859話 特殊貨幣
ディミトゥラ王女が帰る際に、エテルニタに『みゃお~う』と鳴かれた。
俺以外爆笑。
キアラを睨むと、キアラは強く首をふった。
そうなれば犯人はひとりしかない。
カルメンは視線を逸らして、口笛を吹く。
こいつめ……。
いらんことを仕込みやがって。
ディミトゥラ王女が帰ったあとで、ホールで一息つく。
そこに、アーデルヘイトがやってくる。
「旦那さま。
面会中に気になることがありました」
「なんですか?」
その言葉を合図に、皆がゾロゾロ集まってきた。
いないのはモデストとプリュタニスだ。
モデストはディミトゥラ王女との会談が終わるのを見届けて外出している。
プリュタニスはサロモン殿下に呼ばれて出掛けていた。
今のところ、完全に、関係を断ってはいない。
今後、どう利用できるかわからないからな。
プリュタニスにコネを維持してもらっている。
アーデルヘイトは皆が集まるのを待ってから、俺の隣に座る。
「さっき放送で特殊貨幣の話がでていました」
絶対に
「経済圏で流通させている貨幣ですね」
アーデルヘイトの目が鋭くなった。
「ラヴェンナ金貨と交換できるから、価値が保証されているけど、それは本当なのかと……。
疑うような内容でした。
また言い掛かりですよ。
本当に懲りない人たちです。
私でも腹が立ちますよ!」
たしかに懲りないな。
キアラは小さく首をかしげた。
「あら?
あれって流通量を増やしてほしいと、要望があった件ですわね。
お兄さまは少しずつしか増やしていませんでしたけど……」
「いつでも金貨と交換する約束です。
総量は決まっていますからね。
それを超えての発行は出来ないだけですよ」
「一度にすべての交換を希望することは有り得ない。
だから安心して増やしてほしい。
そのような要望でしたわね」
普通なら有り得ない。
だがそれを信じた結果、なにかあれば?
想定外では済まされない。
「今まではそうでしょう。
危機を煽られれば殺到します。
そこでもし交換できなければ……。
パニックが伝染して、瞬く間に特殊貨幣への信用はなくなりますよ。
だから認めなかっただけです」
キアラは頰を膨らませた。
「それでその気になれば可能でしたわね。
金貨は溜め込んでいるから、なにか意図があるとは思っていましたけど……。
教えてくれませんでしたもの」
皆は、メディアの攻撃とかに、腹を立てていたからな。
この話は放置されていた。
少し落ち着いたから、そろそろ教えてもいいだろう。
「特殊貨幣を安易に鋳造すると、物価が乱高下しかねません。
民衆にとって必要なのは、物価の安定です。
慎重に検討した数だけ増やすように指示しましたからね。
物価に影響がないようにと。
ただでさえ使徒貨幣で、貨幣への信頼が揺らいでしまったのです。
そこに特殊貨幣まで乱高下しては、信頼は失墜しますよ。
これは取り戻すのが大変になります」
カルメンは苦笑して、髪をかき上げた。
「たしかに価格が乱高下すると、生活は滅茶苦茶になりますね。
それで治安が悪くなっては本末転倒と」
景気が悪くなれば比例するように、治安も悪化する。
だからと景気が良くなっても、治安は比例して上がらない。
悩ましい話だ。
「使徒貨幣による弊害を公言すると、他所を非難することになりますからね。
それで反感を持たれても面倒です。
そのために、最初の口実で断っていただけですよ」
「それを知らないのかもしれませんね。
メディアは希望的観測で、実は足りないから増やせない……と思い込んだのでは?
それにしてもしぶといですね。
まだアルフレードさまの足を引っ張りに掛かりますか」
存在する限り引っ張り続ける。
俺の傘下になると、手のひらを返して俺の敵を攻撃するだろうが……。
いても迷惑な味方だ。
「彼らも学習したようですよ。
断定まではしていませんからね。
ただ……。
性根までは治せないでしょう」
カルメンは呆れ顔だ。
気持ちはわかる。
「つまり
「ええ。
寄生虫はどんなに頑張っても、宿主を変えることしか出来ません。
寄生する生き方しか出来ませんからね。
それと同じで、使徒の思いつきで誕生したメディアには、組織論がない。
建前は知っているけど、方便程度にしか思わないでしょう。
だから社会の寄生虫から抜けられない。
注目を集めて、影響力を拡大させることのみ考えるでしょう」
「懲りないですねぇ……。
それしか思いつかないのかもしれませんけど」
「結果として原則に立ち返るわけです。
それは『スクープがないなら作れ』とね。
誰かに虚偽の噂で交換できなかったと、デマを流させるか……。
もう少し知恵が回るなら、別の手を考えますね」
キアラは怪訝な顔で首をかしげる。
「交換を受け付ける場所は複数ありますけど……。
それぞれの金貨保管量は決まっていますわ。
一箇所に目をつけて……。
足りなくなるほどの交換をさせるのですか?」
やるとしたらそれだろう。
「その通りです。
その日に交換できないことは事実ですから。
それを大袈裟に放送するでしょうね」
「ではどうしますの?」
やることは決まっている。
「まず当日ではなくとも、必ず交換には応じる。
これはラヴェンナの信用に関わります。
即日に交換できないこともある……と事前に伝えていますからね。
問題ないでしょう。
ただ注意すべき点がひとつ。
これが保有量の一番少ない受付に殺到したなら、妨害工作の可能性は高い。
各地の保有量は、地域の経済規模に準じていますが……。
それ以外の要因もありますからね。
保有量は機密事項ですが、どこかから漏れたのではないか。
そこを洗ってください。
ただし……偶然や臆測も否定しないように」
「わかりましたわ」
それより、もうひとつ考えるべきことがある。
「あとは各領主が、どうでるか。
それで今後の対応は考えましょう」
キアラは唇の端をつり上げる。
「デマに踊らされて、全交換を願い出る領主はいるでしょうね」
当然いるだろう。
「それは権利として認めています。
だから交換に応じる。
それで終わりですよ」
「特殊貨幣には各種税の減免という特典がありますわね。
デマだと知ったあとで、また特殊貨幣との交換を希望しても拒否しますの?」
当然だろう。
無理に特殊貨幣を使用してもらう必要がないのだ。
「ええ。
元々金貨が不足するから、代替としての特殊貨幣を用意したのです。
不足が解消されたなら、特殊貨幣を提供する義務はありません。
ただ……この特殊貨幣で、経済が活性化している側面はあります。
だから今まで特殊貨幣を容認して、さらなる発行を願っていたのでしょう?」
「それが認められないと困るでしょうね」
「消費が一時的に冷え込みますからね。
でも知りません。
交換には手間が掛かるのです。
ただ……何も言わずに拒否は悪手ですね。
各領主に書状を出してください」
「どのような内容にしますの?」
「特殊貨幣と交換可能な金貨は、常に保持している。
交換用の金貨保有量……これは全体だけでいいです。
合わせて、特殊貨幣の流通量を公開してください」
キアラが驚いた顔になる。
そうだろうな。
このような情報を流すことは有り得ないからだ。
「それを明かしますの?」
「ただある……と言っただけでは、誰も信じません。
他所ではやらないことです。
だから公表したくはありませんでしたが……。
この際仕方ありません」
言葉に説得力を持たせるためには、根拠が必要になる。
この場合事実の公表が一番楽だ。
額面通りに信じないだろうが、ある程度は真実だと考えるだろう。
それでどうするか。
考える頭があれば、嫌でも悟る。
ラヴェンナはそこまで把握しているのだと。
内部統制力の差を知って、どうでるか。
悪用は困難だとも知るだろう。
貨幣に関する罪は、ラヴェンナに限らず死罪と相場が決まっている。
社会全体の価値観への裏切り行為だからな。
それでもラヴェンナが特殊通貨の流通量を把握していないなら、チャンスと捉える悪党はいるだろう。
それを抑止する目的もあった。
「わかりましたわ。
続きは?」
「故に不足する事態は、決して起こりえない。
それでも不安であれば、交換には応じる。
ただし再度、特殊貨幣との交換は行わない。
元々特殊貨幣は、金貨が不足した他家への助力なのだから。
金貨との交換は、その不足が解消されたことになる。
そのような感じで」
キアラは俺の言葉をメモした。
あとは、役人が清書してくれるだろう。
キアラは秘書を呼んで、メモを手渡し何事か指示した。
それでもスッキリしない顔だな。
「特殊貨幣が経済圏から消えても構わないのですか?
特殊貨幣で経済圏を制御していますわ。
その手綱を失うことになるのではありません?」
直接的な手綱は消える。
だが俺はこの手綱を永続的なもの、と考えていない。
各家も経済的に自立したい意志があるだろう。
ラヴェンナが特殊貨幣の発行量を制御することで、今の物価が決まっている。
それを自分で決めたいと思うだろう。
領主にとっての利権でもあるからな。
だからと経済圏から抜けるわけではない。
経済圏に入ったまま、立地などを武器に、
だからこの報道を奇貨として、特殊貨幣からの脱却を目論む可能性が高い。
「もう金の流れという血管が出来てしまいました。
それを変えられますかね?
だから間接的な制御は可能です。
それよりこれは、
どっちらに転んでも、損はしませんよ」
キアラはジト目で俺を睨む。
「まあ……。
またなにか仕込んでいましたの?」
俺は、ひとつの目的で、ひとつのことをしない。
それは熟知しているだろう。
特殊貨幣には、いろいろな目的があるだけだ。
「隠れた目的は、ひとつの認識を持たせるためです。
金貨は金貨だから、価値があるのではない。
金の希少性が、信用となる。
つまり貨幣とは、信用に裏付けられるものである……とね。
将来金貨からの脱却が行われるときの道筋を指し示したに過ぎません。
今回の騒動は、ひとつの教訓にはなるでしょうね」
キアラは納得した顔でうなずく。
この話は以前していたからな。
「金貨以外でも貨幣たり得ることは、皆が認識しましたものね」
「将来の話になりますが……。
社会が発展すると、経済規模は拡大します。
そのとき、金だけではその規模をカバーしきれないでしょう。
そこで新たな通貨が必要になる。
この特殊貨幣は、重要なヒントになると思いますよ」
「そのような教訓のために苦労するのはなんか
そうでもない。
未来を金で買ったのだ。
しかもかなりの安価で。
「全交換を完遂すれば、ラヴェンナへの信用はさらに高まるでしょう。
元々使徒貨幣の騒動で、ラヴェンナ通貨への信用だけ落ちませんでした。
だから今は、他国の通貨よりラヴェンナ通貨が信用される。
加えて今回の対応で、どうなるか。
ラヴェンナの経済的信用度は各国の王家を凌ぐわけです。
新たな通貨制度を創設するときに、主導権を握ることが出来ますよ。
運用を含めたノウハウは、ラヴェンナだけが持っていますからね」
キアラは今一納得していないようだ。
首をかしげている。
「それって……。
ランゴバルド王国だけが強くなるから、他国は認めないと思いますわ」
当然だろう。
ではどうするか……。
自前の新規通貨に、手を出す勇気があるか。
他所は使徒貨幣で、かなりトラウマ《心的外傷》を抱えているからな。
必要とわかっていても、リスクを選択できるのか。
普通は出来ない。
問題の先送りを考える。
やがて誤魔化しが利かなくなれば?
「そのときに、どうなるでしょうね。
いっそラヴェンナを独立した国として認める方向にいくかもしれませんよ?
滅ぼそうとして大出血をするなら……。
適当に切り離して、うまくやっていったほうが得ですから」
そもそもラヴェンナは、険しい山で大陸から隔離された一種の孤島だ。
攻めるリスクを、誰も負いたくはないだろう。
しかも社会制度まで違う。
それなら明確に切り離せばいいと考える可能性がある。
そのときにならないとわからないが……。
カルメンが目を見開いて、大きく口を開いた。
「まさか……そこまで考えていたのですか?」
あくまで可能性のひとつだ。
他国にすれば独立させれば、ランゴバルド王国の力を削げる。
ランゴバルド王国は異物を抱え込む危険から脱却できるだろう。
そして旧主として、一定の影響力は持てる。
経済圏でつながっているからな。
独立を認める代わりに、なにか大規模な投資を求めるかもしれない。
その程度なら許容範囲内だろう。
ランゴバルド王国がイデオロギーに支配されていなければ、そう悪い話ではないさ。
そのあとはまあ……。
他国のバランス関係が崩れないように、うまく介入していけばいいだろう。
俺が死んだあとの話だけど。
「可能性のひとつに過ぎませんよ。
いずれにせよ……。
ランゴバルド王国内での特殊性が認められ続ける保証はない。
次の王以降は流動的になるでしょう。
そのとき、どうするのか。
将来の選択肢を、子孫に残しておきたかった……それだけです。
とても安い買い物だと思いませんか?
将来になってからでは、もっと金と血が必要になりますよ?」
カルメンは大きなため息をついて、天を仰ぐ。
「もう言葉にならないとは、このことですよ。
呆れるほかありません。
だから魔王なんて呼ばれるんですよ。
これじゃあ弁護なんて不可能です」
最初からする気もないのに、よくいうよ……。
「それより……。
この件を放置する気はありません。
誰かのたくらみなら、責任はとらせますよ。
武器を持たない人は、生理的に殴れませんが……。
それを悪用して、武器を持たない人が、攻撃を仕掛けてくるなら話は別です。
紳士協定は紳士の間だけ通じる。
これが私のポリシーです」
キアラは口に手を当てて笑いだす。
「お兄さまは、その点に関してとてもシビアですわね。
ルールを悪用したら、厳しいお仕置きをしますもの。
外の人たちは驚いていますよね。
ラヴェンナで、詐欺と
たまにラヴェンナは、野蛮だって言われますわ」
詐欺の首謀者は、確実に死刑。
当然、不当に得た財産は全額没収。
親族に関与がなければ、正当な資産に限り相続を認めている。
関係者は、関与の度合い……。
つまり得た利益の額に応じて、罪が重くなる。
これも没収に加えて、巨額の罰金がセットだ。
払えないなら資産を没収する。
死なないなら立て直せるだろうからな。
ギャンブルで浪費した場合は、胴元に請求できるような法を定めた。
私有財産の保護は、ラヴェンナ法の基本だが……。
騙して得た金は正当な財産と認めない。
胴元は多額の掛けがあったら、どんな金か調べないといけないわけだ。
下手をすれば耳目が調べるより、彼らの調査は正確で早い。
蛇の道は蛇ってやつさ。
事前に胴元から通報があった場合、没収は変わらないが……。
善意の協力者として税の減免で報いることにしている。
賭博に課せられる税は重いから、減免はかなり大きな利益となる。
その分税収は減るが、これは仕方ないと割り切っている。
これで完全ではないが、回収不可能な額は減らせた。
これらの没収した金は特定財源として扱っている。
犯罪被害者と、無関係な加害者家族への救済だ。
加害者家族への救済は、反対が根強かった。
やはり親の罪と子は無関係だと考えにくかったらしい。
それでも無関係なら、間接的な被害者であることには変わらない。
罰は犯した者のみに与えられるべきだ。
俺の誰にも勝る権威で押し通した。
このような基金は、必要ないに越したことはないのだが……。
そうはいかないのが、世の中の世知辛さよ。
詐欺がなくならないのは、リスクよりリターンが大きいからだ。
やった者勝ちの側面が強い。
それだけでなくなるわけではないが、減らすことは出来る。
乱暴な面があるのは否定しない。
だが上品に振る舞って被害者が救われないなら……野蛮で結構。
だから非難されても、鼻で笑って終わりだ。
「すべてルールの悪用ですよ。
守った人が損をして破った人が得をする。
破った人を保護する理性なんて不要です」
カルメンが感心した顔でうなずく。
「それが誇張されて、魔王とか呼ばれるんですよね。
でも……それでいいと思います。
厳しいようだけど、被害に遭った人へのケアは、ラヴェンナが一番手厚いですよね。
資金面だけじゃなくて、社会的に孤立しないような精神的ケアとか……。
王都にいたころは、とても悲惨でした。
事件直後は同情されますけど……。
新しい事件が起これば忘れ去られます。
いろいろな事件を見てきたけど、ほとんど被害者が泣き寝入りしていました。
それがラヴェンナだと、代表者なりラヴェンナが助けてくれる。
私は大賛成ですよ」
法を守れと押しつける立場なのだ。
守った人が泣き寝入りをするようでは……。
守れと押しつける資格はないだろう。
「市民感情としては、処罰が先に立ちますからね。
結局は他人事の娯楽なのです。
時間と共に興味は薄れるでしょう。
かくして被害者は忘れ去られる。
でも被害に遭った人の人生は続くわけです。
無関係な加害者家族も同様にね。
そこは手を差し伸べるべきでしょう。
娯楽道具として利用されて、最後に忘れ去られるのは……あまりに酷だと思いますよ。
行政は血が通っていると、公平性の担保が難しい。
だから事務的になるので、この手のケアは不十分になりがちです。
少しくらい血が通っているところを見せてもいいでしょう?」
普段は公平性を担保するために、どうしても事務的な対応になる。
だが本当に困っている人にまで、事務的な対応をしていいのか?
何事もケース・バイ・ケースだと思っている。
「アルフレードさまらしいのは……。
欲に目が眩んで、詐欺に引っかかった人には冷たいことですね。
生きる上で、最低限しかフォローしませんから」
当然だろう。
地道に、コツコツとやっている人を助けるためのものだ。
欲に目が眩んで引っかかる人までケアしていられない。
そのような人は、手厚く助けたらまたやるだろう。
失敗のリスクが、極端に減るからだ。
「そうでないと、皆欲に目が眩んで、詐欺に引っかかりまくるでしょう。
そのようなことまで対応していたら、ラヴェンナは破綻しますよ。
投機はあくまで自己責任です」
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