818話 洗脳

 ひとまず人類連合の離脱話は、サロモン殿下の陳謝によって、棚上げとなった。

 だが婚姻話は第1歩にすぎない。

 もっと攻勢を強めてくるだろうな。


 そうこうしているうちに、宰相のティベリオから、書状が届く。


 王都からの話は、別室で聞くことにしている。

 皆を疑うわけではない。

 外部からの猜疑さいぎを避けるためだな。


 キアラから書状を受け取り、一読した。


 数名の人物について、人脈に心当たりがないか。

 そんな内容だ。


 書状をもってきたキアラは困惑顔だ。

 ふたりで話してもいいが……。

 王家がからむので、モデストを呼んでもらう。


 すぐにモデストがやってきた。

 書状をモデストに手渡す。


 モデストは一読して、目を細めた。


「さすがは宰相殿。

なかなか目端が利きますね」


 キアラは小さなため息をついた。


「お兄さまが、ランゴバルド王国内の人脈を知っている前提ですわね」


 それ以外有り得ない。

 手当たり次第聞くなどしないからな。


「シャロン卿と同じ感想ですが……。

まあ宰相の目は節穴ではない。

そんなところでしょう」


 キアラは苦笑する。

 深刻に捉えていないが、あっさりわかったのが、ちょっと面白くないようだ。


「極秘に調べさせたほうがよかったかもしれませんわね」


 多くの目を引かないために、あえて正面から調べたのだ。

 極秘に調べさせては、多くの目を引いてしまう。


「それだとかえって目立ちます。

あそこには一体どれだけの目が光っているのか……。

わかりませんからね」


「ではどうお返事しますの?」


 リッカルダにもらった資料に、目を通す。

 宰相から質問があったのは数名だが……。


「この資料だと……」


 この結果は興味深いな。

 思わず、笑みがこぼれてしまった。

 キアラは俺の様子に、首をかしげる。


「どうかされました?」


 資料をキアラとモデストに見せる。

 指定された人物は……。

 すべて細い糸を伝って、ある一点に集約した。


「すべてがつながっているかもしれませんね。

見てください」


 キアラが目を細める。


「あら……。

イザイア・ファルネーゼですか。

三大貴族は昔の話ですものね。

今はかなり、勢力が衰えていますけど……」


 モデストが腕組みをする。


「立場が弱くなった貴族たちの代弁者ですね。

交際も活発です。

ただ猜疑さいぎを招くような、迂闊な付き合いはしていませんでしたね。

若いのになかなか慎重な男ですよ。

ラヴェンナ卿はどのように思われましたか?」


 そこまで、頻繁に言葉を交わしていないが……。


「慎重で心の内を見せない人でしたね。

危ない橋を渡らずに、比較的安全な場所で、好機をひたすら待つ……。

そんな印象でしたね」


 モデストがアゴに手を当てて、しばし考え込む。


「私も同感ですが……。

それだけではないようですね。

野心は人並み以上にあるのかもしれません。

反乱鎮圧が困難になると、仲裁役として名乗りでる……。

そんな筋書きかもしれません」


 可能性としては高いな。

 推測にすぎないが……。


「それが現実的でしょうね。

キアラ。

イザイア・ファルネーゼ殿に注意するように、宰相殿に伝えてください」


「わかりましたわ」


 俺が人類連合からの離脱を選択肢に入れていることは、王都で広まっているからな。

 脅しではなく本気だし、今は保留にすぎない。

 この波風を、ニコデモ陛下は最大限利用するつもりだな。

 むしろ利用するなら自滅だけは止めてほしい。

 しっかりやってくれないと、こっちが困る。


                  ◆◇◆◇◆


 翌日ホールで談笑していると、知らせが届いた。

 キアラが真剣な顔で、俺に報告書を差し出してきた。


「破門になったラ・サール関連で、報告がありますわ」


 報告書を一読する。

 結末は予想通りだな。


「クレシダ嬢に泣きつきましたか。

一党はクレシダ嬢が保護と……。

どんな廃品利用をするのやら」


 キアラは、呆れ顔でため息をついた。


「笑い事ではありませんわ。

なにをしでかすかわからないのですから。

お兄さまは恨まれるくらいならトドメを刺せ、とおっしゃっていたじゃないですか。

危険だと思いますわ」


 カルメンが笑って、身を乗り出してきた。


「一言『やれ』と言ってくれれば……。

全員あの世に送れますよ」


 相変わらず物騒だなぁ……。


「ダメです。

そのあとの処理が面倒ですからね」


 カルメンは口をとがらせる。


「絶対に足がつかないようにしますよ」


 カルメンなら本当に、そうするだろう。

 あとの処理とは、発覚の話ではない。


「そのような問題ではありません。

それに生きていてくれたほうが、なにかと、使い道がありますからね」


 カルメンは、つまらなさそうに頰を膨らませた。


「つまらないですね……。

散々アルフレードさまに、イチャモンをつけてきたんですよ。

殴り返してもいいじゃないですか」


「気持ちは理解しています。

ただ生かしたほうがいいのか、殺して後顧の憂いを断つほうがいいのか……。

見極めが大事ですよ」


 プリュタニスが苦笑して、肩をすくめる。


「アルフレードさまにとって、感情まで計算要素ですからね。

こればかりは真似できそうにないですよ……」


 キアラが、フンスと胸を張った。


「当たり前ですわ。

お兄さまは簡単に真似できるような人じゃありませんもの。

ではラ・サールをどう利用するのかは、楽しみにしておきます。

それとポンピドゥは必死に教皇にすがって、事なきを得たようですわ。

なかなかしぶといですわね」


 教皇としても冒険者ギルドを、機能不全にするデメリットを避けたのだろう。

 平時なら躊躇なくやったろうが……。


「本人でなく、部下に弁明をさせるあたり……。

どんな人物か、よくわかりますね。

まあ教皇が押さえ込んでくれるでしょう」


 キアラは苦笑して、肩をすくめた。


「サロモン殿下の攻勢が激しいですからね。

クレシダの入れ知恵でしょうけど……。

小物に構っている暇は、ありませんもの」


 サロモン殿下が、活発に提案をはじめたからなぁ……。


                  ◆◇◆◇◆


 人類連合の首脳会議が再開された。

 出席者は、3国の代表に加えて教皇とマウリツィオだ。


 恐らく教皇は、積極的に発言を行わないだろう。

 2体2の争いで、キャスティングボードを握る気だ。

 基本的に満場一致が原則。

 それでも議論を優勢に持っていくことは出来る。

 この満場一致も、そろそろ崩しにかかるだろうな。


 会議がはじまると、サロモン殿下が身を乗り出した。


「順風満帆とはいきませんが、とにかく人類連合が動きだしました。

ただ現状すべての決定を、この会議で決めるのは非現実的でしょう。

この会議は大方針の決定のみとして……。

その他を決める個別会議の新設はどうでしょうか?」


 クレシダが笑顔でうなずく。


「いいお考えですね。

ここからは意志決定の早さが重要ですもの。

採決待ちが列をなしては、意味がありませんものね」


 一見すると、筋が通っている……。


「たしかに……。

すべてをここで決めるのは不可能ですね。

基本的に異存はありませんが……。

会議での決定プロセスと、出席者の選定。

そこまで聞かないと判断できません」


 サロモン殿下は緊張した顔でうなずいた。


「この会議は、全会一致が原則でした。

それでは速度が優先される事例にはそぐいません。

個別会議での決定は、多数決でよろしいかと。

出席者は3国からの代表の推薦。

加えて必要に応じ、教会とギルドからも選出を。

出席者は奇数になることが肝要です」


 俺の反対で、いろいろと進んでいないからな。

 打開策として多数決を持ち出すのは当然だろうな。


 実質的な決定は、多数決の個別会議にするか。

 こいつは面倒な攻撃だ。

 拒否するには手札が足りない。


 だからと簡単に認める気はないが。


「個別会議の出席者配分は、必要とする労力の比率と等しいことが前提です。

あとは権限委譲が、的確に行われるなら……。

異存はありませんよ」


 サロモン殿下は渋面をつくる。


「ラヴェンナ卿のおっしゃることはもっともです。

そこは今後の課題としましょう」


 条件付きで賛成したから、無理に押し通すことは出来ないと悟ったろう。

 しかも一度、離脱カードをチラつかせているからな。

 ブラフではないと理解しているはずだ。


 クレシダが意味深な笑みを浮かべる。


「それと私から、提案があります」


 クレシダの提案か。

 表向きは正しいが、裏ではろくでもない話だろうが……。


「なんでしょうか?」


「人類連合の決定と、領地ごとの決まりが食い違うこともありましょう。

その場合は、人類連合の決まりを優先する。

そうでなくては人類連合の意味はないでしょう」


 それがあるから、人類連合は無意味なのだが……。

 サロモン殿下を盾にして、強行突破を狙ってきたか。


「それは軽々に決められる問題ではありません」


 クレシダは、楽しそうにほほ笑んだ。


「それは人類連合の結成時に覚悟したと思いますわ。

小異を捨てて大同につく。

それに賛同されたのでしょう?」


 だから反対だったのだが……。

 そもそも覚悟なんて、誰もしていないだろう。

 都合のいい話だけを考えていたに違いないからな。


「程度にもよるでしょう……。」


「そこは首脳会議で決めればよいだけのことです。

現時点では提案にすぎませんから。

そこで人類連合としての大方針を提示しようと思います。

個別会議はその方針にそって決められる。

よろしくありません?」


 今までは大枠で協力するとだけ決まっていたからな。

 権限委譲するなら、大きな方針は必要か。

 絶対に危険な話が待っている。

 ああ面倒くさい……。


「その大方針とは?」


 クレシダがサロモン殿下に目配せする。

 サロモン殿下が緊張した面持ちで立ち上がった。


「世界共通の法です。

万国法とでも申しましょうか。

そこには眼目があります。

移民制限の撤廃。

今まで平民は領地をでることは敵いませんでした。

国境も自由に越えられるようにすべきかと。

それと移民に関してですが、移住した先で差別されては、不満の温床となります。

各国は自国民を優遇してはならない。

このあたりを、基礎にしたいと思っております」


 世界主義が顧問にいて、クレシダがさらに吹き込んだか……。

 これは洗脳されているな。

 自分で決めたと信じて疑わないだろうが。


「それだとサロモン殿下にとって、とても実入りのいい話ですね。

青息吐息のアラン王国にとっては、口減らしも出来て一挙両得と。

さらに救援の義務を明記すれば、危険を承知でも救援せねばならないでしょうし……。

ランゴバルド王国にとっては損しかない。

とても賛成できる筋合いの話ではありませんよ」


 サロモン殿下は言葉に詰まる。

 クレシダが口に、手を当てて笑いだした。


「そうサロモン殿下を責めないでくださいませ。

私の案に、殿下が賛同してくださっただけですもの。

でも最大の利益を得るからこそ、御自身で発言されただけのこと。

ところで教皇聖下せいか

この案は如何でしょうか?

教会にとっても悪くない話かと。

教会は『神を信じるものは、皆等しく平等である』という教えですよね?

人類連合もこの平等を、基本理念にしようと思っていますの」


 こいつはシケリア王国からの反対を握りつぶしているな。

 既成事実化を目論んでいるのだろう。

 リカイオス卿とドゥーカス卿の遺臣たちにとっても、逆転の好機だ。

 魔物の大量発生で、ミツォタキス卿も、強引に彼らを抑えることが出来ないわけだ。


 ジャンヌは身じろぎもせずクレシダを見据えた。


「世俗には世俗の問題が、数多くあるでしょう。

それを強制する力はありません。

ですから……。

実現可能なら賛成とだけ答えましょう」


 どちらとも受け取れる回答だな。

 教皇の立場でき、これが限界だろう。

 クレシダの潜ませた罠にも引っかからない。

 一安心だな。


 神を信じるものは、皆等しく平等。

 裏を返せば、同じ神を信じないなら平等ではない。

 ラヴェンナを狙い撃ちにした罠だ。


 クレシダはわずかに、眉をひそめる。


「実現可能を目指すことが大切だと思いますわ」


 ここは踏ん張りどころか……。

 人類連合の理想は、ある意味で正しい。

 ただ条件がある。

 それが満たせていないのだ。

 

「理想は結構ですがね……。

現状はまだまだ、その段階ではないでしょう」


 クレシダはいささか、頰を引きらせている。


『またはじまった』


 そう思ってるな。


「その段階でないとは?」


「まず統一への機運が持ち上がること。

そして世界が狭くなる。

民衆の知的水準や文化が、その域に達することも必要ですがね。

最低限その基準を満たさない限りは、絵空事どころか害悪でしかありませんよ」


 サロモン殿下が表情を曇らせる。


「害悪とは言い過ぎではありませんか」


 そこに反応したか。


「言葉がすぎたのでしたらお詫びします。

私には、幼児に30すぎの大人が挑戦することをさせようとしている……。

そのようにしか見えないのですよ」


 サロモン殿下が小さく首をふった。


「今の我々が幼児とは言葉がすぎませんか?」


 どう考えても大人ではないだろう。


「現時点で統一を成し遂げたいなら、力でなすしかありません。

よしんばそれが出来たとしても……。

どうやって維持するのですか?

統一の果実の味を、各々が実感できない限りは、ただ苦い果実を押しつけられるだけ。

以前にも言いましたが、統治能力が不足しています」


 サロモン殿下は、腕組みをしてため息をつく。

 いつもならここで引くのだが……。

 洗脳とは恐ろしい。

 突き進むことしか考えられなくなっているな。


「まず目指すべきことが肝心でしょう」


「いきなり人類連合として目指すとは、強制に他なりませんよ。

成果を求めるでしょうからね。

結局制度を悪用するものだけが、得をして空中分解するのがオチです。

その時の被害は、相当なものになるでしょう」


 サロモン殿下は眉をひそめる。


「悪用などと……。

随分懐疑的ではありませんか」


 困ったものだな。

 一度クレシダを含めて、ダメを押しておくか。


「では人類連合の理念を、現時点で押し通した場合の弊害について……。

私の見解を述べましょう。

自由な移動を認める。

これがなにをもたらすか。

貧しい民は、豊かな土地を目指すでしょう。

この認識は違っていますか?」


「残る者もいるでしょうが……。

よりよい環境を目指すでしょうね。

そうならないように、すべてが繁栄を目指す必要はあります。

それに領主も胡座をかけません。

民が流出しないように、今まで以上に統治に力を入れるでしょう」


 この程度は理解してくれたか。

 そうでなければ、話すら出来ないからな。


「では民が流入した、豊かな土地はどうなるか。

そこで同等の権利を与えなければならない……。

それがなにを招くか理解されていますか?」


 クレシダはやや渋い顔だ。

 だが何も言わない。

 サロモン殿下は小さく、首をふった。


「多少の混乱は起こるでしょうが、一過性のものです。

人が増えれば、税収も上がりましょう。

その地が栄えることになります」


「楽観視しすぎです。

まず移民を受け入れるために税が上がります。

住民の仕事も減るでしょう。

次に招くのは、移民の優遇ですよ」


 サロモン殿下は怪訝な顔をする。


「何故ですか? 優遇しろなど……どこにもありません。

あくまで同等の扱いをするだけですよ」


 やはり殿上人だなぁ。

 上流階級の見方を、平民にも適用するとは……。


「自国民の優遇をしてはならない。

まずは仕事からはじまります。

常識や慣習が同じ地元民を優先して雇えば優遇となるでしょう。

だからと公平に地元民と移民を雇っても……。

雇われなかった移民が差別されたと騒げば?

移民の雇用を優先するでしょうね。

そして知恵をつけた移民は、ことあるごとに比較対象を変えていきます。

行き着く先は、もっとも恵まれた待遇ですよ」


 サロモン殿下は驚いた顔をする。


「そんな恥知らずなことはしないでしょう。

受け入れてもらった感謝があるのですよ」


 ちょっと狡いが、この手を使うか。


「プルージュを救援して、難民を多く受け入れたでしょう。

彼らは、ずっと感謝しましたか?

どんどん待遇の改善を要求したでしょう。

正当な権利の主張と称してね」


 予想通り、サロモン殿下の表情が歪んだ。

 価値観が異なるから、あれは特別だけどな……。

 だが根源的な欲求は変わらない。

 それを抑えるものがあるかないかの違いだからな。

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