791話 妊娠騒動

 ガラスより前に、ラヴェンナからの知らせが届いた。

 シルヴァーナ・ダンジョンの崩壊だ。

 ダンジョンが突然霧に包まれて……。

 気がついたら炎の柱が立ったらしい。


 鎮火した跡、ダンジョンは完全に崩壊していたとのこと。

 奇跡的に死傷者はなかった。

 中で作業をしていた人は、気がついたら外にいたらしい。

 アイテールが気を使ってくれたからな。

 ダンジョンの崩壊に、シルヴァーナが頭を抱えたらしい。

 

 外部からの侵入者が、半魔の封印を解いたから、アイテールの逆鱗げきりんに触れたと返事をしておこう。


 ミルの報告がとても申し訳なさげだ。

 ラヴェンナはミルに伝えていなかったのか?

 それとも説明が出来ないから、不明としたのだろうか……。


 どちらにせよフォローしておく必要があるな。


 クレシダの手先が、どうやってラヴェンナに潜り込んだのか……。

 知りたいところだな。

 もう半魔を焚き付けることはしないだろうが……。

 潜入工作ならありえるからだ。

 この話も付け加えて、調査を頼もう。


 それに関連した報告があった。

 素材にしていた魔物の件だな。

 あの供給が途絶えると、少々面倒だ。

 人工的につくるまで至っていない。

 そもそも出来るのかって、話もある。


 最悪は代用品の発明が必要になると考えていた。


 魔物は地下都市と共に消えたわけではない。

 果たして朗報なのだろうか。

 どうやらダンジョンだから発生しているわけではないようだ。

 シルヴァーナ・ダンジョン跡近辺でも出没するらしい。


 同じ魔物かと言えば、そう断言も出来ない。

 微妙な変化があったからだ。

 色が変わっただけですまない。

 体も大きくなり、凶暴になったそうだ。

 なぜそう思ったのか不明だが……。

 なんだ……その使い回しは、と思ってしまった。

 素材不足には陥らずにすむが、危険度が増したから、討伐報酬もあがる。

 これは仕方ないな。


 凶暴化の原因は、日の光なのか……。

 もしくは、契約の山が吹き飛んだことによる魔力の乱れが影響なのか。

 契約の山が関係していると、ラヴェンナ全域で調査が必要になるな。

 今はそこまでする余裕がない。

 局所的なものであることを祈ろう。


 パトリックとレベッカが主体になって、原因を調査するらしい。


 このリニューアル使い回された魔物たちは、テリトリーからでてこないのが幸いだ。

 シルヴァーナ・ダンジョン跡地一帯は、魔物が闊歩かっぽしている領域となった。

 呼び名はシルヴァーナ・ランドになったらしい。

 思わず笑ってしまった。


 まあ……。

 半魔があふれ出るよりはマシだ。

 アイテールに感謝こそすれ、文句をいうのはお門違いというものだろう。


 ともかく、魔物に関しては任せておこう。

 今は、そっちに思考を回す暇はない。


 それと、もうひとつ大きな報告があった。

 教会関係者が、マリー=アンジュに接触を試みているらしい。

 現在の教会では、使徒騎士団を動かす権威が不足している。


 追放されたとはいえ……。

 正妻だったマリー=アンジュであれば、資格十分と考えたようだ。

 事実、使徒騎士団の中には、マリー=アンジュの支持者が多い。

 つまりマリー=アンジュを傀儡にして、自由に使徒騎士団を動かそうとする輩がいるようだ。


 これが出来ると考えたのは理由がある。


 使徒の死亡とハーレムメンバーの全滅は、オフェリーが伝えた。

 隠しきれないと悟ったようだ。

 マリー=アンジュは表向き、大きく動揺しなかったらしいが……。

 内心はわからない。

 ひとりだけ生き残ったことに、後ろめたさがあれば……。

 容易に操れるだろうな。


 恐らく相手もそう考えたに違いない。


 ところがなぁ……。

 外部が勝手に思い込めるほど、現実は単純じゃない。


 使徒の死を伝えたオフェリーは、マリー=アンジュをなんとか元気づけようと色々考えたようだ。

 屋敷に籠もっていては、自責の念に押しつぶされる、と心配したのだろう。


 たどり着いた結論は、治癒術の講師をすることだ。

 オフェリーがやっているヤツだな。

 マリー=アンジュの技量は、オフェリーに比べれば大きく劣る。

 それでも普通の人よりははるかに上だ。


 子供に基礎を教える程度なら問題ない、と考えたらしい。


 これにはクリームヒルトの許可が必要になる。

 クリームヒルトは難色を示したが……。

 オフェリーのしつこさと、デルフィーヌのアドバイスで受け入れることにした。


 デルフィーヌ曰く。


『ラヴェンナでは人生をやり直すことが出来ますから。

私はアルフレードさまたちに、手助けをしてもらえました。

そのおかげで結婚して子供まで授かったのです。

それに……趣味を共有する友人までも出来ました。

今度は私たちがやり直す人に、手を差し伸べるべきでは?』


 先代の教育大臣に、そう言われては、クリームヒルトも反対できなかったらしい。

 筋肉の趣味まで言わなくていいだろうに……。


 クリームヒルトは、マリー=アンジュに対して思うところがあるのは知っている。

 ミルたち全員が、大なり小なりその感情を持っている。


 だが反対は意地悪からじゃない。

 子供や親から、マリー=アンジュが非難されたときどうするのか。

 その結果非難する側とされた側、両方傷つくことになる。

 それを心配したのだろう。


 だから俺は一切口を挟まなかった。

 どちらが正しいかの問題じゃないからな。


 それに、もしこじれたときは……。

 俺が後始末をすればいいだけだ。


 それにしてもやはり手を突っ込んできたか……。

 マリー=アンジュは、操りやすく便利な傀儡と考えられやすい。

 使徒ハーレム自体が、自分の意見を持たないような集団だからな。


 アレクサンドルもそれを承知しているはずだ。

 だから元気になっても戻してくれと言わないのだろう。


 たまに届く書状で匂わせすらしていない。

 様子だけは、叔父として知りたい感じだったな。


 マリー=アンジュの件は、既に多くの人が関わってしまっているのだ。

 それらを無視して、自分たちが自由に出来る、と思っているのか?

 実に不愉快だ。


 そんな勝手なことが出来る、と思うのは自由さ。


 普通なら、俺に話を通す。

 少なくともアレクサンドルに、話を通すべきだろう。

 拒絶されたから、独断で動いたのかもしれないな。


 既成事実を積み上げて追認する、とでも思ったのか。

 俺も随分と舐められたものだな。


 これを実行したヤツが、どこに所属しているのか……。

 調べてもらうことにしよう。


 ラヴェンナに、汚い手を突っ込んだならどうなるか。

 腕ごと食いちぎられることくらい覚悟してもらおうか。

 しなくても一向に構わないがな。


 オフェリーからの手紙には、『もう……マリー=アンジュを、誰にも利用させたくない』とあった。

 偽らざる心境だろう。

 マリー=アンジュの処遇に関しては、オフェリーに一任している。

 だからオフェリーの意向に沿う形で、俺も対処しよう。

 マリー=アンジュの意志は、オフェリーが確認すればいい。


 こうするのは善意だけではない。

 むしろ計算がほとんどを占める。

 マリー=アンジュを手元に置くことが、使徒騎士団への大きな牽制になるからだ。


 ラヴェンナの利益になるから、そうしているにすぎないだけさ。

 仮に不利益になるなら、とっくに送り返している。


 それにしても……。

 留守の心配はしていないが、色々と問題が持ち上がるな。


 俺に報告を終えたキアラは、少し困惑気味だ。

 歯切れが悪いな。

 まだ、なにかあるようだ。


 公務とは関係がない問題だろうなぁ。

 聞いておくか。

 俺が聞いてもいい話ならな。


「どうしましたか?」


「あ~。

なんと言いますか……。

今は忙しいでしょう?

ごくごく私的な内輪の話も届いたのですわ」


「内輪ですか。

もしキアラとカルメンだけの話なら、報告は不要です」


 キアラは小さく首をふった。


「家族の話題ですわ」


 ミルかオフェリーじゃないな。

 それなら報告するはずだ。


「なら聞かせてください」


 キアラが、小さくため息をついた。


「前にオフェリーから、エテルニタを外にだしてもいいか……と相談された話を覚えています?」


「ありましたねぇ。

屋敷の敷地内ならいいって話ですよね」


 屋敷は、高い塀で囲まれており、猫のジャンプでは脱出できない。

 塀沿いには、建物はないしな。


「後日オフェリーから報告がありました。

エテルニタが姿をくらましたのですよ」


 オフェリーの運動神経は抜群だけど……。

 猫と比べるのは酷だろうな。

 キアラの様子から、大きな問題にはならなかったようだ。


「それで無事に見つかったのですか?」


 キアラはクスリと笑う。

 どうやら、大事には至らなかったようだな。


「ええ。

オフェリーが涙目になって、親衛隊も巻き込んで、大捜索となりましたわ。

お姉さまの植物感知も引っかからなくて……。

人とか大きな生き物でないとムリっぽいですわね。

大騒ぎしている間に、ひょっこり戻ってきましたの。

ご飯の時間だったようですわ」


「そのときのオフェリーは辛かったでしょうね。

私に一言も言って来ないのは、心配を掛けたくないからでしょうが……。

そのまま行方不明にならなくてよかったですよ。

エテルニタの腹時計は完璧だったと……」


 キアラは苦笑してうなずいた。


「手紙で平謝りしていましたわ。

最初は腹が立ちましたけど、私たちが許可をだしましたし……。

オフェリーを責める気にはなれませんでしたわ。

エテルニタは結構大きいから、本気で逃げる気になったら、私たちでは止められませんもの」


 洗うときに地獄を見たようだしな。


 安直にオフェリーを責めないとは、立派に成長したものだ。

 ちょっと感慨深いものがある。


 人間誰でも瞬間的に、腹が立つこともあるだろう。

 問題は怒りとの付き合い方だ。


 怒りは感情の激流。

 その激流には、自分を責める木や石が混じっている。

 これらに傷つけられることを恐れると……。

 激流に流されるまま他人を攻撃するだろう。


 そんな他人への攻撃を嫌って、流れに抗うと……。

 傷つきながら自己嫌悪に溺れる。


 どちらも繰り返すと癖になるのが厄介だ。

 こんな不安定な感情との付き合いは、人である限り一生続くからな。

 完全な答えなどないのだ。


 なんにせよ、キアラの態度はオフェリーも救うだろう。

 ふたりの関係が悪くなると、エテルニタにとってもストレスだ。

 誰にもいい結果をもたらさない。

 

「それはよかった。

これは……すべてに対してですよ」


 キアラは俺の言葉の意味を理解したのだろう。

 嬉しそうにうなずいた。


「ええ。

カルメンも私と同じ意見ですわ。

オフェリーがとても、エテルニタを大事にしていることはわかっていますから」


 それなら一安心だ。

 安心したところで、苦笑が漏れる。


「それにしても人騒がせな話ですね……」


「話はそれで終わらないのです」


 まだ続きがあるのか。


「また外にでたがったとか?」


「それはオフェリーが、絶対に認めないから、もう大丈夫ですわ」


 それもそうか。

 オフェリーのトラウマにならなければいいけどなぁ。


「ではなにが?」


 キアラはなんとも微妙な表情になる。

 はじめて見る表情だな。


「妊娠ですわ」


 空耳か?

 俺は疲れているのだろうか?


「はい?」


 キアラが少し頰を赤らめる。


「逃げ出したのは交尾のためだったらしいのです」


 なんてこったい。

 わかるけどさ。

 そもそも屋敷に、野良猫が入れるのか?

 使い魔は入れない仕組みにしてあるが……。

 野良猫が入れるような塀の高さじゃないぞ。


「………………。

そのお相手は?」


「どうも屋敷に忍び込んだ雄猫がいたらしいのですわ」


 まあ誰かが連れてこなければ、そうなるよな……。

 そもそもどうやって入った?

 飛び移れるような建物は、近くにないし……。

 親衛隊の宿舎は、屋敷の敷地内だ。


「あの塀を跳び越えて侵入できたのですか?」


 キアラが、笑いを堪えきれずに吹き出した。


「塀の清掃に使っていた台座を利用したようですわ。

翌日に敷地内で使用人が見つけましたの。

そのときは妊娠したと知らなくて、そのまま逃がしました。

たまたま侵入した日と、外にだした日が重なるとか……。

もう笑うしかありませんわ」


「掃除は大勢でやりますからねぇ。

一瞬の隙をついて侵入ですかぁ。

もしかして……。

ずっと中が気になっていたのかもしれませんね」


「そうですわね。

偶然って怖いですわ。

ともかく妊娠してしまったなら……。

生まれてくる子猫をどうするか。

これが悩みの種ですの」


 子猫を育てる許可がもらえるか心配していたのか。

 何匹生まれるかわからないが……。

 5-6匹生まれようものなら、3人で世話しきれないだろうなぁ。

 キアラの様子を見ると、なにを望んでいるかよくわかる。

 そうだなぁ……。


「子猫が生まれたら、エテルニタが直接面倒を見るでしょう。

ただ……。

母乳を卒業したら大変になりそうですね」


 キアラは大きなため息をついた。


「カルメンとどうしようか、と相談していますけど……。

結論はでずじまいですわ」


「そうですねぇ。

子猫は、引き取り手を探しても……飼ってもいいですよ。

さすがに今まで通り、すべての面倒を見るのは難しいでしょう。

使用人たちの手を借りてもいいですよ」


 キアラの顔がパッと輝く。


「いいのですか?」


 あそこまで、ちゃんと配慮していたのだ。

 ご褒美というわけではないが、手を貸してもいいだろう。

 俺ではないが……。


「ええ。

今までキアラたちが、エテルニタとどう接してきたか……一応は見てきましたから。

仕事に支障をだしていません。

それにエテルニタの世話をしっかりしていたでしょう。

私から、何もいうことはありません。

だからキアラたちの好きなようにしていいですよ」


「ありがとうございます!」


 ここまで喜ぶのは、久しぶりに見たな。

 俺まで、自然と嬉しくなる。


「やっぱり本心では飼いたかったと」


「猫の出産は多頭ですから。

兄弟を引き離すのは、気が引けたのですわ」


 なるほど。

 選んで手元に残すつもりはないと。

 そうなるだろうな。

 手放すと、選別をした気になって嫌なのだろう。

 手放すなら全部だろうな。


 猫が兄弟寄り添って生きるのかは知らないが……。

 キアラたちなら悪いようにはしないだろう。


「なるほど。

これは賑やかになりそうですね。

とんだ妊娠騒動ですよ」

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