786話 心の天秤

 キアラを呼んで、ランフランコに詳細を伝えてもらった。

 ランフランコは真剣な面持ちで聞いており、最後に深くうなずいた。


「協力体制の人事も見直すことといたしましょう。

後日代表を参らせていただいても?

紹介状を持参させますので」


「わかりました。

それは結構ですが、人選は決まっていたのでしょう?

ここで変更ですか」


 ランフランコは、重々しくうなずいた。


「そのとおりですが……。

ラヴェンナ卿の妹君を見て、考えが変わりました。

今後は取り次ぎである妹君と、お会いになる機会が増えるかと。

ただ実務にけているだけでは釣り合わない。

そう痛感した次第です」


 想定していた人選では適正不足か。

 それでも最善を選んでいたはずだ。

 常識の範囲内でだが。


「なるほど。

ではいつ頃になりますか?」


「遅くても1カ月後には」


「わかりました。

今後はその方に情報を流せば、そちらに伝わると考えていいわけですね」


「左様に御座います」


 あとは細かなやりとりをして、会談は終わった。

 帰り際にランフランコが、意味深な笑みを浮かべた。


「それにしてもラヴェンナ卿が、詩人の心をおもちとは驚きですよ」


 おい……なにを言いだすんだ。

 キアラの眉が、ピクりとあがる。


「芸術などにまったく縁のない兄がですの?


 ややドスが利いている。

 ランフランコの笑みが深くなる。


、詩的な表現ではありませんか。

人には様々な面があると痛感した次第であります」


 ランフランコが帰ったあと、キアラが俺の腕をつかむ。


「お兄さま。

詳しく教えてくださる?」


「また今度で。

ガラにもないと反省しているのですから」


 予想外に、キアラはあっさり引き下がった。


「ムリ強いはしませんわ。

でも……。

この話は、王都で広まるでしょうね」


 あー聞こえないー。


                  ◆◇◆◇◆


 ホールに戻ると、キアラがカルメンとヒソヒソ話をはじめた。

 カルメンが驚いた顔で、俺をチラ見する。


 外堀を埋めて吐かせるつもりだろ!

 俺の目の前で、噂は光の速さで広がった。


 全員が俺をチラ見する。


 やられた……。


 なんだろう。

 この全員が『お前が聞け』と押しつけ合いを無言でしている。

 それでもプリュタニスとモデストは、面白い話を聞いたレベルだ。

 だから我関せず。


 女性陣は興味津々。

 無言の戦い押しつけ合いが発生する。

 敗者はアーデルヘイトだったようだ。

 自分の好奇心に負けたとだろう……。

 俺の隣にちょこんと座る。


「旦那さま。

一部界隈で噂になっている、ってなんですか?」


 一部界隈ってここだけだろうに……。

 

「どうしても聞きたいですか?」


 アーデルヘイトは満面の笑顔だ。


「はい! 私、気になります!」


 このままやられっぱなしでは、俺の気が済まない。

 わざとらしく、大きなため息をつく。


「仕方ありませんね……。

使にも関わる概念です。

お話しましょう」


 その瞬間全員が、腰を浮かせる。


「ここにいる全員に聞いてもらいますよ。

拒否は認めません」


 カルメンが辟易した顔で、キアラを小突く。


「ちょっと!

なんてことしてくれたの!

胃もたれしているのよ!」


 小声のつもりだろうが……。

 全員が静まりかえっているから、よく聞こえる。

 キアラが引きった笑みを浮かべる。


「私に言わないでくださいな。

こんな話になるなんて想像できませんもの。

どうせお兄さまは……。

自分の黒歴史を隠蔽いんぺいするため、話をすり替えたのよ。

あの笑い方はそうに違いないもの」


 キアラがフンスと胸を張った。

 いったいなにをやっているのだ。

 カルメンの額に青筋が浮かぶ。


「なに当たり前の話でドヤっているのよ!

アルフレードさまが笑うとろくなことがないなんて……。

誰でも知っているわよ!」


 酷い言い草だ……。


 決めた。

 話の内容を重たくしてやる。


 ようやくふたりは、全員が自分たちに注目していると気がつく。

 ふたり仲良く露骨に窓の外を見やがった。


 俺はわざとらしくせき払いをする。


「本来はこれも話そうとしましたが……。

皆さんが辟易していたので中止したのです。

でも私が間違っていました。

やるべきことから逃げてはいけませんからね」


 全員が抗議の意志を込めた眼差しで、俺を睨む。

 知らんがな。

 やると言ったらやるのだ。


 キアラは渋々紙とペンを用意する。

 なにかブツブツ言っているが、気にしないでおこう。


 プリュタニスは気分を切り替えたらしい。

 小さなため息をつく。


「その似合わない詩的な表現と使徒教が、どう関係するのですか?

私なら恥ずかしくて、口には出来ませんけど」


 違った。

 嫌みを言いたかっただけらしい。

 どいつもこいつも……。


「簡単に言えばバランス感覚です。

常に自分が認識する現実に対して、どうすべきか。

認識する現実と、自己の想像や願望などの非現実。

このふたつを秤に掛けているでしょう。

天秤が平行であれば、その非現実は現実と等価になります。

もし平和なとき、ありえない危機を大声で唱える人がいたとしたら?

そんな人を、正常と思うかですね」


 プリュタニスは納得顔でうなずいた。


「普通は思わないですね。

それがバランス感覚と」


「本人は正しい反応だと思っているでしょう。

他人が見れば、天秤が大きく傾いているわけです。

そんな人の言葉に、耳を貸しますか?」


 プリュタニスが首を傾げた。


「普通はしないですね。

それが使徒教と、どんな関係があるのですか?」


 使徒教のワードに、全員の目が泳ぐ。

 なに……本番はここからだ。


「まず人によって天秤の支柱が、中央にあるとは限りません。

偏りがでますからね。

そして偏るほど、他者からの指摘に大きく反発する特性があります。

もしくは無節操にかみつくか。

これは使徒教に限った話ではありませんがね」


「その偏りが使徒教徒は大きいと?」


「無原則で機能絶対故にね。

偏っても機能すればいいのですから。

そして現実を軽視する人は、その支柱が現実から大きく離れています。

非現実がとても軽いのです」


 クリームヒルトが首を傾げた。

 いつの間にか俺の隣に座っている。


「現実を軽視する言葉と、その理論は合致していませんよ?

それだけ現実がとても重たくなります」


「まあ聞いてください。

そこで人はどうするか。

不安定であることに、普通の人は耐えられません。

なので非現実の皿に非現実を重ねるのです。

これでバランスをとる」


 アーデルヘイトがシュンとした顔で項垂うなだれた。


「旦那さま。

私はそこまで賢くないので、よくわかりません……」


 ちょっと概念的な話になってしまったか。


「謙遜しなくてもいいですよ。

未知の概念でしかも抽象論です。

実感できないのは当然ですよ。

そこで今回の魔物の脅威を例にしましょう。

遠くの人ならば認識する現実は軽いわけです。

当然非現実の皿も軽くなってバランスをとる。

たいしたことじゃない……と考えるでしょう。

それを普通の人は、奇異の目で見ますか?」


 魔物の脅威なら、すぐ理解できたろう。

 ラヴェンナで脅威論はない。

 距離もあるからな。


「ごく普通の考えでしょう。

それが認識する現実なのですね」


「そう。

ではアラン王国の人だとすれば?」


 アーデルヘイトは納得顔でうなずいた。


「とても重たい現実だから、対策を考えますね。

考えない人はどうかしていると思います」


 ここまでは大丈夫だな。

 やはり概念を語るときは、具体例との対比が必須だな……。


「そこで2種類に反応が別れるでしょう。

自分の所には来ない、と認識する現実を軽くする人。

これはわかりますね」


「わかります。

どこにでもいますよね」


「もうひとつ。

その現実をしっかり認識しているはずなのに、大丈夫だと思う人。

たとえば……。

隣の村が襲われても、『大丈夫だ』と言っている人はこのケースですね。

その場合、支柱が非現実に寄ってしまっているのです。

現実から離れたいが故にね」


 アーデルヘイトは首を傾げた。

 このケースは、想像が難しいだろう。


「その場合、どうやってバランスをとるのですか?」


「次から次へと都合のいい話を、非現実の皿に載せていきます。

本人のバランスがとれるまでね。

『襲撃はたまたまだ』とか『大人しくしていれば、魔物はこない』とかね」


 プリュタニスが腕組みをして苦笑する。


「なんかぼんやりわかってきました。

理屈に合わないことを、執拗に積み重ねるわけですね。

頭がおかしいと思っていましたよ。

本人的にバランスをとっているのですね」


 頭がおかしいと決め付けるのはムリもないがな。

 偏りすぎる人をそう定義するなら……。

 いうべきことはなにもない。

 俺はそうしないだけだ。


「ええ。

そして軸のずれも固定ではありません。

積み重ねる毎に現実から遠ざかる。

これが使徒教徒の特徴ですよ。

なにも基準がない無原則だから、判断の基準も揺らぐのです」


 モデストは、楽しそうに目を細めた。


「あまりに都合のいい願望を言い立てる人はいましたが……。

本人はバランスを保とうとしていたわけですか。

これはなかなか斬新な視点ですな。

たんに頭のおかしい人で片付けるよりは、ずっと面白い」


 さすがというべきか。

 すぐに理解してくれたか。

 モデスト自身が頭のおかしい人で片付けることに違和感があったようだ。


「そもそも天秤は、平衡を保つものではありません。

決めるためのものです。

でも使徒教徒は、平衡こそ善とする。

それが自然なのですから。

おっと……。

話を戻しましょう。

そうやって現実から遠ざかる人を見て共感する人はいます。

その人たちも基準がない故に、非現実に寄っていくのですよ」


 モデストは声を立てずに笑った。


「周囲に影響されると。

たしかに面白いように、人は同類と群れますからね。

我々とて例外ではありませんが」


 なんで全員が俺を見るのだ。


「基本的には似たような性質の人で集まります。

そして人が増えるほど偏る度合いが増していきます。

非現実なことを言っていたときに、現実的な話は出来ません。

誰からも支持されなくなる。

現実的に偏る人からは信じられない。

非現実的に偏る人からは、裏切り者に思える。

そしてついていけない人たちを振り落としながら、先鋭化するしかないのです」


 モデストが口元を歪める。


「一度偏ると、人は偏り続けるしかないと」


「そうとも限りません。

現実が軽くなれば、揺り戻しが起こります」


「揺り戻しですか」


 このケースも説明が必要だな……。


「もうこの世にいませんが……。

ラヴェンナで私を非難する人たちがいましたね。

彼らは私への反感は表向きで。

使徒教を棄教させられる反発が大きかったと思いますよ。

自覚はないと思いますけどね。

たんに違う慣習を押しつけられたと認識していたでしょう。

そもそも……。

彼らの主張が、ただの言い掛かりでした。

そして声をあげるほどに非現実的になっていく。

これには理由があります」


 プリュタニスが納得顔で苦笑する。

 その顔は大体原理をつかんだ顔だな。


「ああ。

あれも天秤のなせる技と。

アルフレードさまの統治が、実績を積み上げているから現実が重くなる。

より滑稽でも、非現実を積み上げるしかなかったのですね。

つまり失政を犯していれば、さらに先鋭化せずに済んだと」


「そのとおりです」


 クリームヒルトが俺の腕をつかむ。

 なにかわからないことがあったのかな。


「アルフレードさま。

疑問なのですが……。

天秤ですよね。

皿に載せられる大きさには、限りがあります。

無限ではないですよね。

限界を超えるとどうなるのですか?」


 その点を話していなかったな。


「天秤が倒れます。

この天秤は、社会的な生活を送る上での能力です。

だから社会的生活能力の喪失。

つまりは文字通り、言葉を失うわけです。

人という種類の獣が、呆然と立ち尽くすだけですね。

魔物なんて攻めてこない、という人がいたとしましょう。

実際に魔物が攻めてきたら、その人たちは茫然自失に陥ります。

避けていた現実が大きくなりすぎて、天秤そのものが保てなくなりますから」


「そのケースだと死んで終わりでしょうけど……。

死なない場合はどうなります?」


「人は心の安定を求めます。

つまりなんらかの天秤が必要になる。

自分の望む非現実を積んでから、それに都合のいい現実を積むかも知れません。

もしくは逆ですね。

これは強制されてもいいわけです。

直近の例では……。

人類連合のスローガンを声高に叫ぶ人がいます。

つまりサロモン殿下が、これに該当するでしょう。

非現実に寄ってね。

使徒絶対という天秤が壊れました。

しばらくは言葉を失って途方に暮れていたと思いますよ。

状況に流されるも、不安でたまらなかったでしょう。

心の平衡を取り戻すため、人類連合という天秤を自分の内面に作り出した。

だから急に活動的になったわけです」


 プリュタニスは大きなため息をついた。

 急に人が変わったようだと言っていたからな。

 俺もそんな印象を受けた。


「サロモン殿下は知らずに、その天秤にすがっているわけですか」


「そうでしょうね。

まだ比較的真ん中寄りですが……。

唱える言葉が荒唐無稽になるほど、非現実に寄っていく証しになります」


「それってどんなときでしょうか?」


 ひとつしかない。

 そしてそれは不可避だろうな。


「人類連合が機能しないときですね。

それは現実として積み上がります。

結果としてバランスをとるために、より非現実な主張を唱えると思いますよ」


 クリームヒルトはため息をつく。

 サロモン殿下に悪い感情はもっていないだろうからな。


「なんだかそう聞くと……。

気の毒に思えてきます」


「でも本人は、真ん中に立っているつもりなのです。

我々が指摘しても……。

それは偏った意見だ、と思い込むでしょうね。

サロモン殿下の話はおいておきましょう。

我々に出来ることはないのです。

新たに天秤をつくったときの話をしましょう。

使徒絶対の天秤が崩れて、一部の人は人類連合の天秤をつくった。

そこで過去に唱えた使徒絶対の非現実と矛盾します。

ですが責めても無意味ですよ」


 カルメンが不思議そうな顔をする。


「つまり……。

『使徒は絶対。

だから人は余計なことを考えずに、それに従えばいい』

そう言っていた人ですよね。

今度は真逆のことを言いだしている。

『人が皆で知恵を振り絞って協力すべきだ』

思いっきり矛盾していますよね。

前に言っていたことは? ってなりますよ。

前の反省を踏まえてからだろうって思います」


 それには意味がない。

 相手に届かない指摘なのだから。


「その場合、使徒教徒にとって大変なストレスになります。

すでにないことを非難されているのですから。

指摘の回答は、言い逃れか詭弁にしか聞こえないでしょう。

それだけではありません。

周囲から『済んだことを今更掘り返すなど、なんて偏狭な人間だ』と思われるでしょう」


 カルメンは辟易した顔でため息をついた。


「それよくわかります。

ある殺人事件で、犯人が処刑されました。

私はお手伝いだったのですが……。

調査を主導した人の断定が強引すぎて疑問でした。

私は冤罪えんざいだと確信しています。

急いで再調査しにいきましたけど……。

関係者がすごく迷惑そうにしたのです。

『犯人は○○に決まった。

もう過去をほじくり返さないでくれ。

疲れたし、誰も得をしない』

理解不能でしたよ。

真犯人が隣にいてもいいのかって。

これが天秤の理論だったのですね」


「その天秤は、犯人とされる人が死んだことで消え去ったのです。

現実がなくなったのですからね。

倒れても消えても、それは済んだこと。

基本的に使徒教徒は、今がすべてです。

過去は水に流して終わり。

蒸し返す人は嫌われるでしょう。

それが共同体を維持するのに、最適なルールだったと思いますよ。

そうでないと親の恨みが子までとなって、共同体が割れてしまいますからね」


 アーデルヘイトが微妙な表情でうなずいた。

 俺が肯定的な見方でないから複雑なのだろう。

 過去を水に流すのは、ある意味で正しい。

 ちゃんと終わったことであればな。

 有耶無耶うやむやに済ませて、未来に禍根を残すならダメだ。

 ほじくり返しても解決すべきだと思う。


「たしかに過去を蒸し返すと嫌われますね。

過去が間違っていたとしても。

それにしても……。

天秤は平衡が善ですか。

わかるようなわからないような……」


「そうですね……。

ラヴェンナと他所では、判決の内容が決定的に違います。

ラヴェンナで、被害者に非がなければ、……。

0対100で加害者が悪くなりますよね」


「昔は厳しいなと思いました。

今は皆が納得しているみたいですね。

後腐れがなくていいようです」


 それは多民族で慣習が異なる場合、喧嘩両成敗では双方に禍根が残る。

 喧嘩両成敗がとおるのは、同一価値観の世界。

 もしくは圧倒的な力で強制することだ。


「使徒教徒では、平衡が大事です。

つまり被害者にも非があると考えるのですよ。

0対100はありえないのです。

ただし例外はあります。

空気がそれを決めたとき。

そのときは天秤を無視した裁定が下されるでしょう」


 プリュタニスは嫌そうな顔をする。


「その空気で、誰も責任を問われないのがなんともですよ」


「意志決定すら不明確ですからね。

仕方ありませんよ」


 突然キアラが、テーブルに突っ伏した。


「お兄さま。

ストップ……。

知恵熱がでてきましたわ」


 ちょっと重たすぎたか。


「ならここまでにしましょう。

大事なのは天秤の支柱がずれていないかと、俯瞰ふかん的に考えることです。

本人は常にバランスをとっているつもりですからね。

他人は変わられませんが、自分なら変えられるでしょう。

それも客観視する力があればこそ……ですがね」

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