841話 仮初の信頼関係

 メディアが何者かの襲撃を受けてから、ヒステリックに報道するかと思ったが……。

 妙に大人しい。

 報告を持ってきたキアラも意外そうだ。


「今のところ、襲撃を受けた報道だけですわね。

正直……意外ですわ」


 それだと俺に、あっさりひっくり返されると思ったのだろう。


「彼らも学習したのでしょう。

クレシダ嬢の入れ知恵かもしれませんがね」


「どうしますの?」


 連中に対しては有効な手がない。

 無理に介入すれば、大きな隙となって、ダメージを負うだろう。


「今のところはなにも」


 キアラは不機嫌そうに、眉を顰める。

 この回答は、お気に召さなかったようだ。


「報道はしていませんが、町でのインタビューで、危機を煽っていますわ。

世論作りでしょうか。

こちらも対抗しませんの?」


 普通であればそうだ。

 だがさらに、何か起こることが確定している。

 違う方法で対処しなければならないだろう。


「普通の競争なら、そうすべきですね。

少々状況が異なると思います。

当然なにもしないわけにはいきません。

軽挙妄動しないように呼びかける程度でしょう」


「それだけで……いいのでしょうか?」


 思わず苦笑して、頭をかいてしまう。


「もし私が『亜人は、そのようなことをしない』と表明すると……。

クレシダ嬢は確実にそこをついてきます。

それに亜人のすべてが善良とはかぎりらないでしょう?

そのような不届き者が、なにかをしでかしたら?」


 キアラは大きなため息をついた。


「それは個人の問題……。

と考える人は少数なんでしょうね。

それに考える人ほど、大きな声をだしません。

結局感情的で、大きな声が支配するわけですか」


 現時点で、そうなったとき、こちらの対応は難しくなる。

 可能なかぎり、手札は残しておきたい。

 ある意味で、考えがあってのことだ。

 ただ待つだけじゃない。


「そのとおりですよ。

つまり私の発言力が致命傷を負っては、守るべき人たちを守れません」


「慎重に致命傷を避けても……。

結局は非難されそうですわ。

やりきれません」


「でしょうね。

そもそも非難のための非難をする人以外は……。

不満があれば、声を上げるだけです。

その人が黙ったときは、別の人が声を上げるでしょう。

だからなにをやっても非難される、と錯覚しがちです。

他者を同一人格と見なさなければ、気になりませんよ」


 キアラは、少し呆れた顔で首をふる。

 こんなことは、俺に言われるまでもない。

 キアラはわかっている。

 それでも言いたかったようだ。


「それが出来れば簡単ですけどね。

見えない他人は、どうしても、同一人格だと思いがちですわ」


「無理もありません。

人が個人を識別出来る数には、限度がありますからね。

取りあえず、イポリート師範の目利きに頼るとしましょう」


 イルデフォンソに差別抑制の放送を依頼した。

 だが……あのイルデフォンソでも、困難な依頼だったらしい。

 知っている人材では、それが出来る人はいないと。

 そのようなシナリオを書ける人材が必要らしい。

 心当たりがいないかと、逆に聞かれた。

 そうなると頼れるのは、ひとりしかいない。


 キアラは笑ってうなずいた。


「イポリートさんの交友関係頼みですわね。

とても職人気質な人ですわ。

推薦する人も、信用がおけますもの」


 イポリートに手紙をだしたところ、いるそうなので推薦してもらうことにしたのだ。


「亜人を差別しない劇は、難易度が高いですからね。

セッテンブリーニ殿は見え見えの放送を嫌います。

だからこそ頼りになるわけです」


 キアラは表情を曇らせて、ため息をついた。


「ただ……制約は厳しいでしょうね。

スポンサーの商会が『商品アピールに、亜人を使わないでほしい』と注文をつけてきましたもの。

商会は危ない橋を渡りたくないのでしょうが……」


 ある意味で当然の要求なのだ。

 商会に干渉は難しい。

 そもそも購買層が人間のみなのだ。

 亜人のお得意さまがいれば話は別だろうが……。


「仕方ありませんよ。

亜人のお得意さまはいませんからね。

差別につながる注文をしてこないかぎり、制止出来ません」


「ヴィガーノさんのほうも苦労しているようですわね。

亜人を避ける依頼とかがチラホラと……。

確か旧ギルドは、完全に亜人を排除してしまっていますわね。

反対する人もいますが、『もしなにかあれば、責任が取れるのか』と言われては……」


 だからこそ亜人が救いを求めて、新ギルドに流れ込んできている。

 そもそも旧ギルド幹部の亜人は、板挟み状態で発言を封じられていた。

 おそらくこれを機会に、ポンピドゥ一族が排除を試みると思うが……。


「一見すると正しい言葉です。

実態は違います。

大体は却下するときに便利使いされるだけでしょう。

『排除した結果不都合があれば、責任を取れるのか』

そう問われたら、どうするのでしょうね?」


 キアラは皮肉な笑みを浮かべる。


「それはいつものように有耶無耶うやむやにするとか……。

あのときは仕方なかった。

あの場の空気では、他の選択肢がない。

こんな感じで……。

言い訳のオンパレードではありません?」


「そのような不明瞭な組織論から脱却するのがラヴェンナです。

私にはとても出来ない決断ですよ。

まあ……。

保身第一の事なかれ主義を、決断と呼べれば……ですがね」


 キアラはジト目で俺を睨む。


「お兄さまは相変わらず、人が悪いですわ。

どう考えても、逃げでしかないのはおわかりでしょう?」


                  ◆◇◆◇◆


 アーデルヘイトが深刻な顔で、俺のところにやって来た。

 問題発生か。


「旦那さま……。

どうしたらいいでしょうか?」


 アーデルヘイトの報告は、ある意味で予想していたものだ。

 それでも不快感が刺激される。


 医療と教育の技術指導をしているラヴェンナ職員へのクレームが発生したのだ。

 それも、本人の落ち度がないことで。

 そう考えるのは俺だけなのかもしれないが……。

 亜人であることが落ち度など、到底認められない。


『人間の指導員と交代してほしい』


 このような馬鹿げた要望が届けられたのだ。


「まず警告します。

能力不足での交代は当然ですが……。

そのような不確かな理由で交代する言われはありません」


 アーデルヘイトは複雑な表情だ。

 本心では拒否したいが、波風を立てることにもなる。

 もし撥ね付けても、関係悪化は必至なのだ。

 可能なら避けたいところだろう。

 だが……。

 そのために、こちらが譲る道理などない。


「『無用の心配をかけないためにも、ご理解とご協力を』と言っていますけど……。

本当に大丈夫でしょうか?」


 その言葉自体が気に入らないな。


「『ご理解とご協力を』なんていうときは、黙ってこちらの都合を受け入れてくれ……ってことです。

さすがに腹立たしいですね。

もし亜人から指導を受けることが嫌なら、全面撤収も辞さない。

そう伝えてください」


「その気持ちは嬉しいですけど……。

現場の人も板挟みみたいです。

教えてもらっている人たちにとっては、問題にはならないようですが……。

その上が気にしているらしいのです

なんだか気の毒になってきました」


 それで困っていたのか。

 それは理解出来るが、大きく見落としている問題がある。


「それよりもっと気の毒なのは、技術を教えている人たちですよ。

人の役に立ちたい……。

そう思ってやってくれているのです。

それをただの保身のために踏みにじる行為は、絶対に許容出来ません。

この決断に伴う責任は、すべて私が背負います。

私は彼らを守る義務がありますからね」


 アーデルヘイトは複雑な表情で頭を下げる。


「すみません。

本当は私が反対すべきですけど……」


 気に病んでもらっては困る。

 俺は神妙な顔をしているアーデルヘイトに笑いかけた。


「いえ。

もしこの件で、非難を受けるとすれば私ですよ」


 アーデルヘイトは不思議そうに、首をかしげた。


「旦那さまは、ちっとも悪くないですよ」


「こうなることは予期出来たのです。

そのための策を怠ったのですからね。

だから皆さんは、なにも悪くありません」


 こうなる可能性は、当然予想出来た。

 事前に警告すべきか考えたが……。

 そうすると反発を招きかねない。

 むしろ反発する口実を与えることになる。

 それを恐れたのだ。


 もし現場で亜人と関わっている人間が『そのような差別はおかしい』と思うかもしれない。

 そのような期待も、わずかにあった。


 だがそれを信じるほど、俺はマトモじゃない。

 それが外れたときの効果も、当然計算済みだ。


 今回の件は人類連合を離脱するカードになり得る。

 こちらは相手を信用して言わなかった。

 そう大義名分が成り立つ。


 信頼関係が崩れたと言えるからな。

 元から信頼などしていないが……。

 大義名分としては便利だろう。


 こちらから警告しては……。

 仮初の信頼関係を大義名分に掲げられない。


 実に糞のような話だ。

 だからこれに関して、相手を責める気はない。


 これは俺の責任だ。

 だからと自己憐憫れんびんに浸る気はない。

 ただやるべきことをやるだけだ。


 アーデルヘイトは複雑な表情で、ため息をついた。


「なにでもひとりで背負い込まないほうが……。

マガリ婆もボヤいていました。

旦那さまは不都合なことでも構わず背負い込みすぎるって」


 よく言われるが……。

 自分の責任から逃げたくないだけだ。

 そうしなければ、指示をだすときに躊躇ためらいが生まれるからな。


「性分ですからね。

こればっかりは仕方ありません」

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