787話 幕を下ろす役者

 役人たちが、人類連合の詳細を詰めている。

 宰相から派遣されたひとたちを含め、なかなかの大所帯になっているなぁ。

 近くの宿舎が大きくて助かったよ。


 俺が定めた基本方針を踏まえて折衝しており、都度報告は受けている。

 口を出すこともないが……。


 ひとつ気になる話があった。

 皆は普段ホールで歓談しているはずだ。

 この話をするためホームに降りたけどさぁ……。

 俺の姿を見ると、全員が身構えるのは何故だ。

 

 俺は笑って手をふる。


「しばらく使徒教の話はしませんよ。

それより報告で、ちょっと気になることがありました」


 アーデルヘイトの表情が曇る。

 公衆衛生省の役人も来ているので、自分の問題かと思ったのだろう。


「旦那さま。

なにか役人たちに瑕疵かしでも?」


「違います。

こちらの役人たちは、ベストを尽くしてくれています。

これ以上の注文はないものねだりですよ」


 アーデルヘイトは安堵あんどして、胸をなで下ろす。


「じゃあ相手側に問題が?」


「問題というか……。

目算が外れましたね。

シケリア王国側の役人に、破格の切れ者がいたのです」


 配下は大したことがないと思っていた。

 とんだ計算違いだよ。

 シケリア王国は、天才を生み出す土壌でもあるのかねぇ。


「そんな人がいるのですか?」


「それがまた厄介で……。

天才と評していいでしょう。

人格的に問題があるとされていたようですが……。

クレシダ嬢が抜擢したようです」


 キアラが苦笑する。


「クレシダの人を見る目は確かみたいですわ。

ゴミだけじゃなく宝石まで見分けるのは、感心しますもの。

でも癖が強い天才の抜擢ですよね。

まるでお兄さまみたいですもの。

でも今まで無名だったのが不思議なほどですわ」


 そもそも今まで、冷や飯を食っていたらしいからな。

 ヤンが無名なのと同様だろう。


「役人で名声を博すことなんてありませんよ。

それにリカイオス卿の配下だったころは冷遇されていたようですから」


 クリームヒルトが困惑顔で首をかしげた。


「その人が立ちはだかって難航しているのですか?」


「ええ。

正論を武器に切り込んできます。

気になったのでキアラに調べてもらいました」


 そこでキアラは、その人物について報告をはじめた。

 ボアネルジェス・ペトラキス。

 まだ若く29歳。

 家は最下級の貴族。

 嫡男でなかったので役人を目指した。

 苦心して役人になるも、順風満帆とはいかない。

 能力は群を抜いていたが、融通の利かない性格が災いする。

 だから上司からの評価はよくない。


 人望がないと判断されたようだ。

 使徒教徒で人望がないと言われたら最後。

 出世の道はほぼ断たれる。

 さらに実家は貴族でも最下級。

 当然コネなんて使えない。


 それでも腐ることはなかったようだ。

 リカイオス卿の施策にも、正論を述べて反対する。

 下級役人だったので当然黙殺された。


 リカイオス卿の耳に届かないことが幸いして、粛正を免れわけだ。

 耳に入っていたら、確実に粛正されたろう。

 上司もその責を問われるから、上司の保身によって助かったのは皮肉だ。


 ただ有能なのは周知の事実だった。

 捨てるには惜しいが、使うのは大変。


 そんな感じで埋もれていたが……。

 クレシダが総督として赴任するとき、名指しで抜擢される。

 さすがに役人のトップとはいかないが、重要な役目を与えられた。

 その部門はクレシダ直属で従来のような上司はいない。

 水を得た魚のように活躍しはじめた。

 

 クレシダの統治成功には、このペトラキスの働きが大きかったようだ。


 意外性のクレシダばかりクローズアップされていたからな。

 役人たちは目立たない。

 だからこそ名前が知られずにいたのだが……。


 極めて有能かつ真っすぐな性格。

 歯に衣着せない正論を吐くことから、周囲との摩擦が絶えない。


 尊大で融通の利かない人物、と煙たがられている。

 ただし薄情ではないようだ。

 大変部下思いとも聞く。

 厳しいが思いやりにあふれている。

 ただし不正を働けば容赦しない。


 友情を結んだ人物とは、強い絆で結ばれているようだ。

 薄情な人間では、こうならない。

 信義に篤く……交わした約束を違えることはないとも。


 親しい者からは『国を憂う私心なき忠臣』と絶賛される。

 嫌うものからは『クレシダの権力を笠に着た、横柄な佞臣ねいしん』と酷評された。


 キアラの説明が終わると、カルメンが苦笑する。


「もしラヴェンナに生まれていたら……。

アルフレードさまが使いこなしてくれたでしょうね。

それをクレシダが使いこなしている。

なんとも皮肉です。

ちょっと気の毒な人かな」


 アーデルヘイトが複雑な表情をする。


「それだけ真っすぐなら、クレシダに利用されている感じなのでしょうか。

クレシダは旦那さまと似ていて、細かな口出しをしないタイプですよね。

そんな優秀な人が、前面に出てきたのは大変になりそうです」


 キアラは期待を込めた眼差しになる。


「どうしますの?」


 俺の介入を期待しているのだろうが……。

 そのつもりはない。


「任せると言ったのです。

皆に頑張ってもらいましょう。

皆が出した結論に根拠があるなら、それを受け入れます」


 キアラがいぶかしげな顔になる。


「それでは不本意な結果になるのではありません?」


 その可能性込みの発言だよ。


「かもしれませんが……。

私がひっくり返すと、後々問題になるのですよ。

それに手に余る問題であれば、私に報告があがってきます。

そのときに改めて方針を決断しますが……。

あくまで主体は役人たちです」


 キアラは今一納得していない顔だ。

 アーデルヘイトも複雑な表情をしている。


「そういえば、旦那さまが言っていましたね。

『上司が部下の決定をひっくり返すと、外部から部下は交渉相手と見なされなくなる』

それに部下のやる気も落ちますよね。

理屈ではわかりますが……。

それでいいのですか?」


「結果を受け入れて、そこからどうすべきか考える。

それが任せた上司の役割ですよ。

それでこそ役人たちも、責任が持てるでしょう?

権限を与えずに、責任を持たせるのはただの詐欺師です。

使われる方もバカじゃありません。

待遇なりの仕事しかしませんよ」


 カルメンが冷笑を浮かべた。


「そんな詐欺師でも成功している人は一部いますけどね。

部下を洗脳して……考えることを禁じていましたよ」


 王都ならそんなヤツもいるだろう。


「もし洗脳して、待遇以上に酷使しても……。

自由な発想が出来ません。

それこそ忠誠心を大袈裟にアピールすることが、評価基準になるでしょう。

そんな硬直化した組織は、一度変事が起これば立て直せないでしょうね。

硬直化した組織を変えるのは、ほぼ不可能です。

生けるしかばねでしかありませんよ」


 考えられないし決定権もない。

 もしトップが柔軟に方向転換しようとしてもムダ。

 細かな意図が伝わらずに、事態を悪化させるだろう。


 かくしてトップの天秤は壊れる。

 部下を都合よく洗脳したことは、なかったことにして……。

 現実に対処出来ない部下を責めるのだろう。


 カルメンが大きなため息をつく。


「それはわかりますけどね。

その危険性はあるでしょうが、今は緊急事態だと思いますよ?

特例で介入してもいいと思いますよ」


 緊急事態だからこそだよ。


「つまりいざとなれば、あてにしない……と公言するわけですね。

そうされて安心する人はいるでしょう。

安心はするけど、そこで終わりですよ。

それ以上の成長は望めません。

そして一度の例外は次の例外を呼びます。

だから原則を、軽々に破ると……。

緊急事態が緊急事態でなくなりますよ。

気に入らないときに、緊急事態と常態化させます。

恒常化する緊急事態に、違和感を持たないのはバカでしょうね。

そもそも平時と緊急時まで、区別がなくなります」


「それもわかります。

でもアルフレードさまが、そんな乱発をすると思えませんよ」


「どうでしょうね。

でも確実に言えることは、次の世代あたりから問題になります。

問題にすら思わないでしょうけど。

なんにせよ、考えを変える気はありません。

そもそも私に適時報告をしているのです。

だからこそ任せる必要がありますよ」


 モデストが声を立てずに笑った。


「部下を信じて任せるですか。

美しい言葉ですが……。

いうは易しです。

完遂出来た統治者を、私は見たことがありません。

ラヴェンナ卿は出来ていますがね」


「それなら結構です。

気を抜けば、現在進行形が過去形になりますからね。

ラヴェンナは使徒教のアンチテーゼでもあります。

機能絶対主義ではありませんからね。

原則を軸に考える。

これを変える気はありません」


 キアラは諦め顔で、ため息をついた。


「お兄さまは一度決めたら、テコでも動きませんものね」


「原則は熟慮して決めたのです。

変えてしまっては、ラヴェンナの制度設計を見直すことにつながります。

時流によって変えていいものと、駄目なものがありますよ。

この原則は後者です。

私に原則を変える自由はありません。

皆さんは無意識に、使徒教を棄教したばかりなのです。

変えれば使徒教にまた侵食されますよ。

それほど1000年の伝統は強いのです。

ラヴェンナの価値観が皆に定着したら、時折変えてもいいでしょう。

でも次世代以降の特権ですよ」


 カルメンは苦笑して、髪をかき上げる。


「仕事をする側にとっては、とてもやりやすいですよ。

でも全体を考えるとモヤモヤしますね」


「目先の損を取ってでも、将来につなぐ。

これは指導者が担う責務です。

だから非難も甘んじて受け入れる。

そもそも目先の利益だけを追うなら、見識などいりません。

利益への嗅覚と狡賢さ。

そして面の皮が厚ければいいのです。

これは指導者とは別の資質ですよ。

まあ……いろいろ言いましたが……。

役人たちはギブアップしていません。

ここは見守るだけですよ」


 アーデルヘイトは大きなため息をつく。


「ほんと将来を考えながら戦うのって、不利な条件だらけですね。

でもそのペトラキスさん。

クレシダの真意を知らずに働かされているのですよね。

とても可愛そうです」


「果たして……。

そう断言出来るのでしょうか?」


 アーデルヘイトが驚いた顔をする。


「ええっ!? 知った上で協力していると?」


 直接会ったことはないが、とても情熱的なのだろう。

 だからこそ他者との衝突をいとわない。

 傲然ごうぜんと無視出来るエネルギーがあるってことだ。

 ただ見たくないからと、目を背けるタイプじゃない。

 それだと馴れ合いの仲間は出来るが、強い絆など出来るはずがない。


「ただの臆測ですが……。

この世界に染みついた常識は、とても強固で正論など通りませんからね。

雁字搦めで、非合理な面が強いでしょう。

だからこそ……。

いっそすべてを燃やし尽くしたい。

そんな衝動に駆られても不思議ではありません」


「そんなことまで考えるのでしょうか?」


 現実が絡まり合ったツタの塊に思えたらどうかな。

 焼き払いたいと思ってもおかしくはない。

 それも、情熱があればこそだ。

 なければそこまで考えない。

 これを現実逃避と呼ぶには、酷な話だと思う。


「絡みついたしがらみが強すぎて、どれだけ考えても手だてがないとしたら?

思うけど実行などしないでしょうが。

力がありませんから」


「力があったらやるのですか?」


 そう単純な話ではない。

 頭が切れるからこそ燃やし尽くす困難が見える。

 その未来図に思わず立ち竦むだろう。


「そこから踏みだす一歩は、とてつもなく重たいですよ。

だから……たまに考えるだけではないでしょうか。

しがらみに絶望しつつ、最善を尽くしながらね」


「もしクレシダの真意を知ったら、どうすると思います?」


 わからないが……。

 自分の密かな願望を叶えてくれると考えるかもしれない。


「ペトラキス殿を私は知らないので、多くを語れません。

個人的な予想ですが……。

真意を知っても見限らないでしょう。

そして頭が切れるから、その後も悟るでしょうね。

クレシダ嬢は世界を破壊し尽くしたら、もうこの世に未練などない。

クレシダ嬢は、自分が勝利したときの幕を下ろす役者として……。

世界主義ではなく、ペトラキス殿を選んだのかもしれませんね。

世界主義を利用して捨てるつもりでしょうから」


 キアラが強く首をふった。


「なんだか理解に苦しむ話ですわ」


「私の思い込みかもしれませんよ。

ただ……。

純粋にこの世を憂うが故に、因果を作り直したい。

そう考えても驚きません

ごく親しい人以外には匂わせもしないでしょう。

裏表のある人には見えません。

誤解されやすいけど、それを意に介さない人ではないかと」


 アーデルヘイトは、少し悲しそうな顔になる。


「やっぱり可愛そうな人ですね。

男の人は、違う感想なのでしょうけど」


「そうですね……。

きっと『同情するくらいなら、邪魔をしないでくれ』と思うのではないでしょうか。

自信があると思いますから。

他者の力を、あてになどしません。

心を許した友の助力は別ですけどね」


 アーデルヘイトは、微妙な顔で苦笑した。


「マガリ婆に『同情なんてただの自慰行為、やりすぎたら癖になるよ』って、鼻で笑われたことがあります。

でも気の毒に思っちゃいますね。

それを見抜いていたのか、釘まで刺されました。

『同情する自分が立派だと思うのは、自慰行為をして偉そうにするようなもんさ。

そもそも自慰行為は、こっそりやるものだろう?』って……。

あまりの下品さに、よく覚えています」


 相変わらず下品な言葉で、真実を語る。

 昔からああだったのかは謎だ。


「同情は自分の感情でしかありません。

それが悪いとは思いませんよ。

多くの人にとって、同情による共感性は必要なものですから。

でも……たまにいますよね?

同情したのだから感謝しろ、と言わんばかりの態度。

ああなっては別の話でしょう。

それではプランケット殿の言葉通りの意味になります」


「同情から仲がこじれる話は、たまにありますね。

なんか複雑です」


 感情の押しつけか。

 こじれたら大変だろうなぁ。

 まあ……。

 遠くで同情するなら、好きにすればいいんじゃないか。


「そもそもペトラキス殿は、情熱の人だと思います。

だから火を燻らせて死ぬより……。

燃え尽きて死ぬことを望むと思いますよ。

クレシダ嬢が危険だと知っていても、足を止める気はないでしょう。

自己の破滅と知っていてもね。

残される家族や友人への情。

この程度で足を止めることは出来ません。

水をかけても、一瞬火が弱まるだけ。

より燃えさかる気がします」


 ヤンが似たようなことを言っていたからな。

 戦えなくなるのが怖いと。


 こればかりは引退後の生活を、どれだけ手厚くしても解決出来る問題じゃない。


 今悩むのはよそう。

 そんな生活を守るためにも、クレシダとの戦いに勝たなくてはいけない。

 そうでなければ悩む贅沢すら許されないのだ。

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