824話 予定救済説

 プリュタニスは天を仰いで嘆息する。


「私は一生かかっても……。

アルフレードさまに追いつけない気がしてきました」


 俺はズルをしているからな。

 とても自慢できる話じゃない。

 ズルをした相手に、真っ当な手段で追いつくなら、もっと多くの努力が必要だ。

 当然、俺も援助を惜しまない。

 むしろ追い抜いてほしい、とすら思っている。

 ズルをして賞賛されるのはとても落ち着かないからだ。


「それはわかりませんね。

ひとつ言えるとすれば……。

諦めたら、ずっとそのままでしょう。

それでよしとするなら……

それもいいでしょう。

自分の人生なのですからね」


 ペンを走らせていたキアラが、手を止めて苦笑した。


「こんな時のお兄さまは、もの凄くドライですわね」


 いちいち首を突っ込んでも、責任がとれないからだよ。

 気まぐれで俺に首を突っ込まれた揚げ句、人生が狂った相手はどうするのだ。


「人に私があれこれ指図する気はありませんよ。

ただその人が前に進みたいなら、助力は惜しみません。

その気がないなら放置する。

それだけのことですよ」


 プリュタニスはいささか、憮然とした顔になる。


「ここで立ち止まる気はありません。

それにしても、人の内面とは恐ろしく複雑なのですね……。

もっとシンプルだと思っていましたよ」

 

 本当は複雑だと気が付いているだろう。

 人の内面は、合理より非合理が多い。

 だから、そう思いたいだけだ。

 無理もないことだがな。


「単純さを求めるのは、人として当然ですよ。

頭は常に物事を素早く処理しようとしますからね。

大事なのはその欲求と事実を混同しないことです。

社会が複雑になるほど、人が複雑になりますよ。

未来はもっと、シンプルさを求める心が強くなるでしょうね」


 それが引き起こす社会問題も想像できるが……。

 あまりに先の話だ。


「社会は人が増えるほど複雑になると」


 当然だ。

 社会が単純であれば複雑になる要素は少ない。

 複雑になると条件が変わる。

 単純な性格の人は騙されて没落するだろう。

 結果として淘汰とうたされてしまう。


 統治する側は、単純なほうが楽だ。

 それは必要な手間を省きたがる行為だろうな。

 淘汰とうたされるに任せるケースが多い。


「ええ。

人口が大きくなると、当然複雑化します。

単純さを維持するのは、100人程度が限界でしょうね。

それを超えると、役割分担などがはっきりしてくるでしょう。

そのほうが効率的ですからね。

それは社会の複雑化をもたらします。

そうなると様々な要因が、個人の性格形成に影響を及ぼします。

職人と商人では、わりと性格が違うでしょう?」


 カルメンが苦笑して頭をかいた。


「そうですね。

絶対に違うとは言えませんが、大まかな傾向は違ってきます」


「私の勝手な推測ですが……。

普通の人が明確に個性を認識できるのは、100人前後までだと思います。

家令のような特殊な職業はもっと覚えないといけませんけどね。

それ以外の普通の人が100人以上と接する場合、どうするか。

シンプルに分類すると思いますよ。

少数の本当に親しい人と、それなりに親しい人。

あとはただ知っているだけとね。

優先順位をつけて、個性を覚えるのではないでしょうか」


 クリームヒルトが大きなため息をついた。


「族長だったので、そんなわけ方を出来なくて大変でした。

全員を平等に扱わないとダメでしたから……。

いつもテオに怒られていましたよ。

実はラヴェンナに移住して、これでちょっと楽になれると思っていました。

アルフレードさまは、とても頼れるので……。

かなり心が軽くなりましたよ」


 だから移住に前向きだったのか。

 それ自体は悪いことじゃないさ。


 移住してあとは知らない、とばかりに責務を放棄していたなら、さすがに注意したが……。

 それは杞憂に終わったな。


「移住して不幸になっていないなら嬉しいですよ。

話を戻しましょう。

複雑化を増す要因がもうひとつあります。

人の本質です。

私の個人的な考えですが……。

人の本質は非社会的だと思っています」


 クリームヒルトが首をかしげた。


「あれ? 人は社会的な生き物だと言っていませんでしたっけ?」


 それは、常々言っているからな。

 単純にそのように適応しただけだ。

 本質とは一言も言っていない。


「言いましたよ。

社会性は本質ではありません。

生きるために備わった資質です。

でも本質は、言葉を話す獣であって非社会的なのですよ。

だからこそ社会の仕組みとして、本質を押さえつけて……。

集団生活を出来るようにしたのです。

子供に対する躾は、その一環ですよ」


 カルメンが、ニヤリと笑った。


「たしかに躾がされず……。

我が儘放題に育つと、人の形をした獣になりますね。

なまじ人の言葉を話すだけ、より悪質です。

魔物なら討伐できるぶん……ずっと可愛いですよ。

人面獣心は魔物に認定してほしいくらいです」


 なかなか辛辣しんらつな感想だ。

 じつはかなり苦労した経験があるのかもしれない。


 辛辣しんらつすぎるが……。

 咎める気などない。

 カルメンはわきまえていて、公の場でこんなことを口にしないからだ。

 なにより俺自身がその認識に同意見だしな。

 ひたすら甘やかすと人は獣になってしまう。

 問題が大きくなってから後悔しても後の祭りだ。


「ええ。

本質が獣で、非社会的だからこそ矯正する必要があるのです。

それを見失うと、手痛いしっぺ返しを食らうでしょうね」


 モデストが、目を細めて肩をすくめる。


「残念ながら、反論が難しい話ですね。

私などに擁護などされたくないでしょうが」


 いろいろなトラブルを解決していたなら……。

 ドラ息子という表現が可愛いほどの……人面獣心と関わったことがあったのだろう。

 珍しく実感がこもっている。


「複雑になるほど単純な仕組みでは抑えきれません。

社会の複雑化に伴って詐欺行為がしやすくなるとかね。

抜け道が増えると、そこに群がる輩は多いでしょう。

だから縛りが追加され、社会は複雑になり続ける訳です」


「たしかに簡単に儲けられると知れば、人はそこに殺到しますね。

あれはアリが蜜に群がる光景に似ていますよ。

不思議に思っていましたが、本能なら納得です」


 これまた辛辣しんらつな評価だな。

 だからと否定する気はないが。


「本質的に社会性を持っていたら、人面獣心な人は少数にとどまります。

自然と淘汰とうたされるでしょう。

でもそうはならない。

野放しにするほど、非社会的行為は増大するのです。

なのでラヴェンナでは、まず道徳を決めて全体の合意を形成しました。

あれなら罰せられて当然だとね。

そうしなければ、処罰が恣意しい的だと受け止められて信用を失います」


 クリームヒルトは頰を引きつらせた。


「もしかしてアルフレードさまが、教育で道徳の話をされたのって……。

これが念頭にあったからですか?」


「当然ですよ。

ただひとつだけ注意してください。

なんでも学校に求めるのは間違いです。

基本的な社会的常識は、社会の最小単位である家庭で教えないとダメですよ。

そうでなくては、教師に求められる責任が無限に増すばかりです。

そのためには権限も与えなくてはいけませんからね。

早晩行き詰まりますよ。

不祥事の隠蔽いんぺいを厳禁する以上……。

権限と責任の明確化は絶対に必要ですからね。

それをせず、現場に責任だけを押し付けるのはただの怠慢です」


 だからラヴェンナの常識は、現実と乖離かいりしない様に皆で決めてもらったのだ。

 そうでなくては、家庭で社会的常識を教えるなど不可能だからな。

 学校はより大きな集団での社会性を学ぶこと。

 それと家庭で教わった常識を補完する要素が強い。


 学校でいじめが発生した場合は、教師ではなく、加害者の親が責任を問われるようにしてある。

 子供たちを煽ったり、見て見ぬふりをする教師は論外だが……。

 幸い今の所そんな事件は発生していない。

 今はまだ……な。


 クリームヒルトは複雑な顔で苦笑する。


「こんな時のアルフレードさまはとても怖いですね」


「甘い顔をしてうまくいくならそうしますよ。

そのほうが楽ですから。

まあ……ちょっと脱線しましたね。

これからどうすべきか。

それを知りたいでしょう。

サディストはマゾヒストを求めて、マゾヒストはサディストを求める。

両者が結合すると、もう切り離すことは不可能だと判断しました」


 キアラの目が鋭くなる。


「サロモン殿下を切り捨てますの?

でもその他の王族は、全員不慮の死を遂げていますよね?

サロモン殿下まで切り捨てたら、アラン王国はなくなりますわ……。

とんでもない大混乱に陥るでしょうね。

魔物の脅威を退けてからでしょうけど……。

落としどころのない内乱に陥りそうですわ。

そこで他国が黙って見ているのか……」


「黙って見ている気でも……。

内乱で他国の力を借りようとする勢力は現れるでしょうね。

必然的に巻き込まれると思います」


 この知らせは、少し前に届いた。

 人類連合の会議の前に届くようにお膳立てされてな。

 予想していたから、驚くことはなかったが……。


「それも仕方なし……とお考えなのですね」


 キアラは俺の決意が知りたいようだな。

 決意するまでもない。

 明確な基準があるからだ。


「私が他国を温存するのは、最もラヴェンナに被害が及ばない方法だからです。

温存して犠牲が増えるなら、その限りではありません。

嫌なことを決断するのが私の役目ですからね」


 キアラは納得したようにうなずいた。


「仕方ありませんわね。

それでどうするおつもりですの?」


 今手を突っ込むのは、時期が悪い。

 離脱するにしても、大義名分が欲しいからな。

 クレシダはそうさせないようにするだろう。


「私が反対し続けると……。

サディストのプレヴァン殿にとって、かなりのストレスになるでしょうね。

私の排除に乗り出すと思いますよ。

ただそれを、クレシダ嬢がよしとはしないでしょう。

クレシダ嬢のほうで、なにか動いてきますね。

それでなにを企んでいるか明確になると思います」


 キアラはジト目で俺を睨む。


「心当たりがありそうですわね……」


 今は、喋る気にならない。

 先入観を与えてしまうからな。

 もう、少し明確な根拠が必要だ。


「まだ妄想でしかありません。

ちゃんと推測になったら話しますよ。

恐らく大きな動きになると思いますからね」


                  ◆◇◆◇◆


 数日後、厳しい顔のキアラが俺のところにやって来た。

 キアラが黙って差し出す書類に目を通す。

 思わず笑ってしまった。

 面白い声明文だな。


「なるほど。

面白い廃品利用ですね」


 キアラはジト目で俺を睨む。

 最近睨まれてばかりだな。


「お兄さま……。

笑いごとではありませんわ。

ラ・サール一味が独自の宗派を立ち上げるとか、どう考えてもキナ臭いですもの」


 これはクレシダの仕掛けだな。

 当然複数の効果を狙ってのことだろうが……。


「宗教改革とは大きくでましたね。

でも言っていることは世界主義と大差ない。

これは世界主義にとって異端です。

つまり敵視せざるを得ない存在ですよ」


 声明文は、現在の混乱は神による罰である、と訴えていた。




 自分自身の主人が自分であると考えてはならない。

 だから理性や意思で行動を決めてはいけないのだ。

 欲望のままになにかを求めてもいけない。

 

 我々は神のものである。

 神のために生き、神のために死ぬ。

 

 もし自分の意思で行動するなら、それは人を破滅させる恐ろしい害悪に他ならないのだ。

 自分自身で、なにかを知ろうとしてはならない。

 なにかを求めてもいけないのだ。

 ただ神の導きに従うことが救済される唯一の道である。


 なぜなら人の魂には悪徳の世界が潜んでいる。

 故に自己を否定し、利己的な考えをすべて捨て去れ。


 神が求めるものを、神を喜ばせることだけを欲して行動せよ。


 神による救済か、永劫の罰を受けるかは、善行や悪行の結果ではない。

 人が生まれる前より、神によって予定されている。

 

 神がなぜあるものを救い、他を罰するのか。

 それは人が探ってはならない神の聖域である。

 神はただ無限の力を示すために、そうするにすぎないのだ。


 神にすべてを帰依することに目覚めたものは、救済が予定された人である証拠に他ならない。

 帰依を拒む者は、永劫の罰を予定されている者に他ならないのだ。

 



 こいつは予定救済説だな。

 ジャン=クリストフが、なにをやったか無視すれば……。

 なかなかの説得力だ。

 困窮した民の心には響くだろう。


 使徒の絶対性を神の絶対性にすり替えたな。

 その神とやらは存在しないのだが……。


 まあ教会と決別するなら、それが一番正しいか。

 どうやってこんな考えに至ったのか……。

 クレシダがなにか吹き込んだのかもしれない。

 真理は言外にあり。

 そこから、よくここまで飛躍したものだ。


 しかし……見事なまでにラヴェンナを否定している。

 思わず笑ってしまった。 


 キアラはあきれ顔でため息をついた。


「それはそうですけど……。

結構厄介ではありませんか。

新教皇の現実的な対応に不満を持つ者はいますから。

その結集核になりうるのですよね。

あとは困難な境遇にある人もすがるかもしれませんわ」


 これはカルト的な集団になりえるな。


「そうですね。

神によって救済される者はあらかじめ決まっている。

とまで言っていますからね。

完全な服従と、自我の否定によって、安心感をもたらす教えですよ。

マゾヒズム的な側面に強く訴えかけるでしょうね。

そして一番大きいのは、ラ・サール殿の教えに帰依したものは、救われる者。

それ以外は救われない者と、仲間内で考えるでしょう。

これは密かな優越感をもたらします。

今の動乱期には、かなり支持を集めやすいかもしれません」


「そこまでわかっていて……。

どうしてのんきなのですか?」


「世界主義にとっては見過ごせない敵だからですよ。

これは激しく衝突するでしょうね。

さぞかし状況は混沌こんとんとするでしょう」


 キアラが頰を膨らませる。


「答えになっていませんわよ」


 クレシダの手引きなら、次の手は明確だ。

 読めたからどうしたのだ……。

 そんな話だけど。


「どうせ近々魔物が大攻勢をかけてきます。

対立を棚上げして団結せざるを得ないでしょうね。

後始末が面倒くさいですよ」


「まるで他人事ですわね。

そんな面倒事から逃げられる目途はたちましたの?」


 いつ人類連合を離脱するのか。そう聞いているのだろう。

 現時点では難しい。

 思わず苦笑して頭をかいてしまう。


「どうこう出来る話ではありませんからね。

とはいえ座視しませんよ。

クレシダ嬢は理性的にこちらを攻めてきますが……。

その駒が理性的かどうか。

だからどう駒を刺激して暴走させるか。

それが大事ですよ」


 キアラは苦笑しながらため息をついた。


「知識はあるのに、行動がとても場当たり的ですものね」


「無理もないですよ。

使徒の平和がもたらした時間の停止は、現在しか考えないようになる弊害がセットですからね。

なにも変わらないのに、過去との整合性や未来を考える人なんていないでしょう」


 キアラは突然吹き出した。


「お兄さま……。

常人から外れた発想を、さも当たり前のようにしていますよね。

だから人扱いされないのですわ。

それで憮然とするのはおかしいと思いません?

まあ、お兄さまにも我が身を振り返らないところがあって……。

ちょっと安心しますわ」


 なんで俺が説教されているのだ……。

 解せぬ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る