794話 閑話 古代神の呪い

 人類連合の会議を終えたクレシダ・リカイオスは、屋敷に戻った。

 すぐにアルファの私室を訪ねる。


 ノックもせずに中に入ると、ベッドで寝ていたアルファが、目を覚ました。


「アルファ。

調子はどんな感じ?」


 アルファは、気怠だるそうに体を起こす。

 常人なら、まだ起きられないほどの気怠だるさなのだろう。


「だいぶんよくなりました。

数日後には動けるようになります」


「それはなによりだわ」


 クレシダはコップに、水を注いでアルファに差し出す。

 アルファはコップを受け取ると、頭を下げた。


「申し訳ありません」


 クレシダは大きなため息をつく。


「それはもう聞き飽きたわ。

アルファは動けないのよ。

動ける私が、こうするのは当然でしょ」


「では……。

有り難うございます」


 クレシダは満足気にほほ笑んだ。

 このときばかりは、年相応といった感じがする。


「よろしい」


 アルファはコップに口をつけて、小さな吐息を漏らした。


「クレシダさま。

会議は終わって、下準備は完了ですか?」


 クレシダは苦笑しつつ肩をすくめる。


「ええ。

愛しい人アルフレードが思うようにさせてくれなかったけどね。

まあ……60点ってところよ」


「それだと及第点ではないような……」


 クレシダは、先ほどのほほ笑みと真逆の冷笑を浮かべる。


「現時点ではね。

でも人が集まりはじめたわ。

この時点で、私の目的は最低限達成しているのよ」


 アルファは再び、コップに口をつける。


「人類連合に人を集めることがですか?

たしかに大勢集めれば揉めますけど……。

ラヴェンナ卿なら……なんとでもしてしまいそうです」


 クレシダはアルファから、空になったコップを受け取る。

 一瞬なにかを考える顔になった。

 すぐに笑って指を鳴らす。

 水差しから水が飛び出た。

 水はアーチを描いて、コップに収まる。

 面倒臭くなったらしい。


 クレシダは笑いながら、コップをアルファに差し出す。


「そうはならないわ。

愛しい人アルフレードでも、牛を鳥に出来ないもの」


 アルファはコップを受け取って、首をかしげる。


「意味がわかりません」


「そうねぇ。

作られた人の本性かな」


「作られた……ですか?」


 クレシダは真面目腐った顔でうなずいた。


「そうそう。

私たちの遠い祖先は、サルに近かったのよ。

光の門から現れた古代神が、サルに手を加えたの。

私たちが使っている魔法と違うなにかでね。

そうして人になった。

これは知っているでしょ?」


「聞きました。

あまり意味がない話だと思いますが……」


 クレシダは笑って手をふった。


「大間違いよ。

そもそもアレが神なのかも謎だけどね。

問題はそこじゃないのよ。

サルを人に変えるときにね……。

ここをいじられたの。

一時の変化じゃないわ。

親から子。

子から孫へと引き継がれる類いの改造ね」


 クレシダは笑って自分の頭を指さす。

 アルファは無表情に首をかしげた。


「頭ですか?

脳みそが入っていますね。

思考や感情に影響する、としか聞いていませんけど」


 クレシダは皮肉な笑みを浮かべてうなずいた。


「それをいじられて、どうなったか。

それが問題よ」


「サルから人に変えるために、頭脳を大きくしたのではありませんか?

そう聞きました」


「それだけじゃないのよ。

もっと厄介なものを仕込んでくれたわ。

人にとって醜い根源。

他人を妬み、自分以外の不幸を喜ぶ負の感情。

自分が手を下さず、他者が不幸になると、幸せな気分になるでしょ。

その幸せな気分になる振れ幅を大きくされたの」


 アルファは無表情に、視線を落とす。


「その感情を植え付けられたのですか?」


「ちょっと違うわ。

元からあったのを、強くでるようにした感じね。

この術を成功させるのに、一体何人のご先祖さまが、失敗作になったのやら」


 口ぶりとは裏腹に、クレシダは笑っている。

 もとより道徳的な観念で、行動を制約しないのだ。

 自分でもやるだろうと思ってすらいる。

 純粋な知識欲のためだけに。


「クレシダさまの話ぶりからして……。

祖先は実験動物だったのでしょうか」


「多分ね。

それだけじゃないの。

様々なドス黒い感情を増幅しやすくしてくれたわよ。

ほんと悪趣味よねぇ」


 クレシダは、悪趣味と言いつつ楽しそうな口調だった。

 やったことは理解出来る。

 されたことは気に入らない。

 そんな感じである。


 アルファにとっては、遠い昔のことなので、どうでもいい話題だった。

 それでもクレシダが、なにかを教えてくれるのなら、喜んで聞く。

 それだけだった。


「耐性を下げたのですか」


「そんな感じね~。

普通の人なら見たくないと思う感情よ。

さっきのは穏便な部類ね。

自分から積極的に、なにかをしないから。

それよりもっと直接的な攻撃性に結びつく感情は、念入りに仕掛けたみたい。

弱者が、強者に対して持つ怨恨えんこんや、復讐ふくしゅう感情よ」


 アルファは首をかしげる。

 言葉の意味はわかるが、今一実感出来ないからだ。


「弱者と強者って、貴族と平民ですか?」


「それだけじゃないわ。

金持ちと貧乏人も、そうだしね。

要するに持てる者と、持たざる者よ」


「それは妬みや嫉妬ではないのですか?」


「それらは、怨恨えんこんに含まれるってだけよ。

自分は持っていないのに、相手は持っている。

『ズルい』とか『不公平』なんて聞くでしょ?

持たざる者は、他者の利益を容認出来ないのよ」


 この説明なら、アルファにも理解出来た。

 たしかに、よく聞くからだ。

 持たざる者が持てる者に対する非難として。

 直接面と向かっていうことはないが、持たざる者同士ではよく使われる。


「それが直接的な攻撃に結びつくのですか?」


「切っ掛けさえあればね。

持てる者が、過失を犯した場合なんてそうね。

どこからともなく無関係な人間が群がってくるでしょ。

そして持てる者を叩く。

砂糖に群がるアリのようにね」


「普段温和な人も別人のようになりますね」


 クレシダは、楽しそうに目を細めた。


「それだけ砂糖の香りは強いのよ。

『許せない』と思う感情が、『ざまあ見ろ』という麻薬に変わるもの。

この快楽は麻薬より強いわ。

そんな麻薬で高揚した連中の顔はどうかしら?

醜悪な顔で『正義を果たした』だとか『メシウマ』なんて言っているのよ」


「たしかに生理的に受け付けないものがありますね。

そんな麻薬に溺れやすくさせられたのですか」


「そんなところね。

群衆に紛れて個性が消えたときに、砂糖の香りは一段と強くなるわ。

自分が咎められないと思った瞬間に、タガが外れるのよ。

麻薬の高揚が去ると、何事もなかったかのように日常に戻るでしょう。

高揚していた間だけ意識理性を失っていたかのようにね」


 アルファは、小さくため息をつく。


「リンチをする人たちは、特別に凶暴とは思えないですね。

そのときは、すごい攻撃性の塊ですけど……。

終わったら役を演じていたかのように、平常に戻りますからね」


「ええ。

一応戻れるわよ。

でも麻薬の快感は、体に刻み込まれる。

次はより簡単に、意識理性を失うわ。

そもそも次の砂糖を、無意識に探すわよ。

そのうち中毒になると手遅れね。

攻撃し続けないと落ち着かなくなるからね。

そして滅多に意識理性が戻らなくなるわ。

意識理性を失っていたら、それを自覚しようがないでしょ?

もうオシマイよ」


 アルファは、小さく首をふった。


「言われると恐ろしい性質ですね」


「正直言って洒落にならないわ。

これは古代神の呪いよ」


「なんのために、そんなことを?」


 クレシダは声を立てずに笑った。


「古代神にすれば、人間が団結して歯向かってこられると面倒なのよ。

だから神とは違うと思っているわ。

神ならそんな手間をかけなくても制御出来るはずだもの。

まあ……定義はおいておきましょ。

一致団結しないように人の持つ攻撃性を、より強くした。

それと同じくらい、自分の属する集団への帰属意識も高めたの。

だから別のグループに対しては、とても攻撃的になるでしょ。

さらに統治を容易にするために、制裁でえられる快感を増したのよ」


「制裁で快感ですか? それが統治とどう関係するのでしょうか……」


「制裁とは罰を与えることよ。

グループの規範に反したら制裁されるでしょ。

そんな相手には、なにをやっても許される。

正義は我にありって感情。

相手が成功者であるほど、この制裁は苛烈で容赦がなくなる。

怨恨えんこん復讐ふくしゅう感情の捌け口ってことね。

これは統治の安定に寄与するわ。

持たざる者はストレス発散出来るし、規範を守らせる効果があるもの」


「制裁と言われましたが、本当は捌け口なのですか?」


 クレシダは懐に手をいれて、煙管を探そうとしたが……。

 すぐにやめた。

 負傷者の前で、喫煙は控えるらしい。

 らしくないようで、クレシダにとっては自然な行為だった。

 つまり相手によって、行動が変わるのである。


「そのとおりよ。

人は他者を攻撃する生き物として作られてしまったの。

いわば本能よ。普段はそれを抑えているだけ。

だから香り大義名分があれば、砂糖制裁対象に群がるってわけ。

香り大義名分がしないと、たとえ目の前に砂糖制裁対象があっても無視するわ。

群れないと制裁出来ない……ともいうわね」


 アルファはクレシダが目の前で喫煙しても、気にしない。

 だが……そう言ってもムダなので諦めている。

 既に、何度も同じやりとりがあったからだ。


「どうして群れないとダメなのでしょうか?」


 クレシダは再び懐に手をいれる。

 今度は、コンフィズリー《糖菓》を取り出して、満面の笑みを浮かべた。

 まずアルファに手渡す。

 そして懐から自分の分を取り出し、口の中に放り込んだ。


「ひとりで暴れることは珍しいでしょ。

でも群衆になったら簡単に暴徒の群れと化すわ。

群集心理とか色々あるのよ」


 アルファは無表情に、コンフィズリー《糖菓》を、口の中で転がしている。


「個人なら子羊。

群れると狼ですか……」


「そうなるわね。

そもそも攻撃性の発露よ。

つまり一方的に攻撃しないと、その欲求は満たせないわ。

正義の名の下に制裁を加えるのよ。

そこで反撃されたらおかしいでしょ?」


「安全かつ建前がないと攻撃出来ない……。

人とは、そこまで卑劣な生き物なのでしょうか」


 クレシダは笑って手をふった。


「原始的な生存本能でしょ。

人は群れないと生きていけないわ。

群れの規律を乱されては困るもの。

群れを守るための制裁よ。

それにね……。

皆で制裁を加えたのに、自分だけ復讐ふくしゅうされたら損じゃない。

そんな不公平を人は絶対に飲み下せないわ。

だから安全であることが大事なのよ。

これらの行為を理性ではなく、本能でやっているの。

本能を善悪で測っても無意味よ」


「生きていくための本能ですか。

それなら善悪とは違う次元の話ですね。

もしかして無関係な人まで制裁に参加するのは……」


 クレシダは楽しげにウインクする。


「普段抑えている攻撃性を発散出来るのよ。

これは大きな快感なの。

アリが砂糖に群がるのと一緒よ。

だから皆が喜々として参加するでしょ?

それを止めようとしたらダメ。

一度解き放った攻撃性は、相手を徹底的に叩きのめすまでは収まらないもの。

これって近くで傍観していると危険なのよ。

参加しないと飛び火するからね。

全肯定以外は敵になるわ。

敵扱いされたら終わりよ」


 アルファは大きなため息をつく。


「全肯定以外は敵ですか……。

実は認めて欲しいのではなくて、ただ攻撃したいだけなのですね」


「ええ。

そんな連中って、無節操に噛みつくでしょ?

認めて欲しいだけなら、閉じた世界で慰め合っていればいいのよ。

でもそれをしない。

気に入らないものを探しにいって噛みつく。

これは攻撃対象に依存しているのだけど……。

攻撃しているから依存ではない、と思い込むでしょうね。

でもこれは極度の依存よ。

自分ひとりで自分を保てないほど脆弱な精神だからね」


「弱いからこそ噛みつきまくるわけですね。

弱い犬ほど良く吠える……とはよく言ったものです」


「まあね。

実は無理もないのよ。

今の世界は、この醜い本性を見ないことにしているわ。

それが普通なの。

でもね……。

直視しない人ほど、簡単に中毒になるのよ」


「知っていたら自制してしまいますね」


 クレシダは、楽しげにウインクする。


「そのとおりよ。

そんな前提を踏まえて、もう一つ呪いがかかっているの」


「まだあるのですか?」


「楽しいわよ~。

グループの規模が大きくなると、とてもストレスを感じる呪いがね。

そして規範に反する人が増えるわ。

人数が多いから、違反が増えるわけじゃないの。

ストレスを感じるから規範を破ってしまうのよ。

こんな悪意に満ちた呪いをかけてくれたわ。

神だと思える?」


 アルファは頭をふった。

 古代神と教わってきたが、とてもそうは思えなくなったからだ。


「よくて邪神ですね」


「だから皆は心の奥底で統一を拒むの。

でも頭では一致団結して協力しないとダメだと考える。

その結果として心が反発するわ。

ものすごいストレスになるわよ~。

それが抑えている攻撃性と結びつくのは時間の問題よ。

ラ・サールがやらかした遠因はそれだからね。

自覚しないストレスが攻撃性を増すの。

考えるだけで楽しいでしょ?」


「だからクレシダさまは……。

人類連合がはじまれば成功、とおっしゃったのですか」


 クレシダは笑って、髪をかき上げた。


「そんなところよ。

呪いは太古ほど強力じゃないわ。

随分薄れたけど……。

それでも確実に眠っているわ。

不安や怒りが、その呪いを強く目覚めさせるってわけ。

だから呪いに囚われると、別人のように凶暴で残忍になるわよ」


 ここまで話を聞いて、アルファに疑問が浮かぶ。


「クレシダさまはそれを、よしとしているのですか?」


 クレシダは目を丸くする。


「まさか。

勝手に人の頭をいじられるなんて冗談じゃないわよ。

私が前に言っていたでしょ。

理性が芽生える前に、本能を貪る必要があるって」


「なんのことかわかりませんでしたけど……。

おっしゃっていましたね」


 クレシダは口の中のコンフィズリー《糖菓》をかみ砕いた。


「この呪いはね……。

呪いと自覚しない限り、決して解けないのよ。

かなり困難だけどね。

自覚させるためには、使徒が作った曖昧で歪んだ世界じゃダメなのよ。

曖昧なままだと、呪いは解けないもの」


「もしかしてクレシダさまが、ラヴェンナ卿に執着するのは……」


 クレシダは恍惚こうこつの表情で、胸に手を当てる。


「驚きよね。

ひとりだけ呪いから自由なんだから。

これは誰にでも出来ることじゃないわ。

このままだと一時の奇跡で終わるでしょうね。

どんなに知恵を振り絞ってもよ。

後継者は確実に劣るからね」


「クレシダさまがラヴェンナ卿に協力すれば、絶対に成功すると思います。

少なくとも……。

おふたりが手を組めば、誰も勝てないでしょう?」


 クレシダは残念そうな顔で、ため息をついた。


「それはとても魅力的な提案よね。

でもダメよ。

私の気質が、それを許さないの。

呪いからの解放が目的じゃなくなったしね。

今は誰にも出来ない愛を交わして……。

派手に燃え尽きることだけを考えているのよ」

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