840話 自称天才発見法

 まずはカルメンの話を聞くとしよう。


「どのあたりに、懸念がありますか?」


「まずこれを申し込むのに、申請書が必要でしょう。

貧農は字がかけません。

ラヴェンナが異常なだけですよ。

結局金を払って、誰かに記入してもらう必要があります。

そして下っ端の役人は、必ずしも清廉潔白とは言えません」


 余計に金と手間がかかるならいらない、と思うだろう。


「反論の余地はありませんね」


「さらに問題があります。

金を返さない者たちもでてきます。

これをどう処罰するのですか?

踏み倒すならまだ可愛いです。

貧農を騙って、金だけ受け取って逃げるヤツもでてきますよ。

現状がいいとは言いませんが、これで救える貧農はわずかです。

労力に見合うとは思えません」


「まさにそのとおりです」


 カルメンは不思議そうな顔をする。


「それを知っていて賛成するのですか?

恨まれるばかりで……。

いいことなんてありませんよ。

そもそもペトラキスは、何故こんな提案をしてきたんでしょうか?」


「それは自信があるからでしょう。

旧ドゥーカス領統治時代に、試験的に実施して成果がでたそうです。

決して机上の空論ではない。

だからと範囲を広げて成功する保証はありません。

それでも私の言動を見て、これなら反対されない、と考えたからでしょう。

クレシダ嬢がけしかけたと思いますけどね。

これが突破口になると」


 黙って、話を聞いていたモデストの目が鋭くなった。

 一体、何処にそんな糸口があったのか。

 気になったのだろう。


「突破口ですか?

ラヴェンナ卿がそのような隙を見せたとは思えませんが」


 あのときの発言を、こう利用されるとは思わなかった。

 だから隙なのだろうな。


 ただ他に言いようがなかった。

 あの場面で、お茶を濁すことは出来ない。

 言質を取られないことは、俺にとって大切ではなかった。

 世界中に言動が晒されている場面でそれは不味い。

 民衆が見ているのだ。


 知識階級は民衆をバカにするが……。

 ひとつ見落としていることがある。

 長期的視点や、広い視野で、物事を見ることは出来なくとも……。

 間近で、現実的な問題ならば、概ね正しい判断を下す。

 むしろ、メンツや長期的視野にこだわる知識階級より正しいときがある。

 やや、感情に流されやすいだけだ。

 それは、大衆が故の避けられない特性だが……。

 だからこそ強い悪感情を持たれるのは得策ではない。


「あの場面での発言でなら、隙になりません。

ただ別角度から見ている人にとっては、隙となり得る。

そんなところです。

それが何かと言えば……。

『罪人を取り逃がしても、冤罪えんざいをださないほうがいい。』

これでしょうね」


 キアラは不思議そうな顔をする。


「たしかに言っていましたわ。

それが突破口になるのですか?」


「種籾法は不届き者がでることを覚悟している法なのです。

不正利用されたとしても救える貧農がいるならやるべき。

今は猶予がないのです。

向いている方向は同じでしょう」


 モデストが腕組みをする。


「ふむ……。

まったく違うと思いますがね。

ラヴェンナ卿にはどんな絵が見えているのですか?

非常に興味深い」


「民衆の立場で考えてください。

疑わしきを罰して、冤罪えんざいもお構いなし。

それとも決して、冤罪えんざいが起こらない。

どちらがいいでしょうか?」


 カルメンの表情が厳しくなる。


「ちょっと待ってください。

村で事件があったとき……。

適当に生け贄を探して安心するケースはありますよ。

冤罪えんざいでもお構いなしでした」


「それは自主的な選択でしょう。

怪しいからと……村人全員が領主によって処罰される。

これとは話が別だと思いませんか?」


 カルメンは苦笑して頭をかく。


「まあ……そうですね。

上から雑にまとめて処罰されたらかないません。

つまり冤罪えんざいはないほうがいい。

実際冤罪えんざいは、結構ありますからね。

しかも連座しますから……。

村全体が処罰されたこともありました。

そのような意味合いでなら有り難い、と思うわけですか。

ホント……アルフレードさまは、即座に反論してきますね。

もし犯人だったら追い詰めるのが難しそうですよ……」


 過大評価だな。

 きっとボロをだしてあっさり捕まるよ。


「それと同じように、種籾法はやってくれるなら有り難い。

つまりは民衆にとってプラス。

無関係な民衆にとってもマイナスではありません。

このための臨時徴税なんてしたら話は別ですが……。

それはしないと明言していました。

だからふたつは同じとなります。

政治的な参加が出来ない民衆にすれば、プラスかマイナスか。

それでしか分類しないでしょう」


「でも不正利用者がでたら怒ると思います。

それってマイナスではないのですか?」


「当然……不正利用者には怒るでしょうね。

そして怒りの矛先は、こんなザル法を決めたバカは誰だ、と権力者にも向くでしょう。

それは娯楽のようなものです。

これによって救われた貧農は、不正利用者のせいで肩身が狭くなると思いますが……。

飢え死にするよりはマシ、と割り切ってもらうしかありませんがね。

不正利用者がでないように、法案を吟味した結果来年から施行と……。

不正には目をつぶって、即時の施行どちらがいいですか?

支援が必要な人たちはギリギリの生活ですよ?」


 モデストは腕組みをしてうなずいた。


「なるほど。

それなら自分にプラスになることを早く望みますね。

怒るのは余裕がでてからでしょう。

貴族階級からすれば、まったく異なりますが……。

視点は民衆なわけですか。

それなら民衆は、自分たちにとって好意的だと。

犯罪に手を染めない人たちにすれば、冤罪だけは止めてほしい。

そもそも罪人を野放しにするわけではない。

これはそう誘導する者クレシダ嬢がいれば、民衆は同じと思うわけですか」


 民衆に媚びるつもりはないが……。

 敵対してもいいことはない。

 平時ではないのだ。

 支配階級の武力は、ほぼ魔物に向けられているのだ。


 なによりクレシダを無視できない。

 無視したら怒り狂って、俺に構って欲しがるだろう。

 その駄々はどれだけの血を流すことになるのやら……。


「そうなります。

そう誘導された民衆にとって、種籾法への反対は矛盾に見えます。

民衆は主体的に動けないからこそ……矛盾には敏感ですからね。

冤罪えんざい抑止と種籾法は、皆さんの疑問通り別々のものです。

見る角度によっては、同じものに見えてしまう。

あの放送がなければ、この視野は不要でした」


「それだけ重要視されているわけですか。

たしかにここも、民が増えてきています。

悪感情から暴動に発展すると問題でしょうね」


 種籾法に反対するのは、正しい判断だろう。

 カルメンの懸念は、当然だから反論する気はない。

 ただ放送という危険要素が無視できなかっただけだ。


「種籾法は反対しようとすれば、いくらでも可能です。

普通なら反対すべきでしょう。

私も平時なら反対します。

強い抵抗を受けて頓挫しかねませんからね」


 モデストが興味深そうに、目を細める。


「失敗するかもしれないが反対しないですか。

出来れば避けたい決断ですね。

意気揚々なのは提案したペトラキスひとり。

ラヴェンナ卿を見ていると……。

頼まれても、権力者にはなりたくありませんね」


 俺も誰かに代わってもらえるなら、そうしたいよ。

 外野から暢気に正論ぶって、批評なんていいだろうなぁ。

 そんな贅沢は許されないけどな。

 はじめてしまったのだ。

 俺ひとりで完結する話なら、とっくに投げだしているよ。

 ま……泣き言を言ってもはじまらない。

 やるべきことをやるだけだ。


「ええ。

放送によって、多くの民に情報が流れることになりました。

これで反対すると、貧農が絶望して、反乱に及ぶ可能性があります。

そう仕向ける人クレシダ嬢がいるのですからね。

私が反対すると……。

失望しながら、淡々と民衆を絶望へと駆り立てるでしょう。

そこにサロモン殿下を貴種とした、新たな体制作りまで示唆する。

世界主義を巻き込んでね」


 モデストは声を立てずに笑いだす。


「たしかにラヴェンナ卿が反対したら、クレシダ嬢は失望するでしょうね。

口で望んだとおりのことをすると怒りだす。

月並みですが……。

実に困った恋の駆け引きですね」


 思わず深いため息が漏れる。


「迷惑な求愛行動ですよ……。

ともかくです。

失敗したときのコストより、反乱を鎮圧するほうが、遙かに高くつく。

シケリア王国も奴隷階級の反乱が、何時起こってもおかしくないでしょう。

それと貧農の反乱が、同時に起これば?

貧農にすれば、魔物に殺されるほうが、重税に殺されるよりはマシ……と思うかもしれません。

少なくとも人として死ねる。

絶望まで追い込まれると、そんな感情に流されても不思議ではありません。

クレシダ嬢にとって煽るのは簡単だと思いますよ」


 プリュタニスが大きなため息をつく。


「たしかに救う動きを見せれば、反乱を思いとどまるでしょうね。

これで拒否すると、完全に見捨てるつもりだと思い込むわけですか。

どちらを選んでも困難ですね……。

でも拒否しても、問題ないと思います。

民衆だってアルフレードさまに、矛先を向けるでしょうか?

他所のことですよね」


「ここで問題があります。

最初は領主に、憎悪が向かうでしょう。

でもその後は?

引き金を引いた犯人捜しがはじまりますよ。

そうなると、すべての批判は、私に向かうでしょうね。

ひいてはラヴェンナが、世界の敵になり得ます」


 プリュタニスは渋い顔で頭をかいた。


「放送を使えば煽るのは簡単ですね。

アルフレードさまが拒否したのは事実なのですから。

それを流すだけでいいと」


「ええ。

しかも既得権益層を守ったとして、誰も助けてくれませんよ。

これ幸いと後ろから刺してきます。

彼らに取って、私は余所者ですから。

父上たちも心情では、私の味方をしたいと思うでしょう。

それでも家を守るでしょうね。

それが貴族の責務ですから」


 モデストがアゴに手を当てて、皮肉な笑みを浮かべる。


「でしょうね。

ラヴェンナ卿は、旧既得権益層にとって憎悪と恐怖の対象ですから。

後ろから刺す好機とばかりに蠢動するかもしれません。

そのような事態に陥ったら、陛下はラヴェンナ卿を見捨てるでしょうね。

素知らぬ顔で討伐命令をだすかもしれません。

ランゴバルド王家は、担ぎ手が危なくなれば……。

平気で切り捨てる伝統がありますから」


 運命共同体ではないからな。

 利用し合う存在なのだ。

 利用価値がなくなればそれっきりだ。


「そうでしょう。

その程度の判断が出来なくては困りますからね」


 カルメンが頭をかく。


「なるほど……。

アルフレードさまは視野が広いですね。

私は法案の問題ばかりに、目が向きましたよ。

思えば周囲は敵だらけなんですよね……。

既得権層から睨まれても賛成せざるを得ないわけですか。

実家はどうなんですか?

過酷な統治はしていないでしょう」


「スカラ家だっていい顔はしませんよ。

傘下の貴族が増えましたからね。

余計な揉め事だと思うでしょう。

ただ決断に至った事情は理解してくれると思いますよ。

形式的に遺憾の意を示す程度かと。

だからと……いいことではありませんけどね。

忍耐力を試されている、と思ったら……。

私の一族は皆激怒しますから」


 遺憾の意でも、外野にすれば『亀裂が入った』と喜び勇んで食いつくだろう。

 以前から積極的に、スカラ家に協力していなければ、結構危ないところだった。

 少なくとも重臣たちは、俺に好意的だからな。

 なんとか押さえ込んでくれるだろう。


 プリュタニスが厳しい顔になる。


「多大なコストを払う羽目になりそうですね。

それで……。

人類連合になにか期待しているのですか?」


 現時点で深入りするつもりはない。

 ここは、損切りをするポイントだからな。

 マイナスを減らそうと、迂闊に深入りすると、さらに手痛い打撃を受ける。


「いいえ。

反対はしませんが、積極的に助力するつもりはありません。

お手並み拝見といったところですね」


 プリュタニスは天を仰いで嘆息した。


「それはわかりますが……。

慎重に避けてきた反感を買う羽目になりそうですね」


 ただ座視するつもりはない。

 使えるものは使っていくさ。


「状況が変わりつつありますからね。

それと種籾法の審議については、王都から応援できている役人たちを、主体にします。

陛下にも多少頑張ってもらいますよ。

それに……。

私が反対のための反対をしていると思われては面倒なのです。

貴族階級では反対のための反対なんてザラですけどね。

民衆はそう思わないでしょう。

さらに状況は悪化しかねません」


 キアラはいぶかしげな顔をする。


「なにか予想されていますの?」


「まあ……一応は」


 キアラは呆れ顔になったが突然笑いだす。


「ああ……。

これは絶対に口を割らないパターンですわ。

でも面白いですわね」


 カルメンが不思議そうな顔をする。


「なにが面白いの?」


「ラヴェンナ開発をはじめる前に、スカラ家の騎士団長とお兄さまが面会したのよ。

そのとき団長が、民のことをやたらと気にするお兄さまを不思議がっていたわ。

まさか自分が、同じ気持ちになるとは思わなかったのよ。

話を聞いて納得したのも同じね」


 カルメンは呆れ顔で肩をすくめる。


「あんまり笑える状況じゃないわよこれ」


 キアラは余裕の表情で笑みを浮かべる。


「普通の人ならそうね。

お兄さまならなんとかしてくれますわ。

あとは私たちが、お兄さまへの非難で激高しないことですわね」


                ◆◇◆◇◆


 種籾法の制定は、急ピッチで進んでいるようだ。

 原資は各国から供出された資金が基本となる。

 書類の申請も、口頭で説明すれば書類にしてくれるらしい。

 当然身元の保証人は必要になるが……。

 地主はこれを拒んではいけないとされた。

 仮に拒んだら、農地を没収すると厳しい罰則も定められる。

 そして取り立てなどの強制執行に関しては、使徒騎士団に依頼することになった。

 国を跨いで動ける組織を活用するらしい。

 利息の一部を教会に寄進することで、契約が成立したようだ。 

 やはり、不正が前提で速度重視か。


 種籾法の制定は放送でクレシダが発表した。

 多分、各地で歓声があがったと思う。

 ある者には、救いの手に見えたからだ。

 ある者には、不正に利益を得るチャンスとして。


 自称賢い連中が不正をする。

 だがもっと賢い元締めが、きっと存在するはずだ。

 きっと上前だけをはねてトンズラするだろうな。

 かくして自称賢い連中が罰せられる。

 

 そうさせるつもりはない。

 そもそも本当に賢ければ、こんな網を張っていることに不正を働かないだろう。

 これは一種の自称天才こじらせたバカ発見法だ。


 それより不正に対して、非難が湧き上がるだろう。

 主に制定した側にだ。


 クレシダは大衆の目に、おバカに映る。

 その役を演じているからな。


 そうなれば、俺が非難の対象になる。

 覚悟の上で賛成したのだ。

 そんな感傷を吹き飛ばすような報告が飛び込んできた。


 キアラはいつになく厳しい顔だ。


「メディアが取材中に、魔族やダークエルフの集団に襲われたそうです。

面倒なことになりそうですわ」


 想定済みだから驚くに値しない。

 クレシダが仕掛けてきたな。

 これはメディアへの援護射撃だろう。


「本当に魔族かダークエルフなのか。

それすら謎ですね。

それでも噂は一人歩きするでしょう」


 キアラはジト目で俺を睨む。


「あいかわらず暢気ですわね……。

お兄さまに非難が集中しますわよ」


「もとより覚悟の上ですよ。

どんな言い掛かりをひねりだすのか。

楽しみにしましょう」

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