838話 閑話 懲りない女

 退屈そうにクレシダ・リカイオスは、アルフレードへのインタビューを眺めている。

 黙ってグラスを、後ろに差し出す。


 控えていたアルファがワインを注ぐ。

 クレシダはグラスに口をつけて、唇の端をゆがめる。


「話にならないわね。

愛しい人アルフレードに、プライドの高さだけは人並み外れた雑魚が太刀打ちできるはずはないもの」


「感心ばかりもしていられません。

こちらの事務方を建て直すのが……とても大変だったことをお忘れですか?」


 クレシダは声を立てて笑いだす。


「ノミコスの讒言を退けて、取りあえずペトラキスからは引き離したけど……。

大きく効率を落としたわねぇ。

おかげで実績作りが頓挫しちゃったわ。

試しにペトラキスをけしかけたら、しっかり罠を仕掛けられたもの。

素敵なくらい飽きないわ。

恋の駆け引きは、この位刺激がないとね」


「クレシダさまはそれでいいでしょうけど……。

このままメディアが粉砕されては困ると思います。

民衆扇動と従来の王政への打撃など、さまざまな効果を見込んでいるのでしょう?」


 クレシダはフンと鼻を鳴らす。


「そうね。

もうちょっと食らいついてもらわないとダメよ。

ちょっとばかり援護射撃しましょうか。

あれの手配をお願い」


 アルファは表情を変えずに、首をかしげる。


「あれだけでいいのですか?」


 クレシダはグラスに口をつけて、妖しい笑みを浮かべる。


「それが大事なのよ。

具体的ではダメ。

愛しい人が言っていた……デマの広がる原因にそぐわないもの。

キアラはいい仕事をしてくれたわ。

私でも愛しい人アルフレードの考えを知れたからね」


「どんなにいい書物でも、今は娯楽にすぎません。

あれを理解して実践できる人がいませんから。

都合良く解釈して、失敗するものばかりでしょう。

折角の知識も、宝の持ち腐れですね。

有効活用できるのはクレシダさまくらいです」


 クレシダは苦笑して手をふった。

 アルファはクレシダを絶対視するあまり、他を下に見る傾向がある。

 クレシダ自身、一般人が自分と同格などとは思っていない。

 ただ軽視するつもりはなかった。


 それでも便利な道具扱いにすぎない。

 すべての人に対してそう思うわけではない。


 個別に愛着を持つ人たちは存在した。

 ところが愛着を持たれた人々は、全員がこの世を去っている。

 同格と思わないが、愛着を持つ。

 人がペットに向ける感覚に近い。


 殺されない救われない人たちは、クレシダにとってその程度の認識だ。

 使っているうちに愛着が湧けば、殺す救うだろう。

 クレシダにとっての愛は、自らが手をかけて殺す救うことだ。

 死ねば等しくこの世界牢獄から解放される。

 その解放を自分の手で行うのが、クレシダにとっての愛情表現だった。


 だからと……殺した救った人全員に愛着があったわけではないが……。

 その差はクレシダにしかわからない。


 なにかの計画のついでに殺すのは、クレシダにとって愛ではない。

 金持ちが気まぐれで貧民に施しをする。

 それに近い感覚。


 つまり自分がやった行為に関心はあるが、その対象がどうなっても気にしない。

 どんな気持ちでやったのか?

 そう問われても『誰か知らないけど、解放されてよかったわね』と答える程度だろう。

 

「どうかしら。

失敗するものばかり、と決め付けるのは早計ね。

キアラは結構いいセンいっているわよ。

妻たちも、凡人のわりに随分頑張っているでしょ。

あれだけやれれば上出来よ。

愛しい人アルフレードに喜んでもらおうと……。

さぞ必死に学んだと思うわ。

やっぱり愛の力は偉大ねぇ」


 アルファは大きなため息をつく。


「ラヴェンナ卿ひとりでも十分厄介なのに、側近まで優秀ですからね。

ラヴェンナ卿の真の強みは組織力のようです。

どれだけの人が気づいているのやら……」


「でしょうね。

愛しい人アルフレードを倒せば万事解決。

バカな連中は、そう考えているでしょう。

万が一にでもそうなったら……。

世界はとんでもない代償を、血で払うことになるわ」


 予想ではなく確信だった。

 それほど、ラヴェンナの組織は図抜けているのだ。

 しかも自給自足が可能。

 攻めるには困難な立地。

 それだけ危険な相手だと、どれだけの者が理解しているのか。

 クレシダが知る限りにおいて、それはごく少数だった。


 アルファは無表情に、眉をひそめる。

 クレシダが目的の為に、冷徹で手段を選ばないタイプなら、とっくにアルフレードを殺している。

 そのほうが、世界の破壊という目的に合致する。

 だがクレシダは、アルフレードにこだわるあまり、手段を楽しむようになっていた。

 楽しむには危険すぎる相手だと、アルファは思っている。


「私としては……。

そのほうがやりやすいと思います」


 クレシダはチッチッと指をふった。

 唇はゆがんでいるが、頰は僅かに紅潮している。


「ダメよ。

興醒めも甚だしいもの。

私は私のやりたいように、愛を交わすのよ。

これは誰にも邪魔させないわ」


 アルファはため息をついて一礼する。


「仕方ありませんね。

それでは手筈通りでよろしいですか?」


 クレシダは楽しそうに笑いだす。


「ええ。

メディアの連中は一発逆転とばかりに張り切るでしょうね。

そのとき愛しい人アルフレードが、どう連中を処理するのか……。

楽しみだわ」


「ラヴェンナ卿が圧倒的に不利になると思いますが……。

それでも圧勝するとお思いですか?」


 クレシダは、当然とばかりにウインクする。

 そもそも相手にならないのだ。

 どれだけハンディを貰っても、メディアが勝てるとは思えない。

 もし勝ちたいなら議論で勝つか、世界中を興奮状態に陥れるかだ。

 どちらも徹底していない。

 それでは勝てるはずがないだろう。


「そりゃそうよ。

まだ見せていない武器を隠し持っているはずだからね。

本当はもっと愛しい人アルフレードを、人類連合に食い込ませたかったけど……」


「あそこまで徹底してガードされると厳しいですね」


「まあ……。

思い通りにいったら興醒めよ。

愛しい人アルフレードの回答を、楽しみにしましょう」


 アルファが無表情のまま目を丸くした。


「ラヴェンナ卿が言葉だけで、人を失神させましたね。

あれも隠し持っていた武器なのでしょうか」


 クレシダは笑ってから、グラスに口をつける。


「違うわ。

毒蜘蛛さんが3人目って言っていたでしょ。

あの連中に効く攻撃方法を持っていただけよ。

あまり面白い見世物ではなかったわね。

まあ……あの程度の連中に期待しても仕方ないわ。

それよりアレは、手に入れた?」


 アルファは見るからに、肩を落とす。


「手に入れましたが……。

本当に試すおつもりですか?」


 クレシダは満面の笑みを浮かべた。


「当たり前じゃない。

あんなにとがったものを試さないなんてありえないわ」


                  ◆◇◆◇◆


 調理場にクレシダとアルファがやって来た。

 テーブルの上に小さな壺が鎮座している。

 クレシダは露骨に鼻白む。


「なんだ……。

これっぽっちなの?

どうせなら樽で欲しかったわよ」


 放送で話題にでたラヴェンナのエルフ殺し。

 名産ではなくだ。


 凄いと聞いたクレシダは、好奇心が抑えきれなかった。

 かくして渋るアルファに無理矢理購入させたのである。


「危険物と聞いています。

クレシダさまに、樽を差し出したら……。

どんな地獄が待っているかわからないでしょう」


 興味津々のクレシダに、大量のエルフ殺しを与えると、被害は計り知れない。

 加減などしないからだ。


 エルフ殺しについては、噂だけだが……。

 アルファの直感が、危険を告げていた。

 嗅覚は動物並みに敏感なのだ。

 まともに嗅げば嗅覚が破壊されるかもしれない、と恐れていた。

 そうなるとアルファの行動に大きく制限がかかってしまう。

 とくに隠密行動では大きな障害となり得る。

 こんなことで、計画に支障がでてはたまらない。

 だがクレシダは、言い出したら、絶対に引かないのだ。


 妥協した壺程度なら、大丈夫だろうと考えた。

 それでも一抹の不安は拭えなかったのだ。

 アルフレードのお膝元で生み出されたキワモノ。

 アルファにとって、いくら用心しても足りないのであった。


 そんなアルファの心配をよそに、クレシダはウキウキだ。

 壺に、熱い視線を注いでいる。


「アルファは匂いに敏感だったものね。

さあてと……。

封を解くわよ。

……アルファどうしたの? その格好」


 アルファはメイド服のままだ。

 違いは頭部にあった。


「手頃な匂いを遮断する道具が、これしかありませんでした。

他の手頃な道具は、本番のときに必要ですから」


 クレシダは呆れ顔で、ため息をつく。


「だからって……。

フルフェイスヘルムにメイド服は、ちょっとシュールすぎるわよ」


 アルファはフルフェイスヘルムをかぶっていた。

 これは魔法で一切の匂いを遮断するものだ。


「私は気にしません」


 クレシダは強く頭をふる。

 アルファの頑固さには、匙を投げているからだ。


「まあいいわ。

封は厳重ね。

蠟でするなんて……。

大袈裟すぎるわよ。

呪いじゃあるまいし。

でも……ますます楽しみだわ。

これで今一だったら殺してやろうかしら」


 クレシダは鼻歌交じりに、ナイフで封を解く。

 突然、顔がゆがむ。


「臭っ!

な……なんなのよ、この匂いは!

臭すぎるでしょ!

頭にくるわ!!」


 アルファは冷ややかなため息をつく。


「どうしていきなり開けるのですか。

水の中で開けるようにって注意しましたよね?」


 クレシダは鼻を押さえながら、ジト目になる。


「バカねぇ。

決まり通りにとがった食べ物を処理する。

あまりにつまらないわ。

それにしても……。

臭っ!!」


 クレシダは、顔を近づけては逸らす行為を繰り返している。

 癖になるような匂いなのか、アルファは気になった。


「どんな匂いなのですか?」


 クレシダは鼻をつまんでウンザリした顔をする。


「い、硫黄が熟成したような……。

魚の腐乱死体が、大量に浮かんでいる池かも?」


「聞いただけで気持ち悪くなってきました。

そもそもですが……。

ウオッカで洗い流すそうですけど」


 クレシダはフンと鼻を鳴らす。

 すぐに、顔をゆがめて、鼻をつまむ。

 懲りない女であった。


「なに日和ひよっているのよ。

そんな形式通りなんてつまらないでしょ。

それに……だんだん慣れてきたわ。

実は大したことないのかしら?」


 妙に勝ち誇った顔のクレシダに、アルファは頭をふる。


「慣れないでください。

いくらクレシダさまでも、近くに寄りたくありません」


「ひどいわねえ。

まあちょっと、水で洗い流してっと……」


 さすがのクレシダでも、直接手で触れる気がないのか、魔法で切り身を持ち上げる。

 器用に別の水瓶を魔法で持ち上げて、切り身を洗い流す。

 切り身はピカピカ光っており、とても新鮮に見えた。


「見た目は……とても美味しそうね。

生のままいってみるわ」


 アルファは1歩後退あとずさる。


「正気ですか?」


 クレシダはフンと鼻を鳴らす。

 もう慣れたらしい。


「私に正気を問うの?

愚問だわ。

好奇心の赴くままよ」


 クレシダは魔法で、切り身を口に運ぶ。

 躊躇ためらわずに1嚙みして硬直する。


「うわ!

臭っっっっっっ!!!

うぐぐ……」


 すぐに、無理矢理飲み込んだ。

 肩で息をしている。

 アルファはもう諦めたのか、ため息すらつかない。


「どんな味でしたか?」


 クレシダはアルファを睨む。


「そう冷静に聞かれると、腹が立つのだけど……。

飲み込むのに必死で、味なんてわからないわよ!!

なんだか悔しいわね……。

もう1切れ試してみるわ。

これは愛しい人アルフレードからの挑戦なのよ」


 アルファが首をふる。

 最初にいた場所より、後退あとずさっていた。


「そんなこと考えていないと思います。

止めたほうが……」


 アルファがおもむろに通路を見る。


「あ……使用人が逃げていきましたよ。

屋敷の中が凄いことになっていそうです」


 クレシダは唇の端をゆがめて笑いだす。


「ここまできて……。

ムザムザ引き返すなんて無粋よ」


 再び切り身を、口に入れる。

 口を動かした瞬間、再び硬直する。

 速攻で飲み込んだ。


「うっっっっ……。

臭い!!!」


 吐き出さなかったのは意地らしい。

 クレシダはむせ返って、涙目になっている。


「これはダメ!!

こ……降参!!!

なんなのよ!

非常識にも程があるでしょ!

こんなにイカレた食べ物なんて聞いてないわ!!」

 

 アルファは料理場の扉に隠れて、頭だけ出している。

 理不尽極まる怒りだが、アルファから突っ込む気は失せていた。


「せめて封をし直してください。

でないと匂いが広がり続けます」


 クレシダは腕組みをして、何か考え込んだ。

 すぐ満面の笑みがこぼれる。


「ちょっと匂いに色をつけてみるわ。

慣れちゃってわからないのよね」


 どうせ麻痺しただけだろう、とアルファは思った。


 クレシダは、エルフ殺しが入っている壺を指さし、なにか唱えた。

 すると辺り一面に黄色い霧が立ち込める。

 黄色と言っても濁った色であった。

 濃霧で1メートル先が見えない状態だ。


「な、なんなの。

この腐った卵のような色は……。

しかも部屋どころか、外にまで充満しているじゃない!!

どうするのよ!!!」


「だから水の中で開けるようにと……」


「そんなことはいいから、これなんとかしてよ!!」


 アルファは大きなため息をついて、首をふる。


「ともかく窓を開けさせます。

クレシダさまは、それを捨ててください」


 クレシダは名残惜しそうに、霧の発生源を見る。

 それはドライアイスのように、霧を吐き出し続けている。


 アルファには人の欲望に見えた。

 尽きることがなく沸き続ける、醜いものとして。

 珍しく感傷的になったのは、現実から逃れたい一心であったのだが……。

 アルファがそれを自覚する余裕はなかった。


 クレシダは、しばらく躊躇ためらってから大きなため息をつく。


「仕方ないわねぇ。

放置していたらずっと異臭を放ち続けるものね……。

ところでこの匂い……どうしようかしら?」


「私にはどうもできません。

この匂い……。

クレシダさまの服に染みついていますよ。

捨てるしかなさそうです」


 クレシダは霧を手で払いながら、天を仰ぐ。


「うわ。

本当だ……。

このドレス結構気に入ってたのになぁ。

ちょっと怖いんだけど聞くわね。

もしかして……髪にも染みついてない?」


「手遅れです。

風呂で落とせるか……」


 クレシダは目を丸くして、自分の髪を確認する。

 べっとりと黄色が染みついていた。


「はぁ!?

なんでこんなもの持ってきたのよ!!

こんなの食べ物じゃなくて、ただの嫌がらせじゃない!!

私は食べ物を持ってきてって頼んだのよ!!!」


 このあとクレシダの屋敷は、大騒動となったらしい。

 調理場の匂いが落ちなかったこともそうだが……。

 自室でヘルムをとったアルファが気絶した。

 おまけにクレシダが怒り狂って、周囲はとばっちりを受け続けたなど……。

 

 この事件は、あまりの理不尽さ故に……。

 なぜかアルフレードの罠と噂されるに至ったのである。

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