24章 希望の蜃気楼

796話 下種の発想

 アーデルヘイトは一応立ち直ったようだ。

 喪失感もあるだろうが、それをどう乗り越えるかは、本人の問題だろう。

 俺が出来ることは……。

 悩んだときに、手助けをするくらいだ。


 内心にまで介入して、自分で考えろなど……。

 笑えない矛盾だからな。

 内心にまで介入するなら、相手の人生すべてに責任をもつ覚悟が必要だろう。

 仮に持てたとしても、独りよがりにすぎないと思っている。


 都合のいいときだけ介入するのは、ただの寄生か玩具にしているだけだ。

 そう考えると……。

 使徒教徒の内心にまで踏み込んで、共同体内部での人生を保証するのは、筋が通っているのかもしれない。

 それが保証できるかぎりにおいてはだが。


 そんな思いとはお構いなしに……。

 アーデルヘイトは、ひたすら仕事に打ち込んでいるようだ。

 倒れないよう見守ることしか出来ない。

 

 そんなアーデルヘイトに、ラヴェンナから報告が届いた。

 報告を受け取ったアーデルヘイトは、厳しい顔つきのまま俺のところにやってきた。


「旦那さま。

ちょっと気になる報告が……」


「なんでしょうか?」


 アーデルヘイトはあれ以来、ベタベタしなくなった。

 今の精神状態で俺に甘えたら、そのまま溺れてしまう……と思っているのだろう。

 落ち着いたときの反動だけは覚悟しておくか。


「体調を崩してから、そのまま症状が悪化する……。

類似の症例がないか心配になりました。

気になったので、ラヴェンナのほうに調査を指示したんですけど……」


 マガリだけなのか、心配になったようだ。

 考えすぎかとも思ったが……。

 ラヴェンナ市民の健康状態を、平時に把握することにもつながる。

 悪くない判断だな。


「ほかの人たちも、同じようなケースがあるかもしれないと」


「そうです。

目立ってはいませんが……。

確実に増えていますね」


 考えすぎではなかったか。

 どうにもキナ臭いな。


「流行病かなにかですか?」


 アーデルヘイトはやや疲れた顔で、首をふった。

 過去のトラウマに触れるかもしれないが……。

 この話をムリに避けると、かえって意識させてしまうからな。

 だからと気軽に触れて言い話題じゃない。


「そこなんですが……。

まだ仮説しかでてきません。

旦那さまに教えてもらった方法でやっていますけど……」


 アーデルヘイトだけではないが、皆が大臣になったときに教えた方法だな。

 自分たちで考えるにあたって、方法論だけは教える必要があったからだ。

 皆は知恵あれど、学はなしの状態だったからな。


 教えたのは、アイデアを出すときや、問題の抽出方法。

 これは、ふたつのルールを守ることが大事だ。


 ひとつめは、他者の意見を否定しない。

 ふたつめは、質より量を重視する。

 突飛だろうが、思いついたことだろうが列挙することだ。


 こうやって集まった情報を、マインドマップにして整理する。

 その過程で、根拠を見つけていく。

 これが思いのほか、効果的だった。

 学がないぶん、こだわりやプライドがない。

 だから素直に習得できたと思う。


 その方法ででてきた仮説なら、与太よた話ではないだろう。


「仮説でも構いません。

教えてください」


「最近の体調悪化は、魔族にだけ見られません。

クリームヒルトも『言われてみれば、最近は体調がいい』と言っていましたし……。

種族差があると思います。

ある時期を境に、この症状がではじめました。

幸い死に至るケースはありません。

それと増え方が緩やかだったので……。

今まで気がつきませんでした」


 データとして確認したときに、違いが見えたわけだ。


「その時期とは?」


「契約の山が噴火してからです。

もしかしたら、魔力の乱れが体調の悪化に結びついたかもしれません。

魔物が大量発生しているなら、世界の魔力が乱れているのではと……。

あとシルヴァーナ・ランドの魔物も、それが影響しているのじゃないかって。

これが最も有力な仮説です。

ただ……。

ここからどうしていいのか、行き詰まってしまいました」


 たしかにそうだ。

 人には魔力が流れていて、体外魔力にも影響を受ける。

 迂闊だったな。

 それよりも、よくこの仮説を導き出してくれた。

 このことが嬉しい。


「そこは盲点でしたね。

これは本格的に調査するようにしましょう。

委員会を立ち上げてもらって、省庁を横断する形でないといけませんね。

人選はミルたちに任せましょう」


 アーデルヘイトは安堵あんどした顔で、ため息をついた。

 仕事に打ち込んでいて、なにか成果が欲しかったのかもしれない。


「わかりました。

これって目立たないけど……。

他所も影響を受けていそうですね」


 あるだろうな。

 大なり小なりだが。

 それでもラヴェンナは特殊だと、パトリックも言っていた。

 山が飛んで、冷害まで予測していたが……。

 ここまでは、想像が及んでいなかった。


「ラヴェンナは魔力的にも特殊な地域らしいので、断言は出来ませんけどね。

ただ……。

他所はそれどころじゃないのでしょう。

死との距離が、ぐっと縮まっていますからね。

病死では噂にもなりません。

ただ……。

これが不安を売る連中に知られると、面倒なことなりますが……」


 このことに気がついてくれたことは、とても嬉しい。

 それとは、別の問題が浮上してくる。

 頭の痛い話だ……。


「メディアとかですね。

私たちの側は、ゆっくり立ち上げていますけど……。

シケリア王国とアラン王国は、かなり活発に動いていますね。

その人たちが、なにかやるのですか?」


 不安を売る連中=メディアは俺が散々言ってきたからな。

 すぐにわかったか。


「彼らにとって……人の関心を引くことが、いい仕事なのです。

人は恐怖、怒り、欲の順に引き付けられる。

だから実感できる恐怖を煽れば、ほぼ確実に自分たちの話を聞いてもらえるのです」


 アーデルヘイトが不安げに、眉をひそめる。


「老人が死ぬかもしれないと、噂を流すのですか?」


 人の死を、噂の種にする神経が理解できないのだろう。

 個人としては、立派な資質だ。

 だがそんな美徳を悪用するほうが、実入りは大きいからな。


「アーデルヘイトの心が汚れていないのは嬉しいですよ。

私だったら、半魔への恐怖とつなぎ合わせて……。

『老人など体の弱い人が、半魔になる』

そんなデマを流しますね。

あとは魔族に、症状が見られないとなれば……。

魔族の角を煎じて飲めば、半魔になりにくい。

そんなデマを流せば、大変なことになります。

まあ……心の汚れきった下種げすの発想ですよ」


 アーデルヘイトは、ドン引きした顔になっていた。

 まあ普通はそうだよな。


「それでパニックになるでしょうけど……。

もし噓だとばれたら大変じゃありませんか?」


 噓を咎められたらマズイだろうな。

 悪事も罰せられるからマズイだけだ。


「情報の扱いを、ほぼ独占しているのです。

疑問の声は、脅すか無視して消せばいいだけですよ。

あとはなかったことにして……。

パニックになった人々に、説教をするでしょう。

まあ……なんとでもなるのです。

私が介入できなければね」


 アーデルヘイトは安堵あんどのため息をついた。

 悪意に満ちたデマも、対策をするとわかったからだろう。


「少し安心しました。

だから絶対に独占させないようにしていたのですね」


「そこだけは絶対に阻止しないといけませんからね」


 アーデルヘイトが急に不安げな顔をする。


「でも……。

それならこちらの立ち上がりが遅れていますよね?

いいのですか?」


 ああ……。

 普通なら早く体制を作って、民衆から認知されたほうが優位だ。


「それが狙いですから」


「またなにか仕込んでいるのですね」


「仕込むって程の話ではありません。

彼らは、先に名前を売って、優位な地位を占めようとします。

そんなときは、必死になって噓なりデマを広めるのですよ。

むしろ『噓でも過激なことを言いふらして、とにかく注目されろ』となるでしょう。

かなり横暴なことも、平気ですると思います。

そこを叩けばいいだけですからね。

だからフロケ商会には、他組織の監視を優先してもらっています」


 アーデルヘイトは不思議そうに、首をかしげた。

 これだけだと納得しないよな。

 当然だ。

 答えになっていないからな。


「でもそれって……。

立ち上がってからですよね。

そのときは警戒するんじゃありませんか?

旦那さまが疑いの目を持っているのは知っているでしょうから」


 その認識は正しい。

 だからこそ使える手がある。

 時間を餌に撒いた


「そこで石版の民に、証拠を仕入れてもらっています。

彼らのネットワークは、深くて広いですからね。

しかもその手の行動は手慣れているでしょう」


「やっぱり旦那さまが味方だと安心します。

それにしてもなんのための情報伝達なのか……。

わからなくなりますね」


 情報だって人の社会を構成する道具にすぎないからな。

 そしてとても大事な道具でもある。


 だからこそ、噓はよくないと言われるが……。

 わざと誤解するように誘導したなら、言い逃れが出来る。


 これが嫌われるのは、社会規範のバッファーゾーンを、フルに活用するからだ。

 バッファーゾーンは、人々の衝突を防ぐ防具のようなもの。


 意図しないとか、不注意の過失を許せるエリアのことだ。

 この防具がないと、社会は傷だらけになる。

 マトモな社会は成り立たないだろう。


 防具があれば……。

 誤って相手を傷つけても、防具が傷つくだけ。

 体までは傷つかない。


 故意でないから、あえて許す。

 自分にも、そんなときがあるかもしれないからだ。

 それが大前提。


 これを悪用しているヤツは、わざと相手の防具を傷つけるようなものだ。

 許せるはずはない。

 許すという前提で、違反スレスレまで踏み込む相手には、誰だって腹が立つだろう。


 個人なら故意にやり続けるのは難しい。

 やったとしても、社会から排除されるだろう。

 だが組織となれば、話が変わってくる。

 力さえあれば、邪魔な相手を黙らせればいいだけだからな。


「情報だって道具です。

これは火と同じですよ。

火だって悪用すれば、火事になります。

それでも火は目に見えるだけ、対策はしやすい。

見えない情報は、それだけ扱いが難しいでしょう。

情報をだす側と受ける側が、それに見合うだけの資質を持たないと……。

大変なことになります」


「まだ情報を扱える力がないってことですか……」


 ちょっと誤解させてしまったな。

 言い方が悪かった。

 これだといつかは使いこなせる日がくる、と思えてしまう。


「私の言い方がよくなかったですね。

人が感情の生き物であるかぎり、永遠に使いこなせません。

だから悪用されることを前提に付き合っていくべきでしょう。

火と同じで知ってしまったが最後……。

使わない選択肢はないのですから」


「そこまで悪用する人ばかりなのですか?」


 悪いことを企むのは一部。

 そう考えたくなるのだろう。

 その一部が問題なのではない。


 そのような悪事を企んでも……。

 よほどの大事にならないかぎり、逃げおおせられる。


 その体質こそ問題だろう。

 いくら個々人が気を引き締めても、その個人と周辺にしか影響がない。

 それで解決する問題じゃないってことだ。


 火事が多発する地域で火事が起こる。

 『個人の不始末で、地域全体が悪いわけではない』と言うだろう。

 それは事実だろう。


 だがや火の扱いがいい加減な地域だとしたら?

 また同じようなことが起こる。

 再発防止を個々人に委ねていいのは、火災が滅多に発生しない地域だけだ。

 それなら個人の問題としてもいい。


 仮に多発する地域なら、環境を変える必要があるだろう。

 楽ではないがな。

 ある意味生き方が窮屈になる。

 それを許容できないなら……。

 起こることを前提とするしかない。


「全員ではありません。

適当な予想ですが……。

5パーセントは、人々を支配するために、純粋に悪用するでしょう。

15パーセントは、欲のために悪用する。

自分の欲に関係しなければ、建前をそれなりには守るでしょうね。

ここでの欲は、金銭欲や名誉欲など、刹那的なものとなります。

自分の主義主張を押しつけるのも承認欲求としましょう。

残りの79パーセントは、深く考えずに流されるだけ。

そんなところですか」


「それだけ聞くと……。

一部と言っても絶望的ですね。

流されるだけなら、見て見ぬふりなんかしますし……。

あれ? わざと1パーセント省いていません?」


 わざと省いたからな。

 悪事をするのが、ごく一部だがその逆も存在する。

 もっと少ないがな。


「ええ。理論上はいると思いますが……。

人々に正しい情報を伝えようと、建前を信じて行動する人。

いわば絶滅危惧種です。

ただし……うのみは危険ですよ。

そんな人たちは情熱的だと思います。

理想を目指すなら情熱がないとムリですからね。

そんな情熱にあふれているからこそ……。

主観に満ちているでしょう。

それでも不都合な情報を、意図的に隠したり……。

黙殺などはしないでしょう。

だから情報を検討する価値はありますね」


 アーデルヘイトが深いため、息をついて肩を落とした。


「完全に信じられる人はいないのですか?」


「人の社会で、他人を完全に信じるほうがどうかしていますよ。

信じたほうが楽ですけどね」


 アーデルヘイトは苦笑して、髪をかき上げた。


「旦那さまはいつでもシビアなのを忘れていました……。

だから頼りになりますけどね!」


 少しは、元気がでたのか。

 今の会話のどこに元気づける要素があるのかわからないが……。

 多少は元気になったならいいか。

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