869話 白昼夢

 このようなときに、教皇とは損な役回りだ。

 そう思ってしまう。

 普段トップになることが出来ない人は非常事態でないと、その地位は手に入らない。

 ジャンヌは好例だが、ピエロは最悪の例だ。


「失礼ながら……。

後世の教会は、聖下せいかの功績を忘れて、記録から抹消するかもしれませんね。

人にとって最も感情的で愚かな報復行為だと思っています」


 ジャンヌは皮肉な笑みを浮かべる。


「そうかもしれません。

でも過去に教会が存在していた……となるよりはいいと思っています。

私の人生は、教会と共にありましたからね」


 愛着のようなものか。

 俺は極めて薄情だから、愚行を繰り返していたら、さっさと逃げるよ。


「では……。

仮にそのような愚行がまかり通ったとしても、ラヴェンナでは語り継ぐことにしましょう」


 ジャンヌは興味深そうに目を細める。


「面白い人ですね。

そのようなことをして、ラヴェンナになんの利益もありませんよ。

未来の教会との関係は悪化するでしょう。

それは今までの発言と矛盾するのでは?」


 たしかに不利益だ。

 だがなにもしなければ、それ以上の不利益になる。

 より少ない不利益を取っただけのこと。


「過去にいた人をいないことにする。

つまり過去を改変して、今のプライドを保とうとする生き方は……。

子孫にしてほしくありませんから。

そのような妄想に、現実を合わせる行為は、今がすべての生き方しか出来ません。

私にとってそれは、人であることを放棄した獣未満の生き方です。

だから聖下せいかに同情したのではありません。

ラヴェンナの未来のために必要だと思っています。

教会からの反発など、些末なことですよ。

無形の財産が手に入るかもしれませんから」


 歴史から情緒を切り離すとは、純粋に知を追求したい人にとって、魅力的な世界だろう。

 多くの人が、ラヴェンナを目指すことになる。

 これは、とても大きな財産だ。

 ただ確定はしていない。

 だからこそ利益として計算しないが……。

 その可能性に掛けてもいいだろう。


 ジャンヌは目を細める。


「それでしたらご自由に……としか言えませんね。

ただ個人的には、とても好ましい考えだと思います」


「記録と情緒を切り離せる日が、いずれ来るかもしれません。

そうすれば今の価値観で、過去を断罪することもなくなる。

可能性ですが……。

はじめて人は歴史と向き合えるようになるでしょうね。

今の歴史は都合のいい道具に堕していますから」


 趣味でなら向き合えるが、学問となると難しいのが実情だ。

 時間の止まった世界だったから仕方のないことだが……。


「随分と悲観的ですね。

悲観してもなお、未来に託すわけですか」


 そう言いつつも、ジャンヌは愉快そうだ。

 俺はジャンヌと同じことをしようとしているからな。


「もし楽観出来るなら、すでに達成されているでしょう。

それだけ困難なことだと思っています。

だからと泣き言を言っても始まりません。

なすべきことをなすだけです。

正しい方向に進める道を、選択肢に用意したいだけで……。

将来のことは、将来の人が決めるべきですからね。

過去の愚行で、選択肢が狭められることは、枚挙に暇がないでしょう」


「正解は示さない。

自分たちで選べと。

とても厳しい方ですね」


 厳しいかではなく、保証が出来ないだけだ。

 それだけ未来は不安定で不確かだと思っている。


「未来のことはわかりませんから。

今正しくても、将来間違っているかもしれません。

だからこそ決めてしまうことは出来ないのです」


「やはり強い人ですね」


「強いわけではありません。

自分以外の責任を押しつけられると、やる気がなくなるだけです。

だからこそ子孫に、そのような思いはさせたくない。

よく言われるでしょう?

、至極単純な話です」


 ジャンヌが口に手を当てて笑う。


「ああ……。

その言葉を、正しく実践出来る人は稀ですよ。

ラヴェンナ卿はその希少な例です。

それを口にして、他人に嫌がらせをする人の、なんと多いことか。

自分だけが嫌な思いをしたくないだけ。

それでも口にするのは……。

自分が道徳的に優れている、と誇示するための化粧でしかありません。

これは俗人も聖職者も変わりありません。

嘆かわしいことではありますけどね」


 教皇に言われたら、教会もお仕舞いだよな。

 事実終わっているからこその現状なのだろう。

 中央にいくほど腐敗は強い。

 末端では比較的にも清廉で、それが教会の権威を辛うじて維持しているわけだ。


「人は獣だったころの名残で……。

自分を強く見せたがるものだと思っています」


「面白い見解ですね。

興味深いですが本題に入りましょう。

今日お呼びしたのは、知恵をお借りしたいからです」


 なんのアドバイスが欲しいのやら……。

 それともアドバイスという名の助力か。


「私は聖下せいかほど聡明な方に、知恵を貸せるとも思えません」


「ご謙遜を。

私は教会の中からでしか、世俗を見たことがありません。

だからこそ世俗にいる知恵者の力を借りるべきと思いました。

世俗に関わる以上、世俗の問題解決を迫られる。

なにか手段を考える必要があります。

使徒騎士団を雑用に使うと、全員が反発してしまいます。

使いどころが難しいのですよ。

そこで冒険者を使おうと思います」


 普通に考えるとそうなるが……。

 問題があるな。

 冒険者は、好きに仕事を求めて移動出来る。

 労働力が安定しないのだ。

 それを調整するために、ギルドが存在する。

 それでも完璧ではない。


「現実的ではあります。

それだけの仕事があるか……ですね」


「それもありますが……。

ラヴェンナ卿が旧と呼ぶギルドは信用なりません。

教皇庁に間借りさせてはいますが……。

内部統制すら出来ていません。

長い歴史を持つ教会の凋落も著しいですが……。

同じようにギルドまで凋落するとは、思いもよりませんでした」


 タイミング的には同じだよな。

 どちらも同じ原因だと思う。


「恐れながら……。

ギルドは何時崩壊してもおかしくないほど腐敗していただけでしょう」


「返す言葉もありませんよ。

そこで新ギルドと、提携を深めたいのです」


 なるほど。

 ひとつに頼りたくはない。

 至極真っ当な考えだな。


「つまり秤に掛ける。

競争せよと」


「そうなります。

如何でしょうか?」


 新ギルドに特権的地位を求めるつもりはない。

 実績に応じた権利は、自分たちで手に入れるべきだ。


「拒否する理由がありません。

ヴィガーノ殿に話してみましょう」


「すでに話してあります。

ラヴェンナ卿の判断次第と言っていました」


 まあそうだよな。


「でしたらこの問題の障害はありません」


 これも書状だけで、片が付くぞ。

 まだなにかありそうだ。

 ジャンヌは目を細めた。

 俺の考えはお見通しか。


「それだけなら書状で事足ります。

これだけで問題は解決しません。

冒険者は仕事がなければ常駐しません。

つまり即時の対応が取れない。

そして多くの問題は、放置するほど悪化します。

なにかいい知恵はありませんか?」


 なるほど。

 至極真っ当な考えだな。

 回答を躊躇ためらう理由もない。


「そうですね。

冒険者はあくまで補助的な役割が望ましいでしょう。

ただ使徒騎士団は、彼らが名誉あると考える任務しか引き受けない。

それならば……。

騎士団を増やしては?」


 使徒騎士団は仕事を選ぶからな。

 地味な仕事は、冒険者に押しつけていたのだ。

 それで問題なかったのは、3国が健在だったからこそ。


「騎士団を?

面白いですね。

伺いましょう」


「使徒騎士団の下位組織として、地域ごとの騎士団を作るのです。

世俗にいながら聖職者でもある。

修道士の勤めに、世俗の内容が含まれる形でしょうか」


「世俗に関わることをする騎士ですか」


 明確な役割としておかないと、なにもしない可能性が高い。

 世俗に関わるなら明記すべきだろう。


「そうなります。

使徒騎士団は最高位の騎士団として残す。

これならへそを曲げないでしょう。

地域の騎士団で結果を残せば、使徒騎士団に入る道が開かれる。

そのような形になれば、使徒騎士団のなり手も増えるでしょう」


 ジャンヌは上機嫌でうなずいた。


「素晴らしいご提案ですね。

今までと違って、使徒騎士のなり手は激減してしまいました。

どう増やすかも頭を悩ませていましたが……。

いい手です。

そうやって、徐々に使徒騎士団の内実を、現実に即したものにせよと。

枢機卿に相談しても、寄進をつのる程度の回答ばかりでしたから。

やはり相談して正解でしたね。

リッツァットの勧めに従ってよかったわ」


 リッカルダの提案だったのか。

 リッカルダは俺に頭をさげた。


「ご迷惑かと思いましたが……。

統治に関しては最良の相談相手だと思いました」


 それは、仕方がない。

 リッカルダがジャンヌの信任をつなぎ止めたいなら、そうすべきだ。

 ただなぁ……。


「構いませんよ。

私の知恵で役立つのなら。

ただまぁ……。

今後面倒な話にはなりそうですけど」


 ジャンヌが真顔になった。


「なんのことでしょうか?」


 絶対に知っていて惚けたはずだ。


聖下せいかもお人が悪い。

これは先例になりかねないでしょう。

アラン王国から独立して承認されたいときに、人類連合ではなく、私を通すことになりかねません」


 今後、問題が発生したとき……。

 俺が『教会のことだ』と知らんぷりをしないよう、巻き込む作戦だ。

 まったく食えない人だよ。


 ジャンヌは目を細める。

 やはり狙っていたか。


「人類連合のような白昼夢に承認されると危険ですから。

サロモンはその白昼夢に取り憑かれていますけど」


「なかなか辛辣しんらつですね」


 ジャンヌは首をかしげる。


「そうでしょうか

理念だけが先行するのは白昼夢だと思いませんか?」


「それでもサロモン殿下は、必死に生きていると思います。

私は必死に生きている人を非難する言葉は持ち合わせていません」


 ジャンヌは苦笑して、肩を竦めた。


「これではどちらが聖職者か……わかりませんね。

サロモンとは小さいころに何度か会ったことがあるのですよ。

それで親にも似た感想を持ってしまったのです。

誤解されませんように」


 気安さからの酷評か。

 ジャンヌのようなタイプは、近親者に甘くなるのではない。

 より厳しくなる。

 サロモン殿下の動いた結果は、落第点になるのだろう。


「ああ。

そうだったのですか。

当時から純粋でしたか?」


「昔は真面目だけど、気弱な子でした。

『宰相になって、王の補佐をしたい』とかね。

そう思えば気の毒かもしれません。

王族に生まれてしまいましたからね」


 良識を生かした、補佐的な役割か。

 小さいころから、自分の適性は知っていたのだろう。

 だからこそジレンマに陥っている。

 その苦しみにつけ込まれたのだろう。

 だからと好意的な評価は出来ない。

 高潔な失政者より堕落した成功者の評価は高くなる。


 政治は結果論だからな……。

 それがなにを生み出すか。

 あとからどのようなケチをつけても、一定の正当性が担保される。

 だからこそ政治に関しては、批評家が跋扈するわけだ。

 貴族の間の政治談義と言えば、聞こえはいいが……。

 内実は批判するための批判でしかない。


 こればかりは、どうしようもないな。


「生まれで生き方が決められていますからね。

このような乱世でなければ、穏健で愛される王になれたでしょう。

ただ……それ以上に、民は大変でしょうね」


 ジャンヌは感慨深げに窓の外を見る。


「どのような王族でも、今の状態に対応出来るとは思えません。

人の手に余ると思いますね。

でなければ女の私が、教皇なんてあり得ませんから」


 なかば独り言だろう。

 ジャンヌは俺に向き直った。


「ラヴェンナが特殊過ぎますよ。

能力や適性だけで、どのような職業にもつけるのですから」


「それは男女でわける余裕がないからです」


 ジャンヌは意味深な笑みを浮かべる。

 まったく元気なお婆さんだ。


「あら? それは口実だと思いますね。

元々ラヴェンナ卿は、性別で生き方をわける意識がないだけと思いますよ。

それはさておき……。

サロモンをどうするつもりですか?」


 危険な問いかけだなぁ。

 迂闊に答えられる問題ではないぞ。


「私が殿下の運命を決められるなど……。

おこがましいですよ」


「サロモンの運命を左右出来る人は複数存在するしょう。

そのひとりはラヴェンナ卿です」


「影響は皆無とまでは言えませんが……。

私がどうこうよりも、殿下の行動次第でしょう」


 そう言ったものの、どのような行動を取るか明白なんだよな……。


「それはそうですね。

今後どうするか読めているでしょう?」


「殿下は独立を認めるわけにはいきません。

王族としての責務の放棄になりますから。

ですがそれを止める力はない。

人類連合に訴えるでしょうね」


 だがこれは、すげなく却下される。

 ではどうするのか……。

 人類連合の力を強化して、主導権を握る。

 初代議長を目指す。

 それしか道が残されていない。

 ジャンヌは意味深な笑みを浮かべる。


「人類連合としては難しい立場に追い込まれるでしょう。

出席者のひとりとして、どうお考えで?」


「回答は決まっていると思います。

これしかありません。

追い込まれたのは殿下ひとりだと思います」


 ジャンヌは複雑な表情で、ため息をついた。


「力なき王権の末路ですね。

それならば人類連合を強大化させて、それと同一化する。

目指すのはそれしかないでしょう。

私はこの白昼夢を実体化させることには反対です。

白昼夢が公正である保証など、どこにもありません。

むしろ飼い慣らせない怪物に支配される気すらしています。

普遍的正義の実現のためと標榜するでしょうが……」


 よく理解しているな。

 これで若ければ、次世代を託すのに相応しいのだが……。

 どちらかと言えば、俺が託される側だな。


「自分がそう言ったから、現実がそうなるですか……。

子供の理屈ですね。

大人がそれでは困ります」


「メディアも自身を、公正で客観的と公言していましたが……。

その看板で、誰かに殴打されましたね。

ただ人類連合が力を持つと殴打することは困難でしょう」


「同感です。

個人的な見解ですが、世界政府のような強制執行力を有する組織の実現は不可能だ……と思っています。

執行力を持つとは、どの国よりも力がなくては出来ません。

そのような組織を作りたいと思う人は、世界を支配したい人でしょう。

そもそも国ですら、意識の統一が難しいのです。

それを世界に拡大したら、さらに意思の統一が困難になりますよ。

どうやって執行の正当性を担保するのでしょうね」


 もし担保するなら、行動をすべて明文化するしかない。

 ただし悪用されると、修正にかなりの時間が必要になる。

 だからと恣意しい的な運用を認めては、悲惨なことになるだろう。

 どう考えても不可能だ。


「ではこの問題で、我々は協力し合えるでしょう。

私はそろそろ教皇庁に戻らねばなりません。

今日お時間を頂いたのは、後任にご指導ご鞭撻べんたつの程をお願いしたかったのです。

後任の人格は、私が保証しましょう。

決して無益な反対などしませんから」


 なるほど。

 書状だけだと非礼になるから、じかに会って頼んできたわけだ。

 これなら俺が協力せざるを得ない。

 教皇という権威をどう政治利用出来るか……。

 嫌というほど知り尽くしている人だな。


 逆に次の教皇が、心配になる程だ。

 だが……。

 それを口出しするのはお門違いというものだ。

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