843話 進歩派と守旧派

 亜人騒ぎと無関係な人たちは存在する。

 ボアネルジェス・ペトラキスだ。


 種籾法の実施に向けて精力的に動いているが、追加の法案を提出してきた。


 まずは雇役法。

 これが最大の目的だろう。

 人類連合の力を世界中に及ぼすためには必要な法だ。


 従来は税の他に、労役も義務とされていた。

 大規模な土木工事で、領地が荒廃するのはこのためだ。

 ただ困窮にあえいでいる民には免除される。

 これは役人と領主のさじ加減で決まり、賄賂などの温床になっていた。

 比較的裕福な地主は、これによって貧困扱いされて、労役を免除されるケースが多い。


 これを中小の地主以上からは免役税を徴収する。

 本来役務免除される貧困層を雇い、就労させる法だ。

 各領地の領主が賦役を課したいときは、人類連合に依頼する。

 そして雇われた人たちを派遣する形式で、今までなら出来なかった規模の労役も可能だ。


 従来の法で割を食っていたのは中小地主だった。

 それでも昔は問題にはならなかった。

 教会が目を光らせており、領主は労役を自制していたからだ。


 ところが内乱以降、領主が苛斂誅求かれんちゅうきゅうに及ぶケースが多発している。

 監視の目が消えたことと、内乱で荒れた施設を復旧する必要もあった。

 さらには魔物の襲撃で、施設整備の労役頻度は跳ね上がる。


 それら頻繁な労役と重税で没落する者たちが多い。

 これは社会的な問題とされていた。


 反発するのは領主と役人、そして富裕地主だ。

 正面突破は並大抵のことでは出来ないだろう。

 

 ただ民衆は拍手喝采だろうな。

 労役に出なくて済むなら、これほど助かることはない。

 労役で田畑の手入れが出来なく、収穫が落ち込んで没落する。

 これが典型的なパターンだからな。

 しかも上限が決まっているのだ。


 サロモン殿下は熱烈に支持したらしい。

 当然だろう。

 世界主義が背後にいるのだ。

 利益で民衆を釣って、支持を集める方針にシフトしたようだ。

 クレシダも、当然支持。


 俺ひとりが、態度を保留している状態だ。

 明確に反対出来ない理由がひとつ。

 種籾法の概念を、放送で世界中に公表してしまった。

 これで俺が反対すると、雇役法の趣旨説明をする。

 世界中に向かってだ。


 すると大衆には、俺が既得権にしがみつく守旧派と映る。

 それだけなら、まだいいが……。

 下手をすれば反乱の火種になり得る。


 まったくこの放送は厄介だよ。

 これで安易な反論を封じたわけだ。


 法の趣旨は結構だが、抵抗が激しくなるのは必然。

 結果として社会的混乱を招きかねない。

 急激な改革には反対だ。

 なにが起こるか誰も予想出来ない。

 やるなら徐々に浸透させるべきだろう。


 多少なりとも、余裕があるときならいい。

 今は、余裕がないのだ。

 そんな状態で頓挫したら、どうするのやら……。


 そして新法はこれだけではない。

 役人がそれを報告しにきたわけだ。


 予物法。

 内乱によって物価が乱高下して、商人も没落する者が多い。

 そこで商人や職人に融資する。

 生産されたとき、予め定めていた規定額に基づいて、貸金分だけの品物を人類連合の物納させる。

 

 これは価格の統制を狙ってもいるようだ。

 世界主義が食いつきそうなネタだろうなぁ……。


 市調法。

 中小商人に人類連合が半年1割の低金利で、貸し付けを行う。

 返済時期に売れない品物は、人類連合が買い上げる。

 もしくは予物法で納められた物産と交換。

 他の地域で買い手があれば売る。

 世界を視野に入れた需要調整法だ。


 

 正直な感想としては、よく考えられている。

 理論上は問題ないだろう。

 それにボアネルジェスは、この新法が完璧だと思っていない。

 問題があれば都度調整すればいいと思っている。


 熱意のある国王や大臣なら、これは賢人だと思って登用したくなるタイプだなぁ。

 そしてボアネルジェスは、自分たちをと名乗りはじめた。

 仲間を増やすための名前だな。


 これによって若く家督相続権を持たない貴族などから、賛同者が多数現れる。

 それぞれに思惑はあるだろうが……。

 これによって学のある人材が集まってきた。

 ボアネルジェスは、俺の人材収集法を参考にしていた、とまで言っている。

 たしかに日の当たらない人材を掘り起こして登用してきたが……。

 これとは違うぞ。


 なんにせよ当面の方針を決める必要がある。

 法案の説明をしにきた役人に、指示を与えて返した。


 渋い顔でホールに戻ると、全員が俺に注目する。

 ソファに座ると、キアラがお茶を煎れてくれた。


「ちょっとブランデーを混ぜてもらっていいですか?」


「いいですけど……。

こんな昼間に?」


「たまにはいいでしょう?」


 キアラは渋々、ブランデーをお茶に混ぜてくれた。

 少ないぞ……。

 まあいいか。

 一口すすって、かすかに残るアルコールを楽しむ。


「非常に面倒な話になりましてね……。

考えるだけで憂鬱ゆううつな話ですよ」


「役人が来たってことは、ペトラキスの法案関係ですわね」


 そこで法案の詳細は伏せ、概略だけを説明する。

 内々で話せるのは、ここまでが限界だろう。


 プリュタニスは首をかしげる。


「話を伺うだけだと……。

アルフレードさまの見解は、理に適っているが現実的ではないと?」


 それ以前の話だ。

 ボアネルジェスがとんでもない爆弾を世界に放り込んできた。

 それで憂鬱ゆううつになっただけさ。


「まあ……。

ペトラキス殿には自信があるのでしょう。

しかも放送によって、情報を瞬時に伝えられる。

これによって私が反対していた理由である世界の広さ。

これを一部でも崩せたわけですからね」


「それでもまだ現実的ではない。

役人の質でしょうか?」


 思わず苦笑が漏れる。


「それも予想外に優秀ですね。

とくに貴族階級内から、賛同者を得ていることが大きい。

いろいろと反対の根拠が崩されてきていますよ」


 どうもボアネルジェスを、甘く見ていたようだ。

 ボアネルジェスも、俺から1本取った……と思ったろうな。

 

「それでも尚、アルフレードさまが反対される理由は?

国内の反発を恐れてでしょうか?」


「それよりもペトラキス殿が、私からの反対を突破するために選んだ手段。

これが大問題なのです」


 突然キアラが、紙とペンを取り出す。


「お待ちください。

これは記録する話ですわね。

……はい、続けてどうぞ」


 気が付くと、お茶を飲み干していた。


「その前にお代わりを。

ブランデーだけで」


 カルメンが突然吹きだした。


「珍しいですね。

よほどストレスが溜まっているのですか?」


 キアラが渋るので、ブランデーの瓶を受け取り、自分で注ぐことになる。

 キアラはジト目で俺を睨む。


「お姉さまに言いつけますわよ……」


 なんでそんな面倒な脅しをするんだ。

 ……それはあとで考えよう。


「ストレスと言いますか……。

この先待っている未来に辟易しているだけですよ」


 俺がブランデーに口をつけると、プリュタニスがため息をつく


「ミルヴァさまの怒りが、我々に飛んでこないことを祈りますよ。

それでなにが問題なのですか?」


「味方を増やすために、自らをと名乗った。

そして抵抗する既得権益層を、と色分けしてしまったのです。

これが大問題ですよ」


「名称が問題ですか……」


「まずひとつは、そう名乗ってしまったが故に……。

旧来の法で残していいものがあるでしょう。

それすら変えようとします。

つまりはなんでも新しくし続けないといけない。

そして変え方も、劇的にならざるを得ない。

私としては改革が必要ならゆっくりと……。

牛歩のように進めるべきだと思います」


 プリュタニスが苦笑して、肩をすくめる。


「アルフレードさまがいうと、説得力がないですね」


「それは私が創業者だからです。

創業と守文は違いますからね。

まったく別の体制ですよ。

人類連合は創業ではありません。

力なりでねじ伏せてなら創業になりますが……。

守文の延長で処理されていますからね」


「私は変えるべきなら、変えたほうがいい……と思いますよ」


「その範囲が広いほど、様々な要因に影響されます。

物事を変えると、必ず不測の事態は発生するでしょう?」


「それは否定出来ませんね」


「急激に改革を押しすすめると、不測の事態だらけになって対処出来なくなります。

そうした場合、本当に対処しなければいけない問題への対処が出来るでしょうか?

この後遺症に、将来悩み続ける羽目になります」


「悪いから変えられるほど、世の中単純ではないわけですか」


「そもそもですが……。

悪い部分は、誰にでもわかるのですよ。

子供にだってわかるでしょう。

それでも自分は、頭がいいと優越感にも浸れます。

これはなかなかに気持ちがいいでしょう。

だからこそこのような進歩派は、若者の心を捉えると思います」


 カルメンがまた吹きだす。


「お約束ですけど突っ込みますよ。

アルフレードさまだって、若者のひとりですよ」


「余計なお世話ですよ。

物事にはプラス面とマイナス面があります。

変えるならば、変更によってプラス面がマイナス面を上回るか。

これを計算しないといけませんよ。

守旧派だって、徒に既得権益にしがみついているだけではありません。

現状を維持することのプラスが変えないことによるマイナスを上回っているから、そう選択しているだけです。

しかも立場によって、評価基準は変わるでしょう。

それを無視して、ただ相手を蔑視しても、敵を増やすだけです」


 プリュタニスは渋い顔で頭をかいた。


「そう言われると、忸怩たるものがあります。

そうなると……。

進歩派は、守旧派をバカにするでしょうね」


「ええ。

だからこそ感情的な対立を招きます。

改革は世の中をよくするための手段のはずです。

こうなると、改革が目的になってしまう。

本末転倒ですよ」


「どんどん改革に、前のめりになるわけですか」


「そこにと名乗ったことによる弊害が現れます。

派閥になると、どんどん過激化するのは当然ですが……。

旧来の法ならなんでも変えざるを得なくなります。

どんなにいい法でも、マイナスの面はあるわけですから」


 プリュタニスは腕組みをしつつ首をかしげる。


「そこまで理性を失うとは考えられませんが……」


「理性を失うわけではありません。

普通の人は、自己の矛盾を指摘されて平静ではいられませんよね。

自己矛盾を気にしない人は、話の通じない人として、一般社会から忌避されるでしょう?

他人からすれば、それは当然です。

そんな矛盾に付き合わされると大変ですからね。

だからこそ社会的動物として、人は矛盾に敏感なのです」


 プリュタニスは天を仰いで嘆息する。


「理性的であろうとするから、矛盾に耐えられないと……。

そう言われると反論出来ませんね」


「そうなります。

そしてプラスとマイナスを比較した上で変えない判断をしたとして……。

それが矛盾していないと見えますかね?

変えるのが進歩派なのでしょう?

維持することによって不利益を被る人たちが騒ぎだしますよ。

『自分にとって都合がいいから変えないのか』と非難されるかもしれません。

仲間内で足の引っ張り合いをするなら、誰もがそこを突くでしょう」


 カルメンが首をかしげる。


「守旧派がいるのに、足の引っ張り合いですか?」


「この進歩派と呼ばれる人たちは、従来の出世コースからは外れた人たちです。

既得権益層に入り損ねた人たちですからね。

進歩派になれば、立身出世が可能となります。

だからこそ自分のアイデンティティーを、進歩派に求めるでしょうね。

出世がすべてとなれば、足の引っ張り合いは当然でしょう。

それこそ昇進が半年早まるなら、人すら殺しかねません」


 突然モデストが声を立てずに笑った。


「そんな光景は、どこにでもありますね。

殺すまではいかなくても……。

讒言程度なら掃いて捨てるほどあります。

問題はそれだけではないでしょう?」


「ご明察。

このように進歩派から攻撃された守旧派は、どうなります?

進歩派への憎しみを募らせます。

もし進歩派の政策が頓挫したら、猛烈に巻き返すでしょう。

その結果、どうなると思いますか?」


「逆の現象が生まれますね。

残したほうがいいものでも、進歩派の決めた法だから廃止しろと。

これは社会が混乱する呼び水となり得るわけですか」


 だからこそ危険なのだよ……。

 進歩派と称することの弊害が余りに大きい。

 ボアネルジェスは頭がいいからこそ思いついたのだろう。

 頭の良さも、常にプラスにつながるとは限らない。


「そんなところです。

そして進歩派は、ひとつの勢力になっているでしょう。

つまり守旧派と勢力を二分するわけです。

なにかの拍子で、主流が入れ替わる可能性は高い。

代替わりなんて……とくに危険だと思いますよ」


「そのたびに法が変わっては、社会は大混乱するでしょうね。

しかも進歩派が力を握るときは、人類連合の権益も拡大していますからね。

放送を利用して、民衆を味方に引き入れているようです。

極めて厄介な話ですね。

たしかに酒でも飲まないと……。

やっていられませんな」


 モデストは目を細めると自分のティーカップを差しだしてきた。

 自分にも飲ませろと。


 俺は苦笑して、モデストのティーカップにブランデーを注ぐ。

 

 女性陣の視線が痛い……。

 まあいいだろ?


 アーデルヘイトが額に手を当てて天を仰ぐ。


「ミルヴァさまに怒られても知りませんからね……。

あと飲み過ぎないでください。

健康によくありません。

ただでさえ旦那さまは、突然倒れる癖があるんですから……」


 それは俺のせいじゃないって……。

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