814話 閑話 蜃気楼

 クレシダ・リカイオスはアラン王国代表のサロモンとの会談を終えて、帰宅の途にあった。

 馬車の中では、不機嫌な顔を隠さない。

 同席しているアルファは、無表情のままため息をつく。


「ここのところ、ずっとご機嫌斜めですね」


 クレシダは頰を膨らませる。


「当たり前じゃない。

あんな屈辱ははじめてよ」


 サロモンとの会談が原因ではない。

 不機嫌は、その前からだった。

 最近は、男を連れ込んで、この世から救うこともしていない。

 それでフラストレーションが溜まっているかと思っていたが……。

 その程度で、機嫌が悪くなるはずはない。


 やりたくなったらやる。

 それがクレシダなのだ。

 やろうとしないのは、そこまで重きを置いていないことになる。

 つまり残る可能性は、ひとつしかない。


「ラヴェンナ卿に知らずに踊らされていたことが……。

そこまで屈辱なのですか?

同格だと思っていたのですよね」


「そのことじゃないわよ」


 クレシダは、アルフレードのことになると不可解であった。

 放置してもいいのだが……。

 アルファとしては気になるのであった。

 アルファは首をかしげる。


「ですがラヴェンナ卿が原因であることは、間違いないのですよね」


 クレシダは返事もせずに、プイと窓の外を見る。

 アルファには図星だとわかったが、まったく心当たりがなかった。

 

「わかりませんね……。

ラヴェンナ卿の悪評ならよく聞きます。

『表向きは丁寧だが、人を人と思わない態度が見え透ける』なんて多いですね」


 クレシダは唇の端をつり上げる。


「あれはただの恐怖よ。

まったく的外れの妄言も甚だしいわ」


「恐怖ですか?

私はある程度真実だと思いますけど」


 クレシダの笑みが深くなる。


「無能な連中は、愛しい人アルフレードの存在自体が許せないのよ」


 アルファにはこのクレシダの認識が予想外であった。


「存在自体?

そこまで嫌うものですかね。

私も嫌いですが……。

存在自体までとは思いません」


 クレシダはあざけるように笑いだす。


「無能な連中にとっては、自分の価値観がすべてなのよ。

それに人生をかけてきたのだから当然ね。

でも……愛しい人アルフレードの周囲を見てみなさいよ。

古い価値観では、不要な連中よ。

つまりなんの役にも立たない。

その定義が崩されたの。

見下していた連中が、自分の上に立つ。

普通なら耐えられないでしょうね」


 アルファは、クレシダの言わんとすることが理解できた。

 『ラヴェンナ卿は、廃品利用が得意だ』と笑っていた連中が、今やすっかり口をつぐんでいる。

 だが……黙ったわけではない。

 『人を人と思わない』などのような言い掛かりに変わっていた。


 廃品と見下していた連中が、自分たちより優秀となっては立場がない。

 むしろ……より惨めなのだろう。

 だからアルフレードを非難することで、間接的に家臣を非難する。


 人を見下すことで、自分の価値を見いだす輩は多いのだ。

 最もお手軽で、同調者も多い。

 いつだって人は悪口が大好きなのだ。

 むしろ悪口なしで人は生きられない……。

 クレシダは、そうあざ笑っていた。


「たしかにラヴェンナ卿の登用した人々は、皆優秀ですね。

従来の人々より数段上です」


 クレシダはアルフレードの人材登用に、称賛を惜しまない。

 あの目利きは、自分には出来ないとさえ言っている。

 ただまったく新しい価値観の元に登用していた。

 それが、大多数の反感を呼び覚ますとも指摘している。

 だからこそ……。

 自分が主流となるように、世界を支配すべきだ。

 それがクレシダの認識でもあった。


「だからこそよ。

愛しい人アルフレードがいてこその現状だからね。

存在自体が恐怖なのよ。

でも恐怖とは認められない。

それは自分が劣っている、と認めることになるでしょ。

だから適当な理由をつけて、そうではないと非難しているのよ」


 アルファは表情を変えないが、内心は呆れ返っていた。


「なんとも情けない理由ですね……」


 クレシダはフンと鼻を鳴らした。


「出る杭は打ちたがるからね。

違うことをするだけで白眼視される。

その根性が、精神に染みついているのよ。

愛しい人アルフレードは、それを理解しているから……。

口実を与えないように、礼儀正しく振る舞っているわ。

でも私は見下して当然だと思うわ。

それだけ差があるんだからね。

ただねぇ……」


 クレシダのため息が大きくなる。


「なにかあるのですか?」


 クレシダの目が鋭くなった。


「大ありよ!

私にまで……陳腐な手を使ってきたのが許せないのよ。

ひどい屈辱だわ!」


「クレシダさまが三流のトリックと言っていたあれですか」


 クレシダの顔が赤くなった。

 ここが怒りのポイントなのだと、アルファは悟る。


「敵を騙すには味方からって、陳腐すぎるでしょ!

愛の語らいに、こんな無粋な手段を使うなんて……。

有り得ないわ!!」


 アルファは首をかしげた。

 その認識が間違っていると思ったからだ。


「そもそもラヴェンナ卿は、愛の語らいとは思っていないでしょうね」


 クレシダはプイと横を向いた。

 いつもどおりアルフレードが絡むと、言動が支離滅裂になる。


「ホント、男ってデリカシーがないわねぇ。

いい気分が台無しよ」


「それに怒っていたのですか」


 クレシダは頰を膨らませる。


「違うわ」


 アルファは内心呆れ返る。


「クレシダさまって……。

こんなに面倒くさい人でしたっけ?」


 クレシダはフンと鼻を鳴らした。


「いうわね……。

アルファにはわからないでしょう。

恋する乙女は、他人にとってはひたすら面倒なのよ!」


 アルファは襲ってきた疲労感に、大きなため息をつく。


「はぁ……」


 クレシダは、アルファを見て苦笑する。

 小さく肩をすくめた。


「怒ったのはたしかだけど……。

もっと腹が立つのは、愛しい人アルフレードから聞いた言葉を、私が理解していなかったってことよ」


 どうやらクレシダは、不機嫌の理由を、自分でもわかりかねていたようだ。

 アルファとのやりとりで、ようやく自覚できたのだろう。

 アルファはクレシダが、平常心に戻ったことに安堵あんどする。


「ご自身に腹を立てていたのですか」


 クレシダは自嘲の笑みを浮かべた。


「そうよ。

愛しい人アルフレードは、『すべては一切が完』って言っていたわ。

私はこんな事態なんて、絶対に起こらないと思い込んでいる。

それを見透かしていたのよ。

言葉の意味を追うことばかりに囚われて……。

その先まで考えつかなかったのよ」


 アルファは、小さく首をふった。

 さすがのアルフレードでも、そこまで見通したとは思えない。

 クレシダのアルフレード評は、過大すぎる部分があると感じてもいた。


「そこまでの意味だったのでしょうか。

考えすぎだと思いますが……」


 クレシダは微妙な顔で、肩をすくめた。

 自分にしかわからない、と思っているのかもしれない。

 説明を諦めた様だ。


「まあいいわ。

ちゃんとお返しをしないとね」


 クレシダとサロモンの会談は、非公式に行われた。

 そこでの内容が、外に漏れることはないだろう。


「それがさっきの会談ですか」


 クレシダは、楽しげに笑いだした。


「そうよ。

こちらも俗な手段で対抗してあげるわ」


 アルファはサロモンが、駒として有用なのか懐疑的だった。

 善意と熱意だけの人。

 それがアルファの認識だ。


「サロモン殿下はそこまで役に立つのですか?

期待できないと思います」


 クレシダは笑って、手をふった。

 心配無用と言いたげだ。


「ある程度は必死に頑張ってくれるわよ。

なにせもうひとり、自分より格上が登場したからね」


 誰のことを指すのかは明白。

 予想外の伏兵だと驚いた。

 アルファは、教会に見るべき人材などいない、と思い込んでいたからだ。


「あの教皇ですか」


 クレシダは、楽しそうにうなずく。


「ええ。

なかなか優秀じゃない。

あと100年生きられたら……。

私たちの領域に、足を踏み入れられるわよ」


 私たちとは、クレシダとアルフレードのことに他ならない。

 アルファにとって、頭脳でクレシダと対抗できるアルフレードは、不可解な存在でもあった。


「それは不可能でしょう」


 クレシダはクスクスと笑いだした。


「まあね。

それでも飛び抜けて、優秀なことはたしかでしょ?

だからサロモンは焦るのよ。

熱意がある人間にとって……。

自分の無能を突きつけられることは残酷ね」


 熱意にあふれているが故に苦悩していることは、アルファに理解できた。

 そもそも同じ場所にいるのが、クレシダとアルフレードなのだ。

 比較する方が間違っている。

 そこまで割り切るには、熱意がありすぎるのだろう。


「無能ではありませんが、飛び抜けて優秀ではありませんね。

平和なときで、家臣が優秀なら……。

そこそこ優秀な王になれたと思います」


 クレシダは、楽しそうにウインクする。

 今回の仕掛けには、自信がありそうだ。


「だからね。

希望の蜃気楼を見せてあげたのよ。

今サロモンは砂漠で立ち尽くす旅人だからね」


 たしかにクレシダは、サロモンに希望らしきものを見せていた。

 とても朧気おぼろげで、掴み所のない希望だったが……。

 サロモンは、戸惑いつつ目を輝かせていた。

 そんな不確かな希望にもすがるのか。

 アルファは、やや気の毒に思ったほどだ。


「希望の蜃気楼ですか」


 クレシダは、楽しそうにうなずいた。


「砂漠で一度、蜃気楼のオアシスに向けて歩きだしたが最後よ。

もう引き返せない。

引き返すことなんて出来ないでしょう?」


 アルファは理解した。クレシダがサロモンに能力など求めていない。

 情熱ならあるだろう。それさえあればいいのだ。


「必死に足搔あがけば、それでよし。そうお考えなのですね」


 クレシダは口に、手を当てて笑う。


「ええ。

愛しい人アルフレードは、王族は無視できないもの。

これにどう対応するのか……。

ホント楽しみだわ」


 たしかにアルフレードは、王族を無視できない。

 下手に無視しようものなら、反発を買うことは必須。

 それは絶対に避けるだろう。


「そのために、あれを指示したのですね」


 クレシダは目を細める。

 アルフレードは決して、善意の人間ではない。

 それを見極めた上で、縛りをかける。

 手は既に打っているのだ。


「当然よ。

私からのラブレターを、どう受け取ってくれるか……。

返事が待ち遠しいわ」


                  ◆◇◆◇◆


 フォブス・ペルサキスは、魔物の討伐を終え屋敷に戻ってきた。

 自室でひとり暢気に、酒を飲んでいる。

 まだ昼だが……。

 フォブスにとって、そんなことは無関係だ。


 突然ゼウクシス・ガヴラスが厳しい顔で入室してくる。

 フォブスは、面倒くさそうに手をふった。


「ゼウクシス。

説教はなしだぞ。

やりにくい魔物討伐で、ストレスが溜まっているんだ。

酒くらいいいだろ?」


 ゼウクシスは無言で、フォブスの前に座った。

 黙って酒瓶を奪い、ラッパ飲みをする。

 フォブスは呆気あっけにとられた。

 今までこんなゼウクシスを見たことがなかったからだ。


「お……おい。

ゼウクシス。どうしたんだ?」


 ゼウクシスはフォブスを睨みつける。

 反射的に、フォブスの背筋が伸びた。


「ペルサキスさま。

本当に心当たりがないのですか?」


 フォブスは必死に思いだそうとする。

 だが思いだせない。


 ゼウクシスが怒りそうな話……。

 心当たりが多すぎたのだ。


「ありはするが……。

ご婦人に手をだそうとしたけど、未遂に終わったじゃないか」


「一度きりですか?」


「ええと……。

何回だっけ?」


 ゼウクシスが再び、酒をラッパ飲みする。

 ドンと酒瓶をテーブルに置く。

 フォブスは、ビクっと反応してしまう。


「18回です」


 そんなに手をだそうとしていたかなぁ……。

 フォブスは思わず考え込むが、迂闊なことは口に出来ない。


「いやぁ……。

それは済まなかった。

つい我慢できずにな……。

ほんの出来心なんだ」


 ゼウクシスはまた酒をラッパ飲みして、テーブルの上にドンと置く。


「そんなことで怒ってはいません。

動物に盛るな……と言ってもムダですからね。

ええ。

ペルサキスさまの下半身は、年中発情期だと知っていますから」


「それはあんまりな……。

いや、なんでもない。

じゃあなんなのだ? 本気で心当たりがない」


 ゼウクシスは深いため息をついた。

 それは30秒ほど続く。


 よく息が続くなとフォブスは思ってしまう。

 だが口にはださない。

 今は嵐がすぎるのを、じっと待つしかないのだ。

 フォブスは表向き神妙な顔をしているが、ゼウクシスは気にせず睨みつける。


「ペルサキスさまは、婚約者であるシルヴァーナと手紙のやりとりをしているでしょう」


「ああ……。

シルヴァーナが五月蠅くてなぁ。

あそこまで結婚に、血眼になるのは面白いよ」


 ゼウクシスは懐から、真っ赤な封筒を取り出した。


「シルヴァーナからの書状を見て驚きました。

なにか問題があるときは、この封筒で送ってください、と頼みましたから」


 フォブスは怪訝な顔をする。


「なんだそれは。

私は聞いてないぞ」


「ペルサキスさまに教えても……無意味だからです。。

戦場以外での言動は、軽率そのものでしょう。

下手な失言をして、あの魔王に揚げ足をとられると……。

矢面に立つのは……私なのですよ」


 フォブスは首をかしげる。

 そんな話ではない。

 届いたときに問題だとわかっても、無意味だと思った。


「それって手遅れだと思わないか?」


「違います。

魔王に泣きつく前に、この封筒を送れば、可能な限り私が対処すると伝えました。

だから魔王に泣きつくのは止めてくれと」


 フォブスは暢気にも感心する。


「へぇ……。

いいアイデアだな。

でも……どうやって対処するのだ」


「それは半日かけてのお説教しかないでしょう」


 フォブスは腰を浮かせる。

 1時間だって胃もたれするのだ。

 半日なんて死んでしまうと思った。


「ちょっと待て!

シルヴァーナの早とちりの可能性だってあるのだぞ。

私をすぐ悪者にするのは止めてくれ!!」


 ゼウクシスは封の開けられた封筒を差し出す。


「この内容を見て、まだ……それが言えますか?」


 フォブスはブツブツ言いながら、手紙を取り出す。

 一読して思わず吹き出してしまった。

 内容は、たった一行だけ。

 大きな文字で書かれていた。


   結婚するんだよ!!


「な……なんだこれは?」


 口にした瞬間フォブスは後悔した。

 ゼウクシスの目がとても冷たかったからだ。


「私が聞きたいくらいです。

一体どんな手紙を送ったのですか?」


 フォブスは腕組みをして、懸命に考え込む。

 やがてあることを思い出して、満面の笑みになる。


「ああ!! シルヴァーナが、あまりに結婚を気にしていたからな。

ちょっと揶揄いたくなったのさ。

『婚約おめでとうございます。

いいお相手が見つかってよかったですね』

そう送った覚えがある」


 フォブスの笑みは、すぐに凍り付いた。

 ゼウクシスから表情が消えていたのだ。


「婚約破棄と受け取られても、仕方ありませんよね。

これが魔王の知るところとなったら、どうするつもりですか!」


 そんなつもりは毛頭ない。

 フォブスは『ただの冗談だ』と笑って誤魔化そうとしたが、不可能だと悟る。

 かくしてゼウクシスの説教は、翌日太陽が昇るまで続いたらしい。

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