822話 必要な秘密

 服従心についてどう説明したものか……。

 いろいろな要素がからまってああなったが、かみ砕いて説明する必要があるな。


「王族は従来の慣習に従うことが求められます。

時間の止まった世界なら尚更でしょう。

しかもそれと相反するロマン王がいたのです。

強固な反面教師としてしまったと思いますよ」


 モデストが感心した顔でうなずいた。


「王族としての支配ではなく、体制に服従する故の支配ですか」


 体制内の部品としての王族だからな。

 それ故に、判断も常識的だ。

 常識的すぎるとも言えるが……。

 ロマンの悪影響だろうな。


「そんなところですよ。

ところがその服従対象が崩壊してしまいました。

サロモン殿下は内心、とても動揺していたでしょうね。

我々の想像が及ばないほどに」


「王族にとって体制の崩壊は想像出来ないのでしょうね」


 普通ならばそうだ。

 だがサロモン殿下は、線が細い。

 それ以上の要素が、強く表れるだろう。


「それ以上に不安を助長したものがあります。

これは誰しもがもっているものですけどね」


 モデストは怪訝そうに、眉をひそめた。


「生活が変わることへの不安ですか」


 それは、やや外周よりに位置していて……。

 生活に余裕がある者たちの視点だな。


「いえ。

孤独への恐怖です」


 モデストは腕組みする。

 流石のモデストでも、俺の言葉は予想外だったか。

 俺の見解では、線が、細い人たちに見られる傾向。

 それが、孤独への恐怖だ。


「常時人に囲まれているでしょう。

それで孤独とは?」


「人に囲まれていることと孤独は無関係です。

見ず知らずの人に囲まれていれば……どうですか?

自分と同じ価値観の人がいる場合、孤独にはなりません。

もしくは信心深い僧侶が、ひとり籠もって修行するなら孤独ではないでしょう。

それ以外の人でも変わりません。

異国にいても、故郷の人とつながっていると思えば孤独ではないでしょう。

望郷の思いはあるでしょうけどね」


「精神的な孤独を恐れるですか」


 普通の人間は、完全な孤独では生きられない。

 ほぼ確実に精神を病むだろうな。


「人が社会性をもつ生き物として進化した代償ですよ。

人は本能的に、孤独を恐怖します。

それは孤独感の忌避として現れているでしょう。

例外もいますけど……。

ごく少数だからこそ例外です」


 モデストはアゴに手を当てる。

 こんな心理的な分析は、モデストの手にすら余るか。


「ふうむ。

たしかにそうですが……。

その孤独感に、サロモン殿下は囚われてしまったと。

だから胡散臭い話にも、容易く飛びついてしまったわけですか」


 それより大きな資質が、鍵となるだろう。


「あとは殿下本人の資質ですね……。

服従心が強いとは、マゾヒズム傾向が強いことでもありますから」


「俗な意味で使っているわけではないようですね」


 そんな意味で使ったわけではないさ。

 俗な意味で使うことは多いけど。


「サディズムとマゾヒズム。

相反するような傾向を、人はもっていますからね。

場面によって、現れる傾向が異なるだけですよ。

強すぎるとそればかりになりますが……。

話を戻しましょう。

マゾヒズムの本質は、劣等感や無力感、自信喪失ですね」


 マウリツィオは不思議そうに、首をかしげた。

 まあ……。

 すぐに理解することは難しいだろう。


「それがどう自分を痛めつける行為につながるので」


 俗な方面しか思いつかなかったか。


「それはマゾヒズム的倒錯ですね。性的倒錯の話ですよ。

紛らわしいのであとに回しましょう。

マゾヒズムの本質が、なにをさせるかというと……。

自分自身を弱くして、物事を支配しないようにします。

そして外側の力によりかかろうとするでしょう。

プレヴァン殿の思想に服従しているような状態ですよ」


 マウリツィオが腕組みをして、頭をふった。

 人生経験豊富なマウリツィオにしても理解していない領域だったか。


「無力感、自信喪失はわかりますが……。

劣等感ときくと、反発を想像してしまいますね。

それでも服従と?」


 人の内面は、そんな単純ではない。

 複雑に絡み合う。

 だからこそ人は、単純さを求める。

 それを利用したからこそ、今までやってこられたのだ。

 あまりに難解で、容易に伝えられる話ではなかった。

 最近は、基礎ならば複雑な部分を話す機会が出て来たろう。

 だからこうやって説明しているわけだ。


「それらはサディズムの表れですね。

どちらも根源は同一なのです」


 マウリツィオは小さなため息をついた。


「独自の理論ですなぁ。

これはラヴェンナ卿の言葉でないと見向きもされないでしょうね。

同一の根源を伺わないと、理解が難しそうですね」


 このあたりの話は単純だ。


「先ほど触れた孤独感や、無力感からの逃避ですよ。

それが内に向かえばマゾヒズム。

外に向かえばサディズムだと思っています」


 モデストは、小さく肩をすくめた。


「そういえば、人の性向は複雑で相反する面をもつ……。

そうおっしゃっていましたね。

複雑な人を、単純に分類すること。

それ自体が大それたことなのかもしれませんね」


 ただそれでも分類しなくては、学問として発展しないだろうな。


「そのあたりの研究は、後世に任せましょう。

私の分類が正しいとは限らないのです。

もっと優れた理論が出て来るかもしれません。

むしろそうあって欲しいですね」


 モデストが珍しく苦笑した。


「なんとも気の長い話ですね。

それでサロモン殿下は、生まれ育った環境から、体制への服従心が強い。

運の悪いことに……。

ロマン王という悪しき反面教師が存在したため、その傾向が強くなってしまった。

従来の体制に、とても強く服従していたわけですね?」


「そうです。

本当に不幸な人ですよ」


 マウリツィオが複雑な顔で、ため息をつく。


「従来の秩序が崩壊したことで、環境が一変してしまったと。

無力感はわかりますが、皆が同じような無力さを感じていたら……。

孤独なのでしょうか?

そう思えないのですが」


 そこが引っかかるか。

 王族という地位が、周囲と同じにはさせないだろう。


「周囲は社会的地位から、サロモン殿下に期待します。

無力感の解消を殿下に求めるでしょうね。

それでは無力感が引き起こす孤独感にさいなまれるでしょうね」


 マウリツィオは、頭をかいた。


「なるほど。

たしかに誰にも理解されていないと思えば、孤独を感じますか。

そんな孤独感から、必死に逃げようとして……。

新たな服従先を、世界主義に見いだしてしまった。

それで宜しいですかな?」


 ロマン、トマによって国を壊された。

 そして民主主義の導入で、価値観の崩壊。

 前に戻る選択肢は封じられている。

 それでも、先に進むだけの自信がない。

 そのときにいたのは個人的に、頼りにするエベールの存在だ。

 冷静なら、あの思想を退けたろうが……。

 マゾヒズム的傾向の強いサロモン殿下に、選択肢はなかったのだろう。

 可能な限り助言をしていたが、それだけでは弱かったかぁ。

 

「ええ。

サディズムと違って、マゾヒズムは自覚しにくい。

恐怖はそのままの姿を見せずに、焦燥感などになって現れたでしょうね。

サロモン殿下は自分で、自分を追い詰めてしまったと思います」


 マウリツィオが頭をかく。


「小生の固い頭では理解し難いのですが……。

そのマゾヒズムが、服従に至る仕組みがわかりません。

孤独からの逃避も、今ひとつつかみかねます」


 話が飛びすぎたか。

 この話は難しいからなぁ……。


「そうですね……。

ここは結構難しいところです。

もう少しかみ砕きましょう。

マゾヒズムの行動原理は、先ほど話しましたね。

孤独を避けるために、個人的自己から逃避して、自分自身を失うことです」


 マウリツィオは不思議そうな顔をする。

 普通に考えたら、想像など出来ないだろう。


「自分自身を失いたがるですか?」


 そこで肝となるのが、元となる心理状態だ。

 失いたくなる状況が存在する。


「元々自信がなく、無力感や劣等感にさいなまれている人がいるとします。

彼が現状から逃れようとしたら?」


「ふむ……。

他者に依存することで誤魔化そうとしますかね。

かような人たちは、自力で克服することは困難ですからな。

それが全面的な服従と」


 そのような状況に陥った人の努力は、より無力感を増すばかりだ。

 マイナス面ばかりに意識が向いて悪化し続けるだろう。

 この話が出来るのは、実例があったからだ。


「ええ。

絶対的な存在と同化することで、この劣等感と無力感を払拭ふっしょくしたように思えます。

そのためには、自己は邪魔でしかないでしょう。

なにせ自分は、無力で劣っている……と思い込んでいるのですから。

それが集団で発現したのがアルカディアです。

アラン王国民がなぜ、短期間で変貌してしまったか。

不思議に思いませんか?」


 マウリツィオは怪訝な顔をする。


「使徒の言葉に、ただ群がった……。

ではないと」


 使徒のマインドコントロールは、周囲にしか届かない。

 力が衰えたユウでは、国民すべてを洗脳するのは不可能だ。

 ならばそのような土壌が存在した、と考えるべきだろう。


「それなら既存の秩序を残しつつ、都合のいいところだけ吸収するでしょう。

それほどに人は、自分の生活を変えることは嫌がるのです。

ところが急激な方針転換が発生した。

ただ使徒が宣言したからではないでしょう。

それだと周囲の人物を感化出来ますが、国全体を変えられません。

そうなる下地があったと考えるべきではありませんか?」


 感化出来るなら、マウリツィオだって服従していたろう。

 使徒の洗脳は、俺しか知らないことだが……。

 マウリツィオは、服従しなかった人たちを知っているだろう。

 自分を含めてな。

 だから使徒の言葉だけで、あそこまで変貌しないとは理解するだろう。


「そこに劣等感などが関係すると?」


 そこで民衆が陥った心理を考えればいいだけの話だ。

 たしかにアラン王国は、他国を見下している面がある。

 それがすぐ劣等感にはつながらないだろうなぁ。

 失敗して時間が経てば、話は別だが。


「突如として信じていた秩序が崩れたのです。

今まで海沿いで暮らしていたのに、海が干上がったようなものですよ。

劣等感ではなく、無力感と恐怖でしょうね」


 マウリツィオがため息をついて、頭をかいた。

 母国のアラン王国に対しては、複雑な思いがあるのだろうな。


「それを払拭ふっしょくするために、使徒という絶対的存在にすがったわけですか」


 そうでなければあの現象は説明出来ない。


「だからあんな混乱が発生したのですよ。

これは秩序が崩壊した暗闇に怯えていたところに……。

使徒が示した民主主義という明かりに殺到してしまう。

そんな光景に思えますね。

民は使徒の掲げる言葉を、どれだけ熱心に実践するかを競ったでしょう。

暗闇から逃げるようにね。

本質ではなく、上っ面の言葉をどれだけ実践するかですが……。

そこに自己は存在しません。

ただ同化しようと願ったのですよ。

彼らが自己と勘違いしていたのは、染まる度合いだけです」


 そもそもユウが本質を理解して、民主主義を推し進めたと思えない。

 多分本人だってわからないのだ。

 民衆はなおのことわからないだろう。


「なるほど。

サロモン殿下は、同じように怪しげな理想に服従したわけですか」


 それが、個人レベルで発生した。

 そんな結末だろうな。

 しかもエベールは、サディズム傾向が強いように思える。

 不幸なマッチングだよ。


「元々支配欲がある人ではありません。

安心感を常に求めているでしょうね。

もし人類連合の理想が実現したら?

世界中の民が、すべてそれに服従することになります。

これは大きな安定感を得ることになるでしょう。

それは自分という個人から逃走するだけですけどね」


 マウリツィオは力なく、頭をふった。


「それがあのような傾倒につながると。

それにしても不合理極まりないですな。

別の対象に服従するだけとは……。

民主主義に服従した民なら、まだ理解出来ますがね。

使徒さまは特別ですから」


 その認識は間違っていない。

 ある前提を除けば……。


「それはヴィガーノ殿が、冷静に判断するからです。

人は常に、合理的選択がとれるわけではありません。

むしろ少ないと言ってもいい。

このような心の動きは、恐怖状態における、非合理的な行動に似ています」


「恐怖状態における、非合理的な行動ですか?

なんとなくわかりますが……。

詳細を伺っても?」


 民衆は無力感。

 サロモン殿下は、孤独感や無力感が招く恐怖に囚われていたろうからな。


「例えば火事にあった男が、部屋の窓から、助けを叫んでいるとしましょう。

そのとき、彼の頭の中には、自分の声が誰にも届かないかもしれない。

もしくは今なら階段を下りて逃げられるかもなどの、合理的な可能性を失念しているのです。

助かりたいと思って叫んでいるが、その瞬間は叫ぶ行為こそ、唯一助かる手段だと思い込む。

同様にマゾヒズム的努力は、葛藤や孤独感から逃げようとします。

それが服従なのです。

服従こそが助かる唯一の手段だ、と信じてね。

それは表面上の苦痛を取り除くことしか出来ないでしょう。

失敗すれば、より大きな苦悩がまっているだけですよ」


 マウリツィオは大きなため息をついた。


「なんとも救いのない話ですよ。

それが誰しももっていると言われると不安になりますぞ」


 不安に思う必要はないのだがなぁ。

 少し強調しすぎたか。

 このような自己への懐疑は必要だと思う。


「マゾヒズムに支配されていなければ、問題ないですよ。

むしろ適度になければ、自分の行いを省みることはしないでしょう。

それは自己の、葛藤や悩みにつながるでしょうが……。

葛藤や悩みは必要なことでしょう?

成長にもつながるのですから」


 マウリツィオは苦笑してうなずく。

 突然、モデストが、小さく首をかしげた。


「私からひとつ宜しいですか?」


 なにか納得出来ない要素があるのだろう。


「どうぞ」


 モデストは珍しく苦笑して、肩をすくめた。


「孤独感ですがね。

それが恐怖につながる。

なかなか実感が湧かないのですよ」


 そこか。

 モデストは、ある意味で確たる自己をもっているからなぁ。

 もてる者はもたざる者を理解出来ない。

 世の真理だな。


「シャロン卿は従来の秩序の外周にいますからね。

集団への帰属意識は低いでしょう。

別のなにかに帰属している意識はあるでしょうけど」


「ふむ。

たしかにまったく、ひとりだとまで思っていません。

ですが大勢に帰属したいとも思えませんよ。

安定はするでしょうが……。

退屈極まりないですからね」


「立ち位置的には、庶民にとっての冒険者に近いでしょうね」


「まあそんなところでしょう。

だから大勢に帰属する安心感を重視しない。

それ故に孤独感のもたらす恐怖がわからないと?」


 多分孤独の認識が違うのだろう。

 同じ言葉でも、立ち位置によって、意味合いが異なるからな。


「シャロン卿の思う孤独感は、大勢の中で孤立する。

そんな認識ではないかと」


「それが孤独なのでは?

ふたりしかいなくて、双方の価値観が違えば、孤独……とはならないでしょう」


 それでも感じる人が多数だと思う。


「それは帰属意識の基準が違うからですね。

大勢に帰属していないと、孤独を感じる人はほとんどですが、

シャロン卿は、量より質でしょう」


 モデストは静かにうなずいた。


「その認識が、孤独感を実感出来ないことにつながると?」


「ええ。

そんな人は、ごく少数派ですよ。

あと正確には、大多数の人々は多数派であることより、別の基準を求めます」


「量でもないと?

ラヴェンナ卿との問答は、実に愉しいですねぇ。

常に簡単な答えを用意しませんから」


 好きで面倒くさい答えをしているのではない。

 答える内容が簡単ではないのだ。

 仕方ないのだよ。


「いうなれば形式でしょうか。

従来の社会は、個人的自由が欠如していました。

だからこそ孤独感や孤立とは無縁だったのですよ。

人生は社会的役割と同一です。

生まれたときから、生き方が定まっているでしょう。

求められる役割を果たせば、安定感と帰属感が得られる。

だから、自分の生まれに適合したコミュニティーへの帰属意識が強いのです」


 モデストが珍しく、ニヤリと笑った。


「そう考えると……。

サロモン殿下は王族という限られた集団に、強い帰属意識があったわけですね。

考えるほど、気の毒なお方ですねぇ。

私などに同情されたくはないでしょうが」


 どうだろうな。

 同情されたいと思うかもしれない。

 それは、サロモン殿下本人にしかわからないが。


「この話は、ここまでにしておきますか。

理論としては中途半端ですが、屋敷が近いですからね」


 屋敷が見えてきたからな。

 話はここまでだろう。


 モデストは、目を細めた。


「そうですね。

続きは屋敷に戻ってからとしましょうか」


 そんな必要はないだろう。

 もう必要なことは伝え終わった。


「別にいらないでしょう。

サロモン殿下がなぜああなったのか。

その説明だけは出来ましたからね」


 モデストが即座に、首をふった。


「そうはいきません。

こんな話を、我々だけにしたとあっては……。

キアラさまが、何と言いますか?」


 そこは触れないでおいたのに……。

 なぜ君は、わざわざ持ち出すのかね。


「そこは黙っていればいいでしょう……」


 モデストは皮肉な笑みを浮かべて、肩をすくめた。


「私は必要ならば、秘密は漏らしません。

代わりに不必要なことは秘密にしない主義でしてね。

あとで発覚したときのリスクを考えると、割に合わないのですよ」


 そこは必要な秘密にしようよ……。

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