817話 閑話 ランゴバルド王国永遠の謎
ニコデモは重々しくうなずいた。
「宰相の意見はもっともだな。
だが警察大臣の言にも聞くべき点がある。
では方針を決めるとしようではないか。
判断の基準となるのは、我が友の言葉を是とするか否か……そうであろう?」
ティベリオが小さく頭を下げた。
「御意に御座います」
「では是否それぞれの決定後に、どうなるか……。
考えるべきだろう」
ティベリオは視線を、手にもっているワイングラスに落とした。
「是とした場合は……。
たとえ乱が起こっても、ラヴェンナとスカラ家が合力してくれましょう。
これは反乱に対して、大きな抑止力となります。
なんと言っても、我が国の二大勢力ですから。
特にラヴェンナの力は計りしれません。
ほぼ単独でシケリア王国の攻勢を退けたばかりか、有利な講和まで持っていったのです。
幸い王家を脅かす意志はない。
味方にすべきでしょう」
ジャン=ポールは真面目腐った顔になる。
風向きが変わったことを、敏感に察したのだ。
「否とした場合は、その逆です。
ラヴェンナ卿に不満をもつ有象無象は拍手喝采するでしょうが……。
いざというときには役に立ちません。
それどころか、陛下は押せば譲歩する、と思い込んでつけあがる可能性があります」
ニコデモは苦笑する。
ジャン=ポールの変わり身の早さが面白かったからだ。
いつも風向きが変われば、瞬時に態度を変える。
「これだと是1択だな。
ただ見過ごせない不都合がある。
故に警察大臣は、かような言に及んだのであろう。
申してみよ」
ジャン=ポールが態度を変えたときは、こちらから聞かないと口を開かない。
言い訳を用意してやる必要があった。
「まず他国との関係が悪化します。
ラヴェンナの特殊性を、他国の支配階級は苦々しく思っているでしょう。
人類連合の代表になってからのラヴェンナ卿は、人類連合の権益拡大に反対しております。
それだけではなく我が国の国益を第一として、それを隠そうとしておりません。
ラヴェンナ卿らしからぬ乱暴さでしょう。
やはり代表になったことで気が大きくなった。
そんな噂を耳にしておりまして……。
ともかく……反発は広く深く広がっております。
アラン王国への援軍騒動も、それをいっそう広げたでしょうな」
ニコデモは、意味ありげにうなずいた。
ジャン=ポールは自分の意見を小出しにする。
誠実に答えているようで、当たり前のことしか言わないのだ。
このあたりの保身は徹底していた。
「そこは否定しまい。
警察大臣はその反発が、問題としているのだな」
ジャン=ポールは、わざとらしく
「御意に御座います。
ラヴェンナ卿への
それがラヴェンナ卿への反発である。
そう臣は愚考する次第に御座います。
ラヴェンナ卿やスカラ家には力があり、世人の反発など意に介さないでしょう。
またラヴェンナ卿傘下の貴族たちも同様かと。
なので世人の反発に無関心なのは仕方ありませんが……。
それ以外の家は、事情が異なりましょう。
そもそもラヴェンナ卿は、一国の代表なのです。
全体を考えるべきではないか……。
そのような声が、臣の耳にも届いておりますから」
ニコデモは、小さく首をかしげる。
世人の反感など、そこまで力があるとは思えないのだ。
力があれば、ロマンやトマはとっくに失脚すると考えた。
いくら使徒の後ろ盾があったとしてもだ。
つまりジャン=ポールの真意は、他にあるのだろう。
「その反発に、不届き者が触発されるのかね?」
ジャン=ポールは真顔で、首をふった。
「世人の反発は、陰謀の母であります。
つまり陰謀を知ったとしても……。
多くのものは、見て見ぬふりをすることになります。
民は気に入らない統治者がいると『誰かが成敗してくれないか』と願うものです。
連座の危険がない限りは、密告などしません」
ニコデモは、珍しいジャン=ポールの熱弁に驚く。
ジャン=ポールはこと陰謀の話になると、別人のように饒舌になる。
「見逃す形で協力をすると」
「御意。
このような民の反発は、不届き者の姿を隠してしまいます。
多くの者は、白昼堂々と罪を犯しません。
見られていない……どうせ自分だとわからないだろう。
そのような思いが、理性の枷を外してしまうのです。
これは愚民に限りません。
小心な貴族でも群れると、大それた陰謀に加担するのです」
だからこそジャン=ポールは見えないところに網を張る。
ニコデモは苦笑を浮かべた。
「だからこそ陰謀は露見するのだがな。
世の中面白いものだよ」
ジャン=ポールは
「見られていないと思う心理が、人を感情の獣にしてしまうのでしょう。
民が群れると暴動を起こす。
これと同様ではないかと。
自分は捕まらないと思い込んでいますから。
故に世人の反発とは、危険を呼び込むのです。
他国と結んで、よからぬことを企む者たちが現れても……不思議ではありません。
現時点でそれは危ういものでしょう」
ニコデモの表情が厳しくなった。
ジャン=ポールは、なにか情報をつかんでいる……と感じたのだ。
しかもひとりではない。
数名の領主が同時蜂起するのではないか。
そうでなければ危ういなど言わないだろう。
「だからとラヴェンナ卿の反感を買うことは、賢明とは言えまい。
スカラ家も面白くはないだろう。
彼らの忍耐を試すのは……自殺行為だと思うがな。
そもそも理は、ラヴェンナ卿にあるのだ。
それに他国との関係は、あとでどうとでもなる。
問題はよからぬことを考える者たちか……。
警察大臣には心当たりがあるかね?」
ジャン=ポールは、恭しく頭を下げた。
「不平不満をもっているものはいます。
どれだけ我を忘れて踊りだすかは……。
臣の乏しい見識では、見当がつきませぬ」
ニコデモは嘆息する。
なにか心当たりはあるが、現時点で口にするつもりはないようだ。
もっと自分の価値が高まるタイミングで報告するつもりらしい。
これを不忠と更迭しては、
現時点でそれは、自殺行為に他ならない。
それを見越しての出し惜しみなのだ。
ジャン=ポールは、操縦が極めて難しい男である。
ティベリオはそんなジャン=ポールを一瞥した。
「陛下はラヴェンナ卿の言葉を、是とされるお考えで?」
ニコデモは即座にうなずいた。
「他に選択肢はあるまい。
新教皇が直接面会して謝罪したのだ。
そのラヴェンナ卿を否定しては、教会との関係も悪化しよう。
あとは……。
ラヴェンナ卿の庇護下にある石版の民との関係も悪くなろう。
彼らはこの王都の経済に食い込んでおる。
協力が消極的となれば、不況を呼びかねない。
それと比べたら、不平分子の機嫌など取るに足らないであろう」
ティベリオもこの見解に同意である。
不平屋は、不平がなくなると別の不平を探すのだ。
これを
目の前の問題を、安易に回避したくてやりがちだが……。
ゴネ得となれば、すべての秩序を崩壊させる呼び水となり得る。
今は建前や世間体が崩壊しているからだ。
「御意。
かりに不満を解消しても……。
またなにかの理由をつけて、不平をもちましょう。
キリがありません。
むしろ好機ではないかと」
ニコデモは意外そうな顔になる。
「ほう? 好機とな」
「陛下は先の乱のあと、封土を行われました。
忠誠心の怪しい貴族たちが、その中に入っていたでありましょう。
これは乱を治めるための、やむを得ない措置でしたが……。
蜂起するのは、そのような恩知らずの輩かと。
それらを取り潰して、王家の直轄領を増やすべきでしょう。
まだ王家の力は、スカラ家に及びませぬ」
ニコデモはワインを口にして、難しい顔になる。
名案に思えるが、大事な前提があるからだ。
これを解決出来なくては、ただのバカだろう。
「ふむ……。
問題は反乱を鎮圧出来るかだ。
それも速やかにな。
手間取るようでは、後に続く者が増えてしまう」
「そこはラヴェンナ卿の力を借りるのが宜しいでしょう」
ニコデモは怪訝な顔をする。
「我が友が兵を出すとは思えんな。
従来の騎士より、はるかに使い勝手がいいのはたしかだが……。
他家は動揺してしまうだろう。
あのスカラ家とて、混成までが限界なのだ」
まずラヴェンナ兵は使い勝手がいい。
土木工事のエキスパートで仕事が速いのだ。
ラヴェンナ軍は、なんでも出来て戦い方も柔軟。
このなんでもが癖者だ。
土木工事は当然だが……。
節操なく様々なことをやっている。
料理や農業、畜産に林業。
基礎ながら医療まで出来る始末だ。
これはアルフレードの方針らしい。
退役後の人生に困らないように、色々な仕事に従事しているとの話だ。
適性があればそれを伸ばす。
まだ退役兵はでていないが……。
最年少で兵役に就くと、30代で退役となる。
引く手あまただろう。
今まで雑兵は使い捨てで、畑から取れる程度の認識だった。
そこをアルフレードはぶち壊してきたのだ。
かたや騎士は戦うことのみに特化。
最近は下馬しての戦いも受け入れるようになったが……。
まだまだ不得手。
それ以外に自己の価値を高める手段は、高い規範意識をもつだけ。
この評価が広まってしまっては、騎士にとっては存亡の危機となる。
今のところ武力をもっているのは騎士のみ。
下手に軍の創設など試みては、領主の首が危ういのだ。
つまり軍の派遣は、他家にとって不安材料に他ならない。
それでもスカラ家は、常備軍を創設した。
内乱で活躍したから出来たにすぎない。
それでも騎士団の補助的立ち位置だ。
それほど騎士団への配慮は欠かせない。
ニコデモとしても、ラヴェンナとスカラ家双方から武力を借りるのは避けたかった。
適度な距離感をもちながら、王家として独自の基盤を構築する。
それが目標だからだ。
即位当初はスカラ家から軍事的支援を受けていたが、今は独力で軍を編成出来ている。
手頃な反乱討伐は、自信をつけるいい機会だが……。
逆に失敗したときのリスクが大きすぎる。
そこがニコデモにとっては慎重になる部分であった。
ティベリオは、意味ありげにほくそ笑む。
「内密に知恵を借りるだけで事足りるかと」
ニコデモは首をかしげた。
あの知謀は魔術ではない。
地道な積み重ねの上に成り立っている。
反乱に対して完璧な手が打てると思えなかったのだ。
「知恵とな?
他国からどう思われているかは知らぬが……。
いくら我が友でも、知恵だけで反乱を鎮圧出来まい」
ティベリオは意味深な笑みを浮かべた。
「そうではありません。
我らが反乱を討伐するにあたって、とても有益な情報をもっていると思います。
どの家の誰が誰とつながっているか……。
これはランゴバルド王国永遠の謎とされております」
ニコデモは疲れた顔でうなずいた。
内乱によってある程度はスッキリしたが、まだまだ複雑なのだ。
「当人たちも把握出来ないほど複雑だからな。
単純なのは、他家との縁戚をしないスカラ家くらいだろう」
抗争などで助力を要請すると知らない人物を連れてくる。
そんな珍事は日常茶飯事なのだ。
友好関係もあるが、単に抗争相手の敵という可能性すらある。
縁戚や
よくわからない理由で離合集散を繰り返す。
神のお告げやら……。
敗北を知りたいだの……。
意味不明な動機でも動く。
これがランゴバルド王国の人間関係であった。
「どうもラヴェンナ卿は、この謎をある程度解明している可能性があるのです」
ニコデモの目が鋭くなった。
当のアルフレードが不可能と明言していたのだ。
噓を言ったとは思えない。
誠実だからではなく、噓をつくメリットがないからだ。
その点では実に信用に足る人物だった。
当然、上位者にも相応の能力を求めてくるタイプなので、平和な時代には不向きな人物なのだが……。
この乱世ではこれ以上ないほどマッチしている。
そのアルフレードの発言が矛盾したのであれば……。
なにか状況の変化があったのだろう。
「それは興味深いな。
なぜそう思ったのだ?」
「ラヴェンナの耳目が、王都の人脈を調査したことは、臣の耳に入っております。
法則性がなく決め打ちのような感じでして……」
ティベリオも独自の情報網をもっている。
その範囲は、上流階級に限られるが……。
ジャン=ポールが人の欲望に関わる場所に、網を張る。
ティベリオは、家同士の付き合いに、網を張っているのだ。
貴族や執事など上辺の交友関係である。
そこの網にラヴェンナの耳目が引っかかった。
特に大事な秘密を探っていない。
付き合いを確認する程度だったので、ティベリオは問いたださなかった。
問いただす理由もなかったからだが……。
ニコデモが楽しそうに、ワイングラスを回した。
「ある程度把握している。
そう考えるべきだろうな。
他家であれば、王家転覆の企てなどと思うが……。
我が友にとって、王家は必要なものだからな。
ふむ……。
人脈を断てば、反乱は小規模になる。
しかも内々の助言だから、ラヴェンナ卿に褒美を取らせなくてもいい。
大変結構だが……」
「なにかご懸念でも?」
ニコデモは
新たな情報を、手に入れたのだろう。
問題は……。
誰も紐解けなかった人間関係を整理出来た者がいたこと。
それをニコデモが知り得なかったことだ。
これが永遠の謎だったのは理由がある。
ずばぬけた知性が必要なのではない。
複雑すぎて、整理に時間がかかりすぎる。
時間と共に関係が変わってしまう。
こんなことのためだけに、時間と労力をひたすら注ぎ込める超弩級の暇人がいたのか。
それを見落としていたことが問題なのだ。
「その秘密を解き明かした時期が気になる」
「アッビアーティ商会が、連絡員を常駐させたすぐあとです」
ニコデモは思案顔でグラスを回した。
「商会か……。
商会が知っていれば、我が友だけに漏らすとは考えにくいな。
そこは余が確認してみよう」
アッビアーティ商会は、ニコデモの傘下にある。
自分を飛ばして、アルフレードに情報を流すとは考えられなかったのだ。
ティベリオは記憶を探りながら、ワイングラスに視線を落とした。
「たしか使いは、急遽リッカルダ嬢に変更されましたな。
彼女が、なにか手土産を持参したのでしょう。
嫁ぎ先の機密とも思いましたが……。
違ったようです」
ニコデモは笑いだす。
女性にも、変わり者がいたことに気がついた。
頭の中で男ばかりを捜していた自分が可笑しくなったのだ。
「かの変わり者の寡婦か。
よくよく我が友は、変わり者と縁が深いのだな」
期せずしてティベリオとジャン=ポールは、同じ感想を抱く。
『陛下もそのひとりですよ』
当然、口には出来なかったが……。
つい顔を見合わせてしまい、同じ感想をもったことに気がつく。
同時にため息が漏れた。
こんなやつと同じ感想になるなどゴメンだと。
だが……。
自分のことを棚に上げている点も同じ。
それを彼らは知らないのであった。
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