788話 我慢の限度
最近は人の流入が激しい。
安全そうだ……というのが理由だろう。
各国のお偉いさんが集まっており、元使徒拠点。
襲撃で安全神話に傷がついた。
それも薄れつつある。
あれ以降の襲撃はないからだ。
ただなぁ……。
この流入は危険なので、キアラに調べてもらっている。
全員が安定した暮らしをしているわけではない。
急速に、スラム街が出来つつあるのだ。
そこで気になる報告があった。
対処を指示して、成り行きを見守ることにする。
俺はここの統治権を持っていない。
示唆は出来ても、逆効果になる。
それにスラム街の存在を、多くの人は無視していた。
なんとも歯がゆいところだが、仕方がない。
マンリオがいれば、きっと詳しい状況を調べてくれたろうが……。
残念なことに不在だ。
焦っても、仕方がない。
いつものようにホールで談笑していると、誰か走ってくる音がする。
親衛隊責任者のアレ・アホカイネンが、息を切らして駆け込んできた。
「ご主君! 一大事です!」
クレシダからの最初のプレゼントがきたな。
俺は無言で報告を促す。
アレは息を整えるが、緊張の色を隠せない。
「半魔がスラム街に出現しました。
周辺は大混乱となっています」
マンリオから聞いた症状の病人がでたのだ。
ただ……スラムで衰弱死は、日常の光景。
ましてや病人など誰も気にしない。
「関係者の安全は?」
「そこは抜かりありません。
事前にご主君から、可能性を聞いていなければ……。
取り乱すところでしたよ」
だからこそ事前に可能性を教えた。
これで被害を抑えられる。
「それなら結構です」
そこにライサが、欠伸をしながらやって来た。
「昼間っから騒がしいね。
やっぱりアレかい?」
ライサに対策をしてもらっていた。
「ええ。
半魔です」
ライサは欠伸をかみ殺して、首をポキポキ鳴らした。
「事前に防御対策は仕込んであるから、ここと役人たちの宿舎。
あと新ギルドの屋敷は大丈夫だよ」
「助かります。
あとはどう対処するかですね。
それにしても……。
やっぱり詳細を詰めているところで仕掛けてきましたか。
これで空気は一変するでしょう。
あとが大変ですよ」
これで人類連合の権限集中に反対する俺が悪者になる。
それは織り込み済みだ。
ただ面倒な仕事になるだろう。
憂鬱な表情をしていると、アーデルヘイトが立ち上がった。
「旦那さま。
私が飛んで見てきましょうか?」
じっとすることに耐えられないか。
「前にも言いましたが……。
絶対にダメです。
クレシダは、有翼族に対する手段を、何処かに仕込んでいます。
焦ってはクレシダの思うつぼですよ。
最悪……誤射と言い訳して、アーデルヘイトを射てもいいのです」
そうやって俺にダメージを与える作戦だろう。
アーデルヘイトは不満顔になる。
「でも……見ないと不安です」
「見ても状況はよくならないでしょう。
今護衛対象が動き回ると、警護プランが崩れます。
それにリスクに見合うだけの情報ではありませんよ。
喜ぶのはマンリオ殿くらいです」
逃げ惑う民衆に襲いかかる半魔。
価値のある情報ではない。
俺の強い言葉に、アーデルヘイトは渋々座った。
昔の経験から、自分を抑えたのだろう。
クリームヒルトは不安そうに顔を上げた。
「これ……。
どうやって対処するのでしょうか?
防御策があるのは知っていましたけど……。
どう半魔を片付けるかは秘密にしましたよね?」
対策も考えている。
これは必要最低限にしか教えていないからな。
疑ってなどいない。
だがパーティーなどで、なにかの拍子に悟られる。
そんな可能性だってあるのだ。
そもそも俺たちが半魔を全滅させる必要なんてない。
「クレシダ嬢は脅しに火をつけたのです。
消し方も心得ているでしょう。
酷い自作自演ですが……。
これでクレシダ嬢の発言力は、格段に強くなるでしょうね」
キアラが突然立ち上がる。
「お兄さま。
ちょっと席を外しますね」
こんなときにか?
「屋敷の外にでたりしないでしょうね?」
キアラは苦笑して首をふった。
「いいえ。
部屋に、忘れ物を取りにいくだけですわ」
キアラの態度が引っかかる。
あれはなにか隠し事がある顔だ。
だが認めよう。
少なくとも俺たちの足を引っ張ることはしないからだ。
「わかりました。
でもすぐに戻ってきてください」
「ええ」
◆◇◆◇◆
外の騒乱が、ここまで聞こえてくる。
アーデルヘイトとクリームヒルトは、とても不安げな顔。
俺の左右にいるが、俺の腕をつかんでいた。
その力が強くなる。
ムリもないか。
チラチラと、俺の顔を見ては安心する。
また不安になって、俺を見るわけだ。
これで俺が動揺していたら、収拾がつかなくなっていたな。
しかし……。
ただ待っているのは暇だな。
思わず欠伸が漏れる。
ライサは露骨に呆れた顔をする。
「アタフタしないのは助かるけどね。
欠伸までするかい?」
「いいじゃないですか。
今私が欠伸をしたって、誰の邪魔にもならないでしょう?」
皆は呆れ顔だが、気にしない。
アーデルヘイトとクリームヒルトは、すこし落ち着いたようだ。
つかむ力が弱くなったからな。
そこにキアラが、袋を大事そうに抱え降りてきた。
「それはなんですか?」
キアラは露骨に視線をそらす。
「ええと……」
キアラの言葉を遮るように、外から人々の悲鳴が聞こえてくる。
そして半魔らしきうめき声まで聞こえた。
ライサは微妙な表情で頭をかく。
「効果覿面だね。
こっちには寄ってこない。
あのミントの研究をさせるのは驚いたよ」
突貫だが……。
なんとか俺が望む効果まではたどり着いてくれた。
「ミントは育つ前なら、半魔除けですからね。
その匂いに、なんらかの魔力が秘められている、と思いました。
だから類似した魔力を放つ植物なら寄ってこないかなと」
ライサはおどけた様子で、肩をすくめる。
「恐れ入ったよ。
ここまで使えるものを、平気で使う人は見たことがないからね」
「折角ラヴェンナの領主になったのです。
権力は、こんなときのために使うものですよ。
……あれ?」
なんか部屋に霧が立ち込みはじめた。
この感覚は何処かで……。
見る見るうちに霧が濃くなって、一寸先も見えなくなった。
「皆さん。
不安でしょうが動かないでください」
突然音のしない咆哮が響き渡る。
頭の中に直接響く。
思わずクラクラしてしまう。
直後もの凄い衝撃を感じた。
それと同時にガラスの割れる音がする。
徐々に霧は晴れたが、全員がフラフラしていた。
ライサが恨めしそうな顔で俺を睨む。
「とんでもない隠し球だね。
前もって教えてくれないと困るよ。
死ぬかと思ったじゃないか」
なんで俺のせいなんだよ!
「私だって知りませんよ」
窓の外を窺う。
ガラスは全部割れて、外に飛び出しているはずだが……。
落ちていない。
ライサも隣にやってきた。
この不可思議な光景に、目が鋭くなる。
「もしかしてクレシダの罠かい?」
俺は外を見るのをやめて、部屋の中に向き直る。
「違うと思います。
あの霧は何処かで見た記憶が……。
あ!」
見覚えのある物体が、目の端に映った。
キアラの持ってきた袋の包みの中身だ。
袋が吹き飛んでいた。
こいつは……。
アイテールからもらった盟約の印じゃないか。
俺の視線に、キアラがブンブンと首をふる。
「口と態度の悪い、とある娘のアドバイスですわ。
これを持っていけば、なにかの役に立つって」
ラヴェンナがキアラに、直接指示したのか。
それよりこの盟約の印は、魔族にとって貴重なものだぞ。
「待ってください。
その盟約の印は、ラヴェンナに置いておくものでしょう。
勝手に持ち出されては困ります。
魔族たちが動揺するでしょう」
キアラは大慌てでさらに首をふる。
「お兄さまには内密に、と念押しされましたもの。
それにラヴェンナに、ちゃんとありますわ」
「新しくもらったのですか?」
「オニーシムに、そっくりのダミーを作ってもらいましたの。
だから誰も気がつきませんわ」
オニーシム……。
また巻き込まれたのか。
これは……ウオッカを一樽奢る必要があるな。
「この騒動は、これの仕業みたいですが……」
突然なにか聞こえた。
頭の中に響いたな。
俺を呼ぶ声だ。
仕方ない。
「ちょっとでてきます。
お呼ばれしているみたいですから」
誰も反応しない。
どうやら全員が動けないようだ。
誰の仕業か丸わかり。
屋敷の外にでると、見覚えのあるベールを被った貴婦人が、背を向けている。
後ろ姿でもわかる。
アイテールだ。
当然幻体だろう。
ただ縄張りを重視するドラゴンが、ここに出張っていいのだろうか。
それはあとで聞こう。
それより気になるものが目に入ったからだ。
アイテールの目の前で、青く燃えさかる半魔が、地面に転がって
その炎に、別の半魔が引き付けられて引火する。
それとは別の半魔が、アイテールに襲いかかろうとするが……。
アイテールは、手にしていたなにかをふった。
直後に空から光るものが、半魔に降り注ぐ。
これは……割れたガラスだ。
そしてハリネズミになった半魔は、炎に包まれる。
ガラスが炎に変わったようだ。
やがて周囲の半魔はすべて炎に包まれ、動かなくなった。
黒焦げの死体から黒い油がにじみ出す。
多分歴青だろう。
それを見届けたアイテールが、こちらを振り向く。
「
久しいのぅ。
ここにいる理由は明確だ。
俺たちの手助けをしてくれたのだろう。
だが何故だ?
人との争いには介入しないはずだ。
それに半魔程度で介入するとは思えない。
「ええ。
お久しぶりです。
何故ここに?」
アイテールはベール越しに、目を細めた。
「案ずるな。
嵐の空に、断りを入れておる。
少々不愉快な出来事があってのぅ。
だがのう……。
それが介入の切っ掛けか。
余程アイテールを怒らせることがあったのだろう。
「ラヴェンナでなにかあったのですか?」
「不埒者が悪戯娘の入れ知恵で、悪臭の封を解いてしまってな。
半魔とかいうたな。
あそこまで臭いとは思わなんだ。
故にあの地下都市毎瓦礫の底に埋めてやったわ。
皆無事だからのう。
クレシダの手の者が、ラヴェンナに潜り込んだのか。
しかも地下都市に入って封印を解いた……。
やはり生きている半魔が暴れ出したのか。
俺への揺さぶりをかけてきたな。
ただ……どうやって潜り込んだのか。
こいつは調べる必要があるな。
ダンジョンが瓦礫に埋もれて騒ぐヤツはいるが……。
それはあとで考えよう。
「それは助かります。
クレシダの手先が、封印を解きに来たのですか……」
「仔細はじきに
「それにしても……。
盟約の印を持ち出させたのですよね。
なにかあれば手伝うつもりだったのですか?」
アイテールは手にした物体を、左右に揺らす。
何処かで見たことがあるな。
それにしても周囲の惨状にそぐわない。
「娘御に頼まれては、否とは言えまい。
それでも余程のことがなければのぅ。
人の争いに、
だがな……。
あの悪臭は、我慢の限度を超えておる。
図に乗られては、今後安穏に眠ることすら能わぬ。
故に今回は、曲げて受け給う」
確か血の神子も、悪臭が酷いと言っていたな。
特殊な魔力は、アイテールにとって悪臭なのか。
そこまで言われては、感謝こそすれ、非難など出来ない。
それにしても……。
盟約の印は、遠く離れた場所で力を振るうため必要だったらしい。
「とんでもありません。
大変助かりました」
「
あとは悪戯が過ぎる小娘に、警告をして帰るとしよう」
クレシダに警告をするのか。
多分手を下さないだろう。
反抗的な態度で歯向かってきたらわからない。
ドラゴンは無原則に寛容ではないからな。
クレシダの個人的な強さは不明だが……。
使徒ほどではないだろう。
クレシダは、どうするのだろうな。
素直に引き下がると思うが。
それにしても……。
さっきからプラプラさせている物体が、気になって仕方ない。
「ところでその手に持っているのは?
この場に、随分そぐわないようですが……」
アイテールは意外そうな顔で、小さく笑った。
「こんなものが気になるのか。
相変わらず細かいのう。
これは猫じゃらしぞ。
エテルニタと戯れる日を、楽しみにしておる。
ことが成った暁には、挨拶がてらエテルニタも連れ給う。
鍛錬の成果を披露しようぞ」
ドラゴンが猫と遊ぶために、猫じゃらしの技術を磨く……。
シュールすぎるだろ。
まあ……エテルニタは、勝手についてくるだろうがな。
「わかりました。
連れて行きますよ」
アイテールは満足気にうなずく。
「重畳、重畳。
では屋敷に戻るとよい。
言い忘れておった。
幾ばくかの討ち漏らしがある。
本気を出していたら、
相当加減をした故に、すべてを消し去ることは能わなかった。
それと幻体で干渉する故、なにか武器が必要でな。
硝子を使わせてもらった。
それも許し給う」
それでもこの近辺は片付けてくれたのだろう。
有り難いよ。
「それは直せますから、気にしないでください。
人はそういきませんから」
アイテールは苦笑しながら、猫じゃらしを揺らす。
「ただのう。
しばらく硝子なしの生活になろうて。
ここの硝子は、すべて使わせてもらったからのう。
しばしの不都合は甘受し給う」
ガラスは高いが仕方ないだろう。
それに俺の金じゃないしな。
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