779話 不俱戴天の敵

 ひとしきりマウリツィオから、一方的な挨拶お世辞を浴びせられた。

 満足したのか、マウリツィオは表情を改める。


「先ほどまで……ポンピドゥと、お会いになっていましたかな?」


 話をふるための確認だな。

 ピエロとの面会が終わるのを待っていたのだ。


「ええ」


「ラヴェンナ卿の貴重なお時間を、虚無で奪うとは許しがたい。

聡明そうめいなラヴェンナ卿です。

心配無用と愚考しますが……。

老婆心からひとつ忠告をば」


 隙あらばお世辞を入れてくる……。

 それはさておきだ。

 実際にピエロを知っているだろう。

 あの会談が虚無だったと知っているようだしな。

 情報の補足として、悪い話ではない。


「ヴィガーノ殿は実際に、彼らを知っているでしょう。

是非お願いします」


「まず……。

彼奴奴きゃつめらには、決して心を許されませぬように。

数値には強いですが……。

悪妻とも評すべき連中でしてな」


 変わった表現だな。

 俺の興味を引くためだろうか。


「悪妻ですか?」


「左様です。

ある貴族の夫婦がいたとしましょう。

そこまで多くはありませんが、金の管理を妻がする。

それはご存じで?」


「耳にしますね。

旦那の家が妻の実家より弱いと、そうなることがありましたね」


 マウリツィオは満足気にうなずいた。


「その通りです。

ではその家の収入が減ったら、どうするか。

単純な話でお考えください。

普通の妻か良妻ならば、支出を削ります。

削らないのは……。

悪妻ではなく愚妻でしょう」


 削らずに浪費を続ける話は、たまに聞くな。


「それはそうでしょうねぇ」


 マウリツィオは皮肉な笑みを浮かべる。


「悪妻の悪妻たる所以は、自分の支出は減らさずに、他を削るのです。

そして旦那を脅すのですよ。

『このまままでは家が潰れてしまう。

もっと金を稼げ』とね」


 自分の支出か。

 宝石なんかを買い続けていたら大変だな。

 妻の実家が格上だと、旦那は辛抱を強いられるが……。

 逆の場合、旦那が横暴になるケースは多々ある。


 何故か俺に訴えてくるのはやめてほしい。

 アリーナの件からどうも、家庭内トラブルの仲裁役と思われている節がある。


 噂では『家格を背景にした理不尽な扱いを受けたらラヴェンナ卿に相談しろ』とまで言われているようだ。

 勘弁してくれ。


「あからさま過ぎるとかえって、信用を失うでしょうね」


「ところがプロの悪妻は違うのです。

表向きは自分の支出も減らしたように見せます。

それは食事の質を落とすなどですな。

当然ながら贅沢品の購入は控えるでしょう。

だから旦那は騙されるのです。

一緒にこの苦境を耐え忍んでいる……と」


 プロって……。

 悪妻にもランクがあるのか?


「ちなみに本当の支出とは?」


「いわゆる社交や慈善事業など。

自身の権威が及ぶ範囲ですな。

自分がばら撒く金は、なんとでも死守するのです。

その上で『このままでは、家が危ない』など、噂を広めるのです。

外でその話を聞かされた旦那は必死になるでしょう」


 そこはポンピドゥ一族と共通か。

 なかなかに悪質だな。

 だが……。


「それだと噂が真実となって、金を貸してくれる商人なども逃げるのでは?」


「そこはプロです。

商人などには内情を知らせるのですよ。

つまりグルになって、旦那を騙すわけです。

商人にすれば、奥方を味方につけるほうが得策でしょう。

口コミの力などは侮れませんからな」


 上流階級のご婦人は、なにかと金使いが荒いからな。

 商人にすればお得意さまというわけだ。

 旦那には適度なご機嫌取り。ご婦人には全力か。


「哀れな夫は耳と目を塞がれるわけですか」


「左様です。

貴族が収入を増やすとすれば、領地から税の取り立てを増やすしかない。

在地領主でなければ、領内の実情はわかりませんからな。

在都領主では知る由もないでしょう。

結果は破綻です」


 ランゴバルド王国の領地持ちは、基本在地になっている。

 内乱直後で自領を留守になどできないからな。

 俸禄ほうろく貴族は王都に在住だが、かなり数は減っている。

 そもそも大掃除の結果、貴族の数がかなり減ったのだ。


「まあ……。

そうなるでしょうね。

それでは共倒れのような気がします」


 マウリツィオは、ニヤリと笑った。

 旧ギルド時代は表情の変化が乏しい、と聞いていたが……。

 とても想像出来ない。


「かくして悪妻は、その家を破滅させるわけです。

表向きは女性に決定権がありません。

家が潰れても妻の責は問われないでしょう。

だから旦那だけが、無能の烙印らくいんを押されるのです。

妻がよほどの散財をすれば、話は別ですがね。

政略結婚で嫁ぎ先が没落。

晴れて離縁となるでしょう。

『傾く家を、必死に支えた良妻』としての名誉を手にして。

運よく旦那が収入を回復させれば……。

『夫を支えた賢夫人』としての名誉が手に入りますな」


 この手の結婚は、純粋な政治目的だからな。

 妻としては、名誉が手に入ればよし、となるわけか。

 その名誉は、よりよい条件での再婚にもつながる。

 もしくは夫人間のマウント合戦としての武器だな。


 ラヴェンナでも婦人会はあるが、それとは無縁だ。

 むしろ相互扶助会的な位置になっていたな。


「それだけ聞くと……。

結婚したがらない貴族が増えそうですねぇ」


 マウリツィオは笑って首をふった。


「ところがそう言っていられませんからな。

通婚などで同盟関係を強化しなければ没落してしまいます。

そのさいに相手の情報が大事になりますが……。

その情報は一種の噂場から手に入れるでしょう。

噂場での影響力を増すのが、悪妻の目標でありますな。

それこそ自派閥の女性を、結婚相手として推薦するなどです。

ある意味であそこは……。

宮廷などより激しい闘争が繰り広げられていますよ」


 可能なら触れたくないな。

 とはいえ……。

 この世界で女性の社会進出は限られている。

 女性のエネルギーは、参入しやすい社交の場に注がれるのだろう。


「悪妻の定義はわかりました。

それがギルドマスターと、どう関係が?」


 マウリツィオはニヤリと笑った。


「では本題に入らせていただきます。

彼奴奴きゃつめらはギルドという旦那から乗り換えるつもりはありません。

ただ旦那に収入をもたらす依頼主と冒険者から……。

ひたすらから金を吸い上げることのみを考えているのですよ。

離れた領地程度の認識でしょう。

領民が何人飢え死にしても……。

決まった額の税が入ればいいのです。

だから悪妻と言われているのですよ。

家に悪い影響を及ぼしていますからな。

もし可能なら……。

冒険者に報酬を渡さないことだってやるでしょう」


 ポンピドゥ一族のあだ名か。

 マウリツィオの口ぶりから、他の人たちにも言われているようだ。

 それにしても無報酬か。

 タダ働きさせれば、利益が増す……。

 そんなバカなことをいうヤツがいるのだろうか。

 働き手のモラルが低下すれば、質に反映してしまう。

 結果マイナスだぞ。


「現実的には不可能ですからねぇ」


「ところがですなぁ。

彼奴奴きゃつめらは、とんでもない提案をしたことがあるのですよ」


 不可能を可能にする提案なのか。

 ちょっと想像出来ないな。


「とんでもないですか?」


「不安定な冒険者稼業の救済と銘打っていましたがね。

報酬は全額ギルドが徴収する。

冒険者にはランクに応じて、毎月一定額を給与として支払う案です」


 冒険者は、依頼がなければ収入はゼロ。

 不安定なのはたしかだが……。

 なにか違わないか?


「一見すると冒険者にとって、いい案でしょうね。

でも実態は違うと」


「左様です。

まず収入が下がります。

色々と適当な名目で、支給額は引き下げられるでしょう。

その代わりに、ギルドから様々な特典を与えられることになりますが……。

宿泊料の補助など言っていましたかなぁ。

彼奴奴きゃつめらは……奪ってからばら撒くのが大好きでしてな。

恩を売って影響を拡大したがります。

さて肝心の冒険者はどう思いますかな。

自由に使える手持ちが少なければ、増やしたいでしょう。

冒険者の自由へのこだわりは、とても強いのです。

つまり必死に働いて、ランクをあげるしかありません。

まず……あがるまでの働き分は、そのままギルドの収入になるでしょう。

毎月一定額に加えて、都度達成分の報奨金は支払われますが……」


 なるほど。

 甘い餌で釣り上げて、罠に嵌める気か。

 あとから冒険者が反対しても手遅れだ。

 ギルドに依存した生活を強いられるからな。

 抜け出すことは容易ではない。


「従来よりは少ないと。

差額はそっくりギルドの収入になるわけですか」


「左様です。

そして今までランクとは、依頼の幅が増えるだけの意味でした。

よほどの怠慢がなければ下がることはない。

この審査を厳格化するとも言ったのです。

頑張った分だけ、すぐあがるようにと言ってはいますがね」


 なんとも甘ったるい罠だな。

 そしてギルドへの信頼があるから、冒険者は疑わない。

 しかも深く考える人は少ないだろうな。


「下げるためだと。

そして生活レベルを落とせない冒険者は、また必死で働くと。

よくもまぁ……。

あくどい搾取の仕組みを考えるものですねぇ」


「まさしく搾取です

ほかにも色々な付帯事項をつけていましたなぁ。

その執念だけは見上げたものです。

この暴案は小生が潰しました。

彼奴奴きゃつめらは、小生と議論することから逃げたのです。

数値をいくらこね回しても、ギルド設立の理念がこちらの武器ですからな。

勝ち目がないと悟ったのでしょう。

それ以来……彼奴奴きゃつめらとは不俱戴天ふぐたいてんの敵同士ですな。

彼奴奴きゃつめらは、自分たちに逆らう存在を決して許しませんから。

そもそもこの案を通すのは自殺行為でしょう。

これでは遠からずギルドが潰れると判断しましたからな」


 ポンピドゥ一族との因縁はかなーり深いらしい。


「その根拠を伺っても?」


 マウリツィオは、忌々しげな顔をした。


「冒険者は元々自由に生きるものですよ。

それを縛り付けたら、なり手がいなくなりますぞ。

自由に活躍するからこそ、一定の魅力がある。

だからこそ……なり手がいるのです。

地方で冒険者を見た少年少女が憧れるなど……よくある話でしてね。

彼奴奴きゃつめらめの案が通れば……。

自由など以ての外。

奴隷と大差ありませんからな。

奴隷に憧れて、奴隷になりたがるバカはおらんでしょう。

彼奴奴きゃつめらは、宣伝さえすれば騙せる、と思っているようですが……」


 ちょっと気になるな。


「宣伝ですか?」


彼奴奴きゃつめらは宣伝にはなかなか熱心です。

噂屋をペットにしていますからな。

彼奴奴きゃつめらにとって不都合な話は、基本広まりません。

隠しきれなくなったときは、責任転嫁をした話を広めます。

もしくは別の問題を持ち出して、有耶無耶うやむやにしますな。

そこは抜け目のないものです」


 となるとメディアに目をつける可能性は高いな。

 アルカディア難民と結びつくと考えていいだろうな。

 クレシダが橋渡しか。


「それだけ情報を左右出来るなら……。

とんでもない案でも賛成されそうですね」


「実際に危ないところではありましたな。

廃案になったとき、冒険者から失望の声が多くあがりましたから。

ポンピドゥのだす饅頭に毒が入っている、と気がついていないのですよ。

ランク審査の厳密化が毒の主成分です

ギルドからの依頼を受けないと、ランクを下げるつもりですからな」


 そんな話はじめて聞いたぞ。


「ギルドからの依頼を断るのも自由でしょう。

だから依頼料を上乗せするわけです。

もしかして……」


 マウリツィオは苦笑する。

 予想通りか。


「その上乗せが損だ、と彼奴奴きゃつめらは信じているのです。

内部ではそう公言していますから……間違いありません。

ギルドから冒険者に直接依頼する場合は、緊急依頼となります。

上乗せ料金が発生するのはご存じでしょう。

それは撤廃せずに、ギルドがそっくりもらうつもりです。

現状では2倍の損をしている……。

これが彼奴奴きゃつめらの認識ですよ」


「それはどう考えてもおかしいでしょう。

自由に選べる選択権を奪う代わりの料金なのですから」


「おわかりでしょうが……。

連中は帳簿しか見ないのです。

そんな理念は数値化出来ませんからな。

ギルドからの指名を断るなど、有り得ないと考えている。

そのときに再指名や再交渉にかかるコストを熱心に計算していますよ。

だから確実にマイナス査定にするでしょう。

それでは冒険者は断れない。

飴ではなく鞭のほうが効率的だと」


「なんか冒険者を奴隷と勘違いしていそうですね」


 マウリツィオは憤慨した顔になる。

 なんだろうな。

 下手なギルド幹部より、冒険者を人として見ている気がする。


「でしょうなぁ……。

そしてポンピドゥに尻尾をふる冒険者にだけ、割のいい仕事を回すでしょう。

都合のいい連中には、ばらまき癖が発揮されるわけです。

結果として、冒険者全体のモラルは低下するでしょう。

危険は変わらず、仕事は断れない。

そしてなによりランク審査が問題です」


「当然基準はあるのでしょう。

それを恣意しい的に運用出来るのですか?」


 マウリツィオは力なく首をふった。

 もしかして……基準が曖昧なのか?


「そもそもランク審査に明確な基準がないのですよ……。

時々の条件が違うので、ムリに明確化してはかえって不公平につながりますからな。

当然、審査が恣意しい的であれば、冒険者の反発を招きます。

だからこそ審査は慎重に行いますが……。

ランクにそこまでの重みをつけていないのですよ。

だからこそ、多くの冒険者は目くじらを立てないのです」


 厳密に決めると、現実に即さないケースは多いな。

 法律でも同じだ。

 厳密とは細かく条件を定めることだからな。

 すべてのケースを想定なんて不可能だ。


 どこかで不公正な判定はでてくる。

 だが厳密故に変更は不可能。

 一部を変えると……。

 変えた部分を前提とする内容が変わってしまう。

 結果的に全体を見直さなければいけない。

 それは難しいな。


 だからこそ不満の声が大きくなる。

 誰の目にも明らかであれば、この問題は燎原りょうげんの火の如く広まるだろう。

 その火は自分のランク査定で上昇しないとき……。

 激しく燃え上がるわけだ。

 それがどんなに正しくてもだ。

 結果として……誰も査定を信用しなくなる。

 あがったとしてもだ。

 違いは文句を言わないだけ。


 たしかシルヴァーナが『ギルドのランク認定は、結構いい加減よ』と言っていたな。

 そこまで不都合がないから、上昇志向の強いヤツ以外は気にしていないそうだ。


 いい加減に見えるのは、こんな事情があったのか。

 理由がちゃんとあるものだ。


「厳密に運用するのがムリなのですね。

それを厳密化ですか……」


「ランクがとても重くなって、査定が現実に即さない。

それでも彼奴奴きゃつめらは、変えようとしません。

変えるコストを問題視するからです。

変えたことで、ランクがあがらなくなるのであれば……乗り気になりますがね。

支出削減は彼奴奴きゃつめらにとって、立派な行為とされますから。

これでは冒険者がギルドを信じなくなるでしょう。

一度やってダメなら、そのときに変えればいいなど言っていましたが……。

そんなわけにはいかないのです」


 たしかにそうだな。

 なかったことにすれば、その間損をした人たちが確実に怒りだす。

 制度はそう気軽に変えていいものじゃない。

 結果的に組織への信頼が低下するだろう。


 それにしても……。

 よくギルドの本質を把握している。

 理念に忠実で、真摯しんしに冒険者と向き合っているだろう。

 この頭脳だからこそ、新ギルドは驚異の速度で立ち上がったわけだ。

 まさに異才とでもいうべきか。


「そもそもの依頼達成率すら落ちて、ギルドの信用すらなくなりますね」


 マウリツィオは苦々しい顔でうなずいた。


「左様です。

彼奴奴きゃつめは目先の収入しか考えないのですよ。

さらにタチが悪いのは、失敗しても決して責任を取らない。

決定権はギルド首脳陣にあると開き直る始末ですからな。

さらに宣伝で他者の責任を追及させるのです。

ご存じの通り、彼奴奴きゃつめらには力がありますからな。

最終的な決定権はなくても、かなりの力を及ぼせます。

知らぬ存ぜぬなど……おかしな話ではありませんか?」


 責任を取らないからこそ、ムチャな話も平気でできる。

 支部だって潰せるわけだ。

 ライサの件も、後始末はギルド首脳陣に丸投げしていそうだな。

 どおりで知っている人からは嫌われるわけだ。


「発案者だけならそれもわかります。

もし成立させようと色々工作をしたなら……。

責は問われるべきでしょう。

越権行為の責となりますかね。

そんな一族がギルドマスターを輩出してしまったと。

逆に責任逃れは難しいと思いますね」


「そのときはピエロひとりを生贄にして、一族の保身を図るでしょうなぁ。

そんな余裕が……あればいいのですがね」


 その前にギルドごと崩壊するような口ぶりだな。

 マウリツィオの見識は思った以上に高い。

 聞いて損はないだろう。

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