821話 血の雨降って、地固まる
帰りの馬車の中、同乗しているマウリツィオ・ヴィガーノが腕組みをした。
「いろいろと考えさせられる話でしたなぁ……」
会議中は一切表情を見せていなかったモデストが、肩をすくめる。
「組織を束ねる立場ではそうなのでしょう」
マウリツィオは、目を細める。
「シャロン卿は違う感想だったと?」
モデストは、小さく肩をすくめた。
「私は個人を見ますからね。
サロモン殿下と顧問のプレヴァンの様子は、よく見た光景です。
あれでは手の施しようがないですね」
マウリツィオは嘆息して、首をふった。
「あそこまで凝り固まるとムリでしょう。
つまりラヴェンナ卿が、あれだけ理を尽くされたのは……。
彼らに聞かせるためではなかったと?」
「そうでしょう。
もうひとつは、離脱するための正当化作りでしょうか?」
疑問形だが確認だろうな。
俺は苦笑してうなずいた。
「そんなところです。
いきなり離脱しては、国内の反対派に大義名分を与えるようなものですからね」
マウリツィオが腕組みをして、首をひねった。
「それにしても……。
あそこまで統制に
小生には到底理解出来ません」
それが普通だろう。
すんなり理解出来るほうが怖い。
「個人的な資質が大きいと思いますよ。
猜疑心と自己顕示欲が肥大化すると、すべてを統制したがるでしょうね」
「猜疑心ですか。
自分以外は能力が劣るから疑うと?」
普通は、そう考える。
間違ってはいないが……。
それだけとは思えなかった。
「そのケースもありますが……。
自信がないのかもしれませんね」
マウリツィオは意外そうに、目を丸くした。
「自信がないですか?
小生は自信過剰に思えましたぞ」
あくまで推測だ。
エベール本人を俺は、よく知っているわけではないからな。
「無自覚でしょうが……。
自信のなさですね。
人はどうしても、自分を基準に物事を考えるでしょう。
自信はないが、自己評価の高いタイプはああなりがちです。
自分ですら漠然と不安を感じるのだから、他人ごときが出来るはずはないと。
そんな人は、どうすると思いますか?」
マウリツィオは納得顔でうなずいた。
「なるほど……。
人任せでは絶対に安心出来ない。
だからすべてを管理しようとするわけですか」
「この手のタイプは、平時なら出世出来ません。
人に合わせることは苦手ですからね。
仮になにかの事故で出世すると、部下は大変でしょう。
細部にまで口出しをされて……。
失敗したら、責任を押しつけられるでしょうから。
そんな人が普通に出世する組織だったら、もうオシマイですよ。
さっさと逃げたほうがいいでしょう」
「そんな人が世界を統治など……。
考えただけでも、寒気がしますよ」
寒気ですめばいいけどな。
絶対に、それではすまされない。
「どんどん猜疑心が増していって、血の雨がふるでしょうね。
自信のなさが不安を招き、安心するために自己評価を高くする人でしょうから。
自分は優秀だと言い聞かせて、なんとか安心しようとする。
そんな感じに見受けられました」
マウリツィオは大きなため息をついた。
「そんな輩はいますなぁ。
何故そうも自己評価が高いのか不思議ですよ。
おまけに漏れなく攻撃的ですな。
息をするように誰かを見下していますぞ」
「そうしないと安心出来ないからですよ。
これは無自覚なので、苛立ちや焦りとなって現れるでしょう。
そんな虚構に満ちた自己評価の塔が高いせいで、他罰傾向になりがちです」
マウリツィオは苦笑して首をかしげた。
「ふうむ。
自己評価が高いと……。
自分は失敗しないという思い込みからでしょうか」
「その見解でも問題ありませんけどね。
私の認識はちょっと違います。
それは無自覚の自信のなさから、自分を安心させようとする思い込みではないかと。
自己評価は塔のようなものでしてね。
実績などに裏打ちされた塔は頑丈なので、そうそう揺れません。
だからいちいち他者を責める必要がないのです。
ところが虚構の塔は脆弱そのもの。
外見だけ立派な塔ですけどね。
骨組みなどはスカスカです。
風が吹いても大きく揺れるでしょう」
「プライドの手抜き工事ですな。
そんな不安定な塔になど住みたくありませんぞ」
普通はそうだろうな。
だがこの手のタイプは、自己顕示欲が下界から離れることを命じる。
結果として塔をどんどん高くしていくだろう。
「当然ですが……。
落ち着かないので、精神の安定を図ろうとする。
右に傾いたら左に移動。
そうすると左に傾くので、今度は右に。
そんな心の動きが他者への攻撃行動として現れる……。
私はそう思っていますよ」
マウリツィオは呆れ顔で肩をすくめる。
「塔が不安定なのは、建築した自分のせいではないと。
揺れるのは下で騒いでいる愚民が悪い……とでも思うのでしょうか。
なんとも救いがない話ですなぁ……」
「それでも粛正することで恨まれるとは自覚します。
妬みや嫉妬……恐怖や逆恨みだ、と思うでしょうけどね。
むしろその手の感情には過敏に反応します。
人からの称賛は疑いますが、悪口であれば真実だと無条件に思い込むでしょう。
自分を基準に物事を評価しますからね。
称賛は願望通りですが、自分が人を称賛しないので……」
マウリツィオが苦笑する。
「ただの追従か、お世辞だ。
そう思い込むと。
しかもそれが割と事実なのでしょうなぁ」
「ええ。
思い込みですが……。
人に悪意を投げたら、悪意が返ってくるのは当然のこと。
それだけですが、本人はそう思わない。
他者を疑う根拠としてしまいます。
騙されない自分は正しいのだ、と自己評価を高めもするでしょう。
さらに人を信用しなくなって、わずかでも不安になればまた粛正する。
そんなところでしょうか」
モデストが納得顔でうなずく。
「カルメンから聞きましたね。
世界主義が支配者になると、血の雨がふる。
そんな性格では当然の結末です。
ただ……ひとつ気になりましてね。
かなり前からプレヴァンの性向を把握していたのですか?」
俺は、そんな特殊能力を持っていないよ。
存在すら知らない相手の性格まで把握出来たら……。
人ではないだろう。
「まさか。
あれは集産主義が統治すると、単にそうなる話をしただけです。
プレヴァン殿の性向は、先ほどの話でつかめただけですから」
モデストは腕組みをして苦笑した。
「なるほど。
把握出来ても驚きませんが……。
ラヴェンナ卿も 一応は人の子だったわけですね」
なんで俺が人外扱いされているのだよ……。
集産主義の原則論から導き出しただけだからな。
「私はただの人間ですよ……。
話を戻しましょう。
統制して計画の元に統治をするにあたって、不都合な人材がいます。
率直で現実的な意見を述べる人たちですね。
いわゆる忠臣のような人です。
そんな人に、計画の非実現性を指摘されては困るでしょう。
これがまず、粛正対象になります」
モデストは意味ありげに、マウリツィオをチラ見した。
「ヴィガーノ殿なら真っ先に、粛正の対象でしょうねぇ」
マウリツィオは、意味ありげな笑みを浮かべた。
「異論はありませんな。
もしラヴェンナ卿にそう評価されているなら……。
光栄の至りです」
マウリツィオのように筋を通すタイプは、集産主義で生きていけないからなぁ。
それにラヴェンナ首脳陣なんて全員粛正対象だ。
「私もシャロン卿と同じ評価ですよ。
あと粛正対象は騎士でしょう。
これは計画の邪魔になりますからね。
彼らは騎士道に忠実ですが、集産主義に忠誠を誓っていません。
汚れ仕事も嫌がりますしね。
さらにはそのような粛正に、不満を持つ人たち。
これもまた粛正されます」
マウリツィオが首をかしげた。
「そんなに血の雨をふらせていたら、内部崩壊しませんかね?
恐怖と猜疑心で、身動きが取れないでしょう。
王ですら命が危ないと思いますね」
なかなかいい視点だな。
普通なら、そうなる。
だがこの場合、普通ではないのだ。
「そこでタチが悪いのは、理想を掲げていることですよ。
保身のための粛正なら内部崩壊しますけどね。
理想を掲げた集団だと、そうはなりません。
正義のためなら、人は幾らでも残忍非道なことを平気で出来ますから。
不純物の排除程度の認識ですよ。
より先鋭化するだけですね」
モデストが皮肉な笑みを浮かべる。
「血の雨降って、地固まるですか」
まあ……。
内ゲバなどで先鋭化する組織は、そうなるだろうな。
そのような集団には、そうなる理由がある。
あとで説明しておくか。
「面積はかなり減りますけどね。
問題はそれだけじゃないのですよ。
集産主義が招く、最も深刻な問題が待っています」
マウリツィオは、目を細めた。
「ほう。
それは興味深いですね。
冒険者ギルドでも計画や統制の話は、たまにでるので……。
後学のため教えていただけませんか?
一喝する武器になりますからな。
私の言葉よりずっと説得力があるでしょう」
きっとピエロたちあたりが、口を出したのだろう。
帳簿ばかり見ていると、行動を抑制する方向に走りがちだからな。
「あの会議で軽く触れたことですが……。
もし自分が計画を実施する立場になったとき、ある選択を迫られます。
倫理や道徳を無視して計画を推し進める。
それとも失敗するか。
この2択しかありません。
折衷案などありませんからね」
マウリツィオは腕組みをしてうなずいた。
「たしかに計画したら徹底しないと無意味ですなぁ……」
「そんな組織は、ある特定の人種が出世します。
道徳心がなくて、極めて利己的であることですよ。
それなら計画を遂行するのに、むしろ適任でしょうね。
そんな人が出世するとは、組織がそれを是とすることになります。
上から下まで、そんな人間になってしまうでしょうね。
集産主義は組織内にとどまらず、すべての民にそれを及ぼすでしょう。
すべては計画達成のためですよ」
「それはなかなかの地獄絵図ですね。
たしかにギルドでも、誰かが出世するとそれに倣う者が増えます。
それが世界の統治となれば、より広範囲に影響するわけですか」
人心の荒廃だけでなく、その組織のもたらす弊害が見過ごせない。
むしろ弊害が、とても大きな傷跡を残してしまう。
「広範囲になったあとが大変ですよ。
そもそもの話ですが……。
同一の思想で染まった、強力で人数の多い集団の構成員が問題です。
それは社会の最善の人々から構成されません。
むしろ最悪の人々で構成されるようになります」
モデストは腕組みをする。
目がわずかに鋭くなったので、モデストの興味を引く内容のようだ。
そんな組織と関わった過去があるのかもしれないな。
「道徳心がなくて、利己的の人々の群れになると。
それで合っていますかね?」
さっき話した内容だな。
それだけではないだろうと、モデストの顔が言っている。
その通りだ。
「大体は。
もう少しかみ砕きましょうか。
一般的に教育や知性の水準が高くなるほど、考え方や趣味
これでは統制など覚束ない。
統制して計画するなら、個性は邪魔でしかありません。
それだけ計画が複雑になって、実現性が低下します。
その程度のことは彼らも理解するのです。
ならば個性を消すのが正しい、と考えるでしょう」
「まさに駒にする必要がありますね。
年齢と性別だけで人を分類するのでしょう。
加齢は避けられないが、思想は統一出来ると信じているでしょうから」
「その通りです。
個性を消すためには、どうするか。
つまり人々に、高度の単一性を持たせたいなら……。
道徳や知性より下層。
原始的で共通の本能に根ざした部分に、力点を置く必要があります。
集団が
憎悪や妬みなどの本能だ。
それなら
「たしかに多くの人を
より原始的な部分で一致させる必要がありますね」
やはりモデストにとって、経験ずみの話のようだな。
ずっと規模は小さかったろうが……。
「それが統治の核となる集団です。
独創性や独立心がまったくありません。
自分たちの理想をごり押しすることを辞さない人たちの集団ですよ。
断っておきますが、人々が愚かだとは言っていません。
それなりの規模で単一の思想を持つ集団は、必然的にそうなるだけの話ですからね。
そんな人たちは、民全体の多数ではないでしょう」
モデストは小さく肩をすくめた。
「あのアルカディアであっても、最初はマトモな人たちもいましたからね。
当然排除されましたが」
「ええ。
使徒の威光が強いアルカディアでもそうだったのです。
ただ計画は人々が駒でないと不可能でしょう。
このままでは、計画が危うい。
ではどうするか。
外皮を厚くすることで、自分たちを肥大化させ……。
多数になろうとします。
あとはアルカディアのように、多数が少数のマトモな人たちを駆逐してくれます」
モデストの目が鋭くなった。
口元には意味深な笑みが浮かんでいる。
興味がある話題のようだな。
「外皮ですか。
決して核にはなれないと。
そして使えなくなった皮は捨てられる。
実に興味深い」
「まずは……。
多く存在する従順で騙されやすい人たちを取り込みます。
これらの人たちは、確固たる考えを持ちません。
大声で何度も彼らの主張を吹き込まれれば、どんな主張でも受け入れてしまう。
信じる人だけではありません。
煩わしいあまり、その場凌ぎに同調する人も同じです。
つまりは物事を、なんとなく断片的にしか考えず、他人の考えに動かされやすい人々。
あとは情熱や感情に容易く押し流される人たちが、外皮を厚くしていくのです」
そんな人たちを責めるつもりはない。
それこそ無い物ねだりだ。
だから集産主義の核が、権力を握る入り口に立たせない。
一度入り口に立つと……。
危機や混乱が訪れたとき、容易に権力の階段を駆け上るだろう。
マウリツィオは妙に感心した顔でうなずく。
「そんな人々は多いでしょうね。
冒険者でも独立心は強いが、情熱や感情に押し流される人は多いですから」
「最後の要素として、核と外皮を強く結合させる必要があります。
原始的で共通の本能を刺激するでしょうね。
それには敵を憎むとか、裕福な人々を妬むような、否定的な言葉を使います。
否定的な話ほど多数の合意を得られる。
好きより嫌いのほうが合意しやすいですからね。
これは認めたくない人間性の法則と言っていいでしょう」
モデストは意味深な笑みを浮かべた。
「敵を作るわけですな。
古典的ですが……。
実に有効ですね」
「ひとつの集団を、強固に団結させるには、不可欠の手段ですよ。
これは大衆による無条件の忠誠を獲得する際に有効な手段です。
『我々』と『彼ら』をわける。
これならいろいろな方針を提示するより、遙かに活動しやすいでしょう。
矛盾も少ないし、攻撃だけしていればいいのです。
そのうち単一の価値観しか許されない社会が完成するでしょう。
ただ計画者に従う価値観のね」
モデストは、小さく嘆息する。
「そこまで社会が
だからラヴェンナ卿は、執拗なまでに反対するわけですか」
実現不可能だけではない。
このような悪影響が予想されるからこそ反対するのだ。
「ええ。
そもそもですがね。
皮肉なことに……。
プレヴァン殿の思想は、人の理性を至高のものとしています。
理性で考えた結果、計画して管理するのが良策だとね。
ところが……。
やろうとすることは、理性の破壊なのですよ」
モデストは、苦笑して肩をすくめた。
そんな社会が到来しては、モデストの趣味が消滅するからな。
「先ほどの話からしてもそうですね。
とても理性を伸ばすなど、思いもよりません。
極めて退屈で……。
白か黒で書かれた世界なのでしょうね」
「計画者以外の理性を否定していますからね。
人々は計画者の言葉に、ただ従えばいい。
余計な考えは、不純となります。
そんな環境で育つ人は、その計画者の劣化でしかありません。
試行錯誤や改善など覚束ないのですからね」
計画を遂行する道具でしかないからな。
向上するのは、噓や誤魔化しの才能ばかりだろう。
それも内部向けの話だ。
マウリツィオが大きなため息をついた。
「ため息しかでませんね。
聞くほどに、危険な思想ですよ。
プレヴァンはそんな危うい思想で、よくサロモン殿下を丸め込めましたね」
元家庭教師という個人的信頼関係もあったろうが……。
鍵となるのは、サロモン殿下の心理状態だろうな。
「サロモン殿下自体が無力感を抱いていて、それを打破したいと
王族ですからね。
無力感に
マウリツィオは、頭をかいて苦笑した。
「小生には理解し難い話ですよ。
それにしても全体を、統制など途方もない話ですね。
そんな夢物語にも騙されるのですか」
冷静な第三者からすれば、何故そんなことに騙されるのだ……と思うだろう。
冷静ではないから洗脳されたのだ。
「ただの臆測ですが……。
『如何なる国においても、人々は誰かの指導に従うもの。
それならすべての人を、例外なく同一の指導者に従わせたとしても、違いはない』
とでも唆したのではありませんかね?」
モデストは、愉しそうに目を細める。
「なるほど。
実に胡散臭い話ですが……。
必死に答えを探しているから信じ込んでしまうわけですか」
溺れているときに、陸からロープを投げられるようなものだ。
咄嗟に飛びつくだろう。
たとえロープを投げたのが、魔物であったとしてもだ。
「弱っているときは、その人の本質が浮かび上がりますからね。
元来服従心が強いのではないでしょうか」
モデストは、目を丸くした。
「統治する王族の服従心が強いですか?
ラヴェンナ卿の見ているものは、実に興味深い。
仕事が愉しいわけですよ」
これも説明しなければ、駄目な気がしてきた。
むしろ、モデストが解放してくれないだろうな。
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