808話 鉄の聖女

 ラヴェンナから失楽園の写しが届いたので、リッカルダを呼び出す。

 教会は大混乱中で、こちらの望む情報が得られる可能性は低い。

 これには不可抗力な部分もある。

 

 注文をつけるのは、こちらが契約を果たしてからにしよう。

 いつもの応接室で、キアラと共に会うことにする。

 挨拶を済ませてから、リッカルダに写しを渡したが……。

 いささか困惑顔だ。

 そうなるだろう。


 リッカルダは小さなため息をつく。


「この本は、教会を救うことになるかもしれません」


 珍しく意味不明な言葉だな。

 今まで、幾度もやりとりしたが……。

 リッカルダは理性的で突飛なことを言わない。


「ちょっと意味がわかりませんよ」


 リッカルダは、小さく息を吐いた。


「今詳しくお話しすると、先方に迷惑がかかりますので……。

これが鉄の聖女を動かすかもしれません」


 鉄の聖女?

 なんともヤバそうな名前だ。

 絶対に、温和なタイプじゃない。

 それだけ特徴的な名前にしては……。


「はじめて聞く名前ですね」


 キアラも、ブンブンと首を振る。


「私も聞いたことありませんわ」


 リッカルダは、薄く笑った。


「有名なのは教会内部のみです。

しかも30年前に引退して、孤児院の院長をされているお方ですからね。

知らないのが普通ですよ」


 30年前か……。

 それなら知らなくて当然か。

 どんな著名人でも引退すれば忘れ去られる。

 しかも教会内のみで有名か。


 それにしても……。

 この薄い本が、聖女を動かすだと?

 しかも教会を救うとは、大きくでたな。

 なんだかとってもいやな予感がする……。

 

 まさか、この薄い本がなにかの封印を解く鍵じゃないよな……。

 考えても仕方がない。


「そのお方は、かなり権威をもっているのですか?」


 リッカルダは真顔でうなずいた。

 そんな人がいたら、オフェリーが教えてくれそうなものだ。

 30年前に引退したなら、さして重要だと思わなかったのかもしれない。


「現時点で私の口から申し上げることは出来ません。

そこはご容赦ください。

これは必ず、先方にお渡しします。

先方は必ず義務を果たしますよ。

信じてお待ちください」


 義務か。

 忘れられても困るが……。

 元々は、教会の出方を探るために、人脈を知りたいと思っていた。

 それは目的ではない。

 あくまで手段だ。

 教会に、俺の邪魔をさせないための情報なのだから。


 もし教会を救うとなれば、かなりの重要人物になるだろう。

 そうなれば混乱した状況の人脈は役に立たない。

 

 これは鉄の聖女とやらの情報が必要だな。


 リッカルダが退出したあと、ホールに戻る。

 モデストなら知っているかもしれないからな。


 モデストは鉄の聖女と聞いて、腕組みをする。

 知ってはいるようだが……。


「残念ながら……。

小耳に挟んだことがある程度ですね。

しかもまた聞きです。

ラヴェンナ卿にお話し出来る情報はありません。

教会と私は、そこまで縁深くありませんから」


 知らないも同然か。

 教会内部でのみ知られた存在とはなぁ。

 オフェリーは知っているのか?

 知っていたとしても……。

 この場にいないからな。


「シャロン卿でもその程度ですか……」


「ヴィガーノ殿に聞かれては?

あの御仁は、意外と顔が広いですから。

私から見ても大変興味深い人脈です。

それにギルドと教会は、組織間での付き合いがありますからね」


 マウリツィオなら、独自のコネももっていそうだからな。

 聞くだけ聞いてみるか。


「そうしましょうか。

このあと、打ち合わせがありますからね。

そのついでに聞いてみますよ」


                   ◆◇◆◇◆


 マウリツィオがやって来た。

 キアラ同席で、予定の打ち合わせを行う。

 教会の混乱により、使徒騎士団の動きが鈍くなるからな。

 その部分のフォローとして、冒険者の働きが要求される可能性は高い。

 このあたりは、簡単な確認で終わった。

 俺が判断するのに必要な情報を、過不足なくまとめてきたからな。


 事前の意識合わせは、とっくに済んでいた。

 ラヴェンナで冒険者はイレギュラーな存在だ。

 ラヴェンナ式で、条件をまとめることが出来た。

 だが……ここでは違う。

 冒険者の流儀を尊重する必要がある。

 

 つまりは期間雇用として、仕事の選択権を奪う手は使えない。

 そのほうが支払う報酬を節約出来るが……。

 いい働きは望めない。

 コストはかさむが、これは仕方ない。


 ここでも旧ギルドは、失策を犯した。

 期間雇用を強行したのだ。

 期間雇用はギルドとしても、調整の手間が省ける。

 つまりコストカットにつながるわけだ。

 依頼主の懐にも優しい。

 冒険者以外は、ハッピーな施策だろう。

 そして冒険者は酷使されている。


 休ませるなど、金のムダにしか思えないのだろう。

 それどころか損をする、と思っていそうだ。

 疲労やモチベーションが仕事に及ぼす影響は、帳簿にない項目だからな。

 わかるはずもないか。


 見かねた職員が、幹部に忠告したらしいが……。

 その回答を聞いたとき、思わず天を仰いでしまったよ。


『休ませて、それが儲けにつながるのか?

その保証が出来るなら休ませる』


 こんな状態で冒険者たちは納得するはずもない。

 新ギルドと同様の契約形態にしてくれと、希望がでた。

 当然だろうな。

 ギルドマスターの回答は『真摯しんしに受け止め、スピード感をもって検討する』だそうな。

 そのまま、何もしない状況が続いているわけだ。

 

 噓は言っていない。

 言っていることは、結果を約束していないからな。


 ギルドマスターであるピエロは、決断を迫られたらいつも『検討する』と答える。

 前後にバリエーションはあるが、内容に差はない。

 やりたくないことを強く迫られると、『その名称変更を検討する』とか言いだしたらしい。


 マウリツィオが馬鹿にしたように言っていたからな。

 あれではまるで『検討師』という職業だと。

 戦士や魔術師とは違うピエロ専用の職業……。

 否定する気にすらなれなかったよ。


 そんな検討師は、自分がやりたいことは、いつの間にか実施している。


 これでは、旧ギルドから冒険者が逃げるだろう。

 それを、どうやって逃がさないか。

 強引な手で束縛するかもしれないな。

 それがさらなる権威失墜になるとも知らずに。


 回り道のようで、マウリツィオのやり方のほうが堅実だ。

 今までは、ギルドがひとつだった。だから殿様商売でもよかったのだが……。

 もう違う。冒険者に選択肢が出来たのだ。


 冒険者たちにとって災難だが、こちらには好機だ。

 新ギルドは、いきなり大量の冒険者に対応出来ないからな。

 準備期間が必要だ。

 時間を稼いで、態勢を整える必要がある。


 そのあたりの認識をすり合わせて、会議が終わった。


 最後に、鉄の聖女について聞いてみた。

 マウリツィオは驚いた顔になる。


「よくご存じですねぇ。

知る人は、ほとんどいない……と思っておりましたぞ」


「私も名前を聞いただけなのですが……。

かなり教会内で、権威をもっている人とか」


 マウリツィオはアゴに手を当てて、感慨深げな表情になる。


「左様ですなぁ。

今の教会上層部は、ほとんど鉄の聖女の薫陶を受けておりますからな」


 おいおい。

 とんでもない影響力じゃないか。

 そんな重要人物が、なぜ今まで沈黙を守っているのだ?

 教会は前代未聞の大ピンチだろう。

 詳しく聞く必要があるな。


「知る限りでよいので、詳しく教えてください」


 マウリツィオは真顔で、腕組みをする。


「ラヴェンナ卿がそこまで知りたがるとは……。

ついにあのお方が動くのですか。

教会は激変するでしょうね。

あのお方に比べたら……。

小生など無味無臭もいいところですぞ」


 待てや。

 マウリツィオより濃いってなんだよ……。

 俺の困惑をよそに、マウリツィオは鉄の聖女について話しはじめた。


 鉄の聖女は、御年72。

 かなりの高齢だなぁ。

 名前はジャンヌ・ルグラン。

 オフェリーの親戚らしい。


 若い頃は、絶世の美女との評判だった。

 ところが中身は、まったく別物。

 しつこく言い寄る男の股間を蹴飛ばした武勇伝の持ち主だ。

 それが王族だったのはなんとも……。


 他に類を見ないほど気が強い

 並み居る男たちは逆らえなかったようだ。

 ただ気が強いだけじゃない。

 頭脳明晰めいせきで、決断力と度胸がある。

 使徒騎士団が大規模な魔物討伐をしたときは、騎士団長と並んで馬を駆っていたらしい。

 使徒騎士団の上層部も、鉄の聖女には逆らえないらしい。

 武芸の稽古をつけてもらった人もいるとか……。

 いわゆる完璧超人だ。


 そしていつの間にか『鉄の聖女』と呼ばれるようになった。


 もし男だったら、絶対に教皇になっていたとの評判。


 女性が教皇になれないと、正典カノンに記されてはいない。

 だが長年の慣習で、教皇は男のみが即位している。


 平時に、この慣習は破れないだろう。

 鉄の聖女自身も政治的野心はないので、無理になろうとしなかったことも大きい。

 それほど、才能が抜きんでているようだ。


 あまりの強さに、教会外で話題にすることは避けられていたらしい。

 比較されると、男性陣の面子が立たないからと……。

 実に生々しい理由だ。


 若い聖職者たちの教育役も担っており、現在の上層部はほぼ教え子らしい。

 そんな鉄の聖女も自分が居座り続けては、若手の芽がでないと考えたようだ。

 

 かくして30年前に、第一線を退いて、孤児院の院長に就任する。

 この孤児院から、優秀な人物を多数輩出しているらしい。

 孤児院での指導は厳しいが、愛情があったようだ。

 どこまで完璧なんだか……。


 院長就任時、今後教会の運営に口を出さないと宣言した。

 だから今の教会を巡る混乱にも、沈黙を保っている。


 30年前に引退したなら、誰も知らないだろうなぁ。

 伝説の欠片が、わずかに残っている程度だ。


 助力を求めようにも……。

 引退時に宣言された言葉が強烈で、誰も積極的に動かなかった。


『私を引っ張り出したいなら、教皇位を持ってきなさい』


 つまりは引っ張り出すな……と言いたいのだろう。

 話を聞くだけで、胸焼けしそうな女傑だな。


 リッカルダは、あの薄い本で動くと示唆していたな。

 淑女同盟の元締めなのだろうか。

 

 たしかに、マウリツィオより遙かに濃いわ。

 思わず苦笑が漏れた。

 

「よく知っていましたね」


「小生が駆け出しの頃……。

仕事柄お目にかかることがありましたからね。

それ以降、目をかけていただいておりまして……。

小生の家内は、鉄の聖女さまにご紹介いただいたのです。

孤児院で育った女性の嫁ぎ先まで、気にかけるお方ですよ」


 そんなコネがあったのか。

 それならマウリツィオが煙たくても、ギルドは首に出来なかったのか。

 使徒の意向がない限りは……。


 それにしても……。

 そんな話があるのなら、人脈はとても広いだろう。

 30年孤児院を経営しているなら、どれだけの結婚を仲介したのだろうか。


 それにしても……。

 今の教会は大混乱だ。

 唯一の指導者であるアレクサンドルが倒れてしまってはなぁ……。

 既に、教皇就任の打診があったのかもしれない。

 それでも決心がつかなかったのだろう。

 俺が約束を守ったことで前向きになった、と考えるべきか。

 リッカルダの口ぶりから、そんな感じだよなぁ。


「なんともすごい女傑のようですね」


 マウリツィオは、ニヤリと笑った。


「いやいや。

ラヴェンナ卿なら、鉄の聖女さまと互角に渡り合えますよ。

昔から、最近の男は実行力がない、と嘆いておいでですから。

きっと気に入られるでしょう。

小生は昔こんなことを言われましたぞ。

『言ってほしいことがあれば、男に頼みなさい。

やってほしいことがあれば、女に頼みなさい』

返す言葉がありませんでしたよ」


 うわぁ……。

 こんな人を相手にするのかよ。

 変な老人のおかわりは勘弁してくれよ。


                   ◆◇◆◇◆


 数日後に、急報がもたらされる。

 教会で大きな動きがあった。


 新教皇の即位の一報。

 歴代初の女教皇が生まれたわけだ。


 それだけなら、可能性のひとつだった。

 さすがに次の報告は驚いた。


 以前に出した公開質問状の回答をしてきたのだ。

 使徒ユウの認定は誤りであったこと。

 認めたのは、この一点のみだが……。


 その責任をとる形で、枢機卿団は全員辞職する。

 あわせて貴族たちに奪われている荘園の権利を、正式に放棄するともあった。


 報告を持ってきたキアラは困惑顔だ。


「このタイミングで回答してくるなんて……。

随分思い切ったことをしますわね。

ここまで無視してきたのでしょう?

そのままにしておくのが無難だと思いますわ」


 並の人物なら、そうするだろう。

 新教皇は、その非凡さを早速証明したわけだ。


「逆にこのタイミングだからこそでしょう。

鉄の聖女は本物らしいですね」


 やはり傀儡として甘んじなかったわけだ。

 枢機卿団には、安全の保証とセットで辞任を迫ったのだろう。

 そして荘園の権利放棄も、貴族たちを安堵あんどさせる。

 どうせ帰ってこないなら認めればいいとの判断だ。

 使徒認定の非を認めた形でな。


 理屈の上でわかっていても、そこまで思い切ることは出来ない。

 

 抵抗しようにも枢機卿団を辞任させてしまえば、反対の力は強くならないだろう。

 そして教え子が、たくさん残っているのだ。

 反対など出来ないのだろうな。


 そもそも積極的に反対する必要がない。

 新教皇は老人だ。

 先は長くないからな。この難事を任せてしまう考えだな。

 数年の間辛抱して、その間に建て直してくれればよい。

 そのあとは、自分たちが復権する。

 そんなところだろうな。


 そう都合よくことが運ぶか……わからない。

 

 今回の新教皇就任は、ストルキオ修道会にとってはとんだ誤算だろう。

 それだけなら俺にとって有利だが……。


 手放しでは喜べない。

 新教皇が教会の利益を、第一に考えることだ。


 使徒に襲撃された俺になにか言ってきそうだな。

 形式的な謝罪あたりか妥当だろう。

 それをテコに協力を迫ってくる可能性は高いな……。


 こいつは難敵だ。

 公開質問状までクリアされたから、攻め手が少ない。

 現時点では敵対的じゃないが、将来の保証はないからな。

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