810話 暗と明

 かくして約束の日の数日前に、新教皇が到着する。

 町は蜂の巣をつついたような騒ぎだ。

 

 誰か大物が来ることは、町の人々も察していた。

 リッカルダが、色々と手配していたからな。

 枢機卿だろうと誰しもが予想していたのだ。


 そもそも教皇が動くなんて、実に珍しい。

 教皇は、リッカルダが用意した屋敷に宿泊したようだ。


 大勢が表敬訪問をしているが、俺はしない。

 訪問しないのには、理由がある。

 リッカルダから、表敬訪問は不要と言われたからな。


 つまり今回の面会を、大々的に宣伝するためだ。

 俺だけが訪問しなければ目立つからな。


 目論見通り、俺が訪問しないことを不審がる声は日々高まっていた。

 古典的だが……。

 実に効果的だ。


 まったく食えない婆さんだよ。

 マガリより年上だが……。

 どっちが食えないのだろうか。

 そんな、無責任なことを考えていた。


 かくして訪問日を迎える。

 教皇相手に普通の来客と同じように対応してはマズい。

 

 屋敷の外で教皇を待つことにした。

 政治的配慮から全員でだ。


 警護の面から可能なら避けたいが……。

 そうもいかない。

 教皇のメンツを潰しては面倒なのと……。

 敵に攻撃する口実を与えることになるからな。

 

 すぐに仰々しく飾られた馬車が到着する。

 御者が扉をあけると、しっかりとした足取りでジャンヌが降りてきた。


 教皇らしい立派な服を、身に纏っているが、本人も衣服に負けてはいない。

 細身だが貫禄十分。

 背筋は伸びており、70過ぎの老人とは思えない。

 その顔は穏やかだが、一見して意志が強いとわかる。


 マガリが酷い境遇で、性悪婆に変化したのとは逆だな。

 生まれながらの強者とでもいうべきか。

 マガリは、あんの強さで、怖さを感じながらも、どこか安心させるものがあった。

 ジャンヌは、めいの強さで、人々は正しいと思いつつも、どこか敬遠させるような気がする。

 俺がひねくれているだけかもしれないが……。


 俺たちは、一斉に頭を下げる。

 俺の前まで、人の歩いてくる気配がした。


「皆さん、頭を上げてください。

急な面会を快諾していただいたこと。

主とラヴェンナ卿に感謝しますよ」


 やや低音で、しっかりとした声だな。

 俺たちは、一斉に頭を上げる。


「感謝など……。

とんでもないことです。

教皇聖下せいかの要請であれば、当然のことでしょう。

では中にどうぞ」


 俺は、ジャンヌを応接室に案内した。

 応接室には俺とキアラ、教皇の3人が入る。

 ラヴェンナ親衛隊と教皇直属の護衛は、部屋の外で待つ。


 当たり障りのない挨拶を交わしたあとで、本題に入ろう。

 そう思っていると、ジャンヌは居住まいを正した。

 

「ラヴェンナ卿。

わざわざお時間をつくっていただいたのです。

本題に入りましょう」


 世間話を好むタイプではなさそうだ。

 質実剛健タイプだろうか。

 豪奢な衣装は教皇だからだろう。

 普段は、質素な服を着ていそうだ。


「承知しました。

ではお伺いしましょう」


 ジャンヌが、深々と頭を下げる。

 いきなり、そう来たか……。


「教会が使徒認定を誤ったことにはじまり……。

偽使徒がラヴェンナ卿を傷つけたこと。

お詫びの言葉もありません」


 油断ならない相手だと痛感する。

 これは気合を入れて、相手をする必要があるな。

 下手をうてば知らないうちに、敵にまわるタイプだ。

 逆に基準を満たし続ける限りは、敵にならない。

 そんな感じがする。


「どうか頭をお上げください。

あの件はもう過去のことです。

使徒降臨が遅くて、教会の方々も焦ったのでしょう。

それに偽使徒が、人並み外れた力をもっていたのは間違いないのです。

偽物がいる先例などありませんでしたからね。

認定したルグラン特別司祭は、教皇位を追われました。

もう十分罰は受けたでしょう。

偽使徒に取り入った前教皇は、既にお亡くなりです。

これ以上教会の責を問うても詮無きことかと」


 ジャンヌは静かに首をふった。


「ラヴェンナ卿はそれでよくても……。

親しい方々は許せない思いでしょう」


 キアラは、突然自分の話になったことに驚く。

 しばし逡巡してから、小さく息を吐きだした。


「私は兄が許すと言えば、それに従いますわ」


 本心では許せないが、これが精一杯の表現なのだろう。

 許せというつもりはない。

 あのときどんな思いだったのかは、本人にしかわからないのだから。

 公的の場では、隠してほしいだけだ。


 俺自身はどうでもいい、と思っている。 

 あの使徒は道具にすぎないのだ。

 決して好きにはなれないが……。

 憎み続ける価値などない。


「私が殺されかけたのは事実ですが……。

その罪は偽使徒にあります。

偽使徒はこの世にはいない。

ならば、これは終わったことです。

それでいいではありませんか」


 ジャンヌは、目を細めた。


「ラヴェンナ卿の寛大なお言葉、感謝の言葉もありません。

そのうえ、態度を曖昧にしていた教会を助けていただけました。

そのお礼も改めて申し上げたいのです」


 教会にしたことかぁ……。

 アレクサンドルに色々とアドバイスをしたのと、願いを聞き入れたくらいだな。

 それ以外は、教会の権威を足蹴あしげにしまくっている。

 それらを知りつつ……。

 感謝すると言ったわけだ。


「お礼ですか?」


 ジャンヌはほほ笑んでうなずいた。


「その後も色々とルグラン一族に、便宜を図っていただきました。

オフェリーのためでもあったのでしょうが……。

結果として、教会が救われたことは事実なのですから」


 やはりそこか。

 今まで俺が、ジャン=クリストフにした対応は問題にしないようだ。

 まあ……。

 カードにするには弱すぎるからな。


「オフェリーのためにやったことですから。

その程度のことは当然かと」


 ジャンヌは口に、手を当ててほほ笑む。

 優しいほほ笑みではない。

 どことなく、緊張を強いるタイプの笑みだな。


「そこまではっきりとおっしゃる殿方は珍しいですね。

普通なら、照れ隠しをされるでしょう。

もしくは自分を大きく見せるために、言葉を飾ります。

そうしないとは、よほどご自身の強さに自信があるのですね。

それにしても……。

強い殿方は珍しい。

それでは女性にモテるのは当然ですね。

私もあと60若ければ放っておきませんよ」


 60ってねぇ……。

 コメントに困るだろう。


「高く評価していただいて光栄なのですが……。

強くはありません。

ただ臆病なだけですから」


 ジャンヌは、楽しそうに笑った。

 これで、俺が喜んでいたら失望したのだろう。

 別に喜ばせるつもりはないが、本心からそう言っただけだ。


「あら……。

ご謙遜を」


「いえいえ。

本心ですよ。

なにもしないことで、将来に訪れる困難が怖いだけです」


 ジャンヌは目を細めたが、心のうちはわからない。

 表情から意図を読み取りにくい相手だな。


「なるほど。

ラヴェンナ卿はそのような評価に、興味がないようですね。

真面目な話に戻りましょう。

ヴィガーノに対する破門状の件です」


 自分から触れてきたか。

 まあそれが賢明だよな。

 これでこの話の主導権は、ジャンヌに渡るのだから。


「あれはどのような意図だったのか……。

私にはわかりかねるものでしたね」


 ジャンヌは表情を変えない。


「あれはただの嫌がらせと脅しです。

破門状は本来、気軽に扱うべきものではないのですが……。

それを知らなかったのでしょう」


 声に力が入ったな。

 これは、ジャン=クリストフに対する死刑宣告だ。

 破門状を私利私欲で扱う聖職者。

 これを話題に出した以上、放置など出来ないだろう。

 生かしておくなら……。

 曖昧にして触れないのがベストだからな。

 その弱点を背負ってまで、かばうメリットがないと判断したな。


「そこまで断言なさるとは……。

なにか処分を下すお考えですか?」


「当然です。

これを曖昧にする余裕などありません。

教会は生きるか死ぬかの瀬戸際なのです。

今は小さな病でも注意しなければならない。

自らの体を傷つけるような行為は見過ごせません。

つまり彼らを、破門に処します。

これが先例となれば、軽い気持ちで破門など出来ないでしょう」


 なかなか思い切ったことをするな。

 破門状を私的利用したから破門か……。

 皮肉が効いているな。

 ジャンヌは、ブラックユーモアのセンスがあるのかもしれない。


 それにしても……。

 彼らと来たか。

 ストルキオ修道会のことではなさそうな気がする。


「それはラ・サール殿のみではないと」


 ジャンヌは静かにうなずいた。

 やはりか。


「彼ら一味は確定です。

あとは冒険者ギルドが、どう関与したか……。

それ次第で、ギルド関係者も破門になるでしょう」


 さぞかし足の引っ張り合いに、熱が入るだろうな。

 ジャン=クリストフにとっては生きるか死ぬかだ。

 真剣にピエロに責任転嫁するだろう。

 それでも運命は変わらないと思うが。


 いっそ暴発させる気か?

 そのために、わざわざ来た可能性もある。


「なるほど。

またギルドは、荒れることになりそうですね」


「手心を加える余裕などないのです。

教会は、よい方向に変わった……。

そう人々に知らしめなくてはいけませんからね」


 内心ではもっとやれと言いたいが……。

 そう言えないのが、公人の悲しさよ。


「余計なお世話ですが……。

乱発は控えられたほうがよろしいかと」


 ジャンヌは、重々しくうなずいた。


「そこは肝に銘じてあります。

理由は明確ですからね。

破門を私利私欲のために悪用したこと。

これを見過ごすことは出来ません。

それ以外なら、主のご慈悲にすがってもよろしいのですが……。

秘蔵されている剣を持ち出して、遊びで人に斬りつけるような輩は、相応の報いがあるべきでしょう」


「教会の判断ですからね。

私が口を挟む筋合いはありません」


 ジャンヌの目が、さらに細くなる。


「ラヴェンナ卿は関係者ですよ。

だから事前にお伝えしたのです。

ラヴェンナ卿はヴィガーノの庇護ひご者ですからね。

破門は手緩てぬるい処分だとお思いでしょうか?

まずラヴェンナ卿に納得していただけることが重要です。

それならヴィガーノも納得するでしょう」


 マウリツィオにも確認を取っているな。

 表敬訪問したろうからな。

 そこは、抜かりがないか。


 それにしても……。

 鉄の聖女の異名は伊達じゃないな。

 安直な保身をするなら、俺の圧力で破門したと吹聴するだろう。

 それだと恨みは、俺に集中する。


 だが新教皇の権威は地に落ちてしまう。

 最重要の武器さえ、自分の意志で使えないと受け取られるからな。

 周囲に、圧力をかければ破門が使える、と思わせてしまうだろう。


 だから自分で決断したと。

 俺に認めさせた形を取るためだな。


 なんとも食えない婆さんだよ。

 マガリが粘着質で食えないのとは違って、純粋に硬くて食えない。


「少々重い気がします。

ですから、手緩てぬるいとは思いませんよ」


 ジャンヌは口に、手を当てて笑う。


「では私の判断は正しかったとなりますね。

当事者から見て、少々重いとなれば……。

無責任な輩以外は軽いなどと、口にしないでしょう」


 無責任な外野なら、死罪と騒ぐだろうな。

 娯楽の一種だし。

 だが教会内で、死罪はないからな。

 これが最高刑だ。

 ジャン=クリストフが正式退場か。

 そうすると教会の代表はいなくなる。

 ここまできたら、答えはわかっているが……。


「それで人類連合に、誰が出席を?」


「後任が決まるまでは私が出席します。

ラヴェンナ卿は不服でしょうか?」


 そのために来たのだろう。

 代表としてこれ以上の存在はないからな。


聖下せいかの出席に、異を唱えるなど出来ません。

ですが……よろしいのですか?

教皇庁でもやるべきことが山積みでしょう」


「今は枢機卿団に、教会の問題を精査させている最中です。

本格的に動くのはそれから。

今はやることが少ないのですよ。

精査が済んだら出来るだけ早く戻るつもりです」


 代役を立てる間の暫定か。

 それにしても足元を、お留守にして大丈夫なのだろうか。


「不在でも今のところ問題ないと。

それほど新枢機卿団は優秀なのですね」


 ジャンヌが、目を細めた。

 今までと違う気配だな。

 キアラも気がついたようだ。

 これは戦闘モードといったところか。


 ここから、本格的に俺を品定めするつもりだな。

 俺は教皇の訪問を、誰にも漏らさなかった。

 マウリツィオにもだ。


 どう判断したかまではわからない。

 俺が、なあなあで済ませないタイプだと知ったろう。


「お惚けがお上手ですね。

本気でそのようなことを信じていないでしょう?」


 この試験は簡単だな。

 各国から3名ずつ。

 聞こえはいいが……。

 飛び抜けて優秀なのが、たまたま平等になったとは考えにくい。

 そのような人物がいないからこそ、公平に見える形にしたような気がする。

 飛び抜けて優秀であれば、才能を優先して、バランスに配慮しないだろう。

 だが、それを答える気はない。

 裏が取れていないのだ。


「どうでしょうか。

名前も知らない人たちです。

私に判断材料はありませんよ。

それなら常識的な見解になるでしょう」


 ジャンヌは、楽しそうに口元を手で隠した。


「私が選んだのは、のみです。

これでおわかりでしょう?」


 誠実を強調か。

 能力的には平凡だが誠実なのだろう。

 そんな人たちに問題を精査させる……。


 部下任せに出来る問題と、そうでない問題を切り分けるのだろう。

 誠実なら出来ないことは、正直に報告するからな。


「よろしいのですか?

そのようなことを、外部の人間にお話ししても」


 ジャンヌは満足気にうなずいた。

 俺の受け答えが、お気に召したようだ。


「いずれわかることです。

それとラヴェンナ卿に、お願いがありますからね。

隠し事をしていては……。

受け入れていただくことは難しいでしょう」


 いよいよ来たか。

 どうでもいい話を交渉材料にのせてきた。


 枢機卿団の出来など、俺にとってはどうでもいい話。

 だが普通の人たちにすれば、大事な話に思えるだろう。

 他人の評価ってのは、皆の大好物だからな。

 社会的地位が高ければ、それだけ価値が高くなる。

 打ち明けられれば、なんとなく尊重されていると思えるだろう。


 とんだ食わせ者だな。

 自分の地位と評価を、完全に理解した上で利用しているよ。

 教皇が枢機卿の評価を他者に伝えた。

 普通は大きな誠意の表れと受け取るだろう。

 人によっては軽率と受け取られる。

 鉄の聖女のそれは信頼の証しだろう。


 これでお願いは、薄い本関係でないとわかる。

 薄い本関係だと大問題だがな。

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