837話 閑話 相変わらず学習しない女
インタビューはラヴェンナでも放送されている。
放送中ブーイングが、広場に響き渡った。
屋敷で放送を見ているヤン・ロンデックスも、聴衆と同じ気持ちだ。
見るからに不機嫌な顔。
本来なら、ヤンは広場で皆と一緒になってブーイングを飛ばす。
それがなぜ屋敷で見ているのか。
同棲しているゾエに気を使っているからだ。
ゾエは不特定手数の男性の前にでたがらない。
多少改善されたが……。
ロマンから植え付けられたトラウマ《心的外傷》は、なかなか克服出来なかった。
ヤンは我慢出来なくなると、ひとりで町を
同棲前は毎日のように飲み歩いていた。
それが同棲してからは、週に2~3回まで減っている。
それでもヤンは不安なので、エミールに相談する。
エミールは呆れつつ、ヤンの気持ちをゾエに伝えた。
ヤンに、人前にでるなというのは酷すぎる。
流石に毎日飲み歩かれては悲しいが、ヤンはちゃんと配慮してくれている。
それだけでゾエは満足なのだ。
ならヤン本人が伝えればいいのだが……。
照れくさいのか伝えたがらない。
エミールからそれを聞いてゾエは喜ぶ。
ゾエから話を聞いてヤンは照れくさいのか、変に格好をつける。
その繰り返しであった。
結局エミールは、ヤンのお守りから解放されないのである。
「なんだアイツラは!
ラヴェンナさまがなにをしたってんだ!
気にくわねえ」
一緒に見ていたゾエ・ラペルトリは、ため息をつく。
「あれはちょっとないわね……。
ラヴェンナの人たちが、どう感じるか考えていないのかしら」
ヤンは耳の穴に、小指を突っ込む。
当初、鼻の穴がお得意先だった。
ゾエに
耳ならいいだろうと、言質を取ったからだ。
ゾエとしてはどちらも好ましくなかったが……。
当初行く当てを失った小指に、ヤンは困ってしまった。
『ちょっと大きいけどいいか』
そう言って口に突っ込もうとしたので、白旗を揚げたのであった。
「考えてないだろう。
あんな鼻持ちならないヤツらは、自分のことしか考えねぇ。
クソ……。
俺っちが殴り倒してやろうか。
ラヴェンナさまは、自分への悪口で怒らない人だ。
代わりに俺っちが怒ってやる!」
ゾエは手に、口を当てて苦笑する。
「今から駆けつけても間に合わないわよ。
それに今出ていっちゃダメ」
ヤンは頰を膨らませた。
「なんでだ?」
ゾエは悪戯っぽく笑う。
「ラヴェンナ卿にとってヤンは秘密兵器なのよ。
今下手に目立ったらダメじゃない」
ヤンは目を丸くしたが、どこか嬉しそうだ。
「そんなこと、ラヴェンナさまが言っていたのか?」
「ええ。
ラヴェンナ卿が教えてくれたのよ。
今度会ったら聞いてみて」
ヤンは頭をかきながら、相好を崩す。
「へっへっへっ。
そうかぁ。
秘密兵器かぁ。
つまりは切り札ってことだな。
それじゃあ仕方ねぇなぁ。
でも……やっぱり気に入られねえな」
ヤンは腕組みをして、不機嫌な顔になる。
放置するとヤンなら本気でやる。
ゾエは優しくほほ笑みかけた。
「ヤンが出ていかなくても、しっかり仕返しすると思うわ。
貴族は舐められたら終わりだからね」
「まあ……。
ラヴェンナさまが黙ってやられっぱなしなのは、想像がつかないな」
放送が続くなか、広場のほうから拍手が響いてきた。
アルフレードが怒った場面である。
ヤンは感慨深げだ。
「やっぱりなぁ。
ラヴェンナさまは男前だよ」
ゾエが意外そうな顔をする。
「怒ったところが?」
ヤンはまるで少年のような目で、映像を見ている。
「いや。
ラヴェンナさまは人のために、本気で怒れる人なんだ。
俺っちはバカだけど、違いはわかる。
あれは損得抜きだ。
男前じゃないか」
ゾエは素直に同意する気にはならなかった。
統治者は、自分の権威漬けのため怒ることがある。
アルフレードの怒りは、統治の一環だと思ったからだ。
だからと……ヤンの言葉を否定する気にはならなかった。
それより、別の心配事がある。
「本気で怒っているわね。
あんな厳しい言葉なんて、はじめて聞いたわ。
でも周りが敵だらけで大丈夫かしら?」
ヤンは笑って手をふる。
「それは心配ない。
シャロンさんがいるからな」
ゾエは首をかしげる。
モデストの個人的武勇について知らないのだ。
貴族たちのスキャンダルを握っているから恐れられている。
そんな認識だった。
「シャロン卿の異名は知っているけど……。
強いの?」
「ああ。
尻の穴がキュっと締まる感じじゃないから、普通の強さじゃない。
チクチクする感じだったなぁ」
ゾエの目が、点になった。
まるで理解出来ない例えだったのだ。
もし理解出来るならエミールくらいだろう。
「全然意味がわからないわよ」
ヤンはペロっと舌を出して、頭をかく。
「スマンスマン。
でも俺っちは、そうやって判断するんだ。
外したことは、一度もないぜ」
具体的な説明はないが、ゾエはそれを期待していない。
ヤン本人も説明出来ないからだ。
「ヤンの直感は、ラヴェンナ卿ですら、一目置いているものね」
ヤンはアルフレードから褒められる話をすると、本当に嬉しそうな顔をする。
エミールからはまるで親子だと言われた。
当初は逆だと思っていたが、今は親子と思うほうがしっくりくる。
「いやぁ。
嬉しいねぇ。
ん?」
空中で映っている映像は、インタビュアーが土下座中に失神したシーンだ。
広場から大きな歓声が響いてくる。
ヤンは感心した顔で、腕組みをする。
「へぇ……。
言葉だけで人を失神させることが出来るんだ……。
頭のいい人って、スゲえんだな」
ゾエはストレスに耐えかねて失神したことまでなら理解出来た。
どうやって、言葉だけでそうしたのかはわからない。
「普通の人は出来ないわよ」
ヤンは破顔大笑する。
「そりゃ当たり前だ。
なんたってラヴェンナさまだからな。
俺っちもやってみてえ。
ムリだけどな。
考える間に手がでちまう」
◆◇◆◇◆
アルフレードの屋敷からも放送は見える。
テラスでミルヴァたちは、映像を見ていた。
中央にいるミルヴァは、まったくの無表情だ。
隣で見ているクリームヒルトは、ミルヴァがとても怒っていると感じた。
「ミルヴァさま。
落ち着いてください」
ミルヴァは振り向きもせず、無表情のままだ。
「なんであそこまで、アルが責められなきゃいけないのよ。
おかしいでしょ」
淡々と言っているが、抑揚がない。
シルヴァーナが呆れ顔で、映像を見ている。
普段はひとりでキレ散らかすが、皆が興奮すると、逆に冷静になるタイプだった。
「あ~。
あれは自分が強いと勘違いしたイキり野郎とそっくりだわ。
アルなら内心呆れているわ。
ミルが怒って、どうするのよ」
ミルヴァは怒った顔で、シルヴァーナに向き直る。
「どうもしなくても怒るわよ。
アルは私が侮辱されたら、本気で怒ってくれるわ。
だから私も、アルが侮辱されたら本気で怒るのよ」
シルヴァーナはため息をついて、手をふった。
「ハイハイ。
こんなところで
胃もたれするわ」
そこに、オフェリーが遅れてやって来た。
エテルニタを抱きかかえている。
3匹の子猫が寝るのを見届けてから来たようだ。
「なんだかよくない場面みたいですね」
シルヴァーナは、肩をすくめた。
「アルが言い掛かりをつけられているところよ。
それで皆腹が立ったんだけど、ミルがとくに凄くてね……。
怖いったらありゃしないわ」
「私もその気持ちは、よくわかります。
アルさま分が不足していますから。
姿を見られるのは嬉しいですけど、あんな光景だと……」
『みゃお~う』
突然、オフェリーに抱きかかえられたエテルニタが鳴いた。
「エテルニタも寂しいようです」
全員が吹きだして、場の空気が和む。
シルヴァーナが感心した顔で、エテルニタをなでた。
「この子……。
場を和ませるのがうまいわねぇ。
クリームヒルトもこの子にスリスリされて、楽になったんだっけ?
癒やし猫の異名は伊達じゃないわね」
エテルニタは我関せずと言わんばかりに、毛繕いをしている。
「ええ。
普段寄ってこないのに、珍しく足元で体をスリスリさせてきたから驚いたわ。
抱きかかえるうちに、すっかり楽になったの。
弱っている人がわかるのかしら?」
オフェリーが自信なさげに、首をかしげる。
「どうでしょうか……。
アルさまの残り香に誘われただけ……かもしれません。
私もスリスリしたくなりましたから」
シルヴァーナが大きなため息をつく。
「変態チックなことは止めなさい。
そのわりに、毛繕いをして匂いを消しているような気がするけど……。
まあいっか。
ん? あのインタビュアーなにほざいているのよ。
亜人と距離をおけって……。
ムリじゃん。
そんなことしたら、冒険者のパーティーは成り立たないわよ。
腹立つわね……。
アイツラが魔物に襲われても助けないわよ!」
今度は、シルヴァーナが怒りだす。
それを見たミルヴァが笑いだした。
「大丈夫よ。
ヴァーナがそう思うなら、旧ギルドの冒険者たちも、そう思うでしょ。
助けないわよ。
そもそも旧ギルドが、亜人を敬遠しはじめたって聞くからね。
新ギルドに流れてくる冒険者が増えたでしょ」
シルヴァーナが渋い顔で、頭をかいた。
「だと思うけどね。
最近自信ないのよ。
アタシもお偉いさんになっちゃったからね。
冒険者だったころは見えていないことが、いろいろ見えちゃうのよ。
それを考えると……。
昔は言っていたけど、知ってしまうと言えないことが、たくさんでてくるでしょ?
変わったって随分言われるのよ」
「何も変わっていなかったら、ヴァーナはとっくに首よ。
アルがそんな甘いわけないでしょ?」
「あ~。
仕事に関して、アルは情け容赦ないものね。
あれほど情が通じない人っていないわよ。
ああ……。
やっぱりアルは拒否したわね。
実害がない限り、拒絶しないのってもどかしかったけど……。
今回は有り難いわ」
クリームヒルトは
「これで皆も安心してくれるかな……。
改めて公の場で明言してもらえたから」
シルヴァーナ偉そうに腕組みをしてうなずく。
「アルは味方に噓をつかないからね。
敵は平気で騙すけど。
あれはえげつないくらいよ」
そこで会話が途切れて、全員が放送に注目する。
インタビュアーがラヴェンナの民を、野蛮と断じたところで、オフェリーが頰を膨らませた。
「私にはあの人たちのほうが、野蛮に見えます」
ミルヴァが苦笑する。
「そうね。
それよりあの人たち……。
タダじゃ済まないわよ。
アルを怒らせたんだもの」
シルヴァーナも苦笑する。
「あれは終わったわね……。
あっちゃぁ~。
土下座なんてするんだ。
これで逃げ切りかなぁ。
なんか腹立つけど」
ミルヴァが冷たい笑みを浮かべる。
「それ。
アルには逆効果よ」
シルヴァーナは意外そうな顔をする。
世界中に流れているから、厳しい追及はしないと思ったのだ。
「そうなんだ。
普通の人なら、ここで心の狭いヤツだ……と思われたくないから責めないよね。
野次馬に紛れていれば、ヤジくらい飛ばすけど」
「アルは、土下座って攻撃的行為だって言っていたわ」
「攻撃? 全面降伏の間違いじゃなくて?」
ミルヴァは苦笑して、肩をすくめる。
仕草がアルフレードそっくりになっているが、誰も気が付いていなかった。
「『ここまでしているから、これ以上自分を責めないでくれ』って、無言の意思表示だって言っていたわ。
そんなパフォーマンスより、原因を教えてくれってね。
そもそも謝罪する側に要求されると腹が立つ……とも言っていたわ」
シルヴァーナは引き
「あ~。
なんかアルらしいわ。
うわ。
土下座したヤツが失神したわよ。
3人目って……。
得意技なの?」
ミルヴァはジト目で、シルヴァーナを睨む。
「アルが、どれだけ大人を泣かせたのか……知っているでしょ。
あれでも手加減していたんだから。
今回はアルを怒らせたからね。
手加減なしよ。
だから驚かないわ。
憤死させないだけマシじゃない?」
シルヴァーナが大袈裟に天を仰ぐ。
「ミルは温和な常識人だと思っていたけど……。
アルと交わって染まっちゃったのね。
もう昔の清純だったミルはいないのかぁ。
ゴメン、清純はなかった。
むちゃ肉食だったわ。
これは魔王夫人って呼ばれても……」
シルヴァーナが慌てて、自分の口に手を当てる。
ミルヴァは笑っていたが、目が笑っていない。
妙な迫力を感じて、シルヴァーナが後ずさる。
ミルヴァが笑いながら1歩前にでた。
「よく聞こえなかったわ。
もう1回言ってくれる?
アルと離れて長いから……最近虫の居所が悪いのよ。
八つ当たりになるかもしれないけど……いいわよね」
シルヴァーナが引き
「そりゃご無沙汰……」
ミルヴァから笑顔が消えて、無表情になった。
命の危険を察したシルヴァーナが、必死に救い主を探す。
頼みの綱であるエテルニタは……。
オフェリーに抱っこされて、昼寝をしている。
シルヴァーナ……相変わらず学習しない女であった。
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