789話 閑話 後始末
半魔がスラム街から発生したときのこと。
クレシダ・リカイオスは部屋で、楽しそうに煙管をふかしていた。
スラム街での悲鳴は、ここまで届かない。
だがクレシダは聞こえるかのように、時折目を細める。
アルファは無表情のまま、グラスにワインを注ぐ。
「クレシダさま。
ご機嫌ですね」
「ええ。
可愛そうな人たちが救われるのよ。
いい気分じゃない。
この叫び声が、彼らの生きた証しよ。
とてもいい歌じゃなくて?」
アルファは無表情に、窓の外を見る。
アルファにも聞こえているが、そもそも無関心なのだ。
「結局ラヴェンナ卿は動きませんでしたね」
クレシダはフンと鼻で笑う。
「当然よ。
そうでなければ……なにもしないでしょ。
前にヒントをもらったからね。
ようやく、あの謎めいた考えの一端に触れることが出来たわ」
「『すべては一切が完』ですか。
意味不明ですよ」
「私の考えへのアンチテーゼでもあるわ。
歪んでいるから壊そうとする私に対してね」
「壊す権利はないという意味でしょうか?」
クレシダは苦笑して、煙管をふかす。
「私も最初は、そう思っていたけどね。
そんな単純な答えじゃなかったわ。
この世はすべて完璧。
そう言っているのよ」
アルファは無表情に、眉をひそめた。
「こんな歪な世の中がですか?」
クレシダは、楽しそうにほほ笑む。
「ええ。
私の考え方もね」
「意味がわかりませんよ」
「この世にあるものは、すべてなるべくして……なったってことよ。
予想外なんて、自分の思い込みにすぎないってこと。
だからあれだけ平然としているのよ」
「それがなにもしないと、どう関係するのですか?」
クレシダは煙管をふかして、目を細めた。
「
スラム街に注意すべきだって。
皆は聞き流していたけど。
皆が聞き入れないなら、この結果はなるべくしてなる。
そう割り切っているのよ。
腹を立てることも、責任を感じることもない。
呆れるほど徹底しているわ」
アルファは片方の眉をつり上げる。
不機嫌になったときのサインだ。
これはクレシダにしかわからない。
「これのどこが……。
クレシダさまへのアンチテーゼなのですか?」
アルファの不機嫌な様子に、クレシダは苦笑する。
「私は多くのものに、価値を定めているでしょ。
この曖昧な世界が気に入らない。
だから壊すのよ。
そもそも相手にしていないのよ。
実に不愉快よね。
世界を舞台にすれば、本気をだしてくれると思ったけど……。
見込み違いだったわ」
言葉とは裏腹に、クレシダは大変上機嫌だ。
アルファはため息をつく。
「とても不愉快に見えませんよ。
そもそも……。
ラヴェンナ卿は、クレシダさまと戦っているように見えますけど?」
クレシダは苦笑して、グラスを揺らす。
「違うわ。
私の目指す真実に対して……。
別の真実を提示するだけよ。
戦っていないの。
だからこそ、振り向かせたいわね」
「それで半魔の封印を解きにいかせたのですか」
クレシダは、楽しそうにウインクする。
「そう。
対策はしているでしょうけど、無傷では済まないでしょ?
足元のラヴェンナが動揺したら、どうなるかしらね」
クレシダは窓辺に立って、スラム街の方向にほほ笑みかける。
「逃げられなかった人は、半魔になったみたいね。
なぜ逃げるのかしらね?
逃げても……いいことなんてないのに」
「生存本能ではありませんか?」
クレシダは、優しげな表情で目を細めた。
「スラムに流れてきた人たちに、未来なんてないのよ。
希望を求めて、ここに来たけど……。
それは蜃気楼のようなものだった。
近づくほど、希望は薄れていくもの。
そして見向きもされず、死んでいくだけ。
その現状から逃げて、次はどんな蜃気楼を追うのかしらね」
「仮に逃げ延びたとしても……。
生きるのは困難でしょうね。
いずれ半魔になるのではと疑われて、どこにも行き場はないでしょうから」
半魔になるのは条件がある。
ところが、ハッキリとした条件は知られていない。
人々が流したデマで、真実が隠れてしまったからだ。
だからクレシダは、わざと曖昧にした情報を流しはじめた。
半魔になった人の近くにいるだけで、半魔になるかもしれないと。
人々はパニックになって、疑わしい者を排除するだろう。
それでも半魔が発生したら?
とても社会など維持できないだろう。
そのとき指導者層はどんな手を打つのか。
クレシダはグラスのワインに、口をつける。
「そう。
それ以外の多くの人は、惰性で生きている。
ただ
そんな人たちは、耳元で囁かれた言葉を信じるでしょうね」
「スラムに流れ着いた人は……。
惰性で生きることすら許されない人たちでしたね」
「ならここで救われた方がいいでしょ。
さっさと死んで、次の人生にかけた方がいいわよ。
脱獄できるのがベストだけどね。
しがみつくならアタリを引いたときだけでしょ?
それなのに……。
ハズレでもしがみつくのは可愛そうね」
アルファは無表情にうなずく。
「そうですね。
ところでどのタイミングで、収拾をつけましょうか」
「もうちょっと救ってからにしましょう。
死んでいるのと大差はないのだし」
「承知しました。
ではあと1時間後でしょうかね」
「そうね。
……!?」
クレシダの表情が厳しくなる。
アルファもただならぬ気配に気がついて、窓辺に歩み寄る。
「あれはラヴェンナ卿の屋敷のあたりでしょうか」
クレシダは、興奮気味に頰を上気させる。
「ええ。
この魔力は尋常じゃないわ。
突然、咆哮がクレシダとアルファの頭に響く。
アルファは崩れ落ちて、クレシダは膝をついた。
窓ガラスが突然割れる。
クレシダのもっていたグラスも、粉々に砕けた。
すぐにクレシダは立ち直って、アルファを助け起こす。
「アルファ。
大丈夫?」
アルファは脂汗をかいており、力なくうなずく。
目と耳から、血が流れている。
「申し訳ありません。
なんとか……」
「アルファは手術を受けていたからね。
この手の魔力に敏感だし、刺激が強すぎるわ。
少し大人しくしていなさい」
クレシダはアルファを持ち上げて、ソファに運んだ。
アルファの息は荒いまま。
少ししてムリに体を起こそうとする。
クレシダはそれを押しとどめた。
「かなり深いところに損傷を受けているようね。
暫くは安静にしていなさい。
これは命令よ」
「はい……。
それにしても、この衝撃はなんでしょうか?」
クレシダは立ち上がって、厳しい顔で外を見た。
「こんな経験ははじめてよ。
なんて話があったわね」
「でもドラゴンは、人の争いに介入しないはずでは?」
「そのはずなんだけどね。
ほんと
……なにか妙な気配がするわね。
ちょっと見てくるわ。
アルファはそのままでいること。
いいわね」
アルファの息はまだ荒い。
諦めた様に、目を
「はい……」
クレシダはアルファの意識が途切れたのを確認する。
戸棚から毛布をとりだして、アルファにかけた。
そのまま部屋をでて外に向かう。
その前に屋敷の様子を探るが……。
使用人たちは全員気絶していた。
クレシダは、小さく天を仰いだ。
「今晩のディナーはなしかぁ……。
やってくれるわね。
ワインしかないわよ」
クレシダはそのまま、屋敷をでる。
屋敷の外は、霧が立ちこめていた。
目をこらすと……。
ベールを被った、古めかしい服の貴婦人が現れる。
盲目なのか、目は閉じていた。
アイテールであるが、クレシダは知る由もない。
それより手にもっている猫じゃらしに、クレシダは吹き出しそうになる。
「貴女がこの騒ぎの原因かしら?」
アイテールは、ベール越しに目を開く。
どうしたものかと思案していると……。
突然、頭の中に抑揚のない声が響き渡る。
『然り。
少々悪戯がすぎるからのう。
釘を刺しに参った』
「人間同士の争いに、ドラゴンは干渉しないと思ったけど?
人がどれだけ死のうとねぇ。
取るに足らないことでしょう?」
アイテールは手にもった猫じゃらしを、クレシダに向ける。
もしかしてドラゴンのお気に入りなのか、と思案してしまう。
『多少は知識があるようだのぅ。
古き娘よ。
だが
クレシダは
「あら? 間違いがありまして?」
『人の争いに干渉しないのは些末だからこそ。
些末で済まぬ場合は、この限りではない』
クレシダは大袈裟に驚いた顔をする。
「今回の騒動が些末ではないと?
随分博愛精神に満ちたお方ね」
怖いもの知らずというべきか。
クレシダは挑発をしてみせた。
ドラゴンの真意や情報を探ろうと、頭脳をフル回転させている。
ここまでなら、大丈夫と踏んでのことだ。
この程度で殺されるなら、とっくに殺されている。
アイテールは目を細めた。
『古き娘よ。
存外俗物よのぅ。
博愛精神で
クレシダは苦笑して、肩をすくめた。
自分が転生していることまで見抜いたようだ。
普通のドラゴンはそこまで気にしないはずたが……。
クレシダには、介入した理由がわからなかった。
アルフレードに肩入れではない、と考えている。
アルフレード本人が、人の争いは人の範囲でやる主義だと知っていた。
そしてドラゴンは人に肩入れすることを恥だ、と思うこともだ。
「他の理由は、見当もつかないわ。
特定の個人に肩入れでもしているの?」
『否とよ。
鼻が曲がるような悪臭を撒き散らすとはのぅ。
悪戯もすぎれば、無視など出来まい?』
やったことはひとつ。
ラヴェンナで半魔を解き放とうとしたことだ。
それがドラゴンにとって、耐えがたい悪臭とは初耳だった。
常人ならこの緊張感に耐えられないが……。
クレシダはこの状況を楽しんでいる。
その最大の要因は、アイテールが手にしている猫じゃらし。
どことなくコミカルで可笑しいのだ。
「ここは、ドラゴンが住むような場所の近くではないわよ?」
アイテールは再び、猫じゃらしの先端を突きつける。
『下らぬ茶番に付き合う気はないぞよ。
もうわかっておろう』
クレシダは軽く頭を下げた。
もとより意地を張るつもりはない。
邪魔をされたが、警告で済ませてくれたからだ。
返礼としての謝罪であった。
こちらの位置は、もしかして匂いでわかったのかもしれない。
クレシダにとっては想定外だった。
ドラゴンの情報は使徒が腕試しで倒すから、殆どない。
お陰でこのザマである。
クレシダは内心ウンザリしていた。
「あら……。
失礼したわね。
まさかあれがドラゴンの嫌う匂いなんて知らなかったのよ」
『故に警告で留めたのよ。
知っておったら、こう会話など出来まいて。
クレシダは内心で舌打ちした。
もうちょっと加減してくれてもいいのに。
あの様子だと……。
アルファが完全回復するのに、1週間はかかるからだ。
だがドラゴンに手加減を求めることが間違っている。
殺さなかっただけよし、とすべきであった。
クレシダは複雑な気分でため息をつく。
「じゃあ……お気に入りに肩入れしたわけじゃないのね」
アイテールは表情をくらませる。
『はてのぅ。
改めて申し渡そう。
人の争いなら、人らしく争っておくべきぞ。
その粋を超えれば、
クレシダはこの程度で、ドラゴンが尻尾をだすとは思っていない。
だが明確に否定されたことに、違和感を覚える。
ドラゴンは噓をつかない。
その必要がないからだが……。
クレシダは知らないが、アイテールは噓をついていない。
アイテールはアルフレードを友人と認めているからだ。
お気に入りという上下関係ではない。
あくまで対等なのだ。
だからお気に入りの話を否定した。
それだけである。
さすがのクレシダも、現時点ではそこに思い至らない。
ただ盟約を結んだ相手は、違う位置づけなのだろう……と考えた程度だ。
「じゃあ貴女の近くでは、大騒ぎをしないことにするわ。
これでいいかしら?」
つまりは人の争いの範囲で留めることだ。
明言していないからと、派手にやれば……確実に殺しに来るだろう。
紳士協定を裏切ると、ドラゴンは決して許さない。
『存外物わかりがいいのう。
それならば
あとは悪戯の後始末をつけることぞ。
ここのな』
アイテールは猫じゃらしをふると、姿が薄れていく。
アイテールの姿が消えると、クレシダは大きなため息をついた。
予定外の審判登場で、方針を変える必要に迫られたからだ。
クレシダは、アルフレードと素敵なダンスが出来ればそれでいい。
いちいちドラゴンに出張ってこられては困るのだ。
「やっかいな使徒がいなくなったと思ったら……。
ドラゴンがでてくるなんてねぇ。
まあ……。
言われなくても、後始末はするけどね」
クレシダは、悠々と歩きはじめた。
目的地が決まっているような足取りだ。
町は静まりかえっており、所々に黒い水たまりがある。
向かったのは、アラン王国の屋敷だ。
半魔の集団が、門を破ろうと群がっている。
100体はいるだろうか。
2階の窓から、サロモンが強ばった表情で眺めている。
サロモンとクレシダの目があった。
クレシダは芝居がかった様子でウインクする。
そのままクレシダが屋敷に近づくと、半魔が振り返る。
獲物を見つけたかのように、クレシダに向かっていく。
クレシダは、静かに指を立てる。
「小麦1升は、銅貨2枚。
大麦3升も、銅貨2枚。
オリーブ油と葡萄酒を損なうな」
この呪文は教会の終末論にある文句だ。
教会への当てこすりとして、クレシダは呪文にした。
クレシダが呪文を唱え終えると、目の前に黒く燃えた馬が現れる。
その馬には、秤とベルをもった骸骨がまたがっていた。
骸骨が騎乗する馬は、半魔めがけて突進した。
半魔と衝突するかと思われたが、何事もなく馬は通り過ぎる。
避けたのではない。
正面からぶつかって、そのまますり抜けたのだ。
通り過ぎるたびに、骸骨がベルをならす。
不協和音が周囲に鳴り響き、サロモンは思わず耳を塞ぐ。
ベルの音だけなら問題はない。
鉄を引っかいたような『キーッ』という不快音まで混じっていた。
騎馬が通り過ぎると、半魔は黒い炎で燃えあがる。
この世のものとは思えない叫び声をあげて、その場で崩れ落ちた。
ベルの音と不快音、そして叫び声のハーモニーは、聞く者すべてを苦しめる。
鳥肌が立ち、寒気に襲われた。
耳を塞いでも頭の中で響き渡るのだ。
これを耳にした者の一部は、気が触れてしまう程である。
騎馬はいつの間にか、姿を消していた。
その場には、苦しむ半魔と……。
慈愛のこもった目でそれを見下ろすクレシダだけだ。
その光景を、サロモンは呆然と眺めている。
叫び声が消えたとき、半魔の姿は消えうせていた。
サロモンが我に返ったとき……。
スキップしながら遠ざかるクレシダだけが、目に映っていた。
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