820話 普遍的価値の悪用

 これで会議はお開きになるかと思ったが……。

 サロモン殿下が、腰を浮かせる。


「ラヴェンナ卿。

納得出来ないことがあります。

なぜ統制すると発展が不可能、とおっしゃるのですか?」


 エベールは都合のいい情報しか吹き込まなかったようだな。

 当然だけど。


「計画とはなにを計画するのですか?

世の中の多岐にわたる選択肢から、なにかを選ぶ計画となるでしょう。

単に世の中をよくしたいは、願望であって計画ではありませんよ」


 サロモン殿下は眉をひそめた。

 これは非礼な発言だと自覚している。

 だが礼儀を守っていたら、ただ時間を浪費するだけだ。


「それは理解しています。

そのために、綿密な計画を立てればよいではありませんか」


 綿密な計画を立てるほど複雑になる。

 複雑になるほど実現性は低くなるだろう。

 計画する項目が増えるほど実現性は低下する。

 単純な話なのだが……。


 実務経験のなさが、楽観視につながっているのだろうな。


「世界のすべてを理解した計画は、誰にも立てられませんよ。

いくら強引に単純化したとしてもね。

可能だという人がいたら、それは噓つきです。

現に我々は、天気すら正確に予知出来ないではありませんか。

火山の噴火などの天変地異。

疫病の流行など……。

誰が正確に予測出来ますか?

これらは食糧生産計画に直結しますよ」


 いささか意地悪な言い方だが、この位でないと突き放せない。

 サロモン殿下が力なく項垂うなだれた。


「それは……」


「そんな現状で、計画を目論むとしたら、どうなりますか?

計画側に全能の権限を与えて、臨機応変に対応させることになります。

計画を順守しなければ、他の計画にも波及しますからね。

なにがなんでも計画を守らなければなりません。

つまり権力を乱用することになるでしょう」


 サロモン殿下は小さく、首をふった。

 意地でも認めない気か。

 まあ……。

 説得出来るとは思っていない。

 むしろこれは、マウリツィオとジャンヌに聞かせるためだ。


「たしかに対応するためには、即時に対応しなければいけませんが……。

乱用とは言い過ぎではありませんか?」


 苦しい反論だな。

 いや……反論にすらなっていないか。

 だからと手加減する気はない。


「即時の対応とは……。

全体の整合性などを無視して、その場を凌ぐことです。

整合性を気にして、計画が失敗してはいけないのですからね。

それがなにを招くか考えたことがありますか?」


 ないと知っているが、あえて問いただす。

 サロモン殿下は小さく首をふった。


「計画が達成されれば、民は幸せになれるでしょう。

それが問題だとおっしゃるのですか?」


「それは論点のすり替えです。

時間が惜しいので、教えて差し上げますよ。

整合性がとれないとは……。

同じことをしても、人によっては罰せられる者と、そうでない者が現れることになります。

そんな不整合が発生しては、人々は権力を完全に信じなくなります。

信じない相手にはどうすればいいのか。

人々は、その権力に何も考えず服従すること……。

それだけを求めるでしょうね。

つまり権力は目的を押しつけるだけの道具に成り下がる。

これを権力の乱用と言わずして、なんと表現するのですか?」


 サロモン殿下が顔を歪めた。

 なんとか抵抗したい気持ちはわかる。

 だがなぁ……。

 認めることが出来ない話なのだ。


「押しつけるとなぜ言い切れるのですか。

ラヴェンナ卿はあまりに、猜疑心が強すぎると思います」


 俺は基本的に疑り深いのだがね。

 疑ってかからないが……。

 信じるに足らなければ、とことん疑う。


「これでも穏当な表現ですよ。

もし権力者から、罪のない人を殺せと命じられたとして……。

民はただ従うことが正しいとされます。

これは押しつけでしょう?」


 サロモン殿下は目を丸くした。


「そんな命令は阻止されるでしょう。

従う必要などありはしません。

まったく現実的な例えとは思えませんよ」


「もしある土地で、小麦の収穫を増やそうと計画した場合……。

順調であれば問題ありません。

なにか不測の事態が発生して、収穫量が減った場合……。

どうなりますか?

最初にやることは、生産に寄与しない人たちの排除となりますよ。

口減らしをすれば、現地で消費される小麦が減りますからね。

それでもダメなら……。

その地域の人々が飢え死にしても気にしません。

計画に必要な分の小麦を確保するでしょうね」


 サロモン殿下はしばし絶句する。

 わざと刺激の強い言い方をしたからな。


「そこまで計画にこだわるのですか?

とても正気とは思えません。

まるで計画の奴隷です。

偏見がすぎるのではありませんか?」


「統制する側にとって、計画通りに進むことが権威の裏付けだからですよ。

その地域の人口が激減しても、全体の計画に支障がでるよりはマシなのです。

支障がでては……統治の正当性が揺らぐ、と言っても過言ではありませんからね。

なんのために統制すると思っているのですか。

偉大な計画によって、等しく豊かな暮らしを民にもたらす。

そう喧伝するからでしょう?」


 サロモン殿下は力なく、首をふった。


「そこまでするとは信じられません」


 これは、洗脳が解けるパターンではないな。

 より思い込みが強固になるパターンだ。

 どうにも救えないな……。


「血統や権威の裏付けがない以上、政権を維持するには、実績しかないのですよ。

だから計画外のことはなかったことにされるし、不始末の隠蔽いんぺいも平気で行う。

殿下は、正当性をもたない者の危機感をご存じないのです。

計画通りにいかないとは……。

殿下がご自身の血統を疑われることに等しいのですよ」


 サロモン殿下は必死に頭をふっている。

 心の拠り所を、俺に揺さぶられているからな。


「待ってください。

計画実施者に不道徳な人を選ばなければ済む話です。

一般な公正さと、道理に通じた人を選ぶだけで事足りましょう。

決して大きな問題にはなりません」


 よくもまあ……。

 次から次へと楽観論を思いつくものだな。

 エベールに想定問答集のような形で、いろいろと吹き込まれたのかもしれないな。


「その公正さとは……単純に答えられる話なのですか?

たとえば失業者に職を与えることと……。

雇われている人に多くの賃金を支払う。

どちらがより正しいでしょうね。

簡単に答えられますか?」


 サロモン殿下の表情が歪んだ。

 この問題なら理解出来るだろう。


「それはその時々の状況によるとしか……」


 当然だろう。

 場面場面で正解が異なるのだ。


「それでは計画は立てられません。

まあ……。

計画を立てる方法ならありますけどね」


 サロモン殿下は目を丸くした。


「なんですと!?

それを知りつつ反対されるのですか?」


 そろそろ、終わりにしたいからな。

 戦意を挫くために、わざと希望をもたせただけさ。


「個人やコミュニティーの要求すべてが、完全に序列づけられた……。

たったひとつの、完全な価値体系を作ることです。

それは各人の同意を得ては実現出来ません。

統制して強制するしか実現しないでしょう」


 サロモン殿下は首をひねった。


「価値体系ですか?」


「簡単ですよ。

計画に役立つものの要望は、優先順位が高いのです。

労働力として見込める、若い男性の待遇改善。

これは計画に大きく寄与しない、幼児や老人の待遇改善よりも、上になります。

どう考えても歪ですがね。

だからこの価値観を、幼少期から徹底的に教育するでしょう。

プレバン殿も、教育の重要性を訴えていたのでは?

私は個々人の選択肢を増やすためですが……。

プレバン殿は選択肢を奪うためですよ」


 幼少期からひとつの価値観で染め上げるだろう。

 そのほうが、統治はやりやすいからな。


「そのような価値基準は、普通の社会でもあるでしょう。

誠に残念ですけどね

わざわざ教育するまでもありません。

プレバン先生は、幸福になるための教育を重視する、とおっしゃっていたのです。

選択肢を奪うとの決め付けは、如何なものでしょうか」


 そりゃ本音は隠すだろう。


「従来であれば、そこまで明確に差をつけませんよ。

そんなことをすれば優遇したはずの層からも、反発を受けるでしょう。

彼らにも肉親はいるのでしょうからね。

そうなっては計画など出来ないので、この優先順位を押しつけるのですよ」


 サロモン殿下は首をふった。


「先ほども申し上げましたが……。

それこそ一般な公正さと、道理に通じた者を選べばいいのです」


 そんな人選は無意味だよ。

 命を賭して、公正さと道理を貫ける人が、どれだけいるのだ?

 しかもそんなことをしたら、危険は親族にも及ぶのだぞ。


「計画に支障がない場合は、一般的な公正さと道理を適用する余裕があるでしょうね。

ただし計画を遂行するための人選です。

自己心情が優先される人を選びますか?

他の計画にも、支障がでるでしょう。

それでは大問題です。

仮にいたとしても、その人は再教育を施されるでしょうね。

再教育後に生き残ったとしても、今度は計画の奴隷になっていますよ。

集産主義にとって、公正さと道理など所詮は化粧でしかないのですから」


「プレバン先生は、中庸を目指すとおっしゃっていました。

そのような計画至上主義になどなりません」


 俺は、わざとらしいため息をついた。

 そろそろ、終わりにしようか。


「だとしたら、計画はあちこちで中途半端になるでしょう。

それは無計画より、タチの悪い事態を巻き起こしますよ。

無計画とは、現状の仕組みを維持することですからね。

それを部分的に壊すわけです。

計画するなら、すべてを統制しなくてはならないのですよ。

中庸など偽りであり、まやかしにすぎません」


 サロモン殿下がまだ食い下がろうと、頭をふっているが……。

 ジャンヌが静かに挙手をした。


「ひとつよろしいでしょうか」


 黙って話を聞いていたクレシダが、わざとらしく驚いた顔をする。

 クレシダも、そろそろ辟易してきたか。

 長引いてもいいことがないからな。

 マウリツィオとジャンヌを騙せなくなる。


「教皇聖下せいか

なんでしょうか?」


「今回は個別会議で、細部の決定をする。

そこだけが条件つきで決まったと思います。

それ以外では隔たりが大きすぎて、ひとつの結論を導き出すことは出来ないでしょう。

その認識でよろしいでしょうか?」


「ええ。

ラヴェンナ卿は如何?」


 目でさっさと終わらせてくれと言ってきている。

 クレシダにとって、面白くもない茶番だろうからな。


「教皇聖下せいかのお考えに、私は同意しますよ」


 サロモン殿下が腰を浮かせる。


「待ってください。

それ以外と言いましたが、人は平等である。

この理念は、採択してもよろしいのではありませんか?

教義とも一致するでしょう」


 なにかひとつでも、成果が欲しいのか。

 多分エベールから、最低限これだけは勝ち取るように言われたろうな。

 俺は即座に首をふった。


「私はそれに賛成したつもりはありませんよ。

ここで明確に反対しておきます。

まだその概念を扱えるほど、人は成熟していませんからね」


 サロモン殿下は驚いた顔になった。


「では教義も否定されるのですか!」


「いいえ。

私は教義に異を差し挟める立場にはありません。

その平等を、普遍的概念として適用出来る段階ではない……。

だから反対と申し上げただけです」


 サロモン殿下は眉をひそめる。


「なにが違うとおっしゃるのですか」


 そういえばアラン王国は、教会とかなり近かったな。

 ことの重大性に気が付いていないようだ。


「教義に反するかの判断は、教会が行えます。

普遍的価値としては、誰がどう判断するのですか?

そもそも……。

それを採択すると、奴隷制度前提の社会が崩壊しますよ。

新たな社会制度を、現時点で採用する余裕など何処にもないでしょう。

それこそ強制的に押しつけない限りはね。

だから統制と平等は、別のように見えてセットだと思いますね」


 サロモン殿下は力なく項垂うなだれた。

 どうやら、気が付いたようだな。

 これを受け入れると、実質的に統制を受け入れることになると。


「そんなつもりは……」


 ついでだ。

 小賢しいキツネにも、釘を刺しておくか。


「殿下にその意図はないでしょうが……。

プレバン殿は確実に意図しているでしょうね。

そもそも明確な基準がない普遍的価値など……。

悪用し放題ではありませんか」


 エベールは不快そうに、顔を歪めた。


「悪用とは人聞きが悪い。

ラヴェンナ卿は礼節をご存じないのですか」


 俺がわざとらしく、肩をすくめる。

 エベールはさらに不快そうな顔をしたが、激発まではしない。


「礼節で隠せないほど、事実が酷すぎるからですよ。

これを普遍的価値とした場合……。

悪用する人は、社会において下層に位置するでしょうが……。

気に入らないことがあれば、差別だと声高に叫ぶでしょうね。

雇われなかった、賃金が安い……。

軽んじられたとか、気に入らなければ、なんでもいいのです。

それをどう否定するのですか?」


「それならば、その行き過ぎを指摘すればよいだけのこと。

それを否定などしていませんぞ」


 普通の人は、腹が立っても指摘しようとしない。

 それが現実だろう。


「普通の人であれば、そんな普遍的価値をかけて、議論などしないでしょう。

出来るわけがない。

正解がないのですから。

そもそも論破に失敗したときのリスクが大きすぎる。

普通の人にとって、日々の生活が第一なのです。

生活をかけてまで指摘などしませんよ。

結果として……。

差別主義者というレッテル貼りを武器にした特権階級が生まれるのですよ。

社会の分断はより深刻になるでしょうね。

内実は分断どころか憎悪でしょうけど」


 エベールは眉をひそめた。

 俺の指摘が意外だったようだ。

 おいおい……。

 自分たちだけが悪用出来ると思っていたのかよ。

 甘すぎるぞ。


「それは疑いすぎでしょう。

それこそ目に余れば、退けるだけでいいのです」


 思わず、苦笑が漏れる。

 エベールはまた顔を歪めた。

 まあ……わざと礼儀を無視しているからな。


「ところが、そんな特権階級に味方する者たちは、必ず現れます。

善意だったり、自分の虚栄心を満たすためだとか……。

気に入らない相手を潰したいだの、動機は様々でしょうけどね。

そうなっては、より声が大きくなります。

これを退けることは出来ないでしょう。

人類連合が、平等を普遍的価値として採用した手前……。

宣伝材料として悪用する人たちの肩をもつでしょうね。

そんな醜悪な行為に付き合う義理はありませんよ」


 突然、ジャンヌが小さく笑った。

 なにか面白い所でもあったのだろうか。


「教会の見解を述べてもよろしいでしょうか?」


 クレシダが即座にうなずいた。

 もう飽き飽きしているな。

 まあ……見せ物としても上出来じゃないからな。

 観客からブーイングがでるような出来栄えだ。


「どうぞ」


 ジャンヌは一礼してほほ笑んだ。


「教会としては……。

教義に反するかの判断権を、人類連合に渡すつもりはありません。

そもそも奴隷制度との兼ね合いは、世俗と長年議論した結果現在の運用に落ち着いたのです。

その判断を他人に委ねては、教会に非難が集中するでしょう。

この権限は異端審問と大差ないと思いますよ。

教会の異端認定は、先例を参考に極めて慎重に行うのが決まりです。

それが便利な道具と化しては……。

自称異端審問官を、大量に生み出すことになります。

そうなっては、村に何人の自称異端審問官が生まれるのやら。

石を投げれば、自称異端審問官に当たる……となりかねません。

そんな有様では……教会への信頼は完全に失われます」


 ああ……。

 自称異端審問官が大量発生する。

 そんな光景が面白かったのか。

 シュールすぎて笑えないが……。

 笑いのつぼは、人それぞれだな。

 

 今まで黙っていたマウリツィオが、挙手をした。


「小生もよろしいですかな?」


 俺が黙ってうなずくと、マウリツィオは身を乗りだした。


「冒険者ギルドとしては、統制には反対であります。

そのような統制を嫌っているのが冒険者ですから。

そもそもですが……。

魔物に計画外だから現れるな、などと強制出来ないでしょう。

今月は何匹討伐予定と計画したとして……。

魔物が、それを忖度そんたくして決まった数だけ現れるのでしょうかな?

こちらとしては有り難い話です。

もしそんな方法がありましたら……。

是非教えていただきたい」


 クレシダが小さく吹きだした。

 俺も、思わず笑いだしそうになった。

 最後にさらったな。

 

 まあ……。

 サロモン殿下とエベールにとっては、まったく面白くないだろうが……。

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