864話 ストレスの溜まる話ばかり

 さて禁止事項か……。

 難しい話ではない。


「弱さを見せることと、男を認めるような発言ですね。

それ以外の注意事項はありません」


 カルメンはキアラをチラ見して苦笑する。


「アルフレードさまを否定するのって、無理がありますけど……。

それにいうほど私は強くないですよ」


 キアラに気を使ったな。


「私はアズナヴールさんから『話のわかる、珍しい男』と思われているでしょう。

だから過度に称賛しなければ大丈夫です。

称賛は弱さと受け取ります。

それにカルメンさんは、自分のやりたいことに見合った強さを持っていますよ」


 カルメンは少し照れたように頭をかいた。

 ストレートな称賛には慣れていないようだ。


「なんだか面倒くさいですね。

称賛が弱さって……毒親の教育のせいですか?」


「ええ。

毒親は子供が、他者に好感情を抱くことは嫌悪するでしょう。

その拒絶はきっと激しいと思います。

他人の人形ではダメですからね。

自身が劣等感の塊なので、他者には太刀打ちできない、とわかっているのか……。

他人のふれた人形が嫌なだけ……かもしれません。

どちらにしても毒親は、必要以上に他者を見下す言動をしている。

他者へのマウントを取れる慈善活動には熱心だ……と思いますけどね。

そうやって毒親は他者から称賛される。

子供はどう感じるでしょうね。

無意識にも褒める行為は、弱者が強者に媚びる行為だ……と考えるかもしれません。

もし子供が、形だけでも感謝や称賛の意を毒親に示せば?

機嫌がよければ虐待が軽減されるでしょう?

これは媚びる行為だ……と自分の経験から強固に刷り込まれてしまいます」


「聞けば聞くほど罪深い存在ですね。

それにしても……。

男を認めるのも弱さと考えるわけですか」


 このあたりは、屈折した感情だな。

 弱さそのものを憎むだろう。


「正確には強者に媚びるような行為と映ります。

自分がそうだと認識しているからこその憎悪でしょう。

だから反射的に忌避してしまう。

客観性やバランス感覚があれば、そのようなことにはなりませんが……」


「困った話ですね。

でも言われてみると……。

イポリートさんはオネエだから、フラヴィ的には強い男ではないわけですね。

なんか大変だなぁ……。

そこまで配慮する価値があるほどの才能だと期待しますよ」


 イポリートの性癖は大きいだろうな。

 性別に囚われない、強い人と思っているのだろう。


「期待しましょう。

アズナヴールさんは、自分の作品で認められたい……と思っていますからね。

だからそこまで気を使わなくても平気ですよ。

もし自分を全肯定するようなタイプであれば……。

師範は推薦しないでしょうからね」


「なるほど。

アルフレードさまの目利きを信じることにします。

今のところ外れはないですから。

それにしても自信とかバランス感覚ですか……。

大事だと聞きますけど、ここまで根本的な話だとは思わなかったですよ。

私もどこかで転げ落ちていたかもしれませんね」


 下手に同情すれば、かえってカルメンを傷つけるな。

 それに、軽々しく回答できる話ではない。


「カルメンさんの育った環境について、詳細は知りません。

だからと……。

野次馬根性で知ろうとするのは、私の性に合いません。

なので軽々しくふれることは出来ません。

幸い毒親は、現時点で特殊なケースですよ。

命の価値が高くないと生まれませんから。

遠い将来には増えていくと思いますが」


 カルメンは、少し安堵あんどしつつも驚いた顔になる。

 自分でも余計なことを言ったと後悔したのかもしれない。

 ならば、このままふれないのがいいだろう。


「将来的に増えるのですか?」


 将来的に命の価値があがる。

 これは確実だ。


「命の価値があがると、おかしな振る舞いをしても生きていけますからね」


 カルメンは眉をひそめて首をかしげる。


「平和になると価値があがりますか?

下がると思いますけど」


 今までならそうだ。

 だが状況は変わってしまったからな。


「民主主義という概念が持ち込まれました。

つまり民衆に、権利意識が芽生えるからです。

この話は、今度にしましょうか。

長くなりますから。


 カルメンの顔が引きる。


「わ……わかりました。

この話以外に重たい話題はお腹いっぱいです」


「では話を戻します。

人格の中心となるのは自信でしょう。

失敗しても成長するのは自信という足場があるから。

自信がないと、失敗は恐怖でしかありません」


 キアラは納得した顔でうなずいた。

 どことなく安堵あんどしているのは、民主主義の話に進まなかったからだな。


「たしか毒親は、子供に自信を持たせずに責め続ける。

子供は自信が持てないし、基礎を学ぶことも出来ない。

これでは空気など読めるはずがありませんわね」


「毒親でなくても、過去のことを延々と持ち出して説教する親だった場合……。

子供は似たようなケースに陥ります。

失敗が限度を超えて、重荷とされたら……誰だって行動そのものを避けますよ。

もしくは失敗そのものを無視するか。

どうしても判断は極端になるでしょう。

そう仕向けて自主性がない……と嘆く輩はいますけどね。

無知とは幸せですよ。

自分の醜さにも気が付かないのですから」


 キアラはなにかを思い出すように、首をかしげる。

 すぐに納得した顔でうなずいた。


「そういえば……。

お兄さまは、家臣に対して一時叱ったことは、絶対に蒸し返さないですね。

同じ過ちを繰り返せば話は別ですけど。

家臣も部下に対して蒸し返す人はいましたけど……。

お兄さまはすごく冷たい目で見ていたのを覚えています。

あのときは、そのような行為を嫌っていたと思いましたけど……。

実はその行為が危険だ、と認識しているのですわね」


 人だから、どうしてもそのようなときはあるだろう。

 だから仕方ない……では済まない。

 この行為こそ、失敗を恐れて減点主義へと向かう道なのだから。


「虐待は連鎖すると言いましたが……。

理不尽な扱いも連鎖します。

反面教師にし続けるには、それなりの精神力が必要でしょう。

しかも私の見ているところで、それをやられたら認めている、と思われますよ。

口でどれほどダメなことだ……と言ってもね。

人ですからついやってしまうことはあります

でもそれはよくない行為だ、と自覚してもらわないとダメですよ。

武勇伝として自慢することではありません」


 キアラは苦笑してため息をつく。


「本当にすごく細かなところまで、気にされていますわね。

普通の領主は、そこまで考えませんわよ。

宰相や国王もですけど。

親でも……どうなのでしょうね」


 病は予防しているからこそ、軽度のうちに治せる。

 あとで対処する手間を考えたら、ずっと楽だろう。


「これは内臓の病です。

広がると治すことすらままならないでしょう。

それと……。

不適切な行為をするのは、個人の問題です。

指摘できないのは、組織の問題だと思いますよ。

だからと指摘なら、なんでもいいわけではない。

相手を蹴落とすための密告に、価値を認めません」


「ほんと苦労が絶えませんよね」


 あとで楽をするためさ。

 俺はムダな苦労を人に負わせるのが嫌いだからな。


「これが慣習になるまでは、目配りは欠かせません。

あとから急に変えようとしても無理ですよ。

また話題がれましたね。

人は小さな成功と失敗を積み重ねて、人格を作り出します。

そこには自信という地盤が必要でしょう。

その地盤がつくられるのは、基本的に幼少期です」


「親が褒めてくれるから……だけではありませんわね。

叱られても愛情があって見捨てられないから……ですの?」


「それがなにより必要でしょうね。

叱られても縁を切られない。

親子であることは変わらないでしょう?

簡単に捨てると脅すような親は、それに相応しいドライな子供ばかり育ちます。

根源的な人間関係である親子すら、簡単に捨てられるなら……どうなりますかね。

子供は自分を守るため、利益至上主義に走ります。

他人は利用するだけの存在になって、お金に執着するでしょう。

お金は意志がないので、自分を裏切りませんからね」


 カルメンは苦笑してうなずいた。

 そのような人をよく知っているだろう。


「そのような人を皆が『可哀想』などと言いますけど……。

私はただの妬みだと思っていました。

一時的にでも成功していますからね」


 たしかに無理矢理マウントを取るために同情することはある。

 だが……。

 すべてがそうではないだろう。


「それもあるでしょう。

ただ普通の人なら得られるはずの人間関係を得られなかった。

それを哀れむ気持ちが、本能的にあるのかもしれません。

お互いに理解しあう日は来ないでしょうけどね。

一方は家族はどこまでいっても家族。

それが普通です。

片方はそれがないからこそ成功した、と思うでしょう。

すべての人は利用するためにある。

条件つきの関係だとね」


「最初の親子関係が普通から外れると、そこまで交わらなくなるわけですか」


「良し悪しではありませんが……。

違う常識を生きていますからね。

話を戻しましょう。

この根源的な人間関係が大切です。

つまりは外で辛いことがあっても、家に帰れば安心できる。

この安心が、自信と表裏一体の関係です」


 だからと甘やかせばいいわけではない。

 子育ても正解のない困難なものだ。

 社会のつながりが希薄になれば、それはより困難になるだろう。

 キアラは納得した顔でうなずく。

 途中で、なにかに気が付いた顔をする。


「最終的には味方をしてくれる安心感ですか。

あ! 昔アーデルヘイトがやらかした疫病のとき……。

お兄さまは、アーデルヘイトの父親に言っていましたね。

正確な言葉は忘れましたけど……。

なにがあっても父は娘の味方でいてください……って。

このような意図があったのですね」


 よく覚えていたな。

 この安心感は、大人になってから不要になるとは限らない。

 必要とする頻度が減るだけだ。


「成人したとしても、大きな挫折を味わったときは、安心が必要ですよ。

野宿するにしてもテントは欲しいでしょう。

安心できる場所がないのは、テントを張らずに野宿を続けるようなものです。

これに耐え続けられるのは、よほど精神が強靱きょうじんでないと難しいでしょう」


 キアラは妙に納得した顔でうなずく。


「お兄さま学は深いですわね……。

ところで疑問なのですけど、毒親って常に否定するのでしょう。

それならなにをやっても0しかない……。

そんな思考になりませんの?」


 その疑問は当然か。

 ある前提を伏せていたからな。

 気が付いてくれてよかった。


「いえ。

到達すべき目標は設定しています。

だからそこに到達すれば100。

ただしほんのわずかでも、瑕疵かしがあれば0。

なくても気に入らなければ……0ですけどね。

目標すらなければ、ただの無気力人間になります。

そうなっては、毒親の自尊心を満たす存在ではありえません。

だからこそ承認欲求を強くするように仕向けます。

人をなぶるのが趣味の人も、相手の反応が必要でしょう?

それだけのことです」


「ああ……。

幻でもゴールがあるわけですのね。

承認欲求を強くする方法なんてありますの?」


 どう説明したものか……。

 回りくどくなるが、前提から話す必要があるな。


「承認欲求とは誰しもが持つもので……。

人が持つ欲求のひとつに過ぎません。

最初は生理的欲求。

これは食欲などの生きるために必要不可欠なものです。

次は安全欲求。

生理的欲求が満たされると、人は安全を求めます。

肉体的にも精神的にもね」


 キアラの目が鋭くなった。


「ここは本にしてもいいですか?」


「仕方ありませんね。

毒親とアズナヴールさんの話はダメですよ」


 キアラは満面の笑みでうなずいた。


「当然ですわ」


「では

次に社会的欲求。

これは愛されたいとか集団に帰属したいという欲求です。

ここまでは外的欲求で、毒親は子供の欲求すべてを満たさせない。

部分的に満たさせるのです。

そうしておいて次は承認欲求の話をしましょう。

これは内面的な欲求です。

認められたい、というものですね。

これを刺激します。

つまりごく稀に認めるとか褒めるなどすればいい。

外的欲求が満たされないと、人は不安になります。

そのようなときに内的欲求が満たされると、刺激はものすごく強くなる。

不安を一時的にでも忘れられるのです」


 キアラは嘆息して、天を仰ぐ。


「お兄さまは系統立てて話されましたけど……。

酷い話で、言葉もありませんわ」


「実際ろくでもない話ですからね。

酒に溺れるのと、実は似た原理なのです。

飲んでいる間、不安はぼやけて実感が薄れます。

でも状況は改善しない。

だからまた酒瓶に、手を伸ばすでしょう?」


 酒に溺れている間は、不安を忘れられる。

 そう聞くが実際は違う。

 極端な近視となり、遠くの不安が明確にならないだけだ。


「ある意味で、人の業ですわね。

逆に聞きますけど……。

正しく人を認めるのは、どうすべきですの?」


 その疑問は当然か。


「そうですね……。

『頑張りが認められるは子供まで』

このような言葉を聞いたことはありませんか?」


「よくありますね。

もしかして……。

これもバランス感覚を養う一因なのですか?」


「だと思います。

大人になってから結果が求められるのは理由があります。

ただ大きくなったからではありません。

子供時代に必要な自信をつけて、簡単には挫けないからです。

それが普通の人たちにとっての前提ですよ」


 カルメンは感心した顔で腕組みをする。


「自信って聞くと大袈裟なようですけど……。

なにかをするのに必要不可欠なのですね」


 なければなにも出来ないだろう。

 出来るとしたら言われるがままだ。

 それは出来たと言えるか?


「なので正しく認めるには、評価に明確な筋道が立っていること。

結果だけではなく、そこに至る努力を含めて認めることです。

失敗しても感情的にならないこと。

どの努力や準備が足りなかったのかを直視して、次回への糧としてもらうことです。

手を抜いて結果だけで判断すると、あとで痛い目を見ますよ。

結果至上主義は、足の引っ張り合いになりますし……。

基本的な努力すら軽視するでしょう。

それが流行したら、その組織は死を迎えるしかありません」


「聞けば当たり前ですね。

当たり前だからこそ軽視されがちですけど。

失敗したときの対応が一番大事に聞こえます」


「その通りですよ。

失敗を認めるのは次への糧になるからです。

そうでなければ、ムダな行為になりますからね。

それを無視して自信は必要だからと……。

失敗から目を背け続ければ、自信過剰に見えるでしょう?」


「あ~いますね。

後付けの言い訳ばかりなのに、なぜか自信満々なのが。

ひとりの例外もなく無能でしたよ」


 わりと多いな。

 それはすべての責任を、他人になすり付けてこそ成立する。

 過度に他者に依存して、自尊心の塔を建てているにすぎない。

 典型的なひとりではなにも出来ないタイプだ。


「それは他罰的な人が、自信と誤解する妄想です。

他罰的な人が生まれる土壌は複雑すぎるので、ふれるのは止めておきましょう。

本当の自信を知りたければ、その人が直視できる失敗の大きさを見るしかありません。

その自信が極端に小さければ……。

極端に虚勢を張るか、極端に卑屈になる。

もしくは極端に攻撃的な態度を取るなど……とにかく極端に走ります」


 カルメンは苦笑しながらうなずいた。


「それは適切な加減がわからないからと」


「そうなります。

0か100の間で物事を決めるなら自分の考え……。

すなわち自信が必要ですからね。

かなりまとまりのない話になりましたが……。

毒親によって、子供がどれだけ傷を負うか、そしてどれだけ深刻か。

少しでもわかってもらえましたか」


 キアラは小さなため息をついた。


「これを聞くと、アズナヴールは面倒くさいけど……。

気の毒に思えますね。

もしかして……。

お兄さまが、オフェリーに気を使ったのはこのためですの?」


「そうですね。

気の毒に思った部分もあります」


 キアラから表情が消える。


「ではアズナヴールには丁寧にしないでください。

これ以上側室が増えると納得できませんから。

それにしても……ストレスの溜まる話ばかりですわ。

受け身ばかりで辟易しますもの」


 増やす気はない。

 あとは周囲がそう仕組まなければ大丈夫さ。

 それにしてもキアラですら辟易するか。


 だがこの話は、あとで役に立つと思っている。

 別の機会に違う形でしよう……と思っていたからな。


「気持ちはわかりますよ。

でもきっと近いうちに、大きな騒動が起きるでしょうね。

この前、マンリオから手紙が来たでしょう?

あれが予兆です」


 マンリオからの手紙を読んで思わず、笑みがこぼれた。

 ある意味で当然の報告だったが……。

 ひとつの未来が予測できたからな。

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