834話 閑話 圧倒的な権威

 シケリア王国の王城のテラスで、今回のインタビューを見物している者たちがいる。

 国王ヘラニコス。

 王女ディミトゥラ。

 アントニス・ミツォタキス。

 ヴァイロン・デュカキスの4名。


 ディミトゥラは空中に映ったアルフレードを、興味深そうに見ている。

 

「あれがラヴェンナ卿ですか。

とても興味深いお方ですわね」


 ヘラニコスはやや意外そうな顔だ。


「ふむ……。

見た目はとても地味だな。

もっと威厳があると思っていたが……。

ただ目つきは違う。

あれは重責を背負う者の目だ。

あのような目をした男を、余は知らぬ。

それに気が付く者は、どれだけいるかわからぬがな。

多くの者は、印象の地味さと業績の乖離かいりに戸惑うであろう。

ミツォタキス卿とデュカキス卿は、言葉を交わしたとき……どのような印象を持ったかな?」


 ヘラニコスは、昔ふたりからアルフレードの印象を聞いていたが、ディミトゥラには話していなかった。

 ディミトゥラに聞かせるために、あえて再度聞いたのである。

 あとは昔と変わった点があるかもしれない、とも思ったのだ。

 違っていれば、今後の対策を検討するときに考慮する必要がある。


 ヘラニコスの意図を察したアントニスは、優雅に一礼した。


「とても印象深かった記憶があります。

臣は目つきより、たたずまいと会話内容で、感銘を受けました。

実力でラヴェンナを平定したのは、間違いないと。

そして底が知れません。

心底恐ろしいのは、家臣の力を引き出して伸ばすことにけている。

あれだけ優秀なら、自分ですべてを決めたほうが早いのですが……。

それをしない。

その忍耐力は常人離れしております。

決して敵に回すべきではないと思いました」


 ヴァイロンは、恭しく頭を下げる。


「臣もいささか緊張しました。

まるで内面を見透かされているような感じがあります。

内心冷や汗ものでした」


 ヘラニコスは苦笑を漏らす。

 その心境は複雑といったところだ。


「リカイオス卿が敗北したのは、当然の結果だな。

ペルサキス卿ひとり使いこなせなかったのだ。

最後は完全に、手のひらの上で踊らされていたな。

そのような怪物が、他国にいるのは恐ろしいが……。

無欲なのか、他国を侵略する意図がない。

領土欲がないのかとすら思う。

占拠した巡礼街道も、教会に返還する意向だそうではないか。

土地に執着しない領主など……余の理解を超えているよ」


 ヘラニコスは言い終えて、頭をふった。

 アントニスは小さく眉をひそめる。


「恐らくはなにか、意図があるのでしょう。

決してただでは返さないかと。

テッサロニケを占拠したのに、和平交渉であっさり返還したでしょう。

その代償として望んだ無償の港湾使用権。

これの評価はとても難しいと思います。

運用するためにシケリア王国民を雇っており……。

ラヴェンナの影がありません。

それでもラヴェンナに雇われたのは周知の事実です。

さらに現地の雇用を奪うどころか、雇用を増やしている。

あそこではラヴェンナを敵視する者は、既得権を奪われた大商人だけ。

その大商人は、凋落著しいと聞いております。

テッサロニケの住人にとって、戦争前より今のほうが、生活は安定しているわけです」


 テッサロニケは、クリスティアス・リカイオスの勢力圏にとって重要な港なのだ。

 そこを取り返せないと、物流に大きな支障がでる。

 それをあっさり返還したことに皆は驚いた。


 普通はポーズだけでも渋る。

 これは親ラヴェンナ派と目されるアントニスへの便宜ではないか。

 あまりの不可解さに、皆がそう思うことにしたのだ。

 ヘラニコスは深いため息をつく。


「そうだな。

現時点でラヴェンナと敵対するカードを奪われてしまっている。

テッサロニケに反発されては、我が国の物流は混乱をきたすからな。

好んで敵対する気はないが、必要に迫られたときですら……。

それが難しい」


 アントニスは同意のうなずきを返したが、すぐに眉をひそめた。

 アルフレードへのインタビューで白熱した様子が映ったからだ。

 インタビュアーひとりが白熱しているわけだが……。

 礼節を重んじるアントニスにとって見るに堪えない光景である。


「それにしても……。

何故メディアとやらは、あそこまでラヴェンナ卿を敵視するのか。

不可解であります。

そのようなことをしても、なんの利益もないでしょう。

しかも彼らは平民出身。

ラヴェンナの民が、外で横柄に振る舞ったという話も聞きません。

アルカディア出身者は、偽使徒が敵視していた流れを継承しているからでしょうが……」


 ディミトゥラは口に、手を当てて笑いだす。

 笑いはしたが、目はまったく笑っていなかった。


「アラン王国のメディアは、教会関係者と聞きましたわ。

元でしょうけど。

少なくとも教養はあると自認しているでしょう。

そのような人たちにとって、民は無知でないといけませんわ。

自尊心の拠り所ですもの」


 アントニスが呆れた顔になる。

 そのような低俗な動機は、アントニスにとって忌避すべきものだからだ。


「無知だと見下すために、民は無知であるべきと?」


 ディミトゥラは意味深な笑みを浮かべる。


「今までは、そのようなことを考えなくてもよかったでしょう。

ところがラヴェンナ卿は、民に考えることを望みました。

望むだけでなく、その場を提供していますからね。

そしてその成果が現れています。

昔からの知的エリートにとって、その優位性が脅かされていますもの。

その反発ではありませんこと?」


「そのようなものですか。

なんとも浅ましい。

それでは鳥なき里の蝙蝠でありませんか」


「ミツォタキス卿は、民が多少賢くなったとしても、決して脅かされない高みにいますもの。

でもそうでない人たちにとっては、深刻な脅威ですわ。

蝙蝠にとっては鳩ですら邪魔ですもの。

成り上がり者を熱心に叩くのは、上流階級でも、比較的地位が低い者たちでしょう?

奴隷の解放に反発するのが下層の平民であるように」


 アントニスは感心した顔でうなずいた。

 ディミトゥラの見識に、舌を巻いたからだ。


「なるほど。

ラヴェンナ卿ほどではありませんが……。

王女殿下の見識は、年齢の割に深いものがあります。

対決したらいい勝負が出来るのでは?」


 ディミトゥラはプイと横を向く。

 ただ目は笑っていた。


「必ず負けるから嫌ですわ。

それより……。

随分失礼なインタビューではありませんこと?

礼節の欠片もない。

よくラヴェンナ卿は我慢出来ますわね」


 インタビュアーがアルカディアのメディアになった。

 シケリア王国のメディアと称しているが、この場にいる全員認めていない。

 クレシダが使っているメディアとの認識だった。


 アントニスは唇の端を歪める。

 その感情は、アルフレードに向けたものではない。

 インタビュアーに向けたものだった。


「アルカディアの民は、相手をどれだけ侮辱出来るか……。

それが強さの証しらしいですからね。

ラヴェンナ卿から伺ったときは理解出来ませんでしたが……。

納得せざるを得ないですよ」


 ヘラニコスは怪訝な顔になる。

 会場の不穏な空気を察したからだ。


「毒蜘蛛と名高いシャロン卿が護衛のようだが……。

あの場でなにかあったら、ラヴェンナ卿を守り切れるのかね?」


 ヘラニコスの問いは、王家の守護者たるヴァイロンに向けられたものだ。

 当のヴァイロンは、涼しい顔のまま。


「恐らくは大丈夫でしょう」


「デュカキス卿はシャロン卿に勝てるかね?」


 ヘラニコスの知る限り、ヴァイロンは世界屈指の手練れだ。

 勝てる者は少ないと思っている。

 だからこの問いの意図は明白だった。


 だがヴァイロンは、涼しい顔のまま首をかしげる。


「どうでしょうなぁ。

負けるとまでは思いませんが……。

勝てるとも思えません」


 ヘラニコスは驚いた顔になる。

 ヴァイロンは、誰に勝てると口にすることはない。

 だが負けると口にしたこともないのだ。

 常に『やってみないとわかりませぬが、心配ご無用です』との返事ばかりである。

 つまりは負けない。

 今回の返事は衝撃的だった。


「それほどの手練れなのか?

余にはわからないが……」


「目に見えるものしか映りませんからなぁ。

何故シャロン卿が、毒蜘蛛と呼ばれるか。

その所以はご存じでしょうか?」


「諜報網を、蜘蛛の糸のように巡らす。

あとは毒の扱いにけているからではないかね?」


 ヴァイロンの目が鋭くなった。


「それだけではございません。

噂でしか知りませぬが……。

シャロン卿の武器は、魔力の糸だとか。

結界のように張り巡らせて、その糸に触れたが最後。

身動きが取れなくなって、あとは死を待つばかりと聞いております」


「待ち構えて、相手を倒すタイプか。

それなら乗り込んで、相手を暗殺するのは不得手のようだな」


 ヘラニコスは安堵あんどのため息を漏らす。

 ヴァイロンが、強さの判断を保留するほどの相手が、他国にいるのは落ち着かないのだ。

 ヴァイロンは恭しく一礼するが、眼光は鋭いままだった。

 普段の爽やかで小太りな中年といった印象はない。


「御意。

ですが時間を与えてはいけません。

ものの数分で張り巡らせるでしょう。

ラヴェンナ卿の周囲は、既に結界で守られていると思います」


 ヘラニコスは映像を横目で見ていたが、驚いた顔になる。


「今、インタビュアーが卒倒したな。

あれはシャロン卿の仕業かな?」


 ヴァイロンは小さく首をふった。


「いえ。

椅子からずり落ちたときに、なにか見えた気がします。

シャロン卿がやったのはそこまででしょう。

あれはラヴェンナ卿が言葉だけで、相手を卒倒させたかと」


「言葉だけで人を卒倒させるとは。

はじめて見たぞ。

あれはあの場にいなければわからないのであろうな」


「恐らくは」


 インタビューは中断となった。

 ヘラニコスは、軽くせき払いする。


「さて……。

それでは真面目な話をしよう。

国内の掌握は、なかなか進んでおらぬか。

クレシダ嬢の支配はそれほど強固だったのかね?」


 アントニスは恭しく一礼した。

 その顔はやや曇っている。

 完全にクレシダの影響力を排除出来ていないからだ。

 そのうえ村の住民が消えてなくなる話を、アルフレードから問いただされた。


 その調査も順調とは言い難い。

 アントニスの諜報ちょうほう網で捉えられる対象ではないからだ。


 ゼウクシス・ガヴラスが、シケリア王国独自の諜報ちょうほう機関を設立しようと奔走しているが……。

 それも、困難を極めている。

 だからと自国の諜報組織設立を、他国に依存など出来ない。


「恐れながら……。

こちらの息の掛かった者に交代して、まだ円滑とはいきません。

徐々に掌握は進んでおります。

今しばしのご猶予をいただければと」


 ヘラニコスはそのあたりの事情を察している。

 そもそもシケリア王国の王権は弱い。

 本来であれば、体制を変革したいのだが……。

 慎重にせざるを得ない。

 ヘラニコスは大きなため息をついた。


「仕方あるまいな。

我らはラヴェンナ卿ではない。

急激な変革を行って、短期間に定着させるような秘技を、我らは習得しておらぬからな」


 ディミトゥラは悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「陛下。

実は違いますのよ。

私も不思議に思って、キアラに聞きましたの」


 ヘラニコスは意外そうな顔をする。

 劇的な改革を短期間で実施して、それを定着させた。

 魔術のような手腕だと思っていたからだ。


「ああ。

ラヴェンナ卿の妹君と、文通をしていたな。

なにが違うのだね?」


 ディミトゥラは、楽しそうに目を細める。


「民の生活様式は、ラヴェンナ平定前後で、さほど変わっていないそうですの。

民にしても、なにかあれば部族長を頼るのは同じです。

違いは生活が便利になったことくらいですわ。

ラヴェンナの法にしても、従来の常識がそのまま通用しますもの。

新たに増えたものはありますけど、内容は突飛ではありませんから受け入れやすい。

だから平穏だそうですの」


「外からはそう見えぬがな」


「支配階級だった部族長は、そこそこ変わりましたわ。

それもプラスの方向にです。

デメリットは武力行使の権利を奪われたこと。

メリットは今までより広い範囲に、影響を及ぼせるようになったことでしょうか。

ラヴェンナ卿は、従来の支配階級を、そのまま代表者会議のメンバーとして取り込みました。

その会議で、要求を訴えればいいだけの話ですから。

それが理に適っていれば、問題ありません」


 ヘラニコスは腕組みして考え込む。

 反乱を起こさないために配慮すべきことだと納得は出来る。

 だからとそこまで柔順になるものだろうか。

 いまひとつヘラニコスは納得出来なかった。


「ううむ……」


「あとは罪人の処罰や治安の維持、食の確保など……。

必要なことはすべてラヴェンナがやってくれます。

裁きの場でも、意見が求められるから、ないがしろにされない。

しかも部族長の代表者は、世襲が認められています。

地位も平定前より安定していますわ。

反発を起こすどころか、昔に戻りたくない人は多いでしょうね。

個々人で反発を持つ者がいても、大火事には決してなりません」


 ヘラニコスはアゴに手を当てて考え込む。

 この方法なら、ラヴェンナの安定性の説明にはなる。

 言われてみれば当然なのだが……。


 被支配者は、支配する側の慣習に従う。

 それが常識だったからだ。

 そうでなくては支配する意味がない。


 ラヴェンナ方式を実行しようとすると、大変な困難が生じるだろう。

 なにより支配する側が納得しない。

 血を流してまで手にした勝利で、敗者を同等に扱うなど、正気の沙汰ではないからだ。

 敗者に甘すぎると、反発さえするだろう。

 その反発をどう抑え込んだのか。


 ヘラニコスは、そのような圧倒的な権威が想像出来ずにいた。

 ある意味で国王を凌ぐ権威を最初から持っていたのか。

 まったくわからなかった。


「ふむ。

力で押さえ込むより……。

そうさせないことに、主眼を置いているわけだ。

それをするのは、大変な難事だぞ。

だからこそ試みた者はいない。

それを成し遂げたわけか。

どれだけの権威を持ってはじめたのか……。

まるでわからないな。

大貴族とは言え、3男だろう。

この不可解さが説明出来ない。

だからこそ魔王と称されるわけだ」


「それだけではありませんわ。

民ひとりひとりに自身の重要性を認識させています。

これがラヴェンナの統治を、さらに盤石なものにしていますの」


 ヘラニコスは首をひねる。

 意味がわからなかった。


 単純な支配者であれば、理屈はわかる。

 被支配者より、上位になるからだ。

 ところがラヴェンナにそれはない。


「重要性とな?」


 ディミトゥラがアントニスにほほ笑みかける。


「ミツォタキス卿が、我が国に忠誠を尽くしているのは何故ですか?

義務感など諸々ありましょうが……。

名門として重要な位置を占めている要素が、大きくありませんこと?

他国に寝返れば、確実に地位は下がります。

貴族が簡単に他国に寝返らないのは、そのような理由が主でしょうね。

責めているのではありませんわ。

当然のことですもの。

騎士にしてもそう。

騎士扱いされないのに、高潔な精神を保てる人は、ごく少数でしょう?」


 アントニスは眉をひそめて嘆息する。

 ディミトゥラには下手な誤魔化しなど逆効果だと知っているからだ。

 だからと喜んで肯定出来る話ではない。

 アルフレードほどではないが、ディミトゥラに対しても、人の内心を見透かすような怖さを感じている。


「それは否定出来ません。

その重要性を、民に認識させたと。

どのような魔法でしょうか?」


「ラヴェンナの民が殺害された件ですわ。

あれで平民ひとりのために、戦争をはじめたではありませんか。

このような扱いは他領でありまして?

あれでラヴェンナ卿への支持は、盤石になったと思いますわ」


 アントニスは、目を丸くした。

 盲点だったからだ。


「たしかに……。

なんとも恐ろしい話です。

デステ家への援助を断つ目的かと。

過去にも例はありましたからな。

ただそれは口実作りに有効なときだけですが……。

そのような意図があったとなれば、平時でも報復してくるわけですか。

これはどれだけの者が理解しているのか……。」


 ディミトゥラは、楽しそうに笑いだした。


「キアラが、自慢の兄だと言わんばかりの調子で教えてくれましたわ。

ああ……。

これは私に伝えていいか、きちんとラヴェンナ卿の許可を取っているそうです。

だから彼女から、なにか秘密を聞き出すのは不可能ですよ」


 アントニスが思わず苦笑してしまう。


「これは陛下の跡継ぎは、王女殿下が女王として即位されるのが最善ではありませんか?」


 ヘラニコスが苦笑してうなずいた。


「余もそう思う。

ディミトゥラに勝る器量の男など、そうそうおるまいて……。

余を含めた男が不甲斐ないのか、ディミトゥラが図抜けているだけなのか。

なんとも難しい話だ」

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