812話 落とし所

 ジャンヌが帰るので、一同で見送った。

 馬車が視界から消えると、キアラが大きなため息をついた。


「なんか疲れましたわ」


 カルメンが不思議そうな顔をしている。


「教皇って変なことをいう人じゃないでしょ?」


「そうだけど……。

お兄さまの考えが追い切れなくて疲れたのよ」


 カルメンは笑いながら手をふった。


「ハイハイ。

愚痴はあとで聞いてあげるわよ。

それよりアルフレードさま。

どんな話をしたのか教えてください。

そのあとで、こっちの報告をします」


 アーデルヘイトとクリームヒルトは、俺の左右で教えろ……と圧をかけているしな。

 黙っている気はないけど。


 それよりだ。

 ようやく半魔騒動の犯人の糸口をつかんだか。

 実行犯の目星はついている。

 それでも裏がほしかった。


「わかりました。

まず中に入りましょう」


 ホールで一息つくと、キアラが全員にお茶を煎れてくれる。

 どんなに疲れていても、これだけは譲らないな。


 キアラが座ったので、ジャンヌとの話し合いの結果を伝える。

 話を終えて、一番険しい顔をしていたのはアーデルヘイトだった。


「旦那さま。

これって曖昧なまま決着して……。

新しい関係に進むってことですよね?」


 善良なだけに、そのあたりを気にするようだな。


「まあ……そうなりますね」


 アーデルヘイトは頰を膨らませる。


「それってズルくないですか?

荘園だって、もう取られているんですよ。

ただ謝っただけで、教会をラヴェンナに作らせろって……。

酷いと思います。

なんの補償もしていませんよね?」


 ああ。

 もっとハッキリした決着を考えていたのか。

 そんなハッキリするほうが珍しい。

 ほとんどが曖昧なままで終わる。


 明確な決着は、次の争いを生む母体になるからな。

 自力救済が、基本の世界ならではの常識だ。

 恨みが強すぎると、なにかの拍子に爆発して、次の争いが勃発するからな。

 だから曖昧を嫌うなら、族滅が正しい解決法。


 ところがラヴェンナでは裁判がある。

 わりと明確に決まるからなぁ……。

 その影響かな。


「ラヴェンナではそうですね。

ハッキリした決着は、道徳的に正しいでしょうが……。

組織間の争いで、その道徳は適用されませんよ」


 クリームヒルトは元族長だっただけに、そのあたりの機微はわかるようだ。

 アーデルヘイトをなだめようとしている。


 そのアーデルヘイトは、眉をひそめた。

 まだ納得し難いか。


「でも教会って、道徳的なことも指導していましたよね?」


 ああ。

 だから納得しないのか。

 道徳的な指導をしている側が、曖昧な決着を望んだら納得できないか。

 そもそも教会だって、利益を追求する組織だ。

 本質は変わらない。

 もし道徳的にも納得できる決着をするのなら、よほど余裕がないとダメだ。

 今の教会にそんな余裕などない。


「もし明確な回答と、新たな補償を求めたとすれば……。

決して教会は認めないでしょうね。

つまり交渉の余地はないってことになります。

『こんな回答では納得できない』と突っぱねて、ひたすら追求しますか?」


「でも悪いのは教会ですよね」


 だから追い込まれても仕方ない。

 その考えは間違っていないが……。

 それが正解に近いとは言えないな。


「まあ……。

そうなりますね。

ところが教会は、かなり被害を負っていますよ。

ギリギリのところで、なんとか存続しているのが現状です」


「それは自業自得だから、同情の余地はないと思います」


 理屈より感情的に納得できない……。

 そんなところか。

 だからと会話を放棄するのはよくないな。

 俺が言葉を尽くすしかないようだ。


「もし教会がつぶれてもいいなら、そうしてもいいでしょう。

今は権威が失墜しました。

それでも、ガワだけは残っています。

そのガワが、民衆の秩序維持に辛うじて役立っているのですよ。

ガワすらつぶすと、秩序維持も困難になるでしょうね。

教会とは別に、村や町の司祭個人を慕って頼る人も多いのです。

それすらなくなると大変ですよ。

アルカディアの惨状を知っているでしょう?

あれは教会権威の否定をしたことが要因のひとつです。

ラヴェンナだけが満足して、その他は悲惨な目に遭う。

その後どうなりますか?」


 アーデルヘイトは小さなため息をつくが、言葉はでないようだ。

 プリュタニスが頭をかいて、大きなため息をつく。

 助け船のようだ。

 プリュタニスも成長したなぁ。


「ラヴェンナが世界の敵になるでしょうね」


 そうなるだろうな。

 そこで混乱が巻き起これば、不満はどこに向かうか。

 なくなった教会じゃないだろう。

 そもそも喧嘩するなら、どこで止めるか決めてやるものだ。

 個人の喧嘩とは違うのだから。


「一時の満足のために、悲惨な未来を甘受する気はありません。

そもそも教会と喧嘩するときは、落とし所を決めていました。

今回、その落とし所に到達してくれましたからね。

よしとしたのですよ」


 あのときは、俺はこの世にいない想定だったから、マガリに後事を託したが……。

 そこに触れる必要はない。

 アーデルヘイトが意外そうな顔をする。


「落とし所ですか?」


 ジャンヌの意向と、俺の落とし所が一致したのだ。

 満額回答だと思っている。


「信仰の世界からでてこないことです。

そもそも教会は、かなり追い詰められていたのです。

これが提案できるギリギリの条件でしょうね」


「まだまだ余裕があると思いますけど……」


 教会がどんなところか知らないからだろうな。

 無理もないが。


「それは外から見た印象です。

彼らは世界の支配者だったのですよ。

そこから落ちただけでも、大変な屈辱なのです。

さらに追い詰めては、深い恨みだけを残すことになりますからね。

荘園没収という既成事実の追認だって、断腸の思いだったでしょう」


「それって勝手な言い分だと思いますけど……」


 アーデルヘイトの口調が、やや鈍くなったな。

 引っ込みがつかないのかもしれない。

 どう退路を作ってやるべきか……。


「そこは見解の相違でしょうね。

対等の立場ではないのですよ。

世界的な視点に立てば、教会は老人です。

そしてラヴェンナは子供。

大人が過ちを犯したとき、子供が満足するほど、きっちり謝罪できる人はいますかね?

子供が同じような謝罪を要求したとき、周囲の大人はどう思います?」


 同じように謝罪するのは理論上正しい。

 実際にそんなケースなどない。

 色々な要因が絡まって、決して同じような謝罪とならない。

 むしろ謝るだけ立派だろう。

 普通は誤魔化すからな。


 アーデルヘイトは大きなため息をつく。

 そんな光景なら見たことがあるだろう。


「それは……。

難しいですね。

気持ちはわかるけど、そこまで要求しなくてもって言われるでしょうし」


 教会はプライド、権威など背負っている荷物が多すぎる。

 謝ることすら難事なのだ。


 だから軽く謝るだけでも、大変な労力が必要だろう。

 今までは力で黙らせることが出来た。

 それが出来なくなったからな。

 なんとか謝ったが、さらに補償なんて出来ない。

 今でさえ財政的にギリギリなのだ。


「そんな関係性だったのですよ。

現実を追認させるだけでも大変なんです。

戦争で勝ったなら可能ですけどね。

それでも恨みや怨念を消すことは不可能です。

恨みや怨念が、大きな原動力にならないよう注意しないといけません。

それが怖いなら相手を滅ぼすしかありませんが……。

それを見た周囲はどう思いますかね。

結局世界をすべて敵に回して打ち勝つしかなくなりますよ」


「つまり旦那さまは……。

最初からこのあたりで、手打ちにする気だったのですか?」


 あえて聞き返してきたか。

 元々教会にサインは送っていた。

 王の即位認定とかは、その最初のステップだ。

 世俗での実権を手放すように誘導していったのだから。

 それをジャンヌは理解したからこそ、今回謝罪訪問を決行したのだろう。


「そうですよ。

社会的地位の高い組織を屈服させるなら……。

滅ぼす覚悟がないと不可能です。

下手なところで手をうてば、恨みに思って絶対に復讐ふくしゅうしてくるでしょう。

なんのかんので、教会は世界を支える屋台骨です。

現時点で、それを滅ぼすメリットがありますか?

屋台骨を壊すなら、実現可能な代案がないと……。

短慮に他なりません」


「それはそうですけど……。

なんかいいようにやられた気がして、モヤモヤします。

教会設置なんて認めていいのですか?」


 そこは言質を取っているし、教会にとってもリスクとなり得る。


「他の民に対する対応ですからね。

ある意味正当な要求ですよ」


 クリームヒルトが首をかしげた。


「それはわかります。

でもそれを足場に、ラヴェンナで布教をはじめたらどうします?」


 そんなことは想定済みだ。

 俺は笑って手をふった。


「構いませんよ。

ただ……。

ある前提条件を受け入れるかですけど」


「ああ。

その魔王スマイル。

安心します。

それで詳しく教えてください」


 その呼び名で定着してやがる。


「ただのいち領主ですよ……。

ラヴェンナはなにを信じようと自由です。

つまり教会の神も、多数の中のひとつ。

これを受け入れなくてはいけません。

出来ますかね?

それを認めないなら、統治への侵害です」


 いつの間にか、メモを取っていたキアラが驚いた顔をする。


「お兄さまのことだから、素直に認めたのは怪しいと思ったら……。

そんな悪巧みをしていたのですね」


「人聞きが悪いですね……。

一方的な言いなりにはならないだけです。

この原則を曖昧にするから、ラヴェンナへの教会設置が出来るのですよ。

もし私がこの原則を明確にすると、教会は引っ込みがつかなくなります。

『他に神なし』の大原則を、どうするのかとね。

ある意味で、危険な武器を私に手渡したってことでもあるのです。

迂闊に布教なんて出来ないですよ」


 プリュタニスが腕組みをして考え込む。


「アルフレードさまは、新教皇を高く評価されていますよね。

新教皇は、この危険性に気がつかなかったのですか?」


 そんなバカじゃないさ。

 とても危険なほど優秀だと思っている。


「絶対に気がついていますよ。

このリスクを承知で、成果を取りに来ています」


「それだけ切羽詰まっていると?」


「それもありますが、この原則を明確にした場合……。

ラヴェンナにとっても大きなリスクがあるのです。

お互いに武器をもって、自制しながらやっていきましょう。

そんなところですね。

これは教会にとって大きな譲歩ですよ」


 プリュタニスの目が鋭くなった。


「武器ですか……。

この原則を厳密に適用すると、ラヴェンナと世界は分断されますね。

世界は教会を無視するか同調するか……。

消極的にでも同調せざるを得ない。

それがリスクですか」


「正解です。

これは経済圏とランゴバルド王国にとって迷惑な話ですよ。

教会への風当たりも強くなります。

世俗への関与が弱くなる教会にとって、これは痛いでしょう。

だから武器であると共にリスクでもあります。

それはラヴェンナにとっても言えることですけどね。

それでも自分の領域に踏み込まれたら使わざるを得ない。

縛りのようなものですよ」


 プリュタニスが納得したようにうなずいた。


「なるほど……。

ある意味最も強固な縛りですね。

善意や虚栄心で縛るより、とても現実的です」


「それを教皇から提案してきたのです。

大したものですよ。

鉄の聖女などと呼ばれるわけです」


 俺に寄ってくる婆さんは、どうしてこうも有能で厄介なのだか……。

 そんなジャンヌにも弱点はあるがな。

 それは全員が知っているだろう。

 口には出来ないが……。


 アーデルヘイトが小さなため息をつく。


「それだと年齢が心配ですね。

次の教皇がそれを理解している保証なんてありませんから」


 マガリの件があるから、誰も口にはしなかったが……。

 それを気にしたのだろう。


「そうですね。

ただ後任は、すでに考えているはずです。

こちらが邪魔をしなければ……。

なんとでもしてくれますよ」


 気休めの言葉を言っても仕方ない。

 政治的な面からの見解だけを話すのが限界だろう。


「そうですね……。

あとついでに質問させてください」


 話題が変わるのは大歓迎だ。


「構いませんよ」


「スカラ家は公開質問状をだしたのですよね。

その回答が完璧でないのは、メンツをつぶされたことになりませんか?」


 そこも気になったのか。

 これは大した話じゃないんだよなぁ……。


「あの公開質問状の肝は、荘園横領を正当化すること。

それだけですよ。

だから答えられない質問を並べたのです。

教会が所有権を放棄してくれるなら、あとはどうだっていいのですよ。

むしろ完璧な回答を求めるあまり、教会が放棄を撤回するほうが嫌なのです。

放棄と問題解決はセットなんですよ。

ここには道徳が入り込む余地はないのです。

利益追求を正当化する道具として、道徳を持ち出すだけですから」


 アーデルヘイトは驚いた顔になる。


「じゃあスカラ家は、これで納得したのですか?

息子が傷つけられたのですよ」


 そこを気にしたか。

 ある意味で正しいが……。

 その問題はクリア済みなんだよな。


「それだけだと足りないですね。

だから教皇がやってきて、直接謝罪したのです。

これは過去に例がないほど大きなことですよ。

それなしだったら、とても納得できません。

少なくとも教皇直筆の書状で謝罪……。

それだけあれば問題なし、と思っていたでしょう」


「そんなに教皇の権威って強いのですね。

ロマンを知ったせいで、軽く感じていましたよ……」


 そういえばロマンも教皇だったな。

 なかったことにされているだろうけど。


「ラヴェンナでの私くらいに、世界では重いですよ。

ここで私が突っぱねたら、かえってスカラ家を怒らせます。

私に同調せざるを得ないですから。

そうなると他の貴族たちから、余計なことをするなと言われますよ。

徒に敵を増やすだけですね。

そうなってはアミルカレ兄上の結婚話も、ご破算になるでしょう。

怒り狂って『この位で止めておけ!!』とカミソリ入りの手紙を送ってきますよ」


 アーデルヘイトがこだわった理由がようやくわかった。

 俺は襲撃されたことなんて、どうでもよくなっているが……。

 皆はそうじゃなかったな。

 これは迂闊だった。


 アーデルヘイトは天を仰いで嘆息する。


「なんだか違う世界の話みたいです……」


「人が正しいことを有り難がりながら、どこか疎ましく思うでしょう。

そんな矛盾だらけの人々を統治するのです。

単純な話では済まないのですよ。

結局人の社会は、利益の奪い合いですからね。

そしてよい統治とは、不満が少なくなるように、利益を分配するものです。

それ以上でも以下でもないと思っていますよ」


 全員が満足する統治なんて、全員が同じ人格でないと有り得ないからな。

 カルメンがクスクスと笑いだした。


「まあ……。

アルフレードさまは、今の魔王チックなほうが、私は安心できます。

世の中小悪党が多いですからね。

そんな人たち相手に、善意や筋を通すことだけを武器に戦われると……。

安心して眠れませんよ」


 全員がうなずきやがった。

 プリュタニスが苦笑して、腕組みをする。


「サロモン殿下は、そんな危なっかしい人に分類できるでしょうね。

個人的には、善良な人だと思いますけど……。

統治者としてはどうかなと」


 カルメンが頭をかく。


「でもアルフレードさまとクレシダに挟まれたら……ねぇ。

下手に賢く立ち回ろうとしても火傷するだけだと思いますよ。

もう善意で立ち回るしか、手段がないと思います。

私は頼まれても、そんな位置に立ちたくありませんね」


 酷い言われようだな……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る