795話 感謝

 ようやく、人類連合の条件がまとまった。

 なんとか緩やかなものに収めることが出来たな。

 これでよしとすべきだろう。


 そもそも技術や意識の面から、国を超えた組織がつくれる段階にない。

 教会は世俗に基本タッチしないからこそ可能だった。


 現時点で世界の統一なんて夢物語だろう。

 人類連合は国同士の交渉の場だけならそこまで有害ではない。

 ところが……ある程度国政に介入出来てしまう。

 各国に王権と人類連合が並列しては、トラブルの元になる。


 今は封建社会なのだ。

 国への帰属意識が薄い。

 人類連合が、それをさらに薄くしてしまう。


 もし人類連合が、王権より統治能力があればいいのだが……。

 そんなものはない。

 王権にとって変わったとしても、すぐ崩壊して……群雄割拠の世になるだろう。


 現時点で社会が維持出来る最大の規模が国なのだから。


 それより……これからに向けて動かなければいけない。

 今後の話をマウリツィオと相談していると、青い顔をしたキアラが駆け込んできた。

 とんでもない凶報か……。


「どうしました?」


 キアラは暫く躊躇ためらったのち、大きく息を吐き出した。


「お兄さま。

プランケットさんが亡くなりました。

季節の変わり目に、体調を崩してそれっきりだそうです……」


 驚きはしない。

 マガリが体調を崩したとき、そのときが迫っていると思ったからな。


 もし死んだら、皆は動揺して混乱するだろう。

 だから混乱を最低限に抑えるため、無役にしていた。

 マガリもそれがわかっていたのだろう。

 憎まれ口を叩いても、俺の決定を受け入れたのだ。


 それでも衝撃は大きいだろうな。


「アーデルヘイトにも知らせてください。

あと葬儀はミルたちで執り行うように。

私が今、ここを離れるわけにはいきませんからね。

私たちが戻ったら、ちゃんとした追悼式をやりましょう」


 キアラは無言で、部屋を出ていった。

 マウリツィオは天を仰いで嘆息する。


「レディ・プランケットが亡くなりましたか……。

惜しい人を亡くしたものです。

当ギルドとの架け橋になってくれると期待していたのですがね」


 マウリツィオはマガリとも面会したからな。

 マウリツィオのお世辞攻撃で、普通は引くのだが……。

 引くどころか、それが当然だと言わんばかりだったらしい。

 なにより不思議とウマが合ったようだ。


「ラヴェンナにとっても大きな損失ですよ。

能力もさることながら……。

精神的な支柱でもありましたからね。

なにより……」


 マウリツィオは真顔でうなずいた。

 

「ラヴェンナ卿の信奉者ではない。

これが大きいのでしょうね」


 よく見ているな。

 異なる意見をもつ人が、上層部にいる。

 これが、ラヴェンナの強みのひとつだった。

 極端に偏らずに済むからな。

 今までは、皆が思いのままに発言しても、マガリが軌道修正してくれた。

 これからは、自分で軌道修正しなければいけないのだ。


「その通りです。

そんな人が、中枢にいることが大事でしたからね」


 マウリツィオは再び、ため息をつく。


「これからはより難しい舵取りを迫られますなぁ。

皆さんのバランス感覚が、より大事になるでしょう」


 そこは皆を信じて任せるほかない。

 マガリだって不老不死じゃないからな。


 いつか卒業するときが来る。

 それは皆もわかっていたろう。

 そのいつかが来ただけだ。

 今は簡単に切り替えられないだろうが。


「そうですね。

自由に発言しても……。

どこか私に対しては遠慮してしまいますからね。

これから大変ですよ。

でもこの現実は避けられません。

だから亡くなったことを惜しむより、今までの協力に感謝しようと思いますよ」


 マウリツィオは満足気にうなずく。

 これが今出来る最善と思ったのだろう。

 残された側の立場としてだな。


 残していく立場のことはわからない。


「それは大変結構なことかと。

そういえば……。

完成した肖像画を元に若い姿の像にするのですか?」


 できあがった肖像画を見せてもらった。

 美化しすぎて吹き出しそうになったな。

 マガリは『誰も真実を知らないならいいだろ』ときたもんだ。

 笑って受け入れるしかなかったな。


「約束しましたからね。

プランケット殿には、色々と心残りもあるでしょうが……。

せめて約束が守られれば失望まではしないでしょう」


 マウリツィオは怪訝な顔で、眉をひそめた。


「肖像画が完成して『これでいつでも死ねる』と笑っていましたなぁ。

多分予感していたのでしょう。

そんなレディ・プランケットに、未練があると?」


 根拠はないが……。

 付き合いは数年と短い。

 それでも間違っていないと思う。

 馴れ合わなかっただけ、本音で語り合ったからな……。


「ないと困りますよ。

口で思い残すことはないと言ったとしてもね。

それは自分を納得させる言葉でしょう。

未練がないほどの現世だったら、今までやってきたことはなんだったのか……。

そうなりますよ。

あれだけ生前の業績にこだわった人ですからね。

まだやれることがあると思っていたでしょう」


 マウリツィオは声を上げずに笑いだした。


「それもそうですな。

死にたくないと思える人生のほうが、よい人生だったのでしょう。

死んで楽になれると思うよりはね。

もしくは疎外されたこの世から逃げるよりは……ずっといいですな。

望まない死が幸せで望んだ死が不幸なのは、少々残酷ではありますが」


 その言葉を残して、マウリツィオは帰っていった。

 今日の会談は打ち切りだ。


 ホールに戻ると、アーデルヘイトが人目もはばからずに泣いていた。

 クリームヒルトがそれを慰めている。


 俺は、アーデルヘイトにかける言葉が思いつかなかった。

 だからと逃げてしまう気にもなれない。

 それでは余計傷つけてしまうだろう。


 ならどんな言葉をかけるべきか……。


 ことあとアーデルヘイトが、どうしたいのか。

 皆気になるだろう。

 帰るように言ったほうがいいのか?

 だが……落ち着いてからはどうなる?

 戻ったことを後悔するかもしれない。


 ダメだな。


 迷っても答えなどでない。

 俺がやるべきことをするか。


「アーデルヘイト。

今回は特別に、葬儀のため戻ってもいいですよ。

最後のお別れになら間に合うでしょう」


 戻らないことは知っている。

 仮に戻っても、なんとかなるしな。


 本人の意志を、直接聞いたほうがいいと思った。

 正解かはわからないが……。


 アーデルヘイトは顔を上げて、涙を拭いた。


「いいえ。

途中で投げ出したら、マガリ婆に怒られます。

『そんな無責任な娘に育てた覚えはない』って。

だからここに残ります。

でも気持ちの整理をする時間だけください。

今指示を仰がれても……。

ちゃんと答えられる自信がありません」


 正直言って成長したなと思う。

 当然、完全に立ち直るなんて出来ない。

 期限を切って、半ば強引に立ち直らせるしかないな。

 それでも厳しかったらまた考えよう。


「わかりました。

では明後日には立ち直ってください。

その間は私が対応します。

あとクリームヒルト。

済みませんが……。

アーデルヘイトの側にいてあげてください。

私にはやるべきことがありますから」


 本当なら俺がつきっきりで慰めたいが……。

 そもそも慰めることが不得手だ。

 かえって、神経を逆なでしかねない。

 それに人類連合の正式発足直後だ。


 役人からの相談事は多い。

 そのたびに俺が席を外しては、かえって気を使わせてしまう。


 これはただの言い訳で……慰めるのが下手だから避けたいだけかもしれない。

 自分でもよくわからないな。

 どちらにしても結果を受け入れるしかない。


 クリームヒルトは、俺をじっと見つめたあと……静かにうなずいた。


「わかりました。

じゃあアーデルヘイト。

部屋に戻りましょう」


 クリームヒルトがアーデルヘイトを支えるように、ホールを出ていく。

 今は、見送ることしか出来ない。

 思わず深いため息が漏れた。


                   ◆◇◆◇◆


 翌日、自室で報告書に目を通していると、ノックの音がした。

 このノックはキアラだな。

 部屋に入ってきたキアラは、書類を手にしている。


 これは、ラヴェンナから急ぎの報告か。

 連続になるほど重要なのだろう。


「またラヴェンナから知らせですか?」


「はい。

プランケットさんの腹心だったエルネスト・アザールについてですわ。

葬儀のあとで……。

お兄さまのことを、嫌いだと言ったのです。

それでもプランケットさんが協力したラヴェンナへの忠誠は揺るがない。

だが将来にわたって、この思いを隠していくことはムリだと。

だから自分の処遇は、皆に任せる……とのことです」

 

 やはりマガリの死で、皆動揺しているな。

 冷静だったら、こんなお伺いを立ててこないだろう。

 思った以上に、動揺は深刻か。

 なんとかすべきだが……。


「つまり……。

プランケット殿が生きている間は、迷惑をかけたくない。

だから黙っていたわけですか」


 キアラはかなり躊躇ためらってから、下を向いた。


「そのようですわ。

お兄さまはプランケットさんをフル活用していたでしょう?

それが老人を酷使していると映ったようですの。

プランケットさんはそっちのほうが楽しかったとしてもです」


 しまった。

 エルネストを咎めていると思われたか。


「それで処遇を預けたわけですか?」


 キアラは緊張した面持ちで、俺を凝視する。


「はい」


 ここは、ハッキリさせておく必要があるな。


「預ける必要なんてありません。

問題ですらないでしょう。

ラヴェンナへの忠誠は揺らがない、と言っているのなら尚更です。

私が嫌いと公言して処罰される法なんてないですよ」


 キアラは目を丸くした。


「たしかにそうですけど……。

嫌いと明言しては、周囲が困るじゃないですか」


「私が皆に求めることは、義務を果たすことだけです。

そして個人の心情には立ち入りません。

奴隷じゃあるまいし……。

だから『馬鹿なことを言っている暇があったら、自分の義務を果たせ』と回答してください」


 これだけ強く言えば、誰も文句は言わないだろう。

 働いている時間は、指示に従ってもらう。

 それが契約だ。

 だから契約の範囲以外なら、義務も責任も生じない。


「ええ……。

お兄さまは自分を好きになる必要はないとおっしゃっていたのは知っています。

でも不平分子以外では……。

お兄さまが嫌いだ、と明言したケースははじめてですわ」


 所構わず言いふらしていたら問題だが……。

 このような非常事態に、本音が漏れただけだ。

 問題にするほうがおかしい。


「言えなかっただけですよ。

プランケット殿が亡くなったことで、かなり動揺したのでしょうね」


 キアラは安堵あんどした顔になった。

 やはり処罰するのは妥当じゃない、と思っているのだろう。


「嫌いと言ったのは、動揺したからで本心じゃないと?」


 違った。

 そう思いたがっているな。

 その場を丸く収めるだけなら、その勘違いは有効だが……。

 再び溜め込んで、限界になったとき大爆発。

 それだと被害は、洒落にならない。


「そんなわけはないでしょう。

動揺したから本音を抑えられなくなった。

それだけでしょうね。

まあ……。

私のこんな部分も嫌いなのでしょう。

嫌い続ける正当な理由を与えませんから。

なんにせよ……。

やるべきことさえやってくれればいいのです。

人格まで捧げられては困りますよ」


 キアラは微妙な表情で苦笑した。

 思い違いを指摘された気まずさか。

 

「そこは厳に戒めていますわね。

それでもなかなか割り切れないみたいですけど」


 だからとここを黙認すると、危険なことになるだろう。


「人格まで仕事と同化すると大変ですよ。

自由な議論が死んでしまいます。

反対意見は人格の否定になりますからね。

反対されたら根にもつようになります。

好き好んで争いをしたがる人は普通いません。

結果……事なかれ主義が横行するでしょう」


「旧ギルドみたくなるわけですね」


 それだけだと、旧ギルドと思えるだろうが……。

 使徒教徒の組織なら、当然なり得る。


「旧ギルドに限りません。

使徒教徒の組織は、共同体の一種ですからね。

人格まで階級と同化しがちです。

結果として上司は、部下を奴隷のように扱いますよ。

そんな組織がどうなるか……。

早く出世して同じように威張り散らしたい、と思うのは当然です。

それを止めることは出来ませんからね。

まっているのが……。

上に媚びて、下に威張り散らす社会ですよ」


「部下を奴隷のように扱うのは、珍しくない光景ですわね。

ダメな組織ほどそれが目立ちますわ。

私には理解不能でしたけど……。

人格と階級が同化したのですのね。

それだと反対意見なんて述べたら、ただの反抗だと見なされますわ」


 仕事の方針についての反対意見は、人格を否定するものではないのだが……。

 全面的な服従を、なぜか求めるんだよなぁ。

 それも、組織での階級が上というだけで。


 これは悪いことばかりではない。

 いい上司に当たったら……。

 家族のように面倒を見てもらえる。


 だがこれはレアケース。

 悲しいことだが……。

 とされることは……少ないからこそとされる。

 多ければ当たり前になるだけ。


 その当たり前は、奴隷とまでいかずとも自分の所有物のような考えだ。


「そうなると目的のために動くことが困難になりますよ。

そんな組織であるほど……。

偉くなることだけが、目的の人には幸せな環境でしょうね。

やるべきことが不変の組織なら、それでもいいでしょう。

もしくは存在だけが目的の組織なら、それもありです」


「でもラヴェンナは違いますわね」


 そうならないように注意してきた。

 油断すると自由な行動……。

 つまり使徒教徒の原則に近い行動をとるだろう。


「その通りです。

だからこそ……。

目指したものと、真逆に進むことは制止しないといけません。

明日はすぐそこですが、陽炎のように揺らめいています。

だから悪いほうに、簡単に転ぶのですよ」


「あら素敵ですわね。

最近お兄さまは詩人ですわ」


 つい口を滑らせてしまった。

 マガリが亡くなったことで、少し感傷的になっていたようだ。


「……忘れてください。

私が細かいところまで、口うるさく指摘するのは……。

問題が小さなときなら対処出来るからです。

大きくなってからではムリですよ」


 キアラは意味深な笑みを浮かべる。

 これは言いふらすつもりだな……。


「皆は動揺していますけど……。

お兄さまだけはいつでも冷静なのですわね。

とても助かります。

なんとなく安心出来ますもの」


 失言は忘れよう……。

 気にすると、余計突っ込まれる。


「まだラヴェンナの制度は、十分な強度がありませんからね。

私には動揺している余裕なんてありません」


 キアラは少し落胆した顔で、肩を落とした。


「お兄さまの評価だと……。

ラヴェンナは、まだまだ未完成なのですわね」


 強度がないを、未完成だと判断したのか。

 時間を視野に入れるのは、キアラでも難しいか……。


「人が関わる制度に、完成なんてありませんよ。

そう思った瞬間に、将来の選択肢を失いますからね。

日々変わる世界に対応して変えるべき部分は変える。

変えてはいけない部分は守るだけですよ。

それでも完成を目指します。

目指しても完成してはいけないですけど」


 キアラは眉をひそめて、首をかしげる。


「石に刻んだ法は要らないと、最初におっしゃっていたことですよね。

では強度ってなんですの?」


「よく覚えていましたね。

強度についてですが……。

皆の力が不足しているのではありません。

伝統が足りないだけです」


「伝統?」


 ラヴェンナは立ち上がったばかりだ。

 なにかあったとき、過去に参考となる行動が少ない。

 もし伝統があれば、なにか動揺しても似たような事例を見つけて、それに倣う。

 それにもいい面と悪い面がある。

 グランドデザインさえ間違わなければ、伝統の長さはその社会の強度に比例するだろう。

 間違うと、伝統はマイナスの面が強くなる。

 悪しき慣習でも守り続ける行為に直結してしまう。


「蓄積された知恵とでも言いますかね。

だからプランケット殿やアーリンゲ殿は、皆から頼りにされているのです。

これはどんなに優秀でも解決出来ない問題ですよ。

時間が必要ですからね。

平凡に問題を解決した積み重ねこそ大事になります」


 キアラはなぜか苦笑する。


「派手で格好かっこいい解決って、お兄さま好みませんものね」


 そこがおかしかったのか。

 派手な解決なんかに、興味がないからな。

 普通にやって、普通に解決出来ることが最上だ。


「悪目立ちしますよ。

みんなそれを狙って、普段の仕事が疎かになっては困ります。

地味で目立たない仕事をしてくれる人がいての、派手な仕事ですからね。

それよりちょっと心配なのですが……」


「なんでしょうか?」


 今回の報告に大きな意味はない。

 だがその裏を読むと……。

 軽視出来ない問題が隠れている。


「アザール殿がこんな告白をした背景です。

もしかして過剰に、私を賛美するような風潮になっているのでは?

それに反発する思いから出た言葉だと思いますね」


 キアラはハッとした顔で、口に手を当てた。


「そうですわね……。

不安になったからこそ、お兄さまを頼るのかもしれませんわね。

これは私が調べるより、お姉さまに伝えたほうがいいと思いますわ」


 裏から調べられたら傷つくだろう。

 俺が不在なのは、かえって好機だな。

 自分たちで冷静になることが出来るのだ。


「そうですね。

じゃあそのことも伝えてください」


 マガリがこれを聞いたら、『さっさと冷静になるなんて、薄情なヤツだ』とぼやくだろう。

 だからと嘆いていると『さっさと立ち直れ』と怒りだすだろうな。


 実に面倒くさい婆さんだったが……。

 ラヴェンナへの貢献がとても大きかったのだ。

 それに感謝するとしよう。

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