819話 法の支配論

 突然、サロモン殿下の隣にいたエベール・プレヴァンが、挙手をした。

 そういえばいたなぁ。

 

「殿下。

発言をお許しいただけないでしょうか」


 サロモン殿下は安堵あんどした顔で、胸を撫で下ろす。


「皆さん。

よろしいでしょうか?」


 クレシダはほほ笑む。


「結構ですわ。

皆さんもよろしいでしょう?」


 サロモン殿下を叩くより、知恵袋を叩くのが手早いか。

 俺たちがうなずくと、エベールが立ち上がる。


「このまま早急に推し進めると、ラヴェンナ卿のご懸念のとおりになりましょう。

なのでそれは、発展がある段階に進んでからの話です」


 わざとこちらが、隙を見せたのだ。

 食いついてくれないと興醒めだよ。

 ちゃんと食いついてきてくれたのだ。

 大根役者ではないようだな。

 

「その発展は、時機が来るまで待つと?」


 エベールが教師然とした様子で、首をふった。


「いえ。

自然に任せていては、発展は覚束ないでしょう。

人類連合の英知を結集して、発展への道筋を指導する。

世界全体を俯瞰ふかんした視野からの統制が肝要なのです。

近視眼な領主に、発展など覚束ないでしょう。

商会も然り。

彼奴きゃつらにとっては、利益だけが最重要。

搾取を重ねて、民を使い捨てるだけなのです」


 やはりそうきたな。

 世界を統制するつもりだろうが……。


「ではすべてを統制すると?

実現可能だとは思えませんね」


 エベールは、重々しくうなずいた。

 俺の指摘くらいは想定しているだろう。


「主要な部分を統制すればよろしいかと。

それなら実現可能でしょう。

中庸を意識しつつ、発展を目指すことです。

皆は徐々に、その果実の味を知るでしょう」


 その果実は、頭のいい奴ほど、魅惑的な匂いに感じるだろう。

 食べた瞬間、人は個であることを禁じられ、ただの駒になりさがる。

 悪魔の果実だがな。


 それにしても中庸と来たか……。

 聞こえはいいが、危険な考えだな。

 陳腐な騙しのテクニックと言ってもいい。

 俺も舐められたものだな。


「それはすべてを統制することと同義ですよ。

統制と自由は、火と水の関係です。

中庸など有り得ないでしょう」


 エベールが眉をひそめる。


「それは大袈裟にすぎませんか?

なぜすべてを統制することにつながるのか……。

想像できませんよ」


 本気で知らないなら間抜けすぎる。

 俺が何処まで理解しているのか測るつもりだな。


「主要な部分を統制するとは、統制外も引きずられることになります。

そもそも統制とは、予想外の事態を避けるのではありませんか?

最初は部分的な統制で始まったとして、計算外の要素を嫌うでしょう。

統制にとって自由は、なにより憎悪する対象ですからね」


 エベールの目が鋭くなった。

 簡単に騙されないと悟ったようだな。

 さて……。

 どんな手で誤魔化してくるやら。


「自由を敵視などしていませんよ。

ラヴェンナ卿は我らを、よほど狭量だとお思いのようですな」


「では厳格……。

そう表現すればよろしいですかね?」


 エベールは静かにうなずいた。


「その点は否定しません。

ですが厳格だからと、すべてに口を挟むわけではありません。

先ほども申し上げたとおり、主要な部分のみ厳格に統制するつもりです」


「その主要な部分に悪影響がでたら、どうしますか?

統制の範囲を広げていくでしょう。

厳格な教師にすれば……。

自由裁量でやっているひとたちは、手のつけられない若者程度の認識でしょうからね。

それでも自由な裁量を認めるのですか?」


 エベールは渋面をつくった。

 ここは言い逃れられないと悟ったか。


「誠に遺憾ながら。

もし計画に支障があるなら介入せざるを得ませんね。

ですが……。

それは際限なく広がるとはかぎりらないでしょう」


 そう簡単には認めないだろうな。

 ちょっと別の餌を撒くか。


「どうでしょうね。

過保護な親が、子供の自主性を尊重すると言って……。

なにか不都合があれば、どんどん監視を強化するでしょう。

やがては一挙手一投足に至るまで監視しないと、気が済まなくなる。

それどころか環境にまで口をだす。

そのような事例は枚挙に暇がないでしょう」


 エベールは、小さく首をふった。

 ややいらついているか。


「それは子が、親の所有物だからでしょう。

ラヴェンナ卿の物言いは、いささか乱暴にすぎるのでは?」


 ようやく掛かってくれたか。

 わざと乱暴な表現をしたのだ。

 言葉尻を捉えても、水掛け論で時間を浪費する。

 そんな戦いは得意だろう。

 教会出身者の議論方法は、先生から教えてもらえたからな。

 ちょっと汚いが、餌を撒いて食いつかせた。

 どうせ決裂する相手なのだ。

 信頼関係が続くような方法は不要だろう。


「おや? おかしいですね」


 エベールは怪訝な顔をする。


「なにがですか?」


「一体なんの権利があって統制するのですか?

所有物でないなら、助言が限度でしょう。

もし助言であれば受け入れなくてもいいわけですよね。

権利を有するからこその統制だと思いましたが?」


 エベールが、顔を歪めた。

 上品な議論では強いのだろう。

 なんでもありの場ではもろいな。

 まあ仕方のないことだが……。


 失言だと気が付いたようだ。

 どう誤魔化すかな。


「そこはわれわれの要請を、各国は受け入れる義務がありましょう。

人類連合がすべての所有権を有する、というつもりはありません」


 そんなもの口にした時点で、総スカンを食らうからな。

 だがエベールの意図するものは明白になった。


 内々の議論では、いつも口にしているから、つい漏らしたのだろう。

 失言とは普段口にしない言葉はでてこない。

 常日頃口にしていて、外で仮面をかぶるからこそ漏れてしまうのだ。

 内心思っていただけなら、つい失言などしない。

 まず内々の話で飛び出すだけだ。

 それがマズければ、内々で咎められるだろう。


 つまりはすべての所有権は、自分たちに帰する。

 そんな話をいつもしているのだろう。

 外では仮面を被って、それを隠すわけだ。


 ロマンのようなタイプだと、内心がすべての世界だから……。

 このケースには当てはまらない。

 失言とすら思わないだろう。


 自分より上位者に咎められたら、渋々反省の言葉を口にするだけだ。

 咎められたことに対する言葉だけで、全体では自分の過ちを認めない言葉になる。


 まあアレは例外すぎるので忘れよう。


「つまり領主に、名目上の権利は残すが、それを使うことは許さない。

それではないも同然ですよ。

私も要請や勧告だからこそ、人類連合の代表を拝命したのです。

これがもし真意なのであれば……。

より大きな反発を招くでしょうね」


 俺はわざと驚いた顔で、クレシダを見た。

 クレシダは、小さく肩をすくめる。

 内心はわからないが……。

 尻拭いをさせられて面白くはないだろう。


「それは人類連合の意図とは異なりますわ。

プレヴァン個人の思いでしょう」


 この件は、それでいいか。

 俺は憮然とした表情のエベールに向き直る。

 ここで、弁解の機会を与える気はない。

 

「それならば結構です。

すべてを統制とは……。

プレヴァン殿の目指すものは集産主義ですね。

知らなければ騙されるところでしたよ」


 エベールは眉をひそめた。


「騙すとは人聞きが悪い……。

それに集産主義とは?

はじめて聞く言葉です」


 知識人は、自分の無知に我慢できない。

 言い訳をする衝動より、知らない言葉に反応するだろう。

 俺が適当なことを言っていれば、反撃の好機だからな。


 記憶を失う前に考えていてよかったよ。

 言葉の由来は、もう思い出せないからな。

 そもそも世界主義の思想は共産主義的思想だ。

 それでもまだ成熟しておらず、正確には共産主義ではない。

 だからもっと大きな分類でくくったわけだ。


 連中を野放しにすると……。

 社会主義や共産主義を経て、ファシズムに向かうだろう。


「生産手段すべての私有制を廃し、社会的所有を目指す主義ですよ。

土地や家畜なども、すべて社会の所有とする。

所有権があるから統制できるでしょう?」


 さて……。

 この原則を誤魔化せるかな。

 彼らにとっての核となる部分だ。

 否定など出来ないだろう。


 エベールは苦虫をかみつぶしたような顔になる。

 口から出任せを言っていないと悟ったようだ。

 そして集産主義が、自分たちの思想と合致することも。


「そのように明言してしまっては、世人の理解を得られません。

どんな良薬も、悪評が立てば誰も口にはしないでしょう。

これは平等を目指す大義のためです。

民は数年後に、その果実を得られるでしょう」


「サロモン殿下も平等とおっしゃっていましたね。

そもそもどんな平等なのかわかりませんが……」


 エベールの目が鋭くなった。

 はてさて……。

 なにを言い出すのやら。


「ラヴェンナでも平等を志しているでしょう。

種族による差を否定されている。

それは平等以外のなにものでもない。

それを領主自らが否定されるのは、如何なものですか」


 一応、ラヴェンナのことを調べているのか。


「ラヴェンナで平等をうたったことはないですよ。

不可避な理由で、その人の評価が変わるのは不公正でしょう。

でも平等ではありません。

機会は望む者に与えられるべきとは思っていますがね。

それを平等と勘違いされたのですか?

結果は個々人の努力次第です。

プレヴァン殿は結果の平等を指向されているのでは?」


 エベールは驚いた顔になる。

 俺が、平等を否定したことが意外だったのか?


「当然です。

機会の平等などまやかしでしょう。

結果が平等であるからこそ、民は人類連合に希望が持てるのです」


 結果の平等は、統制につながる。

 失敗しなければ、この思想は理想に思えるのだろうな。


「あなた方の平等とは、抑圧して統制される平等でしょう。

ただの平等と言えば……。

普通の平民は自分の生活が、よくなる平等だと錯覚するでしょうがね。

息苦しい平等だとは思いもしないでしょう。」


 エベールは眉をひそめた。

 人の自由に対する欲求はよくないと思っているのだろう。

 だが自分たちは、自由を満喫する。

 この矛盾を自覚する連中は少ないだろうな。


「統制が悪いことのようにおっしゃいますが……。

ラヴェンナとて法で支配し、統制しているではありませんか。

他人の統制は悪で、自分の統制は善とお考えなのですか?」


 思わず笑いだしそうになる。

 法の支配すら理解していない。

 法を定めてそれに従わせることが、法の支配ではないのだが……。


「まさか。

プレヴァン殿は完全に、法の支配を誤解していますよ。

勉強不足でしょう」


 エベールの顔が赤くなった。

 最大級の侮辱に聞こえたろう。

 そのつもりで言ったからな。


「勉強不足とは人聞きが悪いですな。

私は議論を深めた上で発言しているのです」


「ラヴェンナにおける法の支配とは……。

いかなる権力も、明確な決定を経た上で公表されたルールに、規制を受けることです。

つまり民は、どのような条件で、統治側が強制権力を発動するかが、はっきり予測できる。

それを元に、様々な活動を計画できる。

そんなルールが存在することこそ肝要なのですよ。

それを知らずに、法を定めてただ支配することだけに目が向く。

勉強不足と言わざるを得ないでしょう」


 エベールは眉をひそめた。

 反撃の好機と捉えたのか。


「そのようなことでは、抜け道を探す者があらわれましょう。

不完全ですぞ。

それを支配などと言えましょうか?」


 あまりに根元が違いすぎる。

 

「当然人だから不完全でしょう。

本質は……。

強制権力を行使できる統治者が使える自由裁量権は、可能なかぎり最小限に抑えることです。

法の不備があって、抜け道があるならそれを訂正する。

ただ遡って抜けた者を罰することは出来ません。

それを許しては恣意しい的な乱用につながって、すべてを統制する方向に向かう。

そんな社会は死んだも同然です。

たとえ10人の罪人が、罪を逃れても、ひとりの冤罪えんざいも生まない。

それこそが肝要なのです。

私とプレヴァン殿の目指すものが違いすぎますね」


 エベールの顔がわずかに歪む。

 別の逆鱗げきりんに触れたらしい。

 

「ひとりでも罪人が罪を逃れたら不平等でありましょう。

それこそ法の形骸化につながりますぞ。

それは統治者の怠慢ではありませんか」


 そのためには冤罪えんざいも辞さずか。

 冤罪えんざいだとは決して認めないだろうが……。


「プレヴァン殿と私は、同じ言葉を使っても、意味が違いすぎます。

これ以上言葉を重ねても無意味でしょう。

サロモン殿下の理想、その前段階にあるプレヴァン殿の統制……。

どちらも私は賛同できません。

特に統制は、人が人であるかぎり不可能ですよ。

言ってもわからないでしょうけどね」


 将来の見込みを明言させたことで必要なネタは得られたな。

 これ以上の議論は不要だ。


 そもそもサロモン殿下は洗脳されていて、エベールは決して自己を曲げない。

 話をしても無意味だろう。


 クレシダは妙に感心した顔で、俺を見ていたが……。

 本質的には、俺の意見に賛成なのだろうな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る