792話 淑女同盟と秘密の花園
半魔騒動も表向きは落ち着いたように見える。
屋敷のガラスも、無事張り替えが完了した。
反動から寝不足だよ。
そして人類連合の交渉は、完全にストップしている。
これを良しとしないサロモン殿下が、精力的に走り回った。
その結果再開にこぎ着けたわけだ。
それだけでは終わらない。
状況が変わったので、至急意識合わせをしたいとの打診があった。
正式な交渉ではないので、旧ギルドなどの出席も認めて欲しいときたもんだ。
クレシダとサロモン殿下の連名だよ……。
現時点で断る根拠が弱い。
仕方なく受け入れることにした。
キアラたちは憤慨していたが、俺はそこまで悲観していなかった。
どうとでもなると思っているからな。
明日修復された会議場で、意識合わせをすると決まる。
この話と入れ違いに、アッビアーティ商会の人間がアポをとってきた。
早いなぁ……。
人類連合の話が、どうもつれるかわからないからな。
今日のうちに会うことにした。
紹介状を一読して、ランフランコ・ソミーリの発言の意味を悟る。
女性を起用したか。
他家相手では、それだけで話がゴタゴタする。
俺ならば問題ないと踏んだようだ。
つまり優秀なのだろう。
リッカルダ・リッツァット。
20代後半のご婦人か。
キアラに聞いても知らないらしい。
モデストとカルメンは知っていた。
アッビアーティ商会の縁者で、頭脳
極めて意志が強い。
そして女性らしい愛想のよさがないとの評判。
カルメンが『自分より女らしくない』と断言するくらいだ。
だから嫁のもらい手がなかったらしい。
たとえ政略結婚でも、相手が誰でもいい……とならないのは世の常である。
有力貴族のパンカーロ家が困窮した際に、援助の条件として結婚したらしい。
しかも正妻としてだ。
どれだけパンカーロ家が困っていたか、想像に難くない。
アッビアーティ商会にとって、それだけのメリットがあるのだろう。
いつまでも独身で結婚しない女性がいると、その家の外聞が悪くなる。
なにか病気ではなど、痛くもない腹を探られるわけだ。
アッビアーティ商会は、商売柄……。
外聞がとても大事だからな。
一度でも結婚すれば、世間体は保てるわけだ。
だから一度結婚して、さっさと離婚をするケースもある。
そこまでしなくても……。
形ばかりの結婚をして、お互いに別の相手を見つけるケースは結構ある。
ふたりから話を聞くと、ちょっと厄介な気がしてきた。
内乱の際に大掃除をしたのだが……。
そこにパンカーロ家が入っていたからだ。
シケリア王国と内通した疑いが持ち上がっていた。
ハッキリした証拠までは掴めなかったが……。
証拠を掴まれる前に、さっさとアラン王国に逃げられた。
シケリア王国には逃げられなかったらしい。
誘いをかけたリカイオス卿に、ハシゴを外されたのだろう。
ランゴバルド王国の内乱は早期終結した。
内通が発覚しては、大変問題になる。
それを大義名分として、シケリア王国の内戦に介入されては堪らないわけだ。
だからハシゴを外す形で切り捨てにかかったのだろう。
そもそもパンカーロは手札に持っていても意味がない。
ランゴバルド王国にいてこそ価値のあるカードだからな。
その後の行方は知れない。
逃亡時リッカルダは置いていかれた。
これにアッビアーティ商会は激怒して、離縁と相成ったわけだ。
ようやく結婚して正妻にまで収まったのにチャラになった。
だから俺に対して悪感情を持っている可能性が高い。
個人の感情と公的な立場は別と考える人なら、問題ないが……。
なにせわからない。
女性には公的な地位がほぼないからだ。
夫の肩書きに執着する女性が大多数なのは現実。
もし悪感情を持っていれば、面会はとても心温まるものになるだろう。
モデスト曰く『なかなかの毒舌家で、男性からは敬遠されている』だそうな。
ただ礼儀知らずではないから、誰彼構わず噛みつくことはしない。
それでも一緒にいて安心できるタイプとはほど遠い……とのことだ。
そんな性格でも、連絡役に起用したのは、それだけ優秀なのだろう。
性格は気にしないが、この大掃除の影響を受けた人物ってのがなぁ……。
思わずため息が漏れる。
「やりにくいですね……。
どこに地雷があるかわかりません」
カルメンが意味深な笑みを浮かべた。
「ああ……。
やっと結婚できたのに、と逆恨みするケースですか。
私は内乱のあとラヴェンナに来たから、まったくわかりませんね」
モデストが目を細めた。
絶対に面白がっているな。
「少なくともラヴェンナ卿の悪口を言って回るタイプではありません。
もしそうなら……。
私の耳に入りますからね」
「むしろそのくらい短絡的なら楽ですよ。
黙って腹に溜め込む人は……。
どんな切っ掛けで爆発するか謎ですからね」
プリュタニスは意地の悪い笑みを浮かべる。
「そこはアルフレードさまの側室に入りたがるかもしりませんよ。
……おっと失言。
忘れてください」
一部女性陣の目が鋭くなったからな。身の危険を感じたのだろう。
側室を希望なんてしないさ。
ランフランコがそんな面倒事の種をもち込むとは思えない。
アッビアーティ商会はあくまで王家御用達。
ラヴェンナにまで色目を使うと、王都での立場が弱くなるだろう。
王家が決定的に没落したならその限りではないが……。
今は違うからな。
「なんにせよ……。会ってみてですね」
キアラが、俺に顔を近づけてきた。
妙な圧を感じる。
「私は絶対に同席しますからね」
仕事なんだから同席するだろうに……。
◆◇◆◇◆
リッカルダが屋敷に来たので、キアラと一緒に会うことにする。
俺たちが部屋に入ると座っていた女性が立ち上がった。
背筋をピンと伸ばしている。
動作が実に直線的でキビキビしているのが印象的だ。
銀髪で青い瞳。
鋭い眼光なのは生まれつきなのだろうか。
美人とは言い難い。
不細工ではないが……。
顔つきがキツいタイプだな。
表情に柔らかさがなく、いかにも気が強そう。
抜き身のナイフとでも評すべきか。
近くにいて安心感を与えることは不得手なのだろう。
年をとるほど、顔がキツくなるタイプかもしれない。
なんにせよジロジロ見るのは失礼だ。
そもそも仕事に支障がなければ、なんの問題もない。
お互いに着席して、挨拶を済ませた。
リッカルダの目が鋭くなる。
違うな……。
目を細めただけか。
「ラヴェンナ卿。
お話をする前に、ひとつ誤解を解いておきたいことがあります」
誤解か。
「なんでしょうか」
「前の夫と離縁した話です。
恨んでいる……と思われては心外ですから。
それでは警戒されて、今後の関係に支障を来します。
ラヴェンナ卿は、人がいいように見えて……。
とても怖い殿方と伺っておりますから。
離縁の話ですが……私はラヴェンナ卿に、とても感謝しております」
離婚したかったわけだ。
政略結婚だと、本人の意志での離婚は難しいからなぁ。
「感謝ですか?」
「はい。
世間体の為仕方なく嫁ぎましたが……。
私にとっては不本意極まりない結婚生活でした。
懲役と勘違いするほどでしたよ」
懲役ときたか。
よほど嫌な相手だったのか……。
もしくは夫婦になってからが大変だったのか。
「気乗りしない結婚だったのですか」
リッカルダは小さく首をふった。
「いいえ。
そこは割り切っていました。
少なくとも妻としての義務を果たすこと。
あとはお互い不干渉にする。
そのような契約を交わしましたから」
政略結婚でも、条件を出すケースはあるけど……。
契約とはまたぶっ飛んでいるなぁ。
普通は暗黙の了解か口約束だろう。
「契約ですか……。
では前夫が契約を履行しなかったと」
「はい。
それより大きな秘密を隠していたのです。
秘密をもつなとまで言いませんが、ものには限度がありますよね」
愛人とか借金がありがちだろうな。
秘密に関しては同意見だよ。
なんでも感でも筒抜けだと、かえって疲れてしまう。
「限度を超えた秘密ですか?」
「愛人程度ならよくあることなので、気にしません。
ところが前夫は少年趣味でした。
女性がそもそもダメだったようです。
私と結婚をしたのも、女性らしさがないからと言われました。
それは事実なので、気にしませんが……。
同性愛者は衝撃的すぎます。
それを知っていたら、結婚などしていません」
キアラは目を丸くしている。
俺も絶句だよ。
正直愛人を認めるなら、異性でも同性でも変わらないと思うが……。
むしろ跡継ぎでもめないぶんマシのような気がする。
俺の考えが特殊すぎるか。
これがリッカルダにとって譲れない一線というわけだ。
「なんと言いますか……」
リッカルダは自嘲の笑みを浮かべた。
なんか変なスイッチが入ったような……。
「私が美人でないことは自覚していますし、気にしても始まりません。
それでも分類上は女です。
それが男に負けて、契約を履行できないなど……。
屈辱以外のなにものでもありません。
履行する気がないのに、契約を交わしたのです。
そもそも詐欺行為ではありませんか?」
まあ酷い話だな。
困窮していたのは、愛人に貢いだからなのかは謎だが……。
「このことを追求してもムダだったのですか?」
「『
そんな変態行為の隠れ蓑にされた女の気持ち。
ラヴェンナ卿はおわかりになりますか?」
こんなの……。
答えようがないだろう。
下手に同情したフリをしても怒らせそうだ。
無関心なフリをしても怒られる。
地雷だらけじゃないか。
「なんとも言葉が見つかりませんね」
リッカルダは、冷たい表情でフンと鼻を鳴らした。
「しまいには攻め役になりすぎて、腰痛になりました。
だからと受け役に回って、痔になる始末。
トドメとばかりに性病にまで罹ったのです。
天罰だ……と内心ほくそ笑みましたよ。
その頃には、前夫には触れられたくもありませんでした。
見下げ果てたことに、性病に罹ったと知ってからも、行為をやめません。
痛み止めまで飲んで没頭していました。
節操なく相手を増やしていましたからね。
あれならサルの方がずっと賢いでしょう」
なんか感謝と言いつつ……。
言えなかった元旦那の愚痴を吐きたいだけではないのだろうか。
ものすごいエネルギーと粘度を感じる。
そもそも名前すら呼ばないのは、怨念の深さを感じるよ……。
俺なら怒らないと確信してだ。
値踏みされたことは少々不快だが、敵を増やすのは避けたい。
とくにこの手の女性を敵に回すと厄介だ。
「自棄になったのでしょうかね」
「あんな変態の気持ちなど知りたくもありません。
いっそ殺してやろうかと思いましたが……。
親族に迷惑がかけります。
それに……」
この様子からなにを思ったのかは明白だな。
「楽にさせたくなかったと」
リッカルダはようやく笑顔になった。
「よくおわかりですね。
そんな日々も突然終わりました。
ラヴェンナ卿に目をつけられた、と気がついてアレは逃げたのです。
危険を察知する能力は、小動物並みに鋭いと呆れ果てました。
そのお陰で懲役刑から解放されたのは事実です。
だから感謝していますし……。
アレのことで、気を使わないでください。
ただ……どのように野垂れ死んだかなら、喜んで聞きます」
この人……
いいけどさ。
アッビアーティ商会も手を焼いていたろうな。
「さすがに消息までは調べていませんね……」
リッカルダは、突然ハッとした顔になる。
愚痴をぶちまけすぎたと気がついたようだ。
「失礼しました。
敢えて常識外の物言いをしたのは、私の真意を知っていただきたかったからです」
そういうことにしておこう。
愚痴が止まらなくなったと指摘しても意味がない。
それに真意は嫌というほどわかったよ……。
「では……。
リッツァット夫人と呼ばれるのは不愉快でしょうね」
リッカルダは、軽く頭を下げた。
「お気遣いに感謝の言葉もありません。
出来れば夫人呼びをやめていただけると助かります。
あの結婚生活は、私にとって思い出したくもない黒歴史ですから」
「リッツァットさんと呼ばせていただきます。
これなら不服はないかと」
リッカルダは小さく胸を撫で下ろした。
心底嫌いなようだ。
「感謝いたします。
それでお気遣いの返礼ではありませんが……。
これをお渡しする決心がつきました」
リッカルダが封筒を差し出してきた。
封はされていない。
さて……どんな中身なのやら。
「これは?」
「見ていただければ、おわかりになるかと」
封筒の中身を読んで驚いた。
ランゴバルド王国内の人脈が、見事に整理されている。
皆が全容把握を諦めていた複雑怪奇な人間関係を整理しているとは。
優秀なのは本当のようだ。
キアラにも見せる。
キアラも驚いたようだ。
「これはすごいですわね。
なにか伝手でもありまして?」
優秀なだけでは不可能だ。
なにか人脈を持っていない限りはな。
リッカルダが薄く笑った。
これ……ほほ笑んでいるつもりでも、冷笑に見えるな。
人間関係で、絶対に損をするタイプだ。
「人脈と言っては大仰ですが……。
こう見えても、人付き合いはありますから。
あとは色々なお話を聞いた上で、私なりに整理した結果です」
目立った付き合いなどないと思う。
少なくとも取り次ぎ役のキアラが知らないほどだ。
「失礼ですが……。
社交界でも無名ですよね?」
「そっち関係ではありません。
趣味でちょっとした交友関係があります」
なんだろう。
すごく嫌な予感がする。
この手の
「趣味ですか……。
あまり立ち入らない方がいいかもしれませんね」
「そうしていただけると助かります。
ただどんなものか……。
それをお話しするのはやぶさかではありません。
疑念を持たれるのは不本意ですから。
そうですね……。
そちらの商務大臣ヴェドラルさまも、同好の士です。
ヴェドラルさまは私のことを知らないでしょうけど」
キアラが露骨に視線を逸らす。
聞かないでくれと言っているな。
同好の士……。
パヴラ……。
もしかしてアレか?
「まさか……」
俺の顔を見たリッカルダは、ニンマリと笑う。
「そのまさかです。
淑女たちはそれぞれ、グループに所属している……。
ご存じですか?」
考えてみれば……。
そんな面に出ないような、薄い本を入手するなら……。
コミュニティーが必要だ。
「そうでないと簡単に入手できないでしょうね」
「そんなグループ間でも、交友があります。
私はとあるグループのリーダーなのですよ。
ヴェドラルさまは社会的身分から大物扱いですね。
わりとこの界隈では有名です。
言っておきますが……。
ヴェドラルさまは仕事に関わる話を、一切しないそうです。
仕事と趣味は別だそうですから。
だから機密が漏れることはありません。
あしからず」
そんな機密を漏らすことはないだろう。
耳目の目をかいくぐっての機密漏洩は困難だ。
薄い本の趣味は、キアラが既に把握している。
それ以上言わないのは、公的な情報は漏らしていないからだろう。
「私としては……。
仕事が出来るなら、どんな趣味でも構いませんよ。
他人に迷惑をかけないならね」
「ラヴェンナ卿が個人の趣味に、理解のある方とは聞いていました。
ヴェドラルさまの趣味を知っても、何も言わなかったのですから。
それでも直接会ってお話しするまでは、判断を保留しておこうと思ったのです。
多数の理解が得られる趣味ではありませんからね。
ただ先ほどの話から、人格や趣味に立ち入らない方だと確信しました。
だからこれをお渡しする気になったのです。
普通は嫌悪……よくて敬遠されますから」
出所を聞かれると面倒だからな。
この情報は、いわば好意の表れだ。
情報の提出までは求められていないのだから。
そして活動の黙認も望んでいるのだろう。
しかし……腐女子のネットワークか。
一体、どこにどれだけ潜んでいるのやら。
他人に強制しなければ構わないけどさ。
それより……。
なんか矛盾していないか?
こんなことが気になる自分の性分が呪わしい。
「その方が楽だからですよ。
それでもちょっと気になりますが……。
元夫の美少年趣味は嫌悪しているのですよね」
リッカルダは一瞬、呆気にとられた顔をした。
まさか指摘されるまで気がつかなかったとか?
「現実と妄想は別物ですから。
私たち『淑女同盟』は、あくまで空想の世界を楽しむ集まりです。
そんな空想の世界に、現実のようなスネ毛が生えていたら……。
萎えますよね?
一部ではそれがいいと好まれる淑女もいますが……。
その淑女も、空想の男同士の絡みだからこそ萌えると言っていました」
なんとなく理解できる自分が悲しい。
しっかし……。
コミュニティーに名前まであるのか。
「そんな名前まであるのですか……」
「ヴェドラルさまは違うグループです。
たしか『秘密の花園』だったかと」
いらんことまで口にせんでええわ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます