドルは半ば呆れ顔で嘆息する。
かなり驚いたようだ。
「なるほど……。
そうやって、自然と耕作に向く土地になるわけですか。
それにしても人の心理だけでなく干拓事業にも、見識がおありとは……。
驚くばかりです」
「結果的にうまくいっただけです。
見識と言えるほどのものは持っていません。
専門家の話は、ある程度理解出来るのが限度です。
それで問題ないでしょう。
食と安全の保証は、統治者にとっての責務です。
専門家になる必要はありませんが、無関心でいることは怠慢でしょう」
アレクサンドルは意味ありげな笑みを浮かべる。
「
自分があと60若かったら……。
たしかに
俺にどう答えろというのだ。
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